第五章、その一
五、『作者』と『ヒロイン』。
「うふふふふ。残念でしたわね、ダーリン。結局今回もすべては無駄なあがきでしかなかったようで。──そう。そもそもしょせんは一介の『登場人物』に過ぎないくせに、あらかじめ定められた『物語』の展開に刃向かおうとすること自体がおこがましいのですよ」
「──くっ」
海亀島の片隅に設けられている広大なるヘリポートにて、僕に向かっていかにも勝ち誇るかのようにしてあげつらってくる、純白のワンピース姿の少女探偵。
返す言葉もなかった。
なぜなら彼女の言う通り、今回の事件はすでに終焉を迎えてしまったのだ。
海亀一族の次期当主候補者全員が、ただ一人『真犯人』だけを除いて、消息不明となってしまう形で。
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もちろん僕だって、けして麗明嬢による未来操作を甘く見ていたわけではない。
とはいえ今回は不幸な予言の巫女である愛明という心強き助っ人がいるゆえに、これまでよりも増して希望的観測を抱いていたのもまた事実であった。
だがしかし、幸福な予言の巫女である麗明嬢の未来の無限の可能性の予測計算能力を利用した未来操作による、現実の事件に対するいわゆる『物語』としての拘束は、そんな慢心を抱いていてはまったく歯が立たないほど強固なるものだったのだ。
最初のうちはこれまで同様に性懲りもなく、「今回こそは事件の流れを変えてみせる」と意気込んでいた。
そもそもいくら全知たる幸福な予言の巫女であろうが、現実の事件を何から何まで小説の記述通りに推移させるなんて、無理があるのだ。
だからただ単にほんのちょっぴり事態の流れを変えるだけで、後は連鎖的に『物語』の流れから大きく逸脱していくものと期待していた。
けれども実際には、そうは問屋が卸さなかったのだ。
先にも述べたが、麗明嬢による未来操作は幾重にもわたって複雑に仕掛けが施されているゆえに、事件の推移におけるある時点において部分的に少々変化を加えたところで、その後の段階において修復されるようにあらかじめ仕組まれており、どうしても小説の記述通りの展開となって、次々と犠牲者を生み出していくばかりとなってしまったのである。
そしてその結果、探偵役にしてある意味『作者』的立場にある僕を始めとしてすべての事件関係者が、僕の自作の小説内の『登場人物』とまったく同じ行動を行うことになり、いわゆる『小説の筋書きと現実世界の事態の推移との拘束的シンクロ』がますます強まっていって、現実の事件の展開に変更を加えるのが更に困難になってしまったのだ。
もちろん『作者』的立場にあるゆえにストーリーの流れを知り尽くしている僕も、数多の困難なる修業を乗り越え今や不幸な予言の巫女として完全に目覚めて万全なるリスク回避能力を誇る愛明も、共に力を合わせて何とか事件の推移に変更を加えてこれ以上被害が出ることを少しでも食い止めようとしたのだが、結局すべては僕の小説の筋書き通りに進行して行くばかりで、ついには最後の被害者が行方不明となってしまい、海亀家の次期当主の候補者は最後に加害行為を行ったと目される者──つまり『真犯人』ただ一人となることで、今回の事件は終止符を打たれたのである。
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「──ふっ。鯛造さん、あなたが私的に本土のお知り合いに頼んだヘリコプターは、いくらお待ちになっておられてもここへ来ることはありませんよ。何せすでに私があなたに成り代わって、航空会社にキャンセルを入れてしまいましたからね。それにしても舐められたものです。この私が最後の実行犯──すなわち、今回の連続殺人事件の『真犯人』を、むざむざと逃がすとでも思ったのですか?」
海亀島の片隅に設けられている広大なるヘリポートにて、僕と愛明を立会人にするかのようにして、今や海亀一族の最後の生き残りであることから自動的に真犯人として確定されてしまった海亀鯛造氏──そう。何と僕ら探偵陣の依頼主御本人に向かっていかにも自信満々に、いわゆるミステリィ小説そのままの怪事件における最大の見せ場である『すべての謎の解明』を行っていく、自称天才美少女名探偵阿頼耶麗明。
もちろんそのような一方的な犯人呼ばわりを認めることなぞできない鯛造氏のほうは、泡を食って反駁する。
「ち、違う。私たちが今回の相続会議において行った犯罪は超法規的措置がとられることを約束されているから、たとえ私が本当に真犯人であろうと逃げる必要なぞ無いだろうが? あくまでも私は、一族の中で自分一人が生き残ったことで気づいただけなんだ、この島には私たち海亀家の者以外の、正体不明の殺人鬼がいることに! だから恐ろしくなって、本土の友人の力を借りて逃げ出そうとしたのだ!」
「正体不明の殺人鬼ですって? 何を馬鹿なことをおっしゃられるのやら。この海亀島は年中渦巻く激しい潮流に取り囲まれ島の外周はすべて船着き場なぞ存在し得ない断崖絶壁ばかりなのであり、本土との交通手段はヘリコプター等の航空機に頼るしかないのですよ? しかも私たちがここでこうしてあなたを捕捉できたように、このヘリポートは別荘専属の従業員によって二十四時間体制で監視されているのであり、少なくとも今回の相続会議が始まってからは、この島を訪れた人はただの一人もいないはずですけど?」
「でも確かに、いくら事件が起ころうともこうして最後の被害者に至るまで、死体が一つも見つかってはいないのだぞ? 私が犯人かどうかはともかくとして、おそらくは今回の実質的には『殺るか殺られるか』のバトルフィールドであった相続会議において行われたあろう、次期当主後継者同士の数々の殺し合いの一部始終を見ていた何者かが、こっそりとすべての死体を持ち去ったに違いあるまい。だからこそ今回の事件は、名目上は『連続行方不明事件』ということになっていたではないか⁉」
「……まったく。言い逃れもここまで来ると、ただただ見苦しいだけですね。それはあなたたち加害者が私たち探偵陣を撹乱するために、被害者の死体をそのつど周囲の荒れた海にでも放り込んでいただけでしょうに」
「違う! 違うんだ! お願いだ、信じてくれ!」
女子中学生の足下にひざまずいて懇願し続ける鯛造氏であったが、もはやそんな無様な壮年男性のことなぞ眼中にはないかのように、今度は僕と愛明のほうへと振り向く麗明嬢。
「どうやらこれで最後の加害者と思われる方も判明したことですし、結局今回も事件のすべてが、ダーリンの小説の内容そのままになったようですわね♡」
「──っ」
名探偵を自認しながら実はすべての黒幕でもある少女の事実上の勝利宣言に、思わずほぞを噛む、一応は同じく探偵兼『作者』の青年。
「……どうしてなんだ、どうして君はそこまでするんだ? 僕の小説通りに何から何までお膳立てして、実際に連続殺人事件を起こして大勢の人たちを殺し合わせて、いったい何を目的にしているんだ⁉」
堪らず憤りのままに食ってかかっていくものの、その少女探偵は少しも動じることなく、あまつさえこの場においてはあまりにも埒外な台詞を弄してくる。
「……そうですねえ。一言で言えば私の目的は、この物語の『作者』であるあなたの、『ヒロイン』になることでしょうかねえ」
「………………は?」
ちょっと、またそれかよ⁉
「だからいったい何のことなんだよ、僕の『ヒロイン』になるってのは⁉」
当然のごとく困惑しきりとなる僕と愛明や鯛造氏の三人衆であったが、当の麗明嬢自身は同じ血を引く不幸な予言の巫女の少女のほうをちらりと一瞥した後に、滔々と語り始める。
「そもそもすべては私たち幸福な予言の巫女ならではの、未来の無限の可能性を予測計算できるという、全知ゆえの不完全性に端を発しているのです。そちらの愛明さんの『不幸の予言』だったらたとえ的中しなくてもむしろ喜ばれるだけだし、しかも事前に万全なるリスク対策ができるということで実際の的中率にかかわらず、商業や軍事においての戦略等の立案の場で大いに役立たせることができますが、私たち幸福な予言の巫女による『幸福の予言』は常に100%的中しなければ──つまり人に実際に幸せをもたらすことができなければ、何の意味もないのです。しかしダーリンもよく御存じのようにこの現実世界の未来には無限の可能性があり得るゆえに、100%的中する予言なぞ原則的に実現することはできません。だからこそ何らかの反則技的な仕掛けが必要となるのです。例えば今回の事件において私自身が実際に行ったような、人間量子コンピュータたる幸福な予言の巫女ならではの『未来操作』もその一例ですが、あくまでもこれは今回の相続会議のように、限定された舞台の中で属性が特定された人間ばかりが少人数集められて最初からバトルフィールドとしての約束事に縛られているといった、まるでミステリィ小説そのままの特殊なシチュエーションでもない限り適用できず、一般的状況下で恒常的に幸福の予言を100%的中させることなぞとても無理です。そこで大いに期待できるのが、ダーリンのみが有している自作の小説を現実のものにできる力なのですよ。何せこの力を極限まで昇華させて、完全に物語そのものとなってしまった現実世界の『作者』としての真の力に目覚めることができたなら、自作の小説の記述を書き換えたり書き加えたりするだけで、この現実世界を現在過去未来にわたって自由自在に改変したり決定したりできるようになるのですからね」
「なっ⁉」
真の『作者』とやらになることができたら、この世界を思いのままに変えたり決めつけたりできるようになるだと⁉
「いやいやいや。真の『作者』だか何だか知らないけれどそれってつまりは、小説を自分勝手に新たに書き起こすことによって、これから先の──すなわち未来の出来事を恣意的に決定したり、あるいは既存の記述を書き換えることによって、まさに今現在の目の前の出来事やすでに確定された過去の出来事を改変することができるってわけか? おいおい、そんな馬鹿な。そのような子供騙しのいわゆる『おとぎ話の神様』みたいな、文字通り『何でもアリ』の力を実現し得るわけがないだろうが⁉」
堪らず猛然と反駁する僕であったが、目の前の少女は平然とした表情のままで、
──とんでもない爆弾を、いきなり落としてきた。
「うふふふふ。『おとぎ話の神様』とは言い得て妙ですわね。むしろダーリンにふさわしい呼び名ではありませんか。何せまさに現在のあなたはすでに、今や現実の出来事と小説の記述とが完全に一致している、この現実世界という物語の『作者』として目覚められているのですからね」