ブラジリアーノ
「それでおめおめと逃げ帰った訳か」
シンとした空間に厳かに、苛立ちの篭った声が響き渡る。その声に周囲に並んでいた海賊たちがぶるりと身震いを起こした。
高級な酒が棚に並び、いくつもの丸の木製のテーブルとそれを囲む椅子があるここは《船乗りたちの酒場》と名付けられた酒場。元は陽気な漁師が集まり楽しげな笑い声が絶えなかった場所だ。船乗りたちは仕事を終えた後、ここで友と語り合い、歌い手の声に耳を傾け、酒を飲む、疲れを癒すための憩いの場だった。
だが今は粗暴で凶悪な海賊達の根城とかし、笑い声は海賊達の下品な嘲笑へと変わり、歌は悲鳴へと変わった。
睨まれたエンリケに治療された鼻に包帯を巻いた海賊、クランクはその眼光に怖気をなす。
「ひ、ひぃっ! だけどボス! あいつら本当に強かったんだ。自分と同じ大きさの錨を振り払って俺を吹き飛ばしたんだ。嘘じゃない、鼻だって折れたっ。俺を治療した医師がそう言ってた。嘘じゃないっ」
どてっと後ろに倒れながら必死に弁明する。彼の目の前にいる、件の声の持ち主。
中央に鎮座する一つの椅子に座って尚、大の大人が見上げるほどの巨躯、実際身長は二メートルを越えていた。そしてその巨躯に相応しいほどの筋肉に見るものに畏怖を与える。顔は強面で額に大きな傷がある。子どもが見れば泣くほどの凶悪な面だ。
体のあちこちに金ピカの装飾品が飾ってある。いずれも価値の高い貴重品だ。粗暴な身に不釣り合いのこれらは全てこの港町から巻き上げたものだ。
しかし最も特徴的なのは頭の左右から婉曲し聳える角だ。歪に歪むその様は、人が持ち得ぬ凶気に満ちていた。
彼こそ《豪鬼》ブラジリアーノ。港町を支配する海賊たちの首魁である。
「医者だぁ? 折れた折れてないとか、どうでもいいんだよ。例の蒼色の小童か。だとしてもたかだかガキ一人に負けるとは何ごとだ」
「だけどっ、あのガキの力は本当に強かったんだ。ボスと同じくらいに力が強くて俺じゃとても」
「あ?」
「ひぃっ!」
睨むブラジリアーノにクランクは息を呑む。
「一つ聞こう。この世で最も力が強いのは誰だ?」
「そ、それはボス、あなた様ブラジリアーノ様です」
「そうだ。ならば俺が率いる艦隊は最強でなくてはならない。分かるよな? なのにお前は小童一人に負け逃げ帰って来た。……この恥晒しめが!!」
怒りの形相でクランクを睨みつけ、余りの迫力に股間が暖かくなった。漏らしたのだ。左右の仲間も今にも気絶しそうだ。
怒っていたブラジリアーノだが人が変わったように、ふっと穏やかな顔になる。
「だがまぁ、俺は寛大だからよ。お前らが逃げて来たことについては現に情報を届けたことについては褒めてやろ。容姿は分かったんだ。俺をこの港町を支配する海賊団だと分かって喧嘩売って来た、そいつらには相応の報いを受けさせる」
「ブ、ブラジリアーノ様」
「だけどよ、ケジメは必要だよな?」
希望を抱いて矢先、ケジメという言葉に反応する。
確かに何も罰がないと甘い考えは持ってはいなかった。だがその言葉は余りにも不吉な様子を含んでいた。
「俺達の海賊団の掟は覚えているよな? 『敵へには猛進たれ』。俺らが《不退転な猛牛》と名乗るまでに至った言葉だ。お前らはこの掟に反しむざむざと逃げ帰った。普段なら懲罰程度で済ませるが今回は別だ」
立ち上がり、側にかけてあった棍棒を持つ。ブラジリアーノ専用の特性棍棒であり、沢山の針が突き出ている。重量硬度ともに桁違いで、これを扱えるのはブラジリアーノしかおらず、その棍棒で幾多もの命が奪われてきた。正に彼の暴力と暴虐を体現した武器だ。
「こいつで一発ぶっ叩かせろ。それで許してやる!」
「そ、そんな! そんな事されたら死んじまう!!」
「俺と同じくらいの力を持つ小童の攻撃を食らって生きていたんだろ!? ならこれも耐えられるだろうよォッ!!」
力の限り、棍棒を振りかざす。
クランクはそれに耐えられるはずがなく悲鳴をあげる暇すらなく潰れて死んだ。
床が割れ、辺りに血と臓物が飛び散る。
「はんっ、何だ。やっぱり嘘じゃねぇか」
面白くなさげに鼻を鳴らし、棍棒を持ち上げる。
床には血のシミと肉片のみがあり、それが元人間だと分かる要素はまったくない。仲間の凄惨な最期を見たここに連れて来た二人はガクガクと震える。
「ひ、ひぃ……!」
「クランク……!」
「お前ら」
「は、はっ!」
「命だけはっ……」
「今すぐその小童どもを探せ。見つけなければどうなるかわかるよな? ……テメェらもだ! 同じようになりたくなければ駆け足で探せ!」
血の付いた棍棒をこれ見よがしに向けると青褪めた顔をし、一斉に海賊は酒場から出て行った。
その様子に満足し、再び椅子に座り、ジョッキを掲げると攫ってきた女の一人が怯えながらも酒を注ぐ。
側近の一人、"甲弾虫"と呼ばれる強固な魔虫で作った緑色の鎧で隙間なく身体を覆ったガンダーラが臆せず話しかける。
「なぁボス。殺すならば外でも良かったんじゃ?」
「あれは見せしめだ。他の配下どもも最近腑抜けていたからな。丁度良い。誰が一番なのか分からせる必要があった」
「だとしても折角手に入れた酒場を血で汚しては酒が不味くなるぜ。臭いもこびりつく」
「そんなもん、攫ってきた女どもにやらせりゃいい。おい、早くしろ。またお仕置きされてぇのか」
「は、はいっ」
慌てて後ろにいた女たちがクランクの死体を片付け始める。元は人の死になれない町娘たちだ。中には吐きそうな女性もいたが吐けばどうなるか自明の理な為耐える。それでも顔色は悪く動きはぎこちないが。
くびりとジョッキに入れた酒を煽る。恐怖に震える弱者の様子にほんの僅かばかりにブラジリアーノの機嫌は良くなる。
飲み干す同じ血を連想する赤の酒にガンダーラも少しばかり気分が悪くなるがブラジリアーノは全く気にもしなかった。
「それにしても、はっ。ただの小童が俺と同じくらいの力を持っていただと嘘にしてももう少しマシな嘘をつくべきだったな」
ただ力が強いというだけならば骨を折るだけで済ませた。だがクランクはブラジリアーノと同じくらい力が強いと言ってしまった。それが彼の明暗を分けた。
力はブラジリアーノにとって何よりも重要なのだ。自らに匹敵する存在など彼は許さないし、信じない。
「確かにそうだな。今まで出会った海賊や兵士でもボスより強い奴なんぞいなかったからな」
「いずれにせよ、宣戦布告してきたその小童はここに連れて来て躾ける必要がある。仲間の女どももだ。所詮非力な弱者。骨の一本でも折れば従順な尻を振る雌犬に成り下がる」
「仮に見つからなかったらどうする」
「そん時は、近くにいた小僧をひき肉にしたら良い。元々余興で生かしておいたからな。生かすも殺すも俺次第だ。そいつも見つからなきゃ、適当に港町の奴らをしょっぴけばいい。八つ当たりの対象となってもらおう。何、誰も俺には逆らえねぇ。海賊は自由だ。ならば力で支配する俺こそまさに世界で最も自由な海賊だ」
もはやコロンたちを好きにするのは決定事項なのだ。ブラジリアーノは妄想する。拷問した時、奴らはどんな顔をするのだろうか。悲痛か、絶望か、諦観か、いずれにせよ愉快なことには変わりない。力を示せば人は簡単に屈する。心中がどうあれ力がない弱者は奪われるしかないのだ。
これだから海賊はやめられない。
ブラジリアーノは愉悦に浸りながら獰猛に笑った。
「ブ、ブラジリアーノさまっ。大変だ! 猿がっ、恐らく近くの森に住んでいた猿が大量に現れて俺たちの縄張りを荒らしている!」
「……あぁ!?」
数十分後、もたらされた内容にブラジリアーノは酒瓶を伝えてきた海賊にぶつけた。
ご精読ありがとうございます。
ブラジリアーノ元ネタは「ロッシュ・ブラジリアーノ」です。
その凶暴性と残忍さで悪名高い海賊だったそうでしたが、当時の海賊としては珍しく宝を散財せず、貯めるという堅実さも持つ男だったらしいです。詳しくは検索していただければ。




