ラブグロ事変 はじまりのすれ違い
恋愛なんて馬鹿らしい。
人を愛するという気持ちが理解できない。「他人を信用する」という気持ちの延長線上にある感情など、一生抱く気がしない。
恋愛禁止というルールがある訳でも、そんな空気が生まれるほど熱狂的に人気な訳でもないので、もしかしたらラブグローリーのなかから他人を愛し結婚する人も出てくるだろう。エリザも京子も、本人に伝える気は無いが人よりそこそこ良い顔をしているし、一般的な人間様の幸せというのは金か恋だと聞いたことがあるからそう思う。私には恐らく一生無縁な世界だから、どうでもいいのだけれど。
……ラブグローリーとして活動を始める前のソロ時代、呼ばれたあだ名は「狐」だった。孤独の孤によく似た字で、外向きにつった目と唇を表現したのだから、馬鹿馬鹿しくはあったが、なんとまあぴったりなのだろうと思った。
恋はおろか、人を信用することもない。自分は昔からそういう人間だ。
その日の彼女は、やけにご機嫌な様子でしきりに愛猫を撫でていた。
「エリザ、いいこと思いついちゃった……」
突然そんなことを言い出したので、私は一か月後に迫った紫陽花祭の演出について何か閃いたのかと思った。だが、それにしてはいつもよりにこやかな気がして、なんだか嫌な予感を感じた。……思えば朝から明らかに浮わついた様子で、先程までは京子の腕をしきりにすべすべと撫でていたような。
「今日は朝からずっと何かしらに触れているようですねぇ、手のひらが痒いのですかぁ?」
ちがう、とぶんぶん首を横に振るエリザ。崩れた前髪を手ぐししながら、楽屋の奥で鏡を見ていた京子を手招きした。
私と京子が近くに来たのを見て、エリザはまるで秘密を共有する子どものようにこちらに歩み寄った。
「あのね、エリザ……三人で、合宿がしたいな……」
私はため息を吐きながら頭に手を当てた。エリザが言い出しそうなことだ。
「合宿ですかぁ。そう言って、エリザは遊びたいだけなのではないですかぁ?」
「そんなことない……ちゃんと、紫陽花祭に向けて、頑張るもん……そのための合宿だよ……」
さぁどうだか。からかうように言うと、エリザはほっぺを膨らませてすねた。
彼女には悪いが、他人と寝食を共に過ごすというのはかなりしんどいところがある。いくら活動を共にしているグループの人間といえど、ずっと一緒にいるなんて疲れる。一人の時間が必要だ。
それはきっと京子もそうだろう、となんとなく肌で感じていた。元々人とのコミュニケーションが上手ではない人間だ、彼女もきっと反対の声を上げるだろう。……そう思っていた矢先、開かれた口から出たのは、私の予想と真反対の意見であった。
「いいじゃないか、合宿。私は反対しない」
さも普通のことかのように、さらりと言ってのける。驚きのあまり顔を見つめると、不信そうな表情を浮かべてこちらを睨んだ。
「なんですって?正気ですか?貴方、見栄を張っているのではなくて?」
「あの素人集団も出るらしいからな。格の違いを見せるためにも、熱の入った練習は必要だろ」
思わず組んでいた手の指が揺れた。これは意外な結果だ、そしてなんとまあ面倒なことになりそうなのだろうか。
エリザは嬉しそうに京子の頬を撫でようとして、その手を京子に両手で挟まれていた。
「じゃあ、決まりだね……シーちゃんも、頑張れる……?それとも、絶対に無理……?」
「……」
これも、自分が仕事をしていく上で必要な経験なのだろうか。無駄な時間を過ごすだけなのではないか。そんな思いは拭えなかったが、自分ひとりで否定し続けるのが馬鹿らしいと思ったのも事実だった。
私は渋々、首を横に振るのをやめた。
「京ちゃん、開かない……」
カードを差し込むタイプの鍵に苦戦しているようで、カチャカチャと差しては抜いてを繰り返すが、ドアに反応がない。眉を八の字にひそめながら、エリザは京子の方に顔を向けた。
「まったく下手くそだな、差し込みかたが甘いんじゃないのか」
京子は前者より乱暴に、ガチャガチャとカードを突っ込んだ。時々びぃんと反るカードが折れないか期待したりもしたが、普通に怒られそうなので、見かねて彼女を静止した。
「貴方、本当に野蛮ですねぇ。それ、裏表が逆なんですよ」
私が指摘すると、一瞬かたまった後にカードを裏返し、ゆっくりと差し込んだ。
ガチャリ、と明らかにドアが開きましたという音が鳴る。エリザは感激したようで、シーちゃんすごい、と口にしながらはにかんでいた。
何かロシア語で挨拶をしながら(恐らくお邪魔しますの様な意味だろう)、ゆっくりと足を踏み入れる。それに続くように、私と京子も室内の照明スイッチを押しながら中に入っていった。
「思ってたよりはホコリもないしカビ臭くもないな、誰か使ってるのか?」
「普通に清掃員が掃除をしているんでしょう、知りませんけど」
明和プロデューサーに相談したところ、もう長らく使っていない茶道教室の部屋があるから使うといいと言われた。事務所の六階にある、その部屋がここだ。……どうして事務所内に茶道教室の畳部屋があるのかは聞かなかったけれど。
「ねえ、京ちゃん、見て……お菓子、おいしそう……」
茶道教室で使っていたのであろう、お茶菓子の一覧表がラミネートされたものをどこからか持ってきてにこにこしている。はしゃいでいるのは悪いことではないけれど、貴方は本当にただ遊びたかっただけなのでは……。
「和菓子なんて食べたことあるのか?」
「ない……京ちゃん、作って……?」
「無理言っちゃダメですよエリザ、京子さんは不器用ですからねぇ」
「変なことばっか言ってると全員布団なしで寝させるぞ」
乱暴に足で蹴りながら布団を配置する彼女を横目に、まあ一日だけなら耐えられないこともないか、と思うことにした。別に関わるのが面倒になったら喋らなければいいだけだ。何か二人に関する日常の愉快なネタも拾えるかもしれない。
「新曲のデモと衣装は明日届くらしい。今日は一曲目の振り付けを一回通してみよう、改善できるところは改善する」
真面目な顔で言い放つが、肝心の聴衆であるエリザは、既に京子が広げた布団に横になっていた。本当によく寝る娘だ……。
京子は長いため息をついてしゃがみこみ、エリザの脇腹をくすぐった。ふふ、と小声で笑いながら、なおも寝続けようとするエリザにしびれを切らした京子は、次にチョップをお見舞いしていた。荒業が過ぎる女である。




