第四章、その二
「……へえ、まさかダーリンが助手に選んだのが、よりによってあの噂の一族の面汚しの、不幸な予言の巫女でしたとはねえ」
僕と愛明が今回の相続会議の会場兼宿泊施設であり、まさに和風高級ホテル並みの各種施設を完備している、海亀家の別荘の三階の喫茶室で午後のお茶を楽しんでいたところ、不意に現れた阿頼耶麗明嬢が開口一番、愛明に向かって嫌みったらしい口調でそう言った。
「──なっ、どうしてそれを⁉」
思わぬ指摘に泡を食って声をあげたのは、当の不幸な予言の巫女の少女ではなく、彼女の担任教師で現在は探偵と助手の関係にある僕のほうであった。
「だってダーリンたら、相変わらずの目の当てられない『不幸体質』っぷりで、日常的にいろんなハプニングに見舞われておられるのですもの。しかもそれをその子が如才なくすべて的確に対処しているものだから、いやでもその正体に気づいてしまいますよ。何せいつもだったらより悲惨な目に遭うはずなのに、その子が常に巧みなフォローを行うことで被害を最小限に食い止めたり、場合によっては事前に回避することすら成し遂げたりしているのですしね」
「……ぐっ」
その彼女の指摘は、まったくもって正鵠を射ていた。
僕ときたらミステリィ小説そのままの事件の現場における探偵キャラの常として、いかにも訳ありな未亡人や、自分自身は有力後継者でありながらも一族内において何ら後ろ盾を持たないために立場の弱い年端のいかないお嬢様等々に、粉をかけていったりしたのだが、なぜかその度に愛明が血相を変えて留め立てしてきて、「私の不幸な未来の予知によれば、あなたの想いが報われる可能性は3%もないわ。結局振られるか体よく利用されて捨てられるかのどちらかよ! それにそもそも、未亡人のほうは次の事件の、お嬢様のほうは次の次の事件の、『被害者』として行方不明になる予定だから、いくら粉をかけても無駄なんだから!」などとまくし立てて、しかも本当にその『予言』が現実のものになってしまうといったことを幾度も繰り返しているうちに、麗明嬢の目に留まってしまったのだろう。
とはいうもののただ単にそれだけのことで、愛明が俗世間においてはその存在を秘匿されているはずの不幸な予言の巫女であるのを看破できたことは、非常に不可解でもあった。
……もしかして、彼女自身も、そうなのか?
おそらくは同じ疑問を覚えているのであろう愛明が、訝しげな表情で問いただす。
「……そう言う、あなたは?」
「もちろんあなたと同じ夢見鳥一族の血を引く、幸福な予言の巫女ですわ。──ただし、現在においては本家と何ら繋がりを持たない、いわゆる『ハグレ巫女』ですけどね」
なっ、ハグレ巫女だと?
竜睡先生から彼女自身や愛明の夢見鳥一族における立ち位置に関して説明を受けた時に、それと関連する話として聞き及んだのだが、『ハグレ巫女』とはまさにかつての竜睡先生のように、本来夢見鳥一族の隠れ里から門外不出であるはずの幸福な予言の巫女の中で、生まれつき予知能力を授からなかった者が『無能』として烙印を押されることで、一族から追放されたり、あるいは闇から闇へと『処分』されそうになった際に自ら隠れ里から出奔したりしたために、俗世間において生きていくようになり一族とは無関係の男性と結ばれることによって子をなした結果、代々潜在的に幸福な予言の巫女の力を受け継いでいっているうちに、その子孫たちの中で隔世遺伝的に予知能力に目覚めた者のことを指していた。
本当なら我が国における最高機密とも言える幸福な予言の巫女の予知能力は、国家そのものや一部の権力者のためか、少なくとも夢見鳥家の利益に適ったことのみに使われるのを絶対の掟としているのだが、当然のことながらハグレ巫女においてはそんな制約なぞあえて守る必要なぞはなく、予知能力を私利私欲のために活用したり、事によれば犯罪まがいのことに使ったりする者も少なくなく、幸福な予言の巫女の存在そのものを秘匿したい一族の者や権力者たちを大いに悩ませていたのだ。
何せそれこそSF小説やライトノベルや漫画のような創作物でもあるまいし、隠れ里で人知れずひっそりと暮らしている巫女たちとは違って、俗世間においてれっきとした戸籍を持つ者たちを、権力にあかして拘束したり異能バトルをふっかけて闇から闇へ葬り去るなんてことができるわけがなく、本人のほうで明確に犯罪でも犯してもらわなければ手の施しようがないという、何とももどかしい限りなのであった。
当然今僕の目の前にいるハグレ巫女の少女も同様で、こうして実際に数多の事件に関わりながらも、あくまでも事件を解決する側の名探偵として振るまい、一応表向きはけして犯罪に手を染めたりすることはなかったのだ。
しかも事件の解決に当たっては、まさしく幸福な予言の巫女ならではの量子コンピュータそのままのあらゆる無限の可能性の算出能力を活用しているわけなのだが、そもそもミステリィ小説等における名探偵によるどんな謎でも必ず見事に解決できるようになっている、いわゆる『名推理』なんかの類いとほとんど違いはないので、幸福な予言の巫女であることを断定されるのを避け得ていたのであった。
そのいかにもな『アウトロー』ぶりからむしろ夢見鳥一族においては、突然変異的忌み子たる不幸な予言の巫女に近しい立ち位置にあるのだが、そこは腐っても幸福な予言の巫女であるからして、麗明嬢においてもまさにこの時、思わぬ邂逅を果たした不幸な予言の巫女である愛明に対して、侮蔑の表情を隠そうともしなかった。
更には彼女自身においても夢見鳥一族の追求から逃れるためにも、それこそ量子コンピュータそのままに森羅万象から世界そのものの無限の未来の可能性をすべて予測計算できる幸福な予言の巫女の力を最大限に活用することによって、本来極秘であるはずの夢見鳥本家の内情にも詳しいようで、実は生粋の本家筋のお嬢様である愛明に対して、更に執拗にあることないこと嘲りの言葉を重ねてくる。
「それにしてもよくもまあ、あのような恥知らずなお方がお産みになった娘さんを、助手になんかなされたものですわね」
「……それって、どういう意味よ?」
「だってそうでしょう? あなたのお母様ときたら、先代巫女姫にして本家の現御当主様の実の姉君でありながら、自分の幼なじみでもあるとはいえ、事もあろうに御当主様の御夫君と──」
「もうやめて! 私のことはともかく、それ以上お母さんのことを悪く言ったら、許さないから!」
麗明嬢の言葉を遮るようにして喫茶室中に響き渡る、愛明のこれまでになく必死な叫び声。
まるで相手を射殺さんとするかのように睨みつけている憎しみに満ちた表情は、毒舌気味ではあるけれどむしろ常に冷静沈着でどこか冷めた感じのある、いつものいかにも厭世的な少女とは、とても同一人物とは思えなかった。
しかしどうやらこちらも相当な曲者であるらしいハグレ巫女の少女のほうは、まったく動じる様子もなく、相も変わらぬ人を小馬鹿にしたような口調で言ってのける。
「おお、怖い怖い。これ以上怒らせて『不幸の予言』の力によって呪われたりしたら何ですので、この辺で勘弁して差し上げますわ」
そして僕のほうへと意味深な流し目をくれてから、更にとんでもない言葉を続けてくる。
「それでは、こうしましょう。今回の事件をいかに早く完璧に解決できるかで、私とあなたのどちらがより優れた予言の巫女か──すなわち、どちらがよりダーリンの助手としてふさわしいかを、勝負しようではありませんか?」
……………………は?
「おいっ、何でここで僕を引き合いに出すんだよ? 別に僕は本物の名探偵というわけじゃないんだから、事件の解明はもちろん、予言の巫女の優劣なんて、知ったこっちゃ──」
「いいわ。その勝負、乗ってやろうじゃないの!」
僕の言葉を途中で制するように凛と鳴り響く、幼い少女の声。
振り向けば、一見平静さを取り戻したかのように見えるゴスロリ姿の不幸な予言の巫女が、麗明嬢を真正面から見据えていた。
「うふふ。よい御覚悟ですわね。その意気で、せいぜい私を楽しませてくださいまし。──もっとも、出来損ないの不幸な予言の巫女ごときが、幸福な予言の巫女である私に太刀打ちできたらの話ですけどね」
そう言い捨てるやこれで話は終わりとばかりに、踵を返して喫茶室を後にしていく幸福な予言の巫女の少女。
一方不幸な予言の巫女の少女のほうはと言うと、その去り行く後ろ姿をひたすら無言で、いつまでも睨み続けていたのである。
──歯を食いしばり、握りしめたこぶしを震わせながら。
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「……それで、何で幸福な予言の巫女が、探偵なんかやっているのよ?」
突然の闖入者のために台無しとなった午後のお茶会を早々に切り上げて、別荘内の僕ら二人のためにあてがわれた部屋へと戻るやいなや、どこか非難がましい口調で問いただしてくる漆黒のゴスロリドレスの少女。
今回の相続会議に正式に探偵として招かれた僕らのために用意された豪奢な家具や調度品に満ちあふれたこの部屋には、現在僕らが来客用ソファにて向かい合って座っている、天井ぎりぎりまで設えられた大きな窓から潮風とともに真夏の午後の日差しが燦々と降り注いでいるリビングと、その奥ほどにはベッドルームが別に設けられていて、しかもキッチンバストイレ等の水回りも完備しているという、とても二人で使うには広くて豪華過ぎる、いわゆる賓客用の続き部屋であった。
ちなみに本来は一人ずつ別々の部屋が与えられていたのだが、「私が目を離しているうちに、どんな女と浮気を──もとい。どんな不幸な目に見舞われるかわかったものじゃないでしょう?」などと、いったいどっちが保護者なのかわからないような愛明の言い分に押し切られて、広めの部屋に換えてもらって同室することに相成った次第であった。
……まあ、いくら撃退しようが毎回事件ごとに懲りずに繰り返される、麗明嬢の夜這いを未然に防止できるという点では好都合だけどね。
「──ええと、それはだな、話せば長くなるんだけど……」
僕の何とも歯切れの悪い言いざまに、なぜか浮気の言い訳をしている駄目亭主を前にした怖い奥さんそのままに、目を吊り上げ更なる勢いで問い詰めてくる女子小学生。
「そういえば先生って、やけにあの子と親しげな御様子だけど、まさかお母さんからうちの一族の話を聞く前から、彼女が幸福な予言の巫女であることを知っていたのではないでしょうね?」
「そ、そんなことあるわけないじゃないか? いやだなあ。あはははは。そもそも幸福な予言の巫女や不幸な予言の巫女の存在自体を知ったのも、竜睡先生の話を聞いた時が初めてだったんだし」
「……本当に?」
「も、もちろんだよ!」
いまだ疑いの眼で睨みつけてくる愛明であったが、ここで僕は表情を改めて、この件に関して彼女に伝えておくべき、最も重要なことについて話し始める。
「ただし、竜睡先生の話を聞いて、腑に落ちたのは間違いないけどね」
「え、腑に落ちたって?」
「ずっと不思議に思っていたんだ。僕のしたためたネット小説が現実のものとなり始めてから、作品内に探偵役として登場していた僕自身も当然のごとく、あたかも生来の『事件誘引体質』を体現するようにして、現実の事件においても探偵として関わっていくようになったんだけど、ある時を境にして関与する事件のあり方が大幅に様変わりしてしまうとともに、基になった小説には該当する登場人物が存在しないのにかかわらず、必ず彼女──阿頼耶麗明嬢が、僕同様に探偵として事件に関わってくるようになったんだよ。しかも初対面からすでに馴れ馴れしく絡んでくるわ、勝手に人のことを名探偵呼ばわりするわ、そうかと思えばむしろ彼女自身のほうが名探偵そのままに、ある意味『作者』的立場にある僕すらも舌を巻くほどにあたかも全知でもあるかのような名推理を披露してくるわで、心底驚いていたんだけど、竜睡先生に君の一族の話を聞いて、一気に合点がいったんだよ。もしも彼女が幸福な予言の巫女であるとしたら、僕がこれまでの事件の場において疑問に感じていたことが、すべてきれいさっぱり解消するってね。そう。僕に馴れ馴れしく近づいてきたのも、僕のように小説に書いたものを現実化できる力を持っていると、君たちのような予知能力を持った者たちを惹きつけるものがあるらしいし、そもそも未来の無限の可能性を余さず予測計算できる幸福な予言の巫女ならば、全知そのままの名探偵ならではの名推理を実現することも可能だろうし、それに何よりも彼女の登場とともに事件のあり方が大きく様変わりしてしまったことにも、十分納得がいくしね」
「幸福な予言の巫女だったら名探偵になれて、しかも事件のあり方すらも変えることができるですって⁉」
いかにも意外なことを聞いたといったふうに目を丸くする愛明に対して、僕は懇切丁寧に一つ一つ順を追って説明を始めていく。
「別に驚くことはないだろう? 何せ未来の無限の可能性をすべて予測計算することだってできる人間量子コンピュータたる幸福な予言の巫女なのだから、将来において起こる可能性のある事件を未然に防止するなんてことはできなくても、すでに起こってしまった事件に対するあらゆる可能性を吟味して、現在の状況や人間関係や論理的実現可能性等に基づいて考察すれば、ほぼ最適解の『名推理』を組み立てることも十分可能だろうよ。それどころか事件の最初から最後までのすべてをお膳立てしている黒幕──今回で言えば『ラプラスの悪魔』をも同時に兼ねることだって、余裕綽々でなし得るんじゃないのか? もちろんいくら未来に比べれば考察対象とすべき分岐パターンが格段に絞り込まれている過去の出来事について計算できたところで、これから先の未来の出来事を完璧に予想しすべてを意のままに運べるわけではないけどね。何せそれこそ未来には無限の可能性があるのだから、あらかじめ黒幕であるものと思われる幸福な予言の巫女が描いておいた筋書きは、あくまでも無限の分岐パターンの一例に過ぎないのであり、何から何までその通りにできるはずがないんだ。──だったらいっそ未来の無限の可能性の予測計算能力を未来予測としてだけでなく、未来操作としても使うとしたらどうだろう。言うなればこれはある意味攻略本を見ながら、ギャルゲ等の選択肢分岐型のゲームをするようなものなんだけど、もちろん世界としての構成要素がすべて極力シンプル化されたゲームとは違って、この現実世界においては目標とする未来を実現するまでの分岐点も選択肢も膨大なものとなるだろう。しかし今回のように、限定された舞台の中で属性が特定された人間ばかりが少人数集められて最初からバトルフィールドとしての約束事に縛られているといった、まるで誰かさんの手によるミステリィ小説そのままのシチュエーションにおいては、まさにその小説の筋書き通りに事態の推移を進行させていくことも十分可能だろうよ。何せ全知なる幸福な予言の巫女なら、あらかじめ想定したある未来に行き着くためにはいかなる道筋があり得るのか、すべてのパターンをもれなく知り得るのだから、何か実現したい未来があればそこにたどり着く可能性のある道筋をすべて算出して、後は今回の事件で言えば海亀家の人々を始めとする事件関係者全員を、その道筋に従って行動していくように巧みに誘導していけばいいのであり、まさに現在ラプラスの悪魔とやらが行っている個々人のスマホへ種々の告発メールを送信することによる扇動こそがこれに当たるわけなのであって、つまり本来古典物理学的決定論の申し子であるはずのラプラスの悪魔の正体は、実は現代物理学の誇る量子論に則った全知たる存在である幸福な予言の巫女であったというわけなのさ」
「ちょっと、それってつまりは、事件の解明を担っている名探偵であるはずの麗明こそが、すべての黒幕たるラプラスの悪魔でもあるってことじゃないの⁉」
「ああ。ラプラスの悪魔が未来の無限の可能性をすべて予測計算することができる人間量子コンピュータたる幸福な予言の巫女である麗明嬢であればこそ、現時点において誰が誰を陥れようと策略を巡らせていたり、いっそのこと実力行使によって排除しようとしているか等々の、まさしくすべての可能性を知り得るのだから、あえてその奸計の標的側の人物にその時点においてはあくまでも可能性に過ぎない情報をまるで確定された事実であるかのように、いかにももっともらしくスマホを介して匿名のメールで密告することで猜疑心を募らせて、まさしく今回の相続会議のモットーたる『殺るか殺られるか』に則り先制攻撃的に実力行使に打って出させることによって、結果的にすべては彼女の思惑通りに、海亀家の人たちを加害者と被害者として相争わせることを実現しているって次第なんだよ」
「はあ? 何よいったいその、絵に描いたような自作自演劇は⁉ 全知たる幸福な予言の巫女なら名探偵も黒幕も兼ねることができるなんて、もしそれが事実なら、今回の事件のすべてがただ単に麗明にお膳立てされたものに過ぎず、海亀一族の皆さんはできの悪い三流ミステリィ小説をこの現実世界において演じさせられているようなものじゃないの⁉」
思わぬ理不尽極まる『事実』を聞かされて、さも堪りかねたかのようにして声を上げる愛明に対して、一度大きく頷いてから僕は、
本日最大の、爆弾発言を投下する。
「まったくその通りさ。つまりこのようにいろいろと裏工作をすることによってこそ、僕のネット小説の内容そのものの事件を現実のものにしていたのは、まさしく阿頼耶麗明嬢その人だったというわけなんだよ」