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6.妖怪の背

 妖怪の背にのせられた雛は気を失っているあいだにどこかへ運ばれていた。

 目覚めたときには見知らぬ洞穴の中だった。巨大な古木の洞だ。もっとも雛がそのことを知ったのは、陽が昇って木漏れ日があたりを照らすようになってからだが。

 それでも白み始めた朝の気配の中にあれば徐々に状況を把握できるようになってくる。

 緑葉に樹木、苔に土。雑多なにおいが混じったそこは奥深い山中と思われた。

 久哉との二人旅でさえ道を逸れることはめったになかったし、逸れたとしてもせいぜい遠目に道を確認できる範囲。

 そんな雛がいきなりこんなに深いところに連れてこられたものだから、あまりにも濃密に森のにおいを含んだ空気にはすぐには慣れることができず、それどころか息苦しさを覚えて咳き込むほどだった。

 ようやく呼吸を取り戻して周囲に気を配ることができるようになった雛は、そこでまた呼吸困難におちいりそうになった。

 なぜなら掛け布団のように雛の上に掛けられていたのは、雛をここまでさらってきた妖怪の尻尾だったからだ。驚いて周囲に飛ばした視線はすぐに、面白そうに雛を見つめている妖怪の瞳を捉える。

 地に伏せて、前足を交差させた上に顎をのせた状態で細長い鼻先を雛へと向けている。鼻は雛が手をのばせば簡単に触れることができそうなほどすぐ近くにあった。

 言葉もなく妖怪を見つめる雛。

 その反応に妖怪はいっそう楽しそうに朱い目を細めて喉を鳴らした。

「おまえはなんとも脆弱でおもしろい存在なのだろうな」

 なんという物言いだろう。

 思わずむっとした雛は、けれどそこでハタと気づいた。

「言葉が……」

 妖怪が人の言葉を操れないわけではない。ただこんな風になめらかに喋れるのは妖だけだと思われていたからだ。

 実際雛も妖と妖怪の違いの一つとしてそう教わっていた。

 なめらかに喋れるのは妖で、片言しか喋られないのが妖怪。そう定義されていた。これまでは。

 四足に尻尾。獣によく似た外見をしていながら、風の力を借りずともゆらゆらと揺らめく黒い体毛を持つその存在はどう見ても妖怪。

 それなのにと雛は目を丸くして目の前の黒い存在を見つめた。

 そんな雛を見つめながら妖怪はさらに口角を持ち上げた。

「死にかけていたヤツを食ったらこうなった」

 どうやらその『ヤツ』というのが妖だったのだろう。

 けれど。

「妖って食べられたの?」

 妖という存在と食べるという行為が雛にはどうしても結びつけられなかった。

「試してみたら食えた」

「じゃあ……なぜ私を食べなかったの?」

 これから食べるつもりだったのかもしれないが、雛が意識を失っているあいだに実行していたほうが食べやすかったはずだ。もしくは息の根を止めていれば監視をしていなくとも逃げられることもない。

 なのになぜだと問えば、おもしろかったからと妖怪が答えた。

「他のヤツは喚き散らしてうるさいし、暴れて殴ってきたり蹴ったりしてくる。でもおまえはそんなことをしなくておとなしかった」

 雛はぽかんとした。

「……私だって食べられようとしていたら、悲鳴をあげながら必死で逃げようとして暴れていたわよ?」

 一度でも牙や爪をたてられていれば、雛だって恐慌をきたして同じような行動をしていたはずだ。ただレイや村人たちから受けた仕打ちに打ちひしがれていて反応がやや鈍っていただけにすぎない。

「そうなのか?」

「ええ」

「じゃあおまえは食べないことにする」

 それはどういう意味なのだろう。

「逃がしてくれるの?」

 そっとうかがうように小声で訊ねる。

「いや、食べないだけだ。逃がさない」

「どうして?」

「こうやって話ができるのはおまえだけだからだ」

 たしかにそうかもしれない。

 最初にこの妖怪を見つけたのはレイだった。しかし彼女は確実に栽培場の――さらにいえば久哉が張った結界の内側にいたにもかかわらず、あれほどまでに硬直していたのだ。ほかのものだとて妖怪に出くわした際の反応は似たようなものだろう。一瞬硬直し、それから悲鳴をあげて逃げる。ただそれだけ。

「寂しいの?」

「サビシイ?」

 仲間がいなくて寂しいのかと思えば、妖怪にはそういう感情がないようだ。意味が通じなかった。

 仲間がいなくて心細いとかいった心情だといえば、あっさりとそういうことを思ったことがないと返ってきたから。

 獣によく似た姿をしていながら群れることはないという。

 妖怪とはそういうものなのかもしれない。

 聞けば名前という概念すらなかった。たしかに群れなければ個体を識別する必要はないのだからあたりまえのことだったのかもしれない。

 けれど雛としては呼びかける名前があったほうが便利だった。

 いつまでも一緒にいるわけではないが、身の危険がないのであれば少しくらいは共にいて、ついでに妖怪について教わろうと思った。

「じゃあこれからあなたのことを『陽炎かげろう』と呼ぶわ」

 ゆらりゆらりと陽炎のように揺れる妖怪の体毛。その形象からつけた名前だ。

「私の名前は雛。今度からおまえじゃなくて雛と呼んでね」

「ヒナ」

 素直に呼ばれた名前。

 それがうれしくて自然と微笑めば、陽炎は尻尾で雛を撫でた。

 ほっと息を吐きだした雛は直後に鳴いた腹の虫に顔を赤らめた。

「ねえ陽炎。人……というか、私が食べても大丈夫な木の実はこのあたりにあるかな?」

 雛は昨日の昼食を食べたっきり。夕食前に陽炎にさらわれてしまったのだから空腹を覚えても当然だった。

「この先に小さき獣たちが食べている実がある」

 そういって陽炎はいったん起こした体を伏せて、雛に背に乗るように促した。

 恐る恐る雛は陽炎の背中をまたぐようにして座った。

 陽炎が立ち上がると、雛はそれだけでバランスを崩して落ちそうになる。

 それを支えたのは陽炎の尻尾だった。

「ヒナ、膝でオレの胴をはさむようにして体を固定しろ。それから体も前に倒して腕をオレの首に回すようにしてつかまるんだ」

「え、いいの?」

 妖怪の急所ともいえる核は人や動物とは異なる場所にある。

 けれど首は細いという意味でも、頭と体をつなぐものだという意味でもおいそれと他人に触れさせていい場所ではない。

 核が傷つかなければ即座に絶命したりはしないとはいえ、首を刎ねられたり胴を両断されたりして動けなくなれば、妖怪といえども迎えるものは死のみだ。

 陽炎が食べたという妖も、『死にかけ』と表現されていたということはそうした状態にあった可能性が高い。

 けれど陽炎はあっさりとかまわないと答えた。

「ヒナはオレの首を傷つけるようなことはしないだろう?」

 たしかに雛の非力で小さな手では妖怪の体にかすり傷ひとつつけることは難しいだろう。もちろん久哉に教わった呪を使えばできなくはないだろうが、それを試そうとは思わない。というよりも今の今までそのことを忘れていたほどだ。

「しないし、できないよ」

「だからかまわない。落ちないようにしっかりとつかまればいい」

 そこまで言うのならと、雛は陽炎の背に負ぶさるようにして首に腕を回してしっかりとしがみついた。

「これでいい? 苦しくない?」

「大丈夫だ。行くぞ」

 くつりと喉を鳴らす陽炎は楽しそうに笑っているように見えた。妖怪も笑えるのかと内心で驚きながら、雛は振り落されないように走り始めた陽炎に身を預けた。


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