傾く空
「楓子!録画した番組をDVDに保存するにはどこを押せばいいのですか?」
開ききらないまぶたを擦りながらリビングに向かうと、やけにご機嫌な姉がリモコンを左右に振っていた。電池が切れかけているから接触が悪いのだろう。ちょうど近くにあった引き出しから替え用の電池ケースを出してあげた。
「朝からテンション高いね、姉さん」
そりゃそうですよ、と言わんばかりに鼻を高く上げる。電池をはめるバチンという歯切れのいい音が、外の小雨が地に垂れる音を一瞬もみ消した。
「だって楓子、この前発売された私達のシングルが、ついに週間ランキングで十位に入るほどになったのですよ!たったの三日で、一年前に出した四枚目のシングルともう同じくらいの枚数が、世の中の方々のお手に届いているのですわ!」
まるで夢でも見たかのような目の輝きで熱弁する。なんなら今にも泣きだしそうにもなっている。私に向かって今の気持ちを口から出したことで、さらに興奮状態になっているらしい。
「そうだね。姉さんが嬉しいことは、私も嬉しいよ」
なんとなく、今までの姉妹二人の歩みを頭のなかで巡らせる。デビューしてから四年、いや、デビューする前から十九年。私達二人は……。
思い出をなぞっていると、姉がこちらを見つめていることに気づくのが遅れた。私が肩をびくりと揺らすと、愉快そうに微笑んでテレビの方に向きなおす。
「私が嬉しくなると、楓子が嬉しくなる。それは、私もことさらに嬉しくなりますわ!」
「それじゃ無限ループだね。私もそうだよ」
「楓子ってどうしてそんなに可愛いのに、人見知りが直らないんでしょうか?本当に惜しいですわ……本当は、こんなに可愛い子なのに」
顔が熱くなるのを感じる。お世辞と言えど、どうしてそんなことを恥ずかしげもなく言えるのだろう、この人は……。
「別に、姉さんが私のことを知ってるならそれでいいよ。その他のことは、姉さんに、任せる」
人見知りなんて好きでなったんじゃない。それに……姉が私とアイドルをしたいと言うのなら、着いていくし、姉が私を必要とするなら、必要とされる存在になる……私はそれでいい。それ以外にしたいことも見たいものも、あまり思い付かない。
「そうですわね。いつも私のワガママに付き合ってくれてありがとう、楓子」
「いや、そんなつもりじゃ」
「わかってますわ。私が楓子に感謝の言葉を伝えたかっただけですの。ダメですか?」
ああ、本当にこの人は……。こういうことを天然で容易く言うものだから、私はいつも心配でならない。誰かにうっかり似たようなことを言い、その人に好意を持たれてしまったらどうするというのだろう。
私は使えなくなった電池を小さなビニル袋の中に入れた。袋のなかで二本の電池がカツカツと音をたてて身を寄せあった。
「ねえ楓子、今日はせっかくのお休みですし、久しぶりにカラオケに行きましょうよ!」
「……うん。姉さんが、そう言うなら」
「カラオケ行こうよ!」
はづきちは元気よく挙手をした……のはいいが、その右手が僕の耳たぶを元気よくえぐったために、僕の顔はつぶれたパンの様に歪んだ。
「ぎゃああごめんことちゃん!耳痛かったよね!?」
「『ぶらっど』は出ていないか、ことの!大丈夫なのじゃ!?『のー』『ぶらっど』なのじゃ!?」
正直すごく痛かったけれど、そんなに大騒ぎするほど怪我をしたわけではない。大げさに騒ぐ二人を諭すなか、亜海の方を見ると一人眠そうにあくびをもらしていた。
僕たちは今、事務所の会議室を借りてミーティングをしている。長机が二つにパイプ椅子が七つ、あとホワイトボードがあるだけの簡易的な部屋だ。ちょっと不思議だなと思うのは、入り口の扉の他にも奥に続く扉まであり、そちらも似たような会議室だということ。どうしてこんな作りにしたのだろう、と少し謎に思った。
「お疲れなのかなぁ、亜海さん」
「ん、そう見えた?」
そう言いながら、何故だか少し嬉しそうだ。亜海のことはよくわからない。たまにいじわるな言い回しをすることがあるし、そのタイミングもよくわからない。日常の些細な会話のときにそうなることが多い。普段話している子達がパーティーピーポーだから、僕達の中身のない会話が新鮮なのだろうか。
「疲れてるだとか、そういうマイナスな言葉は、あまり言いたくないのだけれど。今回が初めての表舞台でしょう?ちゃんと、頑張りたいよね」
なるほど色々考えているんだなぁ。自主的に動くのは、相当体力のいることだし、やっぱり僕とは大違いだ。
「話を進めるね。紫陽花祭で披露する曲は、私達の初めての歌だから。グループ名のリリィともかけて、私達の始まりを植物にたとえて……」
「芽吹き、って感じかなぁ。」
「歯茎?」
僕はとなりにチョップを飛ばした。
「そうじゃなぁ、『ぷらんと』の『ふぁーすと』な『りーふ』……といったところかの」
りおは指をパチンと鳴らした。僕の言ったことを英語のようなものにしただけで、上手いことを言ったつもりなのかなぁ。
そう思っていると亜海が「英語に起こしてみるのも大切だよ」と言ってメモ帳にりおの英語を書き足した。確かにヒントになったりするし、アイデア出しはそういう風にしていくのか。やっぱりすごいなぁ亜海は、僕とは大違いだ。
感心していると、突如として座っている椅子がガタンと揺れた。驚いて後ろを確認すると、そこには身を屈めた京子がいた。僕と目が合うなり「あ、まずい」という言葉が顔に現れていた。
「……何してるのかなぁ、京子サン」
背もたれから覗き込むようにして挨拶を飛ばすと、京子は悪びれた表情をひとつとせず口を開けた。
「ふん、見てわからんか。私達も同じ舞台に出るのだ、新人と雰囲気が被ってしまっては困るからな。スパイ活動だ」
スパイ活動って言っちゃったよぉ。悪いことしてる自覚はあったんだ。
「何かまずそうなことでもありましたか?」
亜海が姿勢を崩さずにそう問う。京子はその声を聞いて鼻で笑うと「若干な」と答えた。その答え方が、やけくそ、という感じがして少し違和感を覚えた。
「前座は任せた。先輩の準備の時間は稼ぐ必要ないが、ステージの今後の雰囲気を決める大切な役だからな」
もちろんそのつもりです、と真顔で返す亜海。そういえばこの二人は僕の知らない昔に面識があったのだろうか。
二人のやり取りを聞きながら、片方の顔が曇っていくのに気付いた。京子の方だ。
……以前ラブグロの人達と鉢合わせた、あのイタリアンレストランではづきちが言っていたことを何となく思い出してしまった。ラブグローリーの人達は、顔の表情の原型はそのままなんだけれど、声色とか目の色とか、ふとしたときの会話の間ですぐに表情がわかる……と。
はづきちが何を言いたいのかその時はよくわからなかったけれど、今ならなんとなくわかるかもしれない。アイドルとして個性を保ちつつ、ちゃんと自分のストレートな気持ちを表現できる、ってことなのかなぁ。そう考えると、本当にすごい先輩なのかも。僕としては、できれば面倒だから関わりたくはない、というのが本音だけれど。
「そうか、把握した。……あいつらとも相談してみる」
「何をです?」
「その、ちょっとした手違いが起きたんだ。私達の新曲が、あんまり私達の雰囲気にそぐわなくてな、どうにか動いてはみてるんだが……いや、でもまだいい。忘れてくれ」
組んだ腕を落ちつきなく組み直しては位置を変えるのを繰り返している。亜海は素っ気なく「そうですか」と呟いた。
「色々参考になった。ラブグロはこの奥の部屋で作戦会議をしているから、何かわからないことがあったら聞きにくるといい。ライバルと言えど先輩が意地悪をするのは大人げないからな」
「ふふ、充分意地悪ですけどね」
蚊帳の外のはづきちとりおはあやとりをしていた。……なんだか僕も混ぜてほしいなぁ。
じゃあ、と去ろうとした京子さんがはたと足を止め、奥の部屋へと続く扉の先を凝視した。そして次の瞬間、信じられないものでも見たかのような鋭い目つきで部屋へ駆け込んだ。
「あーっ、京子さん、開けた扉はちゃんと閉めないと」
さっきの京子の顔が見えていなかったのか、のんきに扉へと向かうはづきち。僕があっと彼女を追いかけると、向こうから「何してんだ!」と怒号に似た京子の声が飛んできた。
「あなたは何もわかっていない!」
あまりのただならぬ雰囲気に、肩をびくりと揺らす。はづきちの代わりにそっと扉を閉めようとすると、勢いよくシトラスが飛び出してきたため僕と接触した。
突然のことにバランスを保てずに尻餅をつく。耳といいお尻といい今日は厄日かもしれない……。
「ことちゃん大丈夫!?」
はづきちが僕に声をかけてくれたのが聞こえたのか、シトラスが足を止めこちらに振り向く。その顔は目の周りが赤く、呼吸も荒く殺気立っていた。
僕を一度睨み付けると、そのまま外へと早歩きで去っていく。続くように京子とエリザがとなりの部屋から飛び出してくるも、僕を見て申し訳なさそうに眉を下げながら立ち止まった。
「一体何があったのじゃ!?」
問いただすりおに、ふるふると震えながら左頬に手をあてるエリザ。その片方の頬だけ赤くなっていた。
「エリザが悪いの、エリザが……シーちゃんは……う……」
その場でポロポロと泣き出し、足下をうろついていた猫を抱えて顔を隠すようにうつむく。京子はというと、訳がわからないという顔で唇を血が出そうなほどに噛んでいた。
……そこにタイミングがいいのか悪いのか、はづきちのパパさん……もといプロデューサーが入室してきた。彼はこの現場を見て悲しそうにため息をつき、僕とはづきちにシトラスを連れ戻してくるよう頼んだ。
そのあとに神妙な面持ちで残りの四人に何か声をかけていたけれど、僕はそれがうまく聞こえなかった。ただ場が凍りついているということだけが、四人の表情でわかった。




