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人魚


「お前は誰だ」


 警戒心を露わにエンリケは目の前の人魚を睨む。

 目の前の女、人魚とはエンリケは初めて会う。だからこそ向こうから親しく話しかけられる理由もない。




ーーローレライは海人を海中に引きずり落とす。




 船乗りに語られる逸話の一つだ。人魚は美しい。その美しい人魚に惹かれ、船乗り達は自らも人魚を追い海に落ちる。眉唾物の迷信だが、今ならば分かる。

 彼らは触れてみたかったのだ。その光り輝く真珠に。




 警戒した目で見ていると目の前の人魚は少しむっとした表情になる。艶やかで美しい人魚というより可愛らしい生娘みたいな表情だった。


「何々、もしかして警戒されちゃってる? え〜酷いなぁ。命の恩人なのに。あたし傷ついちゃうよ」

「何?」


 聞き捨てならない言葉に反応する。


「そうだよ。コロっちから聞いていなかった? あたしが貴方が海に落とされたのを引っ張り上げてあげたんだよ?」


 確かに聞いていた。自分を引き上げた人がいると。だが一度も会ったことがなくてどのような人物が全く把握していなかった。


「……ということはお前がクラリッサなる人物か?」

「せいか〜い! フルネームはクラリッサ・ルルって言うんだ。クラリッサでもルルでもどっちでも良いけど、可愛くてステキなクラリッサちゃんって呼んでくれたらアタシも嬉しいかな。ね? ()()()()


 パチパチと、手を叩きどこまでもフランクな様子のクラリッサに流石のエンリケも毒気を抜かれる。

 そんなエンリケを知ってか知らずかクラリッサは話を続ける。


「驚いたよ〜。まさか海を散歩していたら人が落ちてくるんだもん。おじさんも意識は殆どなかったけどアタシのことちらっと記憶に残っているでしょ?」

「記憶……あぁ、あのときの鮫か」

「鮫!? ちょっと今鮫って言った!? あんな凶暴で、凶悪で、食べる事ばかりの知性のかけらもない頭空っぽな外道なんかと同じにしないでくれる!?」

「す、すまない」


 あまりの剣幕に流石のエンリケもたじろぎ、謝罪する。それでも怒りが収まらないのかクラリッサは腰に手を当てずいっと艶やかな魚の尾を目の前に突きつける。


「ほんっとうに失礼だから! 鮫なんかと一緒にしないで。ほら見てよこの光り輝く艶美の鱗に優雅で透けるような鰭。これだけでもあんなくすんだ上にガサガサした鮫の鱗なんかと違うでしょ? ほら、よく見てよほら」

「確かに君の鱗はまるで財宝のように美しい。俺が見たどの宝石よりもな。それを見間違うなんて俺はどうやら目までおかしくなっていたようだ」

「ぇ……」


 あの時は意識が朧げとは言え、あの凶悪な魔鮫と目の前の人魚を見間違えるとは自らの目が耄碌したとしか言えない。だからこそ素直にエンリケは褒めた。

 しかしクラリッサはその言葉にポカンとした後、茹で上がった蛸みたいに顔を赤くして勢いよく顔を海面につけた。


「ーー! ーーー!!」

「すまない、海の中で何か言われても何も分からないのだがな」

「うぅー、仕方ないじゃない! 褒められ慣れてないんだから! おじさんの馬鹿!」


 その言葉に呼応するように人魚の尾が左右にブンブン揺れる。勢いよく振るうので眼鏡に海水が付いてしまった。

 褒めたら褒めたで怒られる。理不尽なものだと、眼鏡を拭きながら考える。


 その間もクラリッサはぶくぶくと顔の半分を沈め、此方を見てくる。


「おじさんって女の子にはすぐそうやって口説くの? そーゆーの良くないと思うよ」

「そんな訳あるか。……というよりおじさんとは」

「だってそうでしょ? それともその見た目で十代とか言うつもりなのかな? さすがに無理があるよ」

「……まぁ良いだろう」


 エンリケも自分の様子は嫌ほど分かっているのでおじさん呼びにはなんら抵抗はなかった。ただ少し、他人から見てもそうなのだと物悲しい気持ちにはなったが。


「俺をおじさんと呼ぶのはもう良い。それより聞きたい事がある。どうやって俺を助けてくれたんだ。あの時の俺は器官に海水が入り込み、意識を失いかけていた。呼吸が出来なければ生きているはずないのだが俺は現に生きている。その方法を聞きたい。医師として興味がある」

「えっ!? そ、そそそそれは……!」


 分かりやすく動揺し、視線をあちらこちらに彷徨い、尾もギクシャクとぎこちなく揺れる。

 表情がころころ変わる奴だなと冷静に分析しているとクラリッサは頭を抱えた後、ぴんっと指を立てる。


「ま、まぁいいじゃない。ほら、助かったんだしさ。そんな小さな……いやっ、アタシにとっては小さくはなかったけど……出来事にはかまけてないで今は助かった事に喜ぼうよ!」

「む、何やら腑に落ちんが語る気がないのなら仕方ないか。なら代わりに一つ聞きたい」

「な、なに? まさかまだどうやって助けたのかを聞こうとしてる?」

「いいや違う。……この船は明らかに風や漕ぎ手以外の何らかの力が働いている。それは君の力によるものだな?」


 確信を抱きながらエンリケは問いかける。

 《悪辣なる鯱》との戦いの時、《いるかさん号》は操舵手がおらず、風も吹いていないにもかかわらず一直線に《悪辣なる鯱》へと向かっていった。

 それはありえない。船である以上、風がなければ動かないし、操舵手がいなければ舵も取れない。ならどうやって船は動いたのか。それは目の前少女が理由であろうと思っていた。


「え、なんだそのことか。……良かった聞かれなくて。()()()()()()()がおじさんだなんて言いたくなかったし……。う〜ん、それは確かにアタシのせいとも言えるような言えないような……」


 何やら呟いた後、なんとも微妙な顔をされる。そして何やら思いついたのかぽんっと手を叩く。


「そうだ、実物を見た方が早いからさ。今から甲板に行こうよ。そしたら分かると思うよ」

「今からか? 俺はまだ仕事の途中なのだが」

「そんなの後でもいーじゃん。知りたいって言ったのはおじさんだよ? ほら、行こっ! 集合場所は甲板ね!」


 そのまま海水の出入り口を開きクラリッサは出て行った。仕方ないと思いながらエンリケはオリビアに遅くなる旨をどう言おうかと思いながら部屋を出た。









 夜に甲板に出たのは初めてのことだった。当然のことだが辺りは真っ暗闇である。唯一の灯りが例の船霊を祀る箇所からのみ。それも船全体を淡く照らす程度で当然船の進む先というものは見えない。

 ミラニューロテナガザル達も殆どが眠り、昼間の騒がしさは微塵もない。まるで別の空間にでも出たようだった。


「あ、来た来た。も〜遅いよ。よっと」


 海面から顔を出したクラリッサはそのまま海水を操り、船と同じ高さにまで周りの海水ごと上昇した。人魚の力の一つとしてこうして周りの水を操ることができるのだ。

 エンリケは聞いてはいたが初めて見たので驚きながらも、クラリッサを片手を差し出し引き上げて手すりに座らせる。


「ありがと。おじさんって意外に紳士なのね。実はお貴族さんだったり?」

「海に突き落とされる貴族など、末代までの恥だな」

「あははっ、確かに」


 笑うクラリッサは綺麗な外観から近寄りがたい雰囲気があったが話していると町娘とでも言うべきか付き合いやすさがあるような気がした。


「それで甲板まで出た理由はなんだ?」

「うん、それはね」


 そのまま船の前方、船首の方に向き直ると息を大きく吸う。


(タツ)ー!!」


 大声で呼びかける。変化はすぐ訪れた。

 いるかの船首の下から大きく水面が盛り上がる。それは前方のマストに匹敵する程高く、体は平べったいのだがそれでもメインマストと同等の太さを持った巨大な魔魚(まぎょ)だった。白銀の鱗に黒い模様。背びれは尾まで全て連続して繋がり、そして魔魚(まぎょ)として珍しい赤い鬣をもっている。


「これは……」

「驚いた。驚いたでしょ! タツはね、《リュウグウノツカイ》って呼ばれるつっよ〜い清魚なんだよ! そしてアタシの大切なパートナーなの!」

≪クゥゥ≫


 頭を擦り付ける《リュウグウノツカイ》こと(タツ)をクラリッサはよしよしと撫でながら赤い鬣を梳く。エンリケはいるかさん号が一人でに動く理由がこの魔魚(まぎょ)によるものだと納得した。


「通りでこの船の揺れが少なく安定しているわけだ。船底にこんな魔魚(まぎょ)がいるとはな」

「う〜ん、アタシ的には魔魚(まぎょ)なんて名前じゃなくて、清魚(せいぎょ)って呼んで欲しいかな。ほら魔魚(まぎょ)だと鮫とか鯱とかと一緒で恐いイメージがつくでしょ?」


 魔魚(まぎょ)とは名前の通り魔力を持つ魚の事だが確かに何処かおどろおどろしいというか確かに納得出来る。ならクラリッサへの心象もかねて清魚呼びの方が良いだろう。

 ふとあの赤い鬣はどのような感触なのか好奇心から触れようと手を伸ばす。


≪クゥ!≫

「ぶっ」


 龍の口から吐かれた水でビショビショになる。


「ごめんね。(タツ)は女の子以外には触れられるの酷く嫌うんだ」

「……そういうのは先に言ってくれたまえ」


 眼鏡を拭きながら女にしか触れられたくないとは随分捻くれた性格だなとゴチる。

 (タツ)はまだクラリッサに甘えていた。もしかするとあの大きさで子どもなのかも知れなかった。





「ーー本当はさ、おじさん。最初はアタシ貴方を助ける気なんてなかったんだ」


 ポツリと(タツ)を撫でていたクラリッサが呟いた。


「だって知らない人だし手足も縛られていたんだもの。正直厄介な気配しかしなかったわ。こんな事言ったら幻滅しちゃう?」

「いいや。警戒心を抱くのは当たり前のことだ。寧ろ見知らぬ他人を助けようとする者がいるなど信じられない。そんなのはよっぽどの物好きだろう」


 そこまで言って気付く。


「失礼、こう言っては君に失礼だったか」

「あはは、いいよいいよー。実際アタシも物好きってのは自覚あるんだ。故郷から出て《陸人(りくびと)》、あ、私達は陸に住む人をそう言ってるんだけどね? それで皆と旅するなんて人魚、アタシしかいないんじゃないかなぁ」

「失礼だが何故旅に出ようと思った?」

「うーん、初めはね、コロン達の船を見ても変なのとしか思わなかった。だってさ、陸に住む人にとって海ってとっても怖い所なんでしょ? アリアに聞いたけどいくつものこわ〜い逸話とか行方不明が絶えないんだって海って。そんな恐ろしいところにこんな小さな船で航海に出るのが理解できなかったんだ。だからさ、アタシは聞いたんだ。何でわざわざ陸から離れて海に出たの? って。そしたらーー」








『何故海に出るかだって? ぬぁーはっハッー! そんなのまだ見ぬ地平線の向こうを見たいと思うのは当然のことだろう? 』









「初めてだった。海は広い。だけど私達人魚族も魚人族も回ろうとか思わなかった。小さな、それこそ海と比べたら井戸とも言える空間で満足していたんだ。でもそれは仕方ないことかもしれない。だって海にはアタシ達以上に強い魔魚(まぎょ)魔海竜(まかいりゅう)がいる。だからわざわざ危険に飛び込むよりも里で暮らした方が安全だもの。なのに魚人族でも人魚族でもない陸人が海を求めて旅をするのに酷く憧れたの」


 その真っ直ぐな瞳で夢を語るコロンは海底にある綺麗な真珠や宝石よりも輝いて見えた。そしてその輝きにクラリッサは引きつけられた。

 あたしもついていきたいと口に出すのに戸惑いはなかった。


「だからアタシはコロっち達と共にいるの。きっとそれはすごくすごーく楽しい事になるって思っているから! 龍とはコロン達に会う前からのパートナーでアタシが里から出るときも、ついて来てくれたんだ。里から出たこと、アタシは後悔してないよ。あ、でも中々町に入れないのは残念かな。色んな国々の街並みは興味あるんだけど何処も陸ばっかで上がれないんだもの。それに物騒なところも多いし。ほらっ、アタシってちょー可愛いじゃん? だから色々と熱心な()()()に狙われちゃうのよねー。アリアに頼んでお土産は買ってきて貰っているから全く見れないって訳じゃないけどね」


 クラリッサはこの旅が楽しくてたまらないとばかりに語った。


「これでアタシがこの船に乗った話は終わり。それじゃ、おじさん。アタシからも質問いい?」

「なんだ?」

「うん。あのね、なんであの時海に落とされたの?」

「……そうか。海から引き上げたのが君ならその辺りの事情も知っているか」

「うん。おじさんを海面に引き上げた後、アタシは見たの。……風に靡く黒い髑髏の旗を。おじさんは海賊の一員だったんだよね? それで、何の理由かは分からないけど海に落とされた」


 クラリッサの言葉を黙って聞く。


「一応これでも責任は感じているんだよ? 引き上げたのはアタシだし、もし悪い人ならどうしようって考えた事もある。でもコロっちはおじさんを気に入ったし、おじさんも何だかんだ数日船にいて悪いことはしてないって聞いて安堵したんだ。それどころかリコには慕われてるみたいだし。だからこそ、今アタシはおじさんの過去を知る必要があるの。後悔しないように」

「……そうだな、君は成り行きとは言え命を救ってくれた恩がある。ならば俺の事を知ることの権利もあるだろう」


 カツカツと歩き、手摺に手を置く。



 海は暗く、波の音は聞こえど見えない。

 残念ながら月は雲に隠れて見えない。それがまるで自分の心境を表しているみたいだった。



 懐のコートから小さな箱を取り出す。海に落とされてもずっと携帯して残っていたいたものだ。中を開ける。

 箱の中には幾つかの薬(・・・・・)とエンリケが好む煙草(たばこ)が入っていた。

 喉元に絡みつくみたいな甘い煙が特徴の煙草だ。


「吸っても? 余り気乗りはしない話でな。何かで口を滑らしとかないと話しづらい」

「え? えぇ。良いけど。何それ?」

「煙草だ。植物を乾燥させて紙で巻いた謂わば娯楽品だ」


 一つ口に咥え、着火石と呼ばれる石を利用した道具で火をつける。火がついたところから煙が上がり、辺りに匂いが広がる。


「……なんか変な臭い」

≪グゥゥ……≫

「きらいか?」

「ん〜、どうだろ。甘ったるい匂いがすごいわ。前に食べたクッキーとか、オリビアの花とも違う甘い匂い。嫌いではないけど。ねぇ、それってアタシも吸えない?」

「幾つだ?」

「うわぁ〜、女の子に年齢聞くとかデリカシーないなぁ。でも良いよ。とりあえず20はいってないよ」

「ならばやめておけ。煙草は元は医療目的であった説もあるとされているが実際には余り体に良くないのではというのが解剖などにより見解が示されている。俺も実際に解剖して見たしな。これは船医としての警告だ」

「医者なのに体に悪いもの吸うんだ」

「そこは突っ込まないで置いてくれると助かるな」

「あははっ」


 それっきり会話は止まり、静寂が訪れる。

 クラリッサはその姿をじっと見て待っている。

 どれくらい時間が経っただろう。ポツリとエンリケが口を開いた。


「君の言った通りだ。俺は元海賊団の一員。その船においても俺は船医として働いていた。そして何故俺が海へと落とされたのかというのはな」





 俺ガ友ヲ殺シタカラダ





 煙草の灰がちりっと暗い海に落ちた。


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