騒がしい面接会場 中編
「いい匂いがする、ずっとこうしていたい……」
激しくめんどくさそうな表情を浮かべながら抱かれ続けていることのと、エレベーターから倒れたまんまにことのを抱き続けているにこやかな少女。
「エリザ、せめてベッドで寝てくれ。ここは事務所の床だぞ」
パパがしゃがみこみエリザさんの体を揺すると、眠たそうな顔でむくりと起き上がった。
「……わかった、この子お持ち帰りする」
「やめてよぉ」
小声で呻くことの。やっと解放された体から力が抜けていくのが目に見えてわかった。手を引いて起き上がらせたあと、ぐちゃぐちゃの制服を優しくはたいてあげる。……ことの、この数分の間に痩せたんじゃないかな。
エレベーターの前でゆっくりと向き直り、寝ぼけ眼でほほえむ。不意に彼女の口から小鳥のような美しい声で聞き取れない言語が発せられた。すごく綺麗、でもなんて言ったんだ?
「……エリザ、ロシアから来たの……よろしくね」
私はことのと目を丸くしあった。ロシア人!寝っ転がった状態ではわからなかったが、よく見ると高い鼻がスッとしていて、色白な肌と碧眼、柔らかいウェーブを帯びた水色の長い髪……と、とてつもないべっぴんさんである。
さっきの言語がロシア語ということは、はじめまして的なことを言ったんだろう。私も真似してカタコトで言ってみた。小鳥みたいな声は出なかったけど。
エリザさんは私のカタコトのロシア語を聞いて嬉しそうな顔をした。そしてそのままパタパタと駆け寄り、大胆にも抱きしめられる。視界がぐらりと揺らぎ天井が見えた。……あれ、私は今どんな状態なんだ?
「うふふ、一緒に……寝ましょ……」
「うわあ!」
情けない声を出しながら後ろにあったソファへと強制ダイブさせられる。ことのが怪訝そうな顔を向けてパパに無言で助けを求めていた。
「ちなみにさっきのはロシア語でおやすみなさいという意味だ」
「……抱きまくら、欲しかったの……うれしい」
「アイアムノットハッピー!プリーズお手を離しクダサーイ!」
しばらくぎゃいぎゃい騒いでいると、エリザさんがハッとした様子で私の体から手を離した。綺麗な眉毛を歪ませて、悲しそうな顔を京子さんに向けながら声を絞り出す。
「シェリィがいないの……お手洗いに行った隙に……」
シェリィ。可愛い名前だ。すぐに銀髪碧眼の美少女を頭に浮かべたが、彼女が手で中くらいに円を描き「このくらいの……」と言ったところで犬か猫あたりだと思い知らされた。
「はぁ?飼い主がなってねえな。ったく、探すの手伝えばいいんだろ……」
「ありがとう京ちゃん、シーちゃん……」
後頭部をわしゃわしゃと掻きながら大きなため息をつく京子さん。ところでシーちゃんさんはなんて名前なんでしょう、いまだにわからずじまい……。
「シトラス、そっちは任せた。私はこの一般人と一緒に下を見てくる」
そう言いながら京子さんは私の腕を捕み引きずった。
「えっ、ことちゃんは?!」
「僕はそうだねぇ、とりあえずお茶を買っておいてあげるよぉ」
さすがことの、気がきくぅ。……と思ったけれど、さては探すのがめんどくさいんだなこの子。まったくもう!
「行くぞ、ノロノロするな。私ははやくお前のパパさんと話をつけたいんだ。」
パパさん、と言われて苦笑いをしながら「そうだなあ……はづき、別に特別かしこまらなくてもいいが、事務所の人間と一緒にいるときは、パパ呼びはやめてくれないか」と照れられた。私は引きずられながらわざとらしく返事をした。
ふいにシトラスさんと目が合う。シトラスさんは私の目を見て不思議そうな顔をしながら、手を軽く振る動作をした。
「えへへ、やっと名前聞けました……シトラスさんっていうんだね、宜しくね!」
そう言うと彼女は一瞬驚いたような表情でかたまり、少ししてからまたうさんくさい糸目の笑顔で「ええ。」とだけ答えた。
「白いふわふわの猫だ。臆病者だからそんなに遠くには行っていないはずだが……」
エリザさんがさっきまでいたという三階まで降りる。ドアが開いた瞬間、思わずハッと息を飲んでしまった。……なんだこの異質な場所は。
何本も立ついりくんだ木製の柱と、それに沿うように緑色のソファが作られていて、太陽やら月やらの独特なイラストで壁が彩られている。窓がフロアの両端の壁1枚にあり、真ん中まで歩くと日光が弱くしかそこにかからないので薄暗い。床一面は月面のような柄のカーペットが敷かれていた。芸術的でなんとも言えない空間……こんな部屋があったなんて知らなかった。
「おいシェリィ、いるなら返事をしろ、いないなら返事はするな」
京子さんの声がよく響いた。それ以外に帰ってくる声はなかった。
「どこにいっちゃったんだろう、にゃんこちゃん……」
もうここにはいないだろうか、そうあきらめかけたその時、窓の外の毛玉のような物体が視界にちらと入った。
背伸びをして再度窓の外を確認する。開いた窓に近い位置まで伸びている太めの枝の根元、木の幹の近くに白い猫が寝ていた。見つけた、あの子だ……。
「京子さん、あれ!」
ふたりで窓に駆け寄り、猫の存在を確認する。
「ちっ、あんなところに……おいシェリィ、こっちを向け。尻尾の毛をむしるぞ」
シェリィは声に気づいて目をひらいたが、すぐに何でもないような様子でそっぽを向いてしまった。
「ああくそ腹が立つ、ひっぱり出してやる」
そう唸ると窓枠に足をかけ、半開きの窓からするりと外に出た。そのままたわむ枝に飛び移り、リズムよく三ステップでシェリィのもとに寄った。一歩間違えたら地面に吸い込まれる恐怖を感じさせない、すいすいと身軽な、それこそ猫のような動きに見えた。私が声を出す暇もなく白い毛玉を持ち上げ満足そうなほほえみを浮かべる。なんて突飛な行動をするんだ、と思った。
「危ないよ、仮にもアイドルなんでしょ……?!」
「仮なものか、正真正銘アイドルだ」
ツッコむところが違うやーい!口の端から苦笑いが漏れた。
「さて、シェリィを抱えてはここを渡れん。お前もこっちに来い」
次に何を言い出すのかと思えばよくわからない行動を促し出した京子さん。私がそっちに? 何故? 拒否の意を示したものの「いいから来い、私に考えがあるんだ」と言って聞かなかった。
「信じていいの?私すごく怖いんですけど……」
「このままじゃ誰も動けないだろう。手を差し出してやるからそこからこっちへ飛び移れ。」
真っ直ぐな目。若干いらついてはいたけれど。
私は仕方なく覚悟を決めて窓を全開にした。窓枠にしがみつきながらそっと足をあげて、たわむ木の枝に一歩進む。そのまま小走りで京子さんの手をつかみ、へっぴり腰で幹に抱きついた。
「こっこっ怖……」
「コッココッコうるさいな、お前は鶏か」
いちいち余計なことを!むかっときたので思いきり舌を出してやった。
次に何をするんだろうか、と身構えていると、彼女は私にシェリィを預けたあとまたトントンと猫のように跳ね、窓の中にするりと身を吸い込ませていった。なんであんなに身軽なんだろうか、アイドルってすごいなあ……と思いながら、はて、この構図はなんだろうかと考えた。さっきの京子さんと私の立ち位置が逆になっただけではないだろうか。首をかしげ、嫌な予感が静かに胸の奥から流れてくるのを感じながら京子さんのほうを見た。
「投げろ!」
真剣な表情で両手を広げる京子さん。
私は力の限り叫んだ。
「京子さんのアホ!」