決着
「何もんだお前」
突如現れた闖入者をブラジリアーノは睨みつける。
エンリケは予期した事態になっていた事に舌打ちするも、苦手な走りをした甲斐があったと安堵する。
コロンも怪我こそしているが意識はある。リリアンはどうやら気絶しているようだがコロンが無事ならまだ勝機はある。
バレないようコロンの側に瓶を落とす。
「(キケ、これは?)」
「(解毒剤だ。飲んでおけ)……お初にお目にかかる。貴様がブラジリアーノだな? 俺はエンリケ。ただのエンリケだ。そしてお前の所の団員一人の治療した医者でもある」
「あぁ? ……確かクランクの雑魚が治療された跡があったな。あれはお前の仕業か。で、何だ。俺の邪魔をするってぇことは仕官しに来たってことでもねぇだろ」
「その通りだ。俺はここにいるC・コロンの一応仲間でもある。だからこそ彼女を助けに来た」
「はっ! 女に仕えるとは男の恥晒しめが! 女など男に組み敷かれるだけの存在だろうが!」
「何とでも言いたまえ。貴様がどう思おうと俺には関係ない事だ」
僅かな会話でエンリケはブラジリアーノをプライドの高い、そして女を下に見る者だと理解した。
これならば問題ない。
「それにしても、ふむ」
態とらしく小馬鹿にしたように笑う。安い挑発だがブラジリアーノには十分だった。
「何がおかしい!」
「《豪鬼》。俺はお前をそう聞いていたがまるで違うではないか。鬼の名を語るとは驕ったな」
「何を言う? 俺こそ鬼だ!」
「いいや、違うさ。その角の特徴は牛系獣人の証だ。貴様は紛い物だ」
エンリケは鬼人族は見たことないが牛系獣人は見たことがあった。
彼らに生える角はいずれも歪曲しているためブラジリアーノの容姿とも一致する。牛系獣人はほとんどが温厚な性格で力が強いのが特徴であったが目の前のブラジリアーノはとても温厚には見えない。同じ牛系獣人でもここまで差が出るのは興味深いと医者としてつい観察してしまう。
自らを鬼ではないと侮蔑されたブラジリアーノは怒りの形相を浮かべる。
「ごちゃごちゃと……! もういい、今更潰す相手が一人増えた所で何も変わらねぇ。皆轢き潰して殺すだけだ。だがやすやすとは殺さん。刃向かった事を後悔するくらい酷く拷問してから殺してやる。お前もそんな小童に仕えた事を後悔するんだな」
「脅しか? 悪いが俺にそんな脅しは聞かないぞ。死ぬのは怖くないからな。それにどうも貴様はその小童に翻弄されていたように見えるが?」
「テメェ……!」
エンリケはカツカツとブラジリアーノがコロンから視線を外すよう歩きながらコートを拾う。
「御託は良い。早く来るがいいだろう。闘牛は布が好きなのだろう?」
「上等だ。貴様の血で赤く濡らしてやろう」
ブラジリアーノが駆ける。見た目に反し速いがエンリケは体の軸をずらし上からの攻撃を避ける。轟っ、と鼻の先を掠っていった棍棒の音だけでどれだけの力で振るわれたのかが分かり、少しばかり冷や汗をかく。
その後、今度はと胴体を狙った横薙ぎも咄嗟に伏せて躱す。
「どうした、大層な言葉を言って逃げてばかりかぁ!?」
「実に雑な攻撃だ。その筋肉はただの飾りか? 図体ばかりデカくなり、技術というものが何もない。筋肉の無駄遣いだな。まだ豚の方がマシだ。あれはあぁ見えて筋肉を効率よく使う為の完成体。《牙豚族》などは一流の戦士として名を轟かすのにお前はただの暴れん坊だな」
「豚畜生と俺をいっしょにするなぁ!」
怒り、更に激しくなる攻撃をエンリケは避ける事のみに集中しギリギリ躱す。そうギリギリだ。
エンリケが避けれているのは挑発する事でブラジリアーノの攻撃を単調になるよう誘導した事と、医者としての知識、目線や筋肉の動きから予想しているにすぎない。ブラジリアーノを挑発したが実質問題、エンリケでは勝てないのだ。彼はビアンカのような戦士でない。なので勝負の決着はコロンに委ねることになる。
その為にこれは時間稼ぎである。《ザクロニウムの花》の症状が抜けるには時間がかかる。それまで逃げていればいい。
ここからはスタミナ勝負だ。とはいえほんのわずか気の抜けない、正に死の闘牛としての。
猛攻を避け続けるエンリケ。所々かするが致命的な一撃は受けていない。このまま行けば大丈夫。
だが終わりは突然訪れた。
それはガンダーラが死んだ後、流れていた血の溜まり。避けるのに必死なエンリケはそこに血の溜まりがあるのに気付かなかった。
気付いた時には足をとられてた。
それを好機と見たブラジリアーノ。迫る巨大な棍棒。
咄嗟に腕を交差するが耐えられる訳がなく、吹き飛ばされ壁にめり込んだ。
「キケ!」
「おらぁ! 避けるしか能のない雑魚風情がぁ! 舐めるなよ、雑魚がぁ!!」
焦燥に駆られた声でコロンが叫ぶ。動こうとするがまだ弛緩した足が動かない。
ブラジリアーノは壁にめり込んだエンリケに向かって棍棒を振りかざす。何度も、何度も轟音が響く。
それをコロンは見ることしか出来なかった。
最後に一際強く叩かれたあとブラジリアーノは棍棒を壁から引き出す。
煙でよく見えないが壁にめり込んだエンリケは動く様子がない。
「はははははっ!! 見ろ小童! 生意気な口の男は死んだぞ。だがこれは始まりだ。これからテメェの仲間も一人残らずこうしてやる! どうだ絶望しろ、泣き叫べ、俺に命乞いしろ! 俺こそが最強の海賊だ!! 歯向かうやつは全員こうしてやる! フハハハハッ!!!」
ブラジリアーノの勝ち誇った笑い声には耳も貸さず、コロンはエンリケが埋もれた壁をジッと見ていた。
「キケ……」
呆然とし、そして強く激しい怒りを抱く。
リリーが倒されただけでなく、今度はキケまで。
キケは死んだ。あれほど攻撃を受けて生きているはずがない。
船員を守るのは船長である自分の役目なのに。
自分は結局守れなかった。
「ふー! ふー!」
コロンはまだ力のうまく入らない体を鞭打ち立ち上がる。錨を支えに震えながらも。だがその目の闘志は消えていない。
「……まだ立ち上がるか。だが所詮満身創痍。終わりにしてやろう」
悠々とこちらに向かって歩くブラジリアーノを睨みつける。
こいつのせいでキケが死んだ。
こいつのせいだ。
こいつの。
コイツヲ殺シテヤル
視界が怒りで赤く染まる。体が燃えるように熱い。
理性が、何かで塗りつぶされていく。
本能が殺せと叫ぶ。
コロンは衝動に身を任せようとしたときーー
背後で動く人影を捉えた。
「んなぁ!!?」
「悪いが、あの程度の殴打では俺は死ねない」
ブラジリアーノが驚愕の声をあげた。
エンリケは生きていた。隙だらけの背中に組みつく。
あれだけの殴打を受けて傷一つない。いや、頭から血こそ流れているが本来ならば潰れていてもおかしくないはずの攻撃を受けてその程度で済んでいるのがおかしい。
「返すぞ」
ぶすっとブラジリアーノの肩に何かが注射をされる。
「ぐっ、雑魚がぁっ!」
「がっ」
左手でエンリケの頭を掴み振り払う。エンリケは地面に叩き落とされる。
「これで終わりだ!!」
今度こそとブラジリアーノは頭部目掛けて振るおうとする。だがそれよりも早くブラジリアーノの横っ腹に重い一撃が走った。
「ぬぁーはっハッー! ふっかーつ!!」
コロンの振るった錨に巻きつかれていた鎖であった。
ブラジリアーノはその巨体が宙に浮き、勢いよく後退する。
「くずがぁぁ……一度ならず二度もこの俺にィ!!」
「私はそれ以上にお前に叩かれたぞ! よくもやってくれたな。これはお礼だ!」
駆け出し、跳躍して振りかざされる錨。咄嗟に棍棒で受け止めるが大きく押される。
「ぐぅ!? バカなっ!? (上手く力が入らねぇ!?)」
身体中の筋肉が弛緩する感覚。
この症状には覚えがあった。
ハッとし、エンリケの方を見ると、口から血を出しながらも奴は嗤っていた。
「言っただろう? 返すと」
先ほど注入されたのは《ザクロニウムの花》の粉を溶かしたもの。その成分はコロンが吸引したものよりも濃い。
ブラジリアーノには解毒剤は先ほど飲んでしまいもうない。つまり力で負けるのだ。この自分が。
「ーー雑魚がぁぁあぁぁぁ!!!!」
「喰らえ《餓鬼撃逸》!!」
怒りと恨みを混ぜながら自暴気味に振りかざす棍棒をコロンは大地すら割る《餓鬼撃逸》で、そのまま押し切り錨を頭に撃ち込んだ。
轟音が鳴り響く。ブラジリアーノの頭が地面にめり込み、折れた角が空を舞った。
力を過信し、力に溺れたブラジリアーノの敗北であった。
皮肉なことに今まで同じように潰してきた、ブラジリアーノが弱者と侮った者たちと同じ最後だった。
コロンは倒した事に喜びを感じつつも、背後で壁にもたれるエンリケにすぐさま駆け寄った。
「キケ大丈夫か!?」
「……いや、だめだな」
「そ、そんなっ。キケ!」
「眼鏡にヒビが入ってしまった。替えはないというのに、これだから考えなしの暴れん坊は困る」
「そっちかい!! お、お前なぁっし、死んじゃったかと思ったんだぞ! ぐっちゃぐっちゃになって。わ、わたしがどれくらいしんぱいしたとっ。このばかっ、あほっ、すかぽんたんっ」
「ごふっ、や、やめろっ。お前の攻撃は俺に効く」
ボカボカ胸を叩く。正直傷に響くのでやめてもらいたいが段々と力無く、そしてぐすぐすと泣きベソかくコロンに呆れながらもそのままにしておいた。暫くするとコロンの泣き声は治る。その鼻は赤いが。
「なぁ、キケ。なぜお前がここに来たんだ? お前はビアンカとアリアと一緒に奴らの本船の方を攻めに行ったんじゃなかったのか? まさか何かあったのか!?」
「心配するな、本船の方はすでに制圧した。それよりもリリアン・ナビの方が心配だ。何があった?」
「そうだっ、リリー!」
叩くのをやめ、急いでリリアンに駆け寄るコロン。
「リリー! リリー! 大丈夫か!?」
「落ち着け、余り揺らすな。……気絶しているだけだ。脈拍、呼吸共に乱れはない。だが軽い魔力欠乏症を起こしているな。例の魔銃の影響か。C・コロン。これを飲ませろ、少しは魔力が回復するはずだ」
「分かった!」
コロンは受け取った薬を飲んで、直接唇を重ねリリアンに薬を飲ませる。そして水も。
暫くするとリリアンが身動ぎする。
「う、うぅん…。あれ、ころーね?」
「リリー! りり〜! 良かったぁああぁぁ!!」
「い、痛い痛い痛い! コローネっ、抱きしめるのは嬉しいけどもっと力を考えて! 折れちゃう、折れちゃうからぁ!!」
顔を赤くしつつ青くもなるという珍妙な行動をしつつもリリアンは目を覚ました。落ち着いたのかコロンが離すとリリアンは思いっきり息を吸い込んだ。
「ふぅ……死ぬかと思ったわ。そうだ、コロン。あのデカブツはどうなったの?」
「あいつなら倒したぞ! このコロン・パイオニアがな!」
「そうなの? すごいわ、さすがコローネね!」
「いいや、私だけの力じゃない。キケのおかげだ」
「え?」
そこでリリアンは初めてエンリケに気付く。
「な、ななな何であんたがここにいるのよ!?」
「いては悪いか。それよりも早く服装を整える事だな。勝利したというのに風邪をひかれても困る」
「はっ!」
指摘され、はだけた胸元に気付く。投げ飛ばされたガンダーラの鎧の棘に一部引っかかり破けてしまったのだ。
リリアンは己の痴態に顔が熱くなり、目がグルグル回り、思考が沸騰する。
「み、みみみみ見るな、変態!」
「リリー! 待て銃はまずいぞ銃は!!」
銃を構えるリリアンをコロンが抑える。
やれやれと、目覚めたら目覚めたで騒がしいものだとエンリケはため息をはいた。
その後残った海賊もブラジリアーノが破れたことで戦意を喪失し、全て捕らえられた。
毎日が死と隣り合わせの絶望しかなかった日々。
だがこの日、港町は海賊たちからの長い支配から解放された。




