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7.洞

 陽炎が言っていた『小さき獣たち』というのは、雛が考えていた手のひらサイズの小動物のたぐいだけではなく、陽炎から見て自分より体が小さい動物たちという意味だった。

 ある意味雛もその範疇に含まれるくらいに幅があったのだ。

 ただしそれが逆に役に立った。

 小動物が好む食べ物の中には灰汁の強いものも多く、茹でるなどの処理をおこなう道具が手元にない状態では雛は食べることができない。

 木の実といえば、一般的なものでは村の周囲でもよく見かけたヤシがある。背の高い樹木で、幹の先端部に葉が集まっている。果実もその先端部に密集して実るのだが、そのヤシにはいくつもの種類があった。

 たとえば小動物や鳥がよく食べているアブラヤシの実は、小振りでたくさんの実がなるヤシだが、油が強すぎて人がそのまま食すには向かなかったりする。どちらかといえば調味料としてその油を利用していた。

 けれどココヤシの実――ココナッツは雛の頭ほどの大きさがあり、果実が未熟であれば中の液状胚乳――ココナッツジュースを飲んだり、内側の白くて柔らかい固形胚乳を食べることもできるし、成熟して白い部分の胚乳が硬くなればそれを使ってココナッツミルクを作ることもできた。ただしかなり上のほうに実がなっているため簡単に採取することができないのが難点だった。

 しかしそこは陽炎が一仕事。陽炎の首の太さほどもある幹だが、爪で切りこみをいれたところへ助走をつけての体当たりでぽっきりと折れてしまったので、あとは一つ一つ実を切り離して持ち帰ろうとした。

 ここでも陽炎が活躍した。雛が一つ目の実をねじ取ろうとしていたところあまりにも時間がかかることにあきれた陽炎が、爪を使って実がなっている幹の先端部だけを切り離すと、次に邪魔な葉っぱをザクザクと切り落としていったのだ。こうすれば実がばらけることもなく陽炎の背にのせて運びやすくなった。

 そのうちの一つはさっそく陽炎の爪で穴をあけてもらってまずは中のココナッツジュースを飲み干し、ついで半分に割ってもらって白い固形胚乳も食べた。

 ほかにも皮をむくだけでそのまま食べられるイチジクやバナナの実が見つかったので、それらもいくつか収穫する。

 それらすべてを陽炎の背中にのせて、再び棲み処である古木の洞まで戻ってきた。

 さすがは妖怪。これだけの大荷物を背中にのせて運んでも、わずかな疲れすら感じさせることはなかった。

 この洞は陽炎の棲み処として動物たちに認識されているため、体が大きくて獰猛な獣ほど近づくことがない。だから雛にとっても安全なのだという。

 雛は食べ終わったココナッツの殻を持って近くの小川へと向かった。丁寧に洗って器として使うためだ。

 適当な形や大きさの小石や枝葉を使ってごしごしと洗いながら、雛はこの奇妙な状況について考えていた。

 最初はつかまったら即食べられてしまうのだと思っていた。どう見ても餌としか認識されていないのはわかっていたからだ。

 通常、村には妖怪などの侵入を防ぐ結界は張られていない。

 にもかかわらず妖怪たちは一気に村人を襲うようなことはしない。村に行って生け贄を連れてくる日時と場所を告げるだけで帰っていく。無作為に村を襲うのは、村人が生け贄を差しださなかった場合だけ。

 なぜ妖怪たちが揃ってそういう行動をとるのかはわからない。しかしそうであることが現実である以上それについてどうこういったところで時間の無駄だろう。

 レイたちの反応を見る限り、陽炎は一度村に来て生け贄を差しだすように告げていたと思われる。それを村人たちは、久哉の結界が張られているのをいいことに無視したのだろう。だからこそ陽炎の登場にあれほど怯えたに違いない。

 もっともこれは雛の想像でしかないが。

 雛は思考を切り替えるようにため息を一つ落とすと、洗い終わった殻に水を汲んでから、洞へ戻るために立ち上がった。踵を返したところで雛は目を丸くする。

 両手に持った汲んだばかりの水をこぼさないように気をつけながら、雛は小走りで移動した。

 向かった先は小川に来るときにくだってきた坂の上。

 そこに後足を曲げてしゃがむように腰をおろし、前足を体の前でまっすぐ揃えて、中型以下の四足の動物と同じような体勢で座っている陽炎がいた。

「陽炎、わざわざ迎えに来てくれたの? ありがとう」

 坂を上りきったところで雛は笑顔で礼を言った。

 棲み処の洞を見失うほどの距離ではないとはいえ、慣れない森で雛が迷子にならないように迎えに来てくれたのだと思ったのだ。

 しかし尻尾を軽く左右に振った陽炎は、一言「いや」と否定を返して腰をあげた。迎えに来たわけではないらしい。

 特に合図もなく雛と陽炎は自然な流れで洞へ向かって歩を進める。

「違うの? それじゃ私が襲われないように見張ってくれていたとか?」

「違う」

「じゃあどうして?」

「ヒナが逃げないように見張ってた」

「え?」

 雛が足を止めると、陽炎も立ち止まって雛を見返してきた。体の大きな陽炎は四足で立ってもまだわずかに雛より目線が上だ。見下ろしてくる朱い瞳が鋭く雛をとらえる。

「逃がさないと言っただろう」

「……そっか」

 楽しかった気分が一気に霧散して、雛は悲しくなった。

 雛は再び歩みを再開して、ぽつりとつぶやく。

「陽炎は正直だね」

「なにがだ?」

「嘘でも迎えに来たって言っておけばいいのに」

 逃がさないだなんていわれると、なんとなく恐怖が湧いてきて逆に逃げたくなってしまうものだ。

 そう伝えてみたのだが、妖をとりこんで言葉がなめらかになったとしても妖怪は妖怪でしかない陽炎にはそうした人の機微は理解できなかったようだ。

「空言を真に受けて現実を忘れてしまっては無駄に命を落とすだけだろう。食われたいというなら今すぐ食ってもいいし、逃げたくなるというなら逃げられないようにしてしまおうか?」

 どうすると聞かれて、雛は慌てて今のままがいいと叫んだ。

 陽炎は満足そうにうなずく。

「ヒナが逃げようとしない限りは、オレもヒナを食わないし傷つけない。予告なしでいきなりさらってきたから、村から持ってきたいものがあるというなら一度だけ連れて行ってやってもいい」

「村へ……」

 村と言われて、雛はレイに突き飛ばされたときのことを思いだした。すぐに首を振って無理やりかき消す。

 次に浮かんだのは久哉の顔だった。

「久哉に……、私の養い親に無事だって伝えたい。あと着替えを持ってきたい。いい?」

「ヒサヤというのは見かけが子供でヒナを探しに来ていたヤツのことか?」

「え、いつ?」

「オレが村でヒナの体を押さえていたときだ。そいつが来たから、オレはヒナを奪われないようにするために背中にのせてここまで運んできたんだ」

 久哉が助けに来てくれていた。

 それがわかっただけで、雛の目には嬉し涙が浮かんだ。

 折好く洞の手前まで戻ってきていたため、雛は陽炎の尻尾に促されるままにそばの倒木に腰かけた。

 ついでに両手に持ったままだった水の入ったココナッツの殻を、すぐ横に置く。

 体を起こして涙を拭こうとすれば、それより早く陽炎の舌がヒナの目尻にとどまったままの涙を舐めとった。そうやってヒナと目線が合うように体を屈めた状態のまま陽炎は問いかけた。

「そいつに会いたいのか? そいつ……ヒサヤだけでいいのか?」

 雛は「うん」と言ってうなずいた。

「あの村は久哉を留めておくためだけに私を養ってくれてただけだから、もう無理して村に残らなくてもいいって伝え……あ!」

「どうした?」

「久哉は私が陽炎に連れていかれたところを見たんだよね? だったらもう村にはいないかも……」

「その可能性はじゅうぶんあるな。だったらどうする?」

 村へ行くかどうか。

 再度問いかけられて、雛は考え込んだ。

 着替えは欲しい。けれど久哉がいないのならわざわざ会いたくもない村人たちの顔を見にいく必要もないだろう。それに妖怪に連れ去られた雛が生きているとは誰も想像すらしていないに違いない。ならば小屋に置いていたものはすでに処分されている可能性のほうが高い。

 そうしたことをつらつら口にしていると、陽炎が確かめるように聞き返してきた。

「着替えが欲しいんだな?」

「うん。あったら嬉しい。それはほんと」

 素直に答えれば、陽炎は一瞬だけ視線を逸らせてから再度朱い瞳に雛の真摯な顔を映した。

「オレがそばにいなくてもここから逃げたりしないか?」

「それって……」

「オレが留守のあいだにヒサヤが迎えに来たとしても、戻ってくるまでは絶対にこの洞から外に出ないって約束できるか? 約束できるならオレが独りで村に行ってヒナの着替えをもらってくるし、ヒサヤがまだ村にいればヒナがここにいると伝えてきてやる」

 雛は陽炎の首に飛びかかるようにして抱きついた。

「ありがとう陽炎! 私ちゃんと待ってる」

 嬉しそうにはしゃぐ雛を、陽炎の尻尾が落ち着かせるように撫でた。

 やがて。

「あ。でもそうすると陽炎が危ないんじゃ……」

「誰がオレを傷つけることができるというんだ? あの村でそれができそうなものといえばヒサヤくらいだろう?」

「村ではそうかもしれないけど……」

 ここに運ばれてくるまで雛は気を失っていたため、村からどのくらい離れているのか知らない。

 距離があればあるほど、ほかの妖怪や妖に出くわしてしまう機会が増すのではないかという不安が頭をもたげてしまう。

 眉を曇らせる雛の頭から背中にかけて、尻尾で何度も撫でながら陽炎は苦笑するように喉を鳴らした。

「大丈夫だ。オレはそんなに弱くはない。だからこの洞から出ない限りはヒナにも危険が及ぶことはない」

 かじりつくようにして陽炎の首に顔をうずめていた雛は、やがてゆっくりと顔をあげて腕を解いた。

「わかった」

 一言そう答えた雛は、倒木の上に置いていた水の入った殻を手にして洞の中へと入って行った。

「ねえ陽炎。どの辺にいればいいの?」

 洞は村にあった小屋よりも広い。きょろきょろと周囲を見回す雛に陽炎は、とりあえず奥に枯草を集めて作った寝床を指し示した。

「洞から外に出なければどこでも構わないが、オレの寝床にいればオレのにおいがより強く残っているし、ひ弱なヒナの体も守ってくれるだろうから、そこにいればいい」

 たしかに小石や枝葉が転がる土や苔の上に直に腰をおろすのは、できるだけ避けたいところだ。

 どのくらいで戻ってこれるのかわからない。念のため持ち帰ったココナッツをすべて幹から切り離して穴をあけておいてもらった。

 最後にもう一度尻尾で雛の背中を撫でた陽炎は、独りで村へと向かったのだった。


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