『ふぁーすといんぷれっしょん』
「多数決の結果、今年の六年生の演劇はシンデレラになりました!」
ぱちぱちと響く拍手と、下手くそな指笛が飛ぶ。
「続いて、役決めに移りたいと思います!誰か立候補か推薦したい人はいますか?」
目の前の席に座る子が元気よく手を上げる。
「私は亜海ちゃんがシンデレラ役だと思います!」
困惑する自分をよそに、周りは「賛成」「いいね」の言葉が飛び交う。
「ゆきちゃん、私はゆきちゃんのほうが、シンデレラ役だと思うよ。私は今、髪が短いし、きれいで長い髪のゆきちゃんのほうが、似合ってるよ」
前の席の子がぐるりと身体をこちらに回して、大きく開いた目を向ける。
「ええー!?絶対そんなことないよ!お世辞は言わなくていいのに!亜海ちゃんのほうが絶対かわいいもん!」
「……。あ、あともうひとり、委員長のきょうすけくんとか、女装で出たら盛り上がりそうじゃないかな?かわいい系の顔だから、似合うと思うの」
クラスがどっと沸く。名指しした男の子は乗り気なようで、口の右端だけをきゅっと上げた。
「俺は全然いいけど、亜海、遠慮すんなって。本当は出たいんだろ?」
……何故そんなことを言うのだろう。
だって、どう考えてもそう。絵本で見たシンデレラは髪が長くて、女の子らしくて可愛い。私の髪は、肩につかないくらいの長さだし、ゆきちゃんはポニーテールができるくらい長い。客席から見たときに綺麗なのは、どう考えてもゆきちゃんのほうだ。去年は他の学年の人がやっていた、女装のプリンセスがどのステージよりも盛り上がっていた。面白さを考えると、男の子がやってもいいと思う。
……それなのに、一体どうして私が遠慮していることになるのだろう。なにもまちがったことなんて言っていない、本当に、そう思っているのに。
「本当はそんなこと、思ってないんでしょ」
また誰かが言う。実際は言われていないのかもしれない、私がそう聞こえた気がしただけなのかもしれない。
「友達だったら……」
皆は私に何を求めているのだろう。私はどうすればいいのだろう。
肌寒さに足を畳んで布団を手繰り寄せる。ぼうっとした頭にいくらか酸素を回そうと口を開けると、ぱさぱさの喉に冷たい空気が貼りついた。
アラームが鳴る二十分も前に目が覚めたらしい。夢の続きを見てしまいそうで、二度寝をする気分にもならなかった。ゆっくりとスマートフォンに手を伸ばし、寝転がったまま、SNSの知り合いの投稿に一通り目を通す。……そういえば、芸能活動用のアカウントも作った方がいいんだろうか。事務所に聞かなければ。
「朝、寒いな……。この梅雨を越えたら、夏なのに」
ガラス1枚挟んだ外の世界では、しとしとと小雨が降っている。電車はそうでもないけれど、駅はいつもより混むだろう。気圧もそうだが血圧もなかなか上がらず肩が重い。
ふと億劫なまま手に持っていた画面に、メッセージが届いたことを通知するポップアップが表示された。いつも話しかけに来てくれる男女グループからの、ごはんのお誘いだった。安いファストフード店の新作を食べに行くという話らしい。今日の放課後は紫陽花祭についてのミーティングがあるから、適当な謝罪とお断りの返事を打った。……私も食べたかったけれど、リリィブライドの子とでも行こうかな。せっかく友達になれた訳だし。
……でも。本当に、友達に、なれたと思っていいのかな。
「『ぐっど』な『もーにんぐ』なのじゃ!」
はづきとことのと初めて一緒にお昼ごはんを食べたあの日の朝、いちばん最初に私と声を交わしたのはりおだった。
「ずいぶんと『すりーぴぃ』な『ふぇいす』じゃな?ううんと、乙川の亜海と言ったかの……」
名前、それであってるよ、と言うと、安心したように口角をきゅっとあげた。
「私、眠そうに見えた?」
「わしが人一倍目覚めがいいからそう見えただけかもしれないのじゃ」
「そうなんだ」
……驚いた、とまでは言わないけれど、ほんの少しぎょっとした。仕事場もそうだけれど、学校だとか、外に出た時にはもう誰から見られても、いつも通りに見えるようスイッチを押しているつもりだった。けれどまさか出会って間もない子に、そんなことを言われるなんて。思わず目を見つめる。とても純粋な、茶色がかった黄色の瞳だ。
いつも元気なのね、と言うと、やや大げさに照れくさそうに後頭部をさするりお。見た目も仕草も、同い年とは思えないくらい幼く見えた。
今なら自然に言える気がする。私は息を軽く吸い込んで、彼女にお願いをした。
「ねえ、りおちゃん。私とお友達になってほしいの」
……自分でも、あほらしい、と思う。この歳になってまで言う言葉ではないような気がする。けれど、至って真面目だ。友達を作ること。それが、この企画に携わるプロデューサーとの契約の条件なのだから。
りおはすぐにピースサインを出して「『おっけー』なのじゃ、『べりーぐっど』な『ふれんど』として『ないすとぅーみーちゅー』なのじゃ!」と返してくれた。
丹菊りお。彼女はなんだか友人というよりも年下の妹のような、そんな感じのする女の子だ。そう思うのと同時に、プロデューサーの考えることはよくわからないままだった。どうして私に友達を作らせようとするのか。そしてそれが、どうして事務所の看板とも言える、イメージガールという大きな仕事につかせてもらえるほどの条件なのか。
「亜海は面白い『がーる』じゃの、朝からいろんな『ふぇいす』をしよる」
「え?」
「何を考えてるのかはわからんが、『まうす』がきゅっと前に出ていたのじゃ。『おくとぱす』の真似ならわしの方が上手いのじゃ!」
そう言って唇を前に突き出すりお。予想外の行動に、私は思わず声を出して笑ってしまった。
「……面白い人」
私ってそんなに愉快な顔をしているのだろうか。今まで言われたことがないことを連続で言われて、そうだ、彼女は他の子とは違う関係なのだとーーそう改めて思った。
私と、りおは、友達。
りおは私の顔を見てまた楽しそうに笑った。
昼休みには、はづきとことのに声をかけた。
りお以外のこの二人も、同じクラスで見ていたけれどとても仲が良さそうだった。私にも気さくに話しかけてくれた。だからきっとこれから友達になったとしても上手くやっていけると思った。
できるだけナチュラルに、会話の流れを崩さないように、驚かせないように意識しながら、お願いを口にした。
「私、二人とお友達になりたいなと思って。今までお友達を作ったことがなかったの。二人が嫌なら断ってくれていいんだけれど」
会話と動きがぴたりと止まり、数秒の後にはづきとことのは目を合わせてまばたきを送りあっている。しまった、やっぱり言い慣れていない言葉だから導入が変だっただろうか。
「ん……?もうとっくに友達だと思ってたよぉ?」
不思議そうなトーンでことのにそう返される。
……その刹那、感じたことのあるもやが脳をよぎるのを感じた。
「そうなの……?私はことのちゃんとはづきちゃんと、お友達だったってことでいいのかな」
じゅんわりと、舌に苦味が広がる。この展開に、デジャヴを覚えている。この感触は、彼女たちは私に、心を開いていない。
……とは言え出会いたてである。まだこれから過ごしているうちに、心を通わせてくれるかもしれない。それに私には、この子達との関係に将来がかかっている。そうあきらめてはいけない。
するすると浮かんだ負の言葉の連鎖を絶ち、心を強く持とうと唇を噛んだ。大丈夫、彼女たちは昔の子どもたちとは違う。
ふと窓の外を見ると、今朝も見た黒髪の細い束が視界に入った。……りおだ。黒板消しを景気よくばふばふと叩いている。
やがて窓越しの私に気づくと、黒板消しで遊んでいたことがバレて恥ずかしかったのか、ひとりで顔を赤らめ肩を揺らして笑い始めた。そして短く指を折り曲げてピースをする。私が笑って返すと、彼女はすたこらとどこかへ去っていってしまった。
「……そうよね、大丈夫。きっと上手くいく気がする」
ひとりごとを小さく漏らし、普段は食べないような冷凍グラタンを口に運んだ。カップの底に書かれた「大吉」の字を見ると、何故か先程フェードアウトしていったりおの顔が思い浮かび、声を押し殺して笑わずにはいられなくなった。




