8.独り寝
陽炎を見送った雛は、あらためて洞の中を見渡した。
奥にある寝床は雛がこの洞に連れてこられたときに寝かされていた場所で、たしかに枯草がじゅうぶんすぎるほどに敷き詰められていて、座り心地も寝心地も悪くはなかった。
けれど所詮は陽炎のための場所だ。陽炎が戻ってくれば当然そこで寝るわけだし、そうなると雛は追い出されるか一緒に寝るかしかない。そしてそれはできるだけ遠慮したかった。
そのためにはどうするか。
自分の寝床を作るしかない。
というわけで、どうせやることもないのだからと、まずは洞の中の片づけから始めることにした。
小石や木切れなどを洞の入り口付近に集めていく。
小石は外との境に。木切れは雨が降っても濡れないようにちょっとだけ奥に入った壁際へ。
苔は湿度の高い場所の目安になるかもしれないと、今は手をつけずにそのまま置いておいた。
ようやく作業を終えて洞全体を見渡す。
苔が生えておらず、雛の寝床を作るために必要な領域が確保できるのは、陽炎の寝床がある場所のすぐ横か、反対側の壁際だけだった。
雛はあきらめるようにため息をこぼした。
「離れた場所じゃ、また逃げようとしているとかなんとか言われそうだし、どうせ移動させられるなら最初から隣に作ったほうがいいわよね」
雛は両手に一つずつ小石をつかむと、自分用の寝床と定めた場所で横になった。
陽炎の寝床から半歩分ほど離れた場所にかかとの位置をあわせて横になる。仰向けの状態でまっすぐに伸ばした腕を頭の先へと持っていってそこに持っていた小石の一つを置いた。
今度は何度か左右に寝返りをうってみて、必要な幅を確かめると印代わりに残りの小石を置く。
この二つの小石を基点にして、さらに小石を並べていって四角い領域を形成する。
これが今の雛に合わせた寝床の広さだ。
あとはこの小石で囲った範囲内に枯草を敷き詰めれば完成となる。
「とりあえずはこんな感じかな。背が伸びて狭くなってきたら、そのときに広げればいいものね」
何気なく口にした内容に雛は唖然とした。
救いを求めるかのようにさまよった視線は、隅にまとめて置いていたココナッツを捉える。
ふらふらとそこに向かって足を進めた。
ココナッツを一つ手に取って抱えるようにして持つ。
中が空洞になっている細い枯茎もいくつか取ってきていたので、そのうちの一本も手にした。
葉を落として茎だけになっているそれを陽炎が開けていたココナッツの穴に差し込むと、反対側の突き出た茎をくわえてそのまま吸い込む。するとココナッツジュースがその茎の中をのぼって口の中に入ってきた。それをこくりと飲んで、また吸い上げる。
数回繰り返したところで、雛はすぐそばの陽炎の寝床へ腰をおろした。
もう一口。ココナッツジュースを飲み込んだところでため息を一つ。
(私これからどうなるんだろう?)
持っているココナッツを両腕で抱えこんで顔も伏せる。
目を閉じて体を小さく丸めた雛は久哉の姿を脳裏にえがいた。
赤子のころからずっと養ってくれている親のような存在。久哉。
養い親と言ってはいても、ほんとうに養ってもらっているだけの、実際は家族でもなんでもない赤の他人でしかない関係。
今の雛はもう、自分が欠片と引き換えに処分を押し付けられただけの存在でしかないことを知っている。禁忌の子というよりは、ただの厄介者。
久哉がなにも言わなくたって、村にいれば自然とそうした陰口は雛の耳に入ってくるものだ。
聞かされたのは母乳をわけてもらった最初の村で。意味がわかるようになったのはつい最近までいた村で暮らすようになってから。
所詮どちらの村人たちも、ミコや、ミコが連れている白髪のブキミな存在にはできるだけかかわらないようにしつつも、相手の醜聞だけは楽しげに話題にするという、そんな集団だった。
ゆっくりと体を起こした雛は目を開けて収穫してきたものを見つめた。
今までは久弥に養ってもらわなければ雛は生きていけなかった。
どちらの村も久哉がいたから置いてもらえたのだし、旅のあいだも久哉の補助があったから生きてこれたのだ。
雛ひとりでは食べられるものがどれかわからない。獣に襲われても対抗どころか逃げ切る手段すら無いに等しい。
けれどもしこのまま陽炎に食べられることなく生活していけるのだとしたらどうなるのだろう。
久哉は厄介払いができたと喜ぶのではないだろうか。
陽炎は逃がさないと言っている。
これまでのように久哉と旅を続けるのであれば、最悪陽炎を倒さなければいけないかもしれない。
だったらこのままこの洞を拠点にして、雛が生きていくために必要な食料を育てるなどして生活の場を整えていけばいいのではないだろうか。
(なんだかそれが正解のような気がしてきた)
雛はふうっと息を吐いて、ココナッツジュースを飲み干した。
そうしておもむろにココナッツを覆っている繊維をはがし始める。これを編めば縄や籠に敷物といったものを作ることができる。人である雛が暮らしていくために必要なものをいくつか揃えることができるのだ。
いくらかはがしたところで小指の爪ほどの大きさのきれいな石が出てきた。
それをつまんで明るい出入口のほうに向けてみる。もっとよく見ようと洞の際までいって射し込む陽射しにかざしてみた。
「きれーい」
小石は明るい場所で見るとわずかに表面を透けさせて輝くように光をとおしたのだ。
これは宝物にしよう。
さっそく雛ははがしたココナッツの繊維を編んで小さな袋を作ると、その中にさきほどの小石をいれた。失くさないように細い縄もつけて帯のあいだに挟み込んだ。
さすがに繊維が硬すぎてこの縄を首にかけると肌を傷つけてしまう。とりあえずは帯に挟んでおいて、またなにかいいものが見つかればそちらにあらためようと考えた。
「うん、いい感じ」
にっこりと微笑んだ雛は帯の上から小石をぽんと叩いた。
あとは地道に持ち帰ったココナッツの繊維をはがしていく作業に没頭した。
それが終わると今度は、とりあえず小指の半分ほどの太さの縄を編んでいく。
編んだ縄の一部は束ねて洗い物をする際の道具――タワシにする。食器用と衣類用の二つを用意した。
残りは収穫して果実を入れるための籠を編むことに使った。量が少なかったため小さい籠が一つしかできなかったので、また今度ココナッツを収穫してこなければならない。どの道雛の食料でもあるのでたまりこそすれ余ることはないだろう。
そうこうしているうちに陽も暮れてきた。
洞から出るなとは言われているが、ただ一つ許された場所がある。洞のすぐ近くに大きな葉で目隠しをした雛専用のそこは御不浄。洞の中で用を足すわけにはいかないので、平たい石を並べて専用の通路を作って、その上を歩いている限りは洞の中にいる扱いになっている。
視界が闇に染まる前に済ませて、雛は陽炎の寝床で横になる。陽炎が戻ってきて洞から出る許可をもらえなければ枯草を集められないからだ。見ていないから大丈夫ということはない。洞にいては手に入れることができないものがあれば、当然約束を破って外に出たという証拠になるからだ。
今しなければならないことは、逃げないということを陽炎にわかってもらうこと。
そう信じてもらうこと。
まずそれができなければ自由に動き回ることができない。
そうなれば今度は陽炎のお荷物になってしまうだろう。
それでは意味がないのだ。
こうして陽が沈んで夜になったとはいえ、雛自身がこれからどうしたいのか答えが出ていない以上、久哉を呼ぶわけにもいかない。
初めての独り寝に心細さを感じて、雛は手に入れたばかりの宝物の小石を帯の上から撫でる。いくぶん気持ちが落ち着いたところで目を閉じて眠りへと身をゆだねた。