最高速力30ノット
「どうだ機関長?エンジンの調子は?」
俺は電話越しに機関室にいる機関長と連絡をとる。
「ボイラーもタービンも調子いいよ。ただやっぱり気になるのは艦体の強度だな。出力一杯まで出してもいいが、そればっかりは責任持てん」
「わかってる。工廠の連中からも30ノット以上は危険と言われてるからな」
就任から数日後、俺は試運転を兼ねて「ブルー・バード」を沖に走らせていた。試運転自体は既に工廠の連中が引渡し前に一通り終わらせているのだが、百聞は一見に如かずという諺があるように、実際に乗って戦う俺たちが調子を見なければお話にならない。
特に舵の利き方なんかをはじめとして、各艦特有の癖をしっかりと把握しておくのは重要だ。
この艦の場合は、2隻の艦体を合体して造っているから尚更である。普通の艦にはありえないような癖が出てもおかしくはない。
それから艦体の強度も気になる所だ。工廠の連中を疑うわけでもないし、過去にも艦体を繋ぐ工事を受けた艦は何隻もいる。とは言え、今は戦時下であるから工員の質も低下していると聞くし、修理に使った資材の質や量も完全に保証されているとは言えない。
そのせいか、工廠側からも本来の新品のB級なら35ノットは出せる筈なのに、この艦には30ノットで運転を制限するよう言ってきていた。やはり全力運転させるほどには自信がないらしい。
まあ、それでも色々な意味でデリケートな艦だ。30ノットの運転が出来ているだけ、まだましかもしれない。
「で「ブルー・バード」。お前自身何か異常を感知できるか?」
「いいえ、すこぶる健康ですよ。艦長」
とそっけなく答えてくるこの艦の化身である女の子の姿をした艦魂。やれやれ。まあ、機嫌を斜めにしていないだけいいけどな。
全くこいつと来たら。自分の体型にコンプレックスを抱かざるを得ないのには、同情を禁じえない。何せ「ブルー」時代のこいつはそれはもう男の視線を釘付けにするくらいだったからな。それが幼女体型の「バード」の魂と一体化したせいか、身長はともかく女性の象徴であるあそこが、残念なことになってしまった。
だからこいつの姿を見て、落胆の息を吐く乗員のなんと多かったことよ。
まあね、その点を気にするのはわかるよ。で、男からその点を笑われたことに、怒るのも理解できるよ。だからって3日間で7人も乗員を病院送りするのは、やめろって!
おかげで乗員のローテーションを、やりくりする俺たち士官が苦労することになるんだぞ。もちろん、言った連中もマズかったけどな。
着任早々、俺は「ブルー・バード」を怒らせないために、全乗員に禁止ワードを口にしないよう徹底した。もちろん、艦上ではなく港の酒場なんかでだ。しかしそれでも守らなかったバカが、前述した事態に遭った。
本人の自業自得なのはわかっているんだが、それでも貴重な乗員に抜けられるのは痛い。何せ戦時下でどこも人手不足。申請しても早々に補充要員が来るわけでもない。
まったく。
ま、何にしろ今日はお嬢様の機嫌がいいのは僥倖だな。
俺は艦橋の後ろに下がり、先任士官をチョイチョイと手招きする。
「今日もアレの準備はしてあるか?」
「もちろんです。司厨長に命令してあります」
「うむ、よろしい」
「ブルー・バード」は若い女の姿をしているだけあり、甘いものが好きだ。それで機嫌がそこそこ良くなる。そのため、俺たちは毎日夕食時に彼女にデザートを出すようにしていた。
これについては、そもそも狭い艦艇内における生活において、料理が重視されているからあまり問題ない。夜食にドーナッツやお汁粉が出ることは珍しいことじゃないし、厨房には小型だがアイスクリームの製造機も備わっている。
港に停泊中はともかくとして、航海中は飲酒が禁止されるから、体力を使う将兵たちにとって甘いものはタバコと並んで必要不可欠な嗜好品なのだ。
とは言え、それだって毎日しっかりと準備が必要である。特に「ブルー・バード」の場合は乗員ではない員数外の人間であるからな尚更だ。
それからメニューを考えるのだって重要だ。司厨長には「ブルー・バード」の好き嫌いを研究するよう伝えてあった。変に嫌いなものを出して臍を曲げられても困るし、かといって乗員たちとのバランスを考えるうえで依怙贔屓し過ぎてもいけない。
中々に難しい所だが、艦の運命が掛かっているだけに、疎かに出来ない。
かく言う俺も、主計課と一緒に港の需品部と何回も折衝して、補給物資(特に砂糖を含む食料品)をしっかりと毎日補充できるよう骨を折った。
戦時下で増々戦争が激しくなる昨今、優先的に物資が補充される軍においても、部隊や艦においては補給の状況が悪化している。量が減らされるのはまだいい方で、質の落ちる代用品になったり、それすら手に入らないということも起き始めてるらしい。
(まったく、航海に出る前から頭が痛いことばかりだぜ)
書類仕事も増えるし、偉くなるというのも考え物だな。
「出撃ですか?」
試験航行をつつがなく終えて、港に戻ると俺は司令部への出頭を命じられた。
「ああ。今日の試験航行は問題なかったんだろう?だったらすぐに出撃してもらう。今の我が軍に艦艇を遊ばせておく余裕は1隻たりともないのだ」
管区司令が俺に無情に告げた。
「しかし司令。確かに試験はパスしましたが、まだ完工して1週間ですよ。乗員の習熟も考えますと、せめてあと10日間はいただきませんと」
確かに乗員の多くは他の艦艇からの転属で、洋上勤務に慣れているとはいえ、着任したばかりの艦艇に慣れるにはそれなりに時間は欲しい。
「そんなことこちらも百も承知だ。だが北海航路は現在敵の航空機、水上艦艇、潜水艦による激しい攻撃を受けている。このままで補給路を維持できない。そうなったら、極北戦線の兵士たちは極寒の戦場で凍り付くしかない。護衛艦を1隻でも多く配置する必要があるんだ。それに、これは海軍本部からの命令だ。私の権限ではどうにもならん」
チッ。前線のことを知らん中央の官僚軍人どもめ。だが中央からの命令となれば、ここでグタグダ言ってもどうにもならんな。
「わかりました。命令を謹んでお受けいたします管区司令」
「貴艦の配置は第7護衛駆逐隊第2小隊だ。と言っても、今の所第二小隊配備は貴艦だけだ。よって、貴艦は適宜北海艦隊司令部よりの命令で行動すべし」
第7護衛駆逐隊は北海艦隊配備の駆逐隊だったな。ただ護衛駆逐隊と言うのはだいたい万年所在不明だ。船団護衛や前線へ向かう主力艦隊の護衛など、幅広く動き回るせいで本来の管轄外の海域に出動することも多いからな。
本来バリバリの艦隊戦用駆逐艦であるB級が護衛駆逐隊配備などあり得ないが、病み上がりなニコイチ艦ゆえの処置だろう。
「出港は明日朝0900とする。既に需品部には手配済みだ。すぐにでも埠頭に物資を送ろう。だから出港予定時刻までに、必要な補給を済ませて置きたまえよ。いいな」
「了解であります」
やれやれ。こりゃ夜通しで物資の積み込みだな。命令は一言で済むが、航海に必要な燃料、糧食、弾薬などを積み込むのは時間を要する。まあ、既に手配されているだけありがたいか。
とは言え、俺は苦り切った顔をするであろう乗員たちを説得しなければならないことに、憂鬱な気分となった。
こうして夕方から物資の積み込みを夜通し行い、乗員全員疲労困憊の色を隠せない中で、「ブルー・バード」は初めての外洋航海となった。
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