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5.約

 青く晴れ渡った空を久哉はぼんやりと眺めていた。

 ここは村の入口のすぐそばにある巨木の上だ。

 下から見上げても枝葉が邪魔をして久哉の姿は見えない。

 ミコである久哉は、雛とは違って村の仕事を手伝うこともない。食事も部屋で独りでとっている。

 そのことを雛に告げたときはいっしょに部屋で食事をするといっていたが、大部屋で村の子供たちと一緒に食べるようにと久哉が諭したのだ。

 雛だけをこの村に置いていったところで受け入れられはしないとわかっている。雛は久哉をこの村に留めるための錨だとしか思われていないからだ。

 けれどいつか人の中に戻る機会を得られるかもしれない。

 その時のために雛は人の世界の暮らしに慣れていたほうがいいのだ。

 久哉と違って雛は髪が白いだけ。瞳の色がほかのものより赤みがかっているだけ。ただの突然変異であって、決して禁忌の子供ではないからだ。髪の色以外は普通の人の子。

 その雛もこの村に滞在している数年のあいだに童女から少女へと成長した。

 そろそろこの村も潮時かもしれない。嫌な気配が漂い始めている。結局久哉と一緒では雛はどこかに定住することは無理だろう。数年がせいぜい。

 今度からは旅の途中から髪を染めさせてみようか。

 雛がそんなことを考えていたことを久哉も気づいていた。

 最初から染めていればあからさまに避けられることはないだろう。年をとれば皆、髪は白くなるものだ。

 そんなことを考えながら、久哉はいつもどおり守りの結界に力を注いでいた。

 守りの力が使えるのは太陽が出ている昼の間だけ。その間力を注ぎ続けて夜のために蓄積するのだ。自分の周囲だけに一時的に結界を張るだけであれば夜でも可能だが、これだけの大規模なものはやはり昼の神子の力でなくては不可能だった。

 この村に滞在する条件は、村が妖怪に襲われないようにすること。

 知らない者にとっては久哉はなにもしていないように見えるだろう。けれど久哉はこうして毎日力を使って村を守っていた。

 欠片による約定とは違うが、それでも約は約。この村が雛を養っているあいだは違えるつもりはない。

(さてそろそろ収穫を終えて戻ってくるころか)

 村にざわめきが戻り始めている。

 久哉はゆっくりと立ち上がって村の中央へと目をやった。そこでは食事の支度をするために先に戻ってきた女性たちがてきぱきと働いていた。

 あまり己の姿を他人にさらすことを好まない久哉はそろそろ小屋に戻ろうかと考える。どちらにしろ村人たちもできるだけ久哉から目を逸らそうとするので、こうしたごたごたに紛れて移動するのが一番目につきにくいということは経験から学んでいた。

 慣れた足取りで巨木からおりて、久哉はいつものように小屋へと戻る。

 小屋の中で久哉は出入口がある壁の右側、外からは見えにくい奥まった場所に腰をおろして壁にもたれる。食事は扉代わりに掛けられている布を軽く右に除けて、その隙間から小屋の中に差し入れてそのままそこに置いていくだけなので、それだけであれば久哉の姿は訪問者からは見えない。そんな場所が定位置だった。

 食事は村長が持ってくることがほとんどなのでそこまで気を遣う必要はないのだが、気を遣うというより久哉が面倒事を避けた結果だといえる。顔をあわせれば自然挨拶をということになる。それがわずらわしかっただけともいえた。

 今日もそうやって久哉が定位置の壁にもたれて目を閉じていると、にわかに外が騒がしくなってきた。

 収穫してきた実綿を運んできただけにしては騒々しすぎる。

 最初はいつもどおり順にひきあげてきている様子が手に取るようにわかるほど順調だったのに、突然のこのざわめきはどうしたことか。

 久哉は薄目を開けて、けれどなにもせずにそのまま閉じた。

 ミコである久哉にできることなどなにもないからだ。

 しかしざわめきはいっこうに治まりをみせず、逆に高まる一方だ。そしてついにそれは久哉のもとにまで波及した。

 食事の時間でもないのに小屋に人が近づいてきたかと思えば、乱暴な足音を立てて階段を駆け上がった人物は、扉布を跳ね上げるようにして小屋の中に転がり込んできた。

「ミコさま! ミコさま大変です。ヒナ殿が妖怪に襲われました!」

 村長だった。外へと続く右腕の先には誰かの腕をつかんでいる。その腕を辿るように視線をずらせば、そこにはいつも雛と一緒にいる村長の娘、レイがいた。

 レイは生気のない顔で父親である村長に腕を引かれるままにふらふらと足を運んでいる。

 立ち上がった久哉がレイに視線を向けると、それに気づいた彼女は急に顔面を蒼白にして怯えたように震えだした。

 娘のそんな態度をいぶかしんだ村長が小首をかしげる。

「どうした。ほらミコさまにも説明しなさい」

 村長はレイの背を押してミコの御前へと促す。しかしレイの足は重かった。

 久哉としては状況さえわかればいいので、軽く手をあげて村長にそのままでいいと伝えた。

「それで雛が襲われたというのはどこでですか?」

 結局声を出すこともできないレイの代わりに村長がその問いに答えた。

「栽培場と森の境で、ワタを収穫した籠を回収しているところを襲いかかられたそうです。そうだな」

 最後はレイに顔を向けて確認した。

 小さくうなずいたレイに、村長もうなずき返して久哉へと視線を戻した。

「それはどのような妖怪でしたか?」

 雛が自分から結界を出るはずがないと、久哉は知っている。それなのに襲われたというのはどう考えてもおかしい。

 もしやあの結界を超えることができる妖怪でもいたのだろうか。

 そんなふうに考えていれば、人よりも二回りも大きくて真っ黒な四足の妖怪だということだった。

 久哉はもう一度確認する。

「ほんとうに雛は栽培場内に置いてあった籠を回収中に襲われたのですね」

「そうです」

 俯いて震えながらかすかな声でそれだけを答えたレイ。

 それ以上は久哉は彼女にかかわることをやめた。

「これからそこへ行ってみます。具体的にどのあたりでしょう?」

 ほかの村人からも話を聞いていたらしい村長が、こちらから向かって右奥の栽培場と森の境で、まだ籠が残っているのが目印だということだった。

 久哉はそれに首肯して了承の意を返した。

「では」

 久哉が歩き始めると、レイはこれまでと違って飛び退くようにして道をあけた。

 それを一瞥するも、久哉は表情を一切変えずに終始無表情のまま小屋をあとにした。

 外にいた村人たちは小屋のほうを注目していたようだが、久哉が姿を見せたとたんに視線を逸らせてそれぞれの作業を再開した。

 村長だけが久哉について来ようとしたが、それを断って独りで向かった。万が一まだ妖怪がそこにいたときは足手まといにしかならないからだ。

 慌てることもなく久哉はいつもの調子で歩いた。下手に心配するそぶりを見せるとかえって雛を久哉の弱点として扱おうとするものが出てくるからだ。

 自身の管轄内であることは事実なので面倒を見ることはしても、切り捨てるときは切り捨てる。そういう姿勢は示しておかないと、この村がミコを手中に収めていると慢心するようになってはあとあと面倒なことになるからだ。

 雛はただの養い子。

 それに陽が沈むまでにはあとわずかに時間がある。

 急いで駆けつけたところで、いざ妖怪に対峙したときに陰の力を使えないままでは助け出すこともできない。

 一見雛を見殺しにしているように思われるかもしれないが、助けられない以上同じこと。

 それならばここはゆっくり歩いて時間を稼ぎながら日没を待ち、それから相手のすきを突くほうがまだましだった。

 ワタの栽培場は村の居住区から少し離れた場所にあるため、久哉がそこにたどりついたころにはちょうど陽が暮れようとしていた。落陽に染まる空をちらりと見てから、奥へと視線をめぐらせる。

 森との境に視線が届いたのは、雛の体が宙に放り投げられるようにして四足の妖怪に背負われたところだった。

 すぐに妖怪は走り去った。雛を背にのせて。

 久哉は剣呑に細めた眼でそのわずかな時間の出来事を見ていた。

 妖怪と雛の姿はすぐに見えなくなった。

 しかし周囲は依然として禍禍とした得体のしれない気――禍気が充満している。それはむしろ濃度を増していた。なぜならその禍気を発しているのは妖怪ではなく久哉だからだ。

 止めていた足を動かして、久哉はさきほどまで雛がいた場所へと向かう。そしてそのわずか手前で足をとめた。

 そこには久哉が結界を築く基礎とするために設置した石があった。

 雛と妖怪がいたのはそこから大人二人分ほど先。

 この結界は妖怪や妖、そして肉食の獣などといった村に危害を加える可能性があるものを排除するためのものだ。つまりは人は自由に出入りできる。

 そうでなければ結界の外に落としてしまった収穫物や道具などを拾うことができなくなるからだ。

 けれどそれがあだとなったようだ。

 村人たちはあろうことか身を守るための結界を越えて栽培場を広げていたのだ。

 久哉がここにきたのは石を設置した日のみ。

 雛は何度か種付けや収穫でここに来ているが、これまでなにも言ってこなかったことから知らなかったと判断できる。

 他のことはその日その日にあったことを報告していたのだから、自分の身にも降りかかってくる恐れがあることを秘密にしているとは思えない。

 きっとこの場所のことを知っている村人に籠をとってきてほしいと頼まれたのだろう。これまでもそういったことは何度もあったと聞いている。

 ため息を一つ吐き出して、久哉は妖怪がいた場所へと足を向けた。

 収穫した実綿を入れた籠が転がっているここで襲われたということか。

 地面の様子を見ていた久哉は、妙なことに気づいた。

 少なくとも結界の中に妖怪が入ってきていないことはこれで確認できた。だが外に出てしまった雛を妖怪が襲ったというのなら、籠は村側へ飛ばされるのではないだろうか。

 どう見てもここに残された籠と実綿は内から外へと弾かれたように散らばっている。

(贄にされたか)

 おそらく妖怪の気を自分から逸らして逃げるために、籠を取ろうとしていた雛をレイが突き飛ばしたといったところだろう。

 それであれば先ほどのレイの態度もうなずける。

「愚かなことを」

 静やかに囁かれた久哉の声は薄ら寒いものをはらんでいた。

 踵を返した久哉は一番近くにある結界石に近づいた。

 その場に片膝をついた久哉は石に片手をのばす。

 内側に折り曲げた中指を親指で押さえ、その状態で中指をのばそうとする。親指でおさえきれなくなったところで中指は勢いよく飛び出して石を弾いた。

 石は簡単にひび割れた。

 そこから一気に風が走る。もとは結界だった力が風となって結びを解き、随所に設置されていた石を壊していく。結界を感じられない人には気づかれないままに、村全体を覆っていた結界は陽が沈みきらないうちに風となって霧散した。

「約をたがえたものには報いを」

 転がった籠を持ち上げると、久哉はこぼれ落ちた実綿を拾って集める。

 台車には見向きもしないでその籠だけを腕に抱えると、久哉は数年を過ごした村をあとにした。


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