いつもとちがう放課後
はづきちが「一緒にバイトしよう」と言い出したときは、正直言って僕はお家の手伝いもしなければならなかったし乗り気でなかった。だけど、興味がないわけでもなかった。バイトの内容が、ちょっと特殊だったから。
学校が終わってすぐに、コンビニで肉まんを頬張ったあと、駅前のバスへと滑り込んだ。ほっぺを大きく膨らませて、もごもごと少しずつ肉まんを飲み込んでいる様子のはづきち。その様子を、目の前の座席に座っていた機嫌が悪そうなお兄さんにジロリと見られる。お行儀が悪かったね……、肉まんの香りが車内に漂ってしまっただろうか。普段あまりバスに乗らないもんだから、ちょっぴり失敗。今度から気をつけよう。
目線にたえきれず、意味もなく小さく咳払いをすると、お兄さんは手元のスマートフォンにまた目を戻していた。
「はづきち、どこの駅で降りるんだっけ?」
「……んぐ」
なんてこった、まだ飲み込み終わっていないのか。
ガクン、と突然膝が折れそうになり、ハッとする。
どうやら僕は手すりにつかまったままウトウトしていたらしい。そんなに長いことバスに乗っていたのだろうか、乗り始めて何分たったのだろう……。腕時計を見ると、十分ほどたっていた。となりのはづきちを見やると、まだほっぺをモゴモゴさせていた。なんてこったい。
「ほっぺに何をいれてるのかなぁ、はづきさんはぁ。」
人差し指でプイプイとつついてやると、思っていたよりも硬かった。どうやらほっぺに入っているのはさっきの肉まんではないらしい。そりゃそうか、十分以上も口の中の肉まんを堪能していたらさすがにどうかと思う。……はづきちならやりそうだけど。
「ぐみ。食べる?」
「じゃあ食べようかなぁ。」
さっきのお兄さんはもういなかった。どこかで降りたということだろう。ところで僕達はどこで降りるのかね。
「はづきち、どこで降りるんだっけ?」
「……んぐ」
限りないデジャヴ感をよそに、バスはブイブイとエンジンを鳴らして揺れ続けた。
「結構遠いんだねぇ」
「そうかなぁ……お、次で降りるよ」
ピコーン、とファミコンゲームの様な音をたてて、止まりますの字が光った。学校から20分かからないくらい、か。
「急に緊張してきたなぁ」
ああ、こんな時はあたたかいココアを飲んで一息つきたい。渇ききった唇を噛む。
「バイトなんて人生で初めてだから。ドキドキするよぉ」
「でもことちゃんはお家でカフェのお手伝いしてるでしょ?」
「そうだけど、面接とか書類審査とかなかったよぉ。こういうちゃんとしたバイトって、そういうの必要でしょ?」
そう。僕のお家は喫茶店を経営している。たまにお手伝いをすることはあるけど、特別な審査を経てアルバイトをしているという訳ではないのだ。
「う~ん、どうだろ……そんなにかしこまらなくてもいいんじゃないかな」
かしこまらなくてって……はづきちはそこの社長さんと知り合いなのだろうか?というか、なんで急にそんなアルバイトをしようと思ったのだろう?
色々悶々と考えていると、はづきちが私の顔を覗きこんでいたずらに微笑んだ。
「社長っていうか、プロデュース業をしてる人、なのかな?実は私もパパの仕事に詳しくなくて……やってみないか?ってただ言われただけだから……そう、私にアルバイトをしないか誘ってくれたのはパパなの」
彼女の口からパパという単語が飛び出してきて、くすりと笑ってしまった。にしても、お父様がそんな仕事をしているだなんて……。出会って4年目に突入したというのに、新しい情報だ。
プシュウとバスの扉が開くと、なにか甘い香りがふわりと入り込んできた。バス停のすぐ横には小さな花屋が見えた。おそらくその花の匂いだ。
定期券をかざしてバスを降りながら、目の前の花屋を見つめる。黄色い屋根も看板も、真新しく見えた。よく見ると「オープンまであと2日」の文字と下手くそなイラスト(エプロンらしきものをつけた女の人が描かれていたが、幼稚園児の描く絵と何ら変わらないクオリティであった。心のなかで笑ってしまってごめんなさい。)の貼り紙が屋根から吊るされていた。
「わお、すごく甘い香りがするね……何の花だろう?」
後から降りてきたはづきちが、店先に並んだ花たちを私の後ろから覗きこんだ。
「まだ値札とか花の名前とかは貼られてないみたいだねぇ。明後日にはオープンするみたいだけど、まだお店開いてないのにお花並べちゃってていいのかなぁ……」
「香りでおびき寄せておいて、開店当日にたくさんのお客さんに買ってもらおうとしてるんじゃない?スーパーで言う、試食コーナーみたいな。試食コーナーってずるいよね、いい香りがするからすぐに買いたくなっちゃうんだよ」
この子は放っておいたらなんでも食べ物に変換してしまいそうだ……。そうだねぇ、と適当に返事をするとほっぺをぷくりと膨らませて不満げな顔を見せた。
黄色い屋根のお花屋さん。バス停の目印として、ひとりで来るときのためにきちんと覚えておこう。
「それで、事務所はどこに?」
「すぐそこだよ」
手をひいてくれるのは嬉しいんだけど、バスから降りたばかりでそんなにはやく歩かれると、酔いかけの頭がぐらぐらする……。はづきちのウキウキした様子が後ろ姿からも見てとれて、僕は静かに口をつぐんだ。
アルバイト、乗り気ではないけれど、興味がないわけではない。
内容がちょっと特殊だったし、はづきちと二人でこんなことが出来るだなんて、ちょっぴり嬉しかったから。
……ちょっぴりね。