騒がしい面接会場 後編
明和はづき、高校一年生。本日アルバイト先の事務所にて、高い木に登っております。なぜ……というのも、かくかくしかじかあったからなのでございました。
「おなかが減って力が出ないよおお……くすん」
「あきらめちゃだめだよぉ!はづきち、こっちに手を伸ばして!」
いつの間にかことのが窓から大きく身を乗り出して手を差し伸べている。その後ろでエリザさんがことのに抱きつき体を支え、その後ろで京子さんがエリザさんに抱きつき体を支えている。なんか楽しそうだな。エリザさんはさらにことのの頭に鼻をうずめてフンフンしていた。
「頼むから今は寝ないでよねぇ……」
「起きてるよ……うふふ、ちゃんと起きてる……おやすみなさい……」
「落ちる落ちる落ちるっ!もう僕の後ろの選手交代してよぉ!」
青ざめた顔をぶんぶんと横に振らせることの。それでもなお幸せそうな笑顔(寝顔?)を浮かべながらエリザさんはうつらうつらしていた。
騒がしい窓辺から一度目を離し、そっと下に顔を動かす。そよそよと優しく風が吹き、地面の木漏れ日の影を揺すった。それが魔術のように視界をぐらぐらと酔わせ、背筋をひやりとさせる。三階だ、死にはしないだろう。でも絶対に痛い。痛いのは嫌だ。
心なしか目が潤い視界がさらに歪んでいっている気がする。そう、もとはといえばこの涙のせいなのだ、私が今……木の幹から手を離したのも。
「はづきちっ!!」
声を荒げたことのの顔が上へ昇る。体に強く風が吹き付けながら私は死を覚悟し目を閉じた。さようなら、お元気で、幸せを願っています、アーメン。
一連の終わりは意外と呆気ないものだった。私はそっと目を開く。天国が見えるだろうか、神様の顔はどんなだろうか、と働かない頭で漠然と思いながら目の前の景色に視線を注がせると、そこには父がいた。
「……神様、パパにそっくりだ……」
「神様じゃないよ、はづき。大丈夫か?痛いところはあるか?」
思っていたよりも体は痛くなかった。辺りを見回してみると、私の背中にはどうやら積み重なった毛布があるみたいだった。……もしかして、私まだ生きてる?
「木に登って降りられなくなったと聞いてね。事務所から急いで毛布をかき集めてきたんだ。はづき、なんて馬鹿なことをしていたんだ。」
父は険しい表情をして私の頭を撫でた。
「ご、ごめんなさい……でも京子さんが登れっていうから……」
「ばっ馬鹿者、本当のことを言っていいなどと誰が言った、そういう時は先輩を上げるものだろう」
上から降りてきた三人のうちの一人からそう声が飛んできた。父は京子さんを冷たく見据える。
「ほう、私の娘の命がかかった案件をそう片付けるような生き方をするのだな、この世界で。」
父が言い終わる前に額を地にあて土下座をしだす京子さん。口からは小さく「ごめんなさい」という言葉を漏らし続けていた。
「口にうどんでも詰まってるんじゃないですかねぇ、私があとでのどに指でも突っ込んどいてやりますよー」
シトラスさんがいつも通りの笑みをはりつけながら、しゃがんで京子さんの背中をさする。
「お前も土下座しろビギナー、先輩が頭を下げてやってるんだぞ」
そう言って、完全に拗ねきった表情で私をじっと見つめた。視線がとても刺さって痛い、あれは怖いおにいちゃんの言葉で言う「ガンを飛ばす」ってやつだなぁ……。目をそらすように木に視線を移すと、のんきに大あくびをする白い毛玉が見えた。
「あ、猫ちゃん置いてきちゃった……」
「無視か貴様」
あれだけ頑張ったのに事は何も進展していないことに気づき、ことのは長く静かなため息を漏らした。ごめんねことの、はやくお家に帰りたいよね……あとやっぱりこの一時間で少し痩せたね。
「ほぉら京子センパイ~、なんとかしてくださいよ~う」
おどけるシトラスさんの背中を思い切りはたいていた。
「シェリィ……もうあれは誰かが連れてくるしかない……それ以外の方法で、シェリィが私のところに戻ってくるはずがないの……」
眉を下げてすんすんと鼻を鳴らしだすエリザさん。ことのが「そうは言われても」という言葉を飲み込んで口をきゅっと結んだ。えらいえらい。
父は上を見上げて白い毛玉を確認すると、何でもないことのように微笑んでエリザさんをなだめた。
「なんだ、猫ぐらいそのうちに降りてくるだろう」
「ダメ……シェリィに危ないめに合わせたくない……」
人間様は無視かぁ、とことのは呟いた。
さぁどうしたものか。一匹の猫でこんなにもワタワタするハメになるなんて!
それから三秒ほどの沈黙が続いた。なんともいえない気まずい空気が流れるなか、突然それを真っ二つに切り裂いたのは、横から飛んできた大きくて楽しそうな声だった。
「あやや!木の上に『きゃっとおぶがーる』がおるではないか!なんとも『ふぉとじぇにっく』で『いんすたぐらみてぃ』であげぽよなのじゃ!」
大きくて楽しそうな声の元に皆一斉に振り向いた。そこには小さく可憐な中学生くらいの少女がいた。……というか今、何て言った?頭の上にはてなを浮かべていると、少女は私達の存在を確認して、わぁと声を上げた。
「お主らの『きゃっとおぶがーる』か!あれ、実に『あーてぃすてぃっく』じゃな!引きずり下ろしてもいいかの?」
黒髪の細いツインテールを揺らしてニコニコと笑っている。その目はキラキラと輝いていて、私達の答えを待たずに腕まくりを始めだした。
「ちょ、ちょっと待って!引きずり下ろしてもいいけど、まさかこれを登るつもりなの?」
「それ以外に何があろう?」
靴と靴下も脱ぎ捨てて準備完了と言わんばかりに胸をはる少女。父は口を半開きにして停止の状態でいた。
「案ずるな!『ますと』で『めいびー』で『ばっど』な『えんど』を保証するのじゃ!」
両手でビシッとピースを前に突きだすと、よりいっそう顔をキュッとまとめて笑った。あ、今の顔すごくかわいい。
待ちなさい、と父が言う前に少女は木にしがみついていた。そのまままるで猿のように器用に木をよじ登る。途中、ひらりと短いスカートが揺れて父に下着が見えそうになったのを、タイミングばっちりに、京子さんは右手で左目を、シトラスさんは左手で右目を隠した。おお、見事な連携プレイ。
そうこうしている間に上から毛玉が奇妙な声をあげて持ち上げられた。あんまり乱暴にしちゃダメだよぉ、とエリザさんがハラハラしながら声をかけた。少女は「案ずるな、生むは『いーじー』じゃ」とよくわからない声を返した。
猫の首根っこを片手で持ったまま、するすると木を滑り地面を目指す。めくれたスカートを直しながらシェリィをエリザさんに突き出した。
「おぬしの所持物であろう?」
「シェリィ……そう、ありがとう、感謝するの」
エリザさんは顔をほころばせて安堵の意を示した。これで一件落着かぁ、とことのが満足そうに微笑んだけれど、この子は一体どちらから来たどなたなのか。
「家の窓からその『きゃっとおぶがーる』が見えたものでな!あまりにも『ふぉとじぇにっく』だから『ふぉと』におさめて『じぇにっく』にしたかったのじゃが、かめらを忘れてしまっての」
照れ笑いを挟みながら少女はそう話した。金のメッシュが入った黒くて長い髪を細く二つに結んでいる。背丈も小さくパーカーにミニスカートというラフな格好でいるところを見る限り中学生にしか見えないけれど、話を聞く限りどうやら私達と同じ学校に通っているらしい。中高一貫校だから、中等部の子だろうか。
「学校ですれ違ったら宜しくしてほしいのじゃ」
「もちろんだよ!私ははづきでこっちがことのっていうの、あなたの名前を聞いてもいい?」
「はづきにことの……ふむ、覚える努力をしようぞ。わしは丹菊りお。時国聖愛学校高等部の1年生じゃ!」
一瞬の沈黙が流れた。
「何かおかしな点でもあったか?」
「何もないよぉ。とても童顔だと思っただけだよぉ」
「そうか!それは嬉しいな!」
お、同い年……。ことのと二人で目を丸くして見合った。やっぱり同じ事を思っているみたいだ。
「そんじゃ、わしは『ばっくほーむとぅげざー』しようかの。家の手伝いをほっぽりだして来ちまったのじゃ」
さらば!と敬礼して走り去った。嵐が去って数秒の静かな空気が流れる。
「今日は嵐に四つも会った気がするよぉ」
「誰が嵐だ」
間髪いれずに突っ込む京子さん。よくご存じで、とケラケラ笑いながらシトラスさんが目を細めた。
「それじゃあそろそろ話の続きをしようか。」
再度四階に戻り、私とことのを除いた四人と向き合うようにソファーに座った。ことのは買ってもらえたココアを両手のひらの中にすっぽりとおさめて、幸せそうにこくこくと喉に染み込ませていた。
「はづきとことのちゃんにはイメージガールのアルバイトをしてもらう。それには条件があるんだ」
「待ってくれ旦那、本気で一般人を使うつもりなのか。事務所の顔だぞ、正気なのか。」
京子さんはまだ納得がいっていないみたいで、立ち上がって間に割り入った。
「本気だよ。この企画はまだ何も経験していない少女の成長記録もテーマのひとつなんだ。お前たちはもういくつか仕事を経験しているだろう」
「重々承知です、けれどこれはあまりにも親の七光りと言いましょうか、こんなことを言うのはどうかとも思いますが贔屓が過ぎると思うんですよねぇ。私達が納得できないのも、想像できたことでしょう?」
さっきまで同じ笑いかたでヘラヘラとしていたシトラスさんが座ったまま真顔でそう返した。それを見て京子さんは憤りをなんとか沈めようと大きく息を吐いて座りなおす。
「わかっていたさ。うちの将来有望なU-18の女性タレントと言ったらお前たちだ。」
「……エリザは……わかったよ。プロデューサーの、考えてること」
さっきまでシトラスさんの肩に頭を乗せながらうとうとしていたのが、いつの間にかしゃっきりと背筋を伸ばして私の顔を見ていた。
「……エリザたち、この子達を、潰せばいいんだね」