港町トロイ
後日、正式にコロンより北の港町へ向かうとの宣告がされた。内容が、この船の食糧事情なだけに特に何ごとなく受け入れられた。
クラリッサもこの日から甲板の上にも姿を表すようになった。手すりに腰かけ、よくアリアと何やら談笑している姿が見られるようになった。初めに会った時、ほんの僅かに気まずげな顔をしたがすぐに笑顔で挨拶してくれた。あの夜の事を他の誰かに語る気はないようだった。
それでいい。あの話は自らを拾ったクラリッサだからこそ話したのだから。
北に舵をとっても変わりない日々が続く。
そうしてエンリケが拾われてから二週間。双眼鏡を覗いていたリリアンがついに遠くに港町を発見した。
「みんな! 陸地が見えたわ!」
「なんだとっ。どれどれ…...おぉ! あれがか!」
「見えたのでありますか!」
「ほう、中々に良さそうなところだな」
「へぇ、あれが。久しぶりの陸地だね」
「やっと? あ〜、長かった」
「見えたんですかぁ〜?」
「……!」
ドタドタと皆一斉に手すりから身を乗り出して海の先の港町に目を向ける。
エンリケも遅ればせながら遠目から見れば確かに町並みが見えた。
「うん、地図に書いてあった姿形の特徴とも完全に一致しているわ。間違いなくあれが港町よ」
「久しぶりの陸地だ! 楽しみだな!」
「そうね。でも買うものは沢山あるわ。食料に、水に、生活必需品、予備の木材に釘、消費した武器…...弾薬はさすがに期待出来なさそうね。工房があれば良いんだけど」
「リリー! 私は久しぶりに新鮮な肉を食いたいぞ!」
「肉なら毎日食べてるじゃない。魚のだけど」
「私は魚じゃない生き物の肉を食べたいのだ! あれはあれで美味しいけど味が淡白すぎる! 肉はやはりどかんと質量があってじゅ〜し〜でなければならない!」
「え〜…...、私はもっとさっぱりとした方が......」
食事について熱い議論をするコロン。伊達にこの船一番の大食いではないのだ。
「…...私は魚の方が好きだがな。あの淡白な味わいがたまらない。そう思わないかクラリッサ」
「な、何でこっちを見るのかな? やめてよ、目が怖いわっ、あ、あたしは美味しくないわ!」
「まぁまぁ白翼なりの冗談だろうさ」
「ふっ」
「だからって人魚のあたしに聞くなんて心臓に悪いんだから。…...あたしは野菜とかが良いかな〜。中々海にいたら食べれないし。コロっちのいうお肉はクドくって美味しいとは思えないもの」
「それは好みじゃないかな? ボクはパンに野菜やお肉を挟んだものの方が好きだからさ。あれ、お手軽だし冷めても美味しいから」
「リコも久しぶりに果物を食べたいであります! ふぁみり〜のみんなも食べたがっているでありますし」
「わたしとしてはぁ〜、とりあえず新鮮なものを食べたいですねぇ〜。ティノちゃんは甘いものとかが良いですよね?」
「……ぅ、ぅん」
港町に近付きにつれ、一同は期待に胸を膨らませた。
「…...む?」
「どうしたでありますかビアンカ殿?」
「いや、何でもない。かなり大きいがただの船だろう」
ビアンカはずば抜けた視力で港町に停泊する巨大な船を見た。しかし、この時はまだそれが何なのか気付けなかったのであった。
《いるかさん号》はトロイより少し離れた磯に船を留めることにした。
実の所港町に停泊するというのはこの時代難しい。商船出会っても予め手紙か何かで大まかな日付を知らせ、許可の印を持って見せる必要がある。そこまでしても何らかの事情で停泊できない場合もある。
それ以外の船は大抵が海賊を警戒する船に足止めを食らう。停泊出来たとしても莫大な費用を取られる。とてもじゃないが気安く払える額ではない。ならば払う必要のない町から遠い所に船をとめるのはありな選択肢だった。
無論離れた所に停泊するのもリスクがある。町から外れればそこは無法地帯。同じ停泊費を出すのが嫌で停泊する船か、それを狙う海賊たちがいる。
しかしこの船は特殊だ。龍というリュウグウノツカイが船を引いているので何かあれば自ら出航し、逃げ切れる。更にはミラニューロテナガザルの群れも非常に厄介だ。小柄な癖に人より器用で力もあるミラニューロテナガザルはそれだけで同数の海賊を上回る。並大抵の海賊では相手にもならないだろう。
「よぉーし、錨を下ろせ!」
陸地に接岸し、錨を降ろす。
その後えっほらえっほらとミラニューロテナガザルたちが降りるようの板を設置し、帆を畳む。
一同は街に向かう支度を始める。メンバーはクラリッサを除く全員だ。
「それじゃ、行ってくるよ。海の歌い手、お留守番よろしくね」
「行ってらっしゃいアリアにみんな。本当はあたしも行きたいけど、残念ながら仕方ないかな。あたしの姿じゃ町に出られないしね」
人魚のクラリッサでは陸の港町は歩けない。分かってはいるが彼女の姿はやはり少し寂しそうだった。
「ま、できない事を嘆いても仕方ないか! その代わりお土産はよろしくね!」
「任せておけ! この偉大な海の海賊C・コロンがすばらしい目を惹く逸品を買ってきてやる!」
「…...よろしくね、アリア!」
「あぁ、分かったよ」
「な、なぜ私を無視するのだっ!?」
「だってコロっちのお土産、どれもこれも実用性に欠けるし趣味がわるいんだもん。この間もよくわからない不気味な像をお土産と称して買ってきたし」
「何でだっかっこいいじゃないか!」
「あれのどこが!?」
「さすがのボクでも擁護出来ないかな。ごめんね」
「ぬぬぬ…...、リリー!」
「あ、コローネまた変なの買わないでよね。場所ばっかとって邪魔なんだから」
「リリー!? う〜! みんなせんすがおかしいのだ! あんなにも強そうでカッコいいのに!」
「「「それはない(わ・ね)」」」
「ぬがぁー!」
騒がしい女子達を尻目に、エンリケは革の鞄の中身を整備していた。
エンリケも外出許可を与えられている。今は白衣ではなく、海に落とされていた際に着ていた焦げ茶のコートを着ている。中のシャツも青地のものにへと変化している。
アタッシュケースの中にはオリビアから持ち出しの許可を貰った薬がいくつか入っている。作ったのはエンリケだ。彼はこれを売って金に換えるつもりでいた。
「いってらっしゃーい! お土産忘れないでよー!」
≪うっきっきー!!≫
クラリッサとミラニューロテナガザルに見送られ、一同は港町へと向かった。
「おぉー! ここが港町か! うむ、中々良さそうな町じゃないか!」
港町についたコロンは開口一番にそう言った。《トロイ》は港町と呼ばれるだけあり、辺りには新鮮な魚類が並られている。並ぶ家々は煉瓦製で出来ており、屋根は青い。道は残念ながら塗装はされていなかった。
だがそんな道にむき出しの露店が多くあった。
「せんちょー! あっちにリンゴが売っているであります!」
「なにっ! それはぜひとも賞味する必要があるな!」
「早速行くであります!」
「待ちなさい、勝手な行動を取らないの。まだ私たちはこの土地に関して何も知らないんだから迷子になったら大変よ」
久しぶりの町にテンションが上がる二人を首根っこを掴んで止める。
騒ぐ一団を、住民は遠巻きから見ていた。
エンリケはアタッシュケースを持ち直す。
「さて、俺は別行動をとらせてもらう」
「おや、客人さんはボクたちと一緒に観光しないのかい?」
「あぁ。こちらにしても色々とすることがあるのでな。別行動を取った方が効率的だ。女性がいれば不都合なこともある」
「不都合?」
「下着とかがな。ないんだ」
「そ、そうかい。ごめん聞いて。分かったよ。ボクから船長には伝えておくよ。一応、集合場所はまたここで良いかな? 時間は、そうだね。あの地上を照らす太陽の光が中天に差し掛かる頃で」
「あぁ、分かった」
アリアに言伝を頼み、そのまま他のメンバーに気づかれないようにその場から去ろうとする。
「あ、ちょっと待ちなさい」
途中ビアンカに二人の見張りを頼んだリリアンに呼び止められる。何だと振り返った所、ポイっと小さな皮袋を投げ渡された。
「これは?」
「何ってお金よ。あんた金ないでしょ? 何か売るつもりだったとそのアタッシュケースを見て思うけど、そんな事をさせるほどこの《いるかさん号》は貧乏じゃないわ。但し絶対に無駄使いしないこと。今回はあの海賊船のおかげ思わぬ臨時収入があったからこそ、気に入らないあんたにもこの私リリアン・ナビ様が恵んであげるんだから。感謝しなさい」
つまるところこれは資金らしい。何度も手の中の皮袋とリリアンの顔を見た後、軽く頭を下げる。
「礼を言うぞ、リリアン・ナビ」
「ふんっ、男に感謝されてまこれーっぽっちも嬉しくないわ」
感謝しろと言ったのにしたら嬉しくないと言われる始末。やれやれと肩をすくめる。
「さぁーて、どんなもの買おっかなー。服とかも買いたいな。コローネにも新しい服買ってあげないと。すぐに服ダメにしちゃうんだし。ふふ、きっと可愛くできるわ。コーディネーターとしての腕がなるわね」
るんるんと女の子走りしながらリリアンはコロンたちのところに戻っていった。その顔はエンリケに向けるような厳しい表情ではなくだらしなく緩んでいる。
…...見てはいけないものを見てしまった。
エンリケは足早に今度こそ行こうとした時、またもや声をかけられる。今度はオリビアだった。後ろにはティノもいる。
「…...今度は何だ」
「あ〜、そんなめんどくさそうな顔しないで下さいよぉ。こぉ〜んな素敵な女性が話しかけているんですからぁ」
「…...!」
「それで何の用だ?」
「無視するなんてぇ、いけずですねぇ。まぁ、良いです。エンリケさん、私たちとは別行動をとろうと思っているんですよねぇ? わたしたちもそれに同行しようかなぁ〜と」
「は?」
「つまりぃ、デートですよデート。よかったですねぇ、こんなおっぱいの大きな綺麗な女性といれるなんて」
「いや待て、それは駄目だろう」
「何が問題でもぉ?」
「?」
同じように首をかしげるオリビアとティノに血が繋がってないのに親娘みたいだなとどうでも良いことを考える。
「俺は男だ。それに古参のオリビアたちが新参者の俺と一緒に行動するなどあまり良く思われないだろう。特にリリアン・ナビなど絶対納得しないだろう」
「大丈夫ですよぉ〜。わたしとエンリケさんは同じ医務室に働いているんですから薬品を調達する為って言っておけば納得してくれますよぉ」
「しかしだな」
「そ・れ・にぃ」
ずいっと近付き耳元でぼそりと呟く。豊満な胸の感触と生暖かい空気に一瞬体が震えた。
「連れていってくれないと……貴方に押し倒されたことみんなにバラしちゃいますよ?」
「待て。それはそちらからした事だろう。事実を捻じ曲げるのは良くない。俺は正当防衛としてしただけだ」
「そうですけどぉ〜、それを証明する人はいるのですか〜? あの場にいたのはわたしとエンリケさん、あなただけですよぉ〜。この船に長くいるわたしと〜、まだ2週間しかたっていないエンリケさん。みんなどっちを信じるんですかねぇ〜?」
ぐっと言葉につまる。ティノは二人が何の話をしているのか分からずキョトンとしていた。
ここでオリビアに今の証言をされれば誤解される。諦めたように「悪女め」と呟くと、オリビアはうふふと笑うだけで否定しなかった。
「それじゃ、私たちもご一緒するということで。……リリアンちゃ〜ん、わたしとティノちゃんはエンリケさんと共に回りますねぇ〜」
「えぇーー!!?」
疲れたように溜め息を吐く。くいくいと躊躇いがちにティノがエンリケのコートを引いた。
「…...め、めいわく…だった…?」
「いや、大丈夫だ」
「なら…...よかった…...」
嬉しそうにはにかむティノの姿だけが唯一救いだった。




