4.捨て石
村に戻った久哉と雛は、すぐに村長のところへと案内された。
欠片はすぐに久哉の手に渡された。
これで用事は済んだ。だから二人はすぐさま旅立とうとしたのだが、慌てて村長に引き留められたのだった。
「雛殿はまだまだ成長期で栄養のある食事が必要でしょう。遊び相手としてちょうど良い、同じような年頃の娘たちもおりますし、もうしばらくはこの村に留まられてはいかがでしょう」
村長の言葉を聞いて、雛はこの村に置いていかれるのかと不安になった。
どう考えても久哉の足手まといになっていることはたしかだからだ。
けれどこれは、また妖怪が襲ってくるかもしれないという恐れから、ミコである久哉に留まってもらうための詭弁だった。
欠片はもうない。しかし雛の幼さを理由に村に留まらせておけば、いざというときには村も守ってもらえるだろうという下心。
久哉は見かけは子供でもそれなりの時を生きてきているため、そうした言葉の裏には気づいていた。とはいえ雛が成長期で栄養が不足がちなことも事実だったので、ちろりと雛を一瞥しただけで小さくうなずいた。
「そうですね。そうしてもらえるとこちらも助かります」
そこでいったん間をおいて、けれどと続けた。
「ほんとうによろしいのですか?」
ミコたる久哉。そして白髪の雛。どちらも素直に村人たちが受け入れるとは思えない。
けれどそれに関してはすでに、久哉たちが妖怪退治をしている間に、村人全員で話し合いがなされていたようだ。
「そのことでしたらご安心ください。あなたがたは村の恩人です。村をあげて歓迎いたします」
とりあえず今まで使っていた小屋をそのまま雛と久哉が使うことになった。
食事はこれまでは二人分小屋に運ばれていたが、これからは雛だけ村のものたちと一緒に取ることになった。
最初の言葉どおり、雛と同じくらいの年齢の童女たちが多くいる大部屋の中に同席する形となる。
その日から雛は新たな生活が始まった。
もともと赤子のころから他人の村で育ててもらっていた雛は、すぐに慣れた。人にではなく、その境遇にだったが。
口ではどうこういっても村人たちはやはり怯えを隠しきれないようだ。だが雛はそれに気づかぬふりで日々をやり過ごした。
仮に髪を赤茶けた色に染めたところで、すでにもともとの色は白だと知れ渡っている。多少の違いはあるかもしれないが、解決には至らない。すでに布で髪全体を覆って隠してみたこともあったが、変化はなかった。そうした経験から髪を染めることも無意味なことだと気づいている。
だから雛はそのままの姿で存在した。髪を隠さず、そして染めもせずに。
それに怯えているからといっても邪険にするわけではないので、必要な事はちゃんと声をかけてもらえた。
だから村の仕事ももちろん他の子供たちと同じだけ手伝っていた。
一定以上の距離はあけられているものの、もともとよそ者なのだからと考えれば不思議ではない距離感だともいえた。
「ヒナー、ワタ摘みに行くよー」
「はーい」
いつも率先して声をかけてくれるのは村長の娘――レイで、雛よりもわずかに年上の少女だ。雛と背丈はほぼ同じだが、レイのほうがややぽっちゃりしている。赤茶けた髪はやや濃いめで、背の半ばほどの長さの髪を後ろでまとめて三つ編みにしてある。この村の女性の一般的な髪型だ。雛もそれを真似て小屋の外に出るときは三つ編みにしている。雛のほうは腰を過ぎたくらいの長さがあったが、要は髪が作業の邪魔にならなければいいだけなので、編むのは首から背中あたりまでだったが。
レイは村長である父親から頼まれているのだろう。
雛は、久哉を村に留めておくための錨。だからこそ村をあげて受け入れているのだし、逃げられないように見張られてもいた。小屋にいるあいだも周囲に見張りが立っていたし、外に出るときはこうして誰かが声をかけてくる。食事に誘われたり、手伝いに誘われたりと、いかにも村人として扱っていると見せかけて決して目をはなすようなことはなかった。
だからといってあからさまに監視しているといったふうではない。
食事に誘うのは気兼ねしないようにという気遣いともいえるし、手伝いに誘うのも同様。
いじめられたり無視されたりすれば苦痛だろうが、受け取り方次第で善意にも悪意にも取れるあいまいな扱いは、なにも雛だけのことではないので被害は無いに等しい。
不必要に近づきさえしなければ、村人たちは普通の人と同じように接してくれる。ご飯もきちんと食べさせてもらえる。特に虐げられているわけではなく、手伝いもほかの村の子供たちと同じ仕事内容なのだから、これで文句をつけたところでただのわがままとしか思われないだろう。
それほどの待遇だった。
雛は足早にレイのあとを追う。表面上は至れり尽くせりの対応を受けているからこそ、せめて足手まといにはならないようにと。
向かった先は集落からわずかに離れた場所に作られたワタの栽培場。
ワタとは繊維作物でほとんどの村で栽培されている。高さは人の腰あたりで、葉は手のひら状。卵形の果実が褐色に熟すと裂開して多数の種子に生じた白く長い毛が露出する。これを実綿と呼び、雛たちが今から摘み取るものがこれだ。実が弾けてしっかりと白い毛――綿花が吹き出しているものを、ごみをよけながら収穫していく。摘み取った実綿は、あとで綿花と種子――綿実とにわけて利用する。
こうした作業もすでに何度目か。
実綿摘み――この村ではワタ摘みと呼んでいる――の手伝いは毎年のことなので、もはやなにを言われなくても雛は慣れた手つきで作業を進めていく。
この収穫した綿花を精製して木綿綿にし、一部は布団や衣類の中に入れて冬に備える。残りの綿花は紡いで木綿糸にしてから布を織り、村人たちが身につけるトーブやパンツなどの衣類が作られていく。
雨が降らないうちにと村人総出でワタ摘みをおこなうので、すべてを収穫し終えるのも早い。もちろんまだ時期尚早な実は後日あらためて収穫することになるが、ほとんどの実綿は初日に集中して摘み取ることになる。
雛は雑にならないように気をつけながらも、ひとつでも多く摘もうと努めた。
作業は日暮れ前に終わった。
一部の村人は食事の用意をするために、先に村へと帰っていく。残りの者たちで収穫した実綿を運搬用の大籠にまとめていった。
「ヒナ、そっちの奥に収穫済みのワタが入った籠がまだ残っているはずだから取ってきてくれる?」
「はい、わかりました」
摘み取った実綿でいっぱいになった大籠がのっている荷車から順に村へと引いていく。これは力のある男性がおこなうので、子供たちはところどころに置いてある籠を回収に走る。
最初は複数個の空の籠を重ねて持ち、籠がいっぱいになればその場に置いて次の籠へと収穫した実綿を入れていく。そして村へひきあげる前にこうやっていっきにそれを回収していった。
その籠が栽培場の奥――森との境付近にも残っているということで、雛は小さな台車を押しながら走って取りに行った。隣の通路を見ればレイが同じ台車を押しながら走っている。一つ二つならじゅうぶん手に持って運べるが、それ以上となると何度もこの距離を往復しなければならない。しかし狭い通路に合わせて作られたこの小型の台車さえあれば、一度に複数の籠を運ぶことができた。
四分の三ほどの距離まではすでに回収を終えたようで籠は残っていなかった。そのあたりを過ぎてからぽつぽつと置かれている籠を拾っては台車にのせていく。
最後の籠を拾おうと手をかけた雛の耳に、かすかにもれ出たようないびつな声が届いた。
「え?」
なにごとかと顔をあげた雛が、レイを見る。彼女は顔をひきつらせて震えていた。あの声はレイの悲鳴だったようだ。
いったいどうしたことかとレイの視線を辿るようにして首をめぐらせた雛は、森の中からこちらを見つめている妖怪を見つけた。
四足の妖怪はがっしりとした四肢を持ち、大人の男性よりもさらに二回りは大きい体をしていた。風もないのに、真っ黒い体毛がゆらゆらと不自然にうごめいている。また雛たちを獲物とみなしているであろうその瞳は炎のように朱く揺らめいていた。
「妖怪……」
雛はぽつりとつぶやいた。
この栽培場から出ない限りは襲われないと久哉に聞いていた雛は、とりあえず手にかけていた籠を持ち上げて台車にのせた。
体を起こしてレイのほうを見ると、完全に動けなくなっているようだ。
雛のほうは全部台車にのせ終わったが、レイのところはまだ二つ残っていた。
レイに気づかれないように内心でそっとため息をついた雛は、ワタの木と木の間を突き抜けるようにして畝を横切って足元の籠を一つ拾うと、レイが押している台車にのせた。もう一つは畝の際――栽培場と森の境にある。
その籠のところへ行くということは、妖怪に近づくということでもある。久哉を信じている雛だったが、だからといって妖怪に近づいていくことに恐怖を感じないわけではない。
唾を飲み込んで、ギュッと拳を握ると、雛は意を決して一歩踏み出した。
ようやく籠のところまでたどり着いた雛は腰をかがめて手をのばす。
そのとき駆けてくる足音が聞こえて、雛はそのままの体勢で後ろを振り返った。
足音の主はレイだった。
ようやく自分の仕事を思い出して手伝ってくれる気になったのかと思った。しかしついでだからこのまま籠を持ち上げようとした雛は、腰を突き飛ばすように押されて前につんのめる。
なにが起こったのか。すぐには理解できなかった。
地面に倒れ込んだままぼんやりと顔をあげた雛が後ろを振り返ると、背を向けて逃げるように走り去っていくレイを視界にとらえた。すぐに見えなくなったその姿は、けれど雛の脳裏に刻まれた。
静かに視線を落としてうなだれるように地面を見つめる。とりあえず体を起こそうとするも、悔しさから無意識に手を突いた場所の土をつかんで握りしめていた。
結局雛は捨て駒だったのだろう。こんな風に危険な場所への使いはこれまでも何度もあったことだ。きっと最初からこうするために飼われていた。
にじみそうになる視界。それをぎゅっと目を瞑って抑えこむと、ゆっくりと体を起こそうとした。
だが突然背中を勢いよく押さえつけられて、雛は一瞬息が詰まる。
「ん、……くっ」
重いものを背中にのせられているかのような感覚。数度咳き込んで多少呼吸を整えた雛は自身の状況を把握しようとした。
雛の周囲に不自然な影ができていることはすぐにわかった。さらに顔をあげながら周囲に視線をめぐらせれば、そこには先ほどの妖怪の後足と尻尾があった。どうやら雛の背中にのっている重いものとは、妖怪の前足だったようだ。
(え……!?)
レイから受けた仕打ちに思考が囚われていて、雛は現状を忘れてしまっていた。妖怪という命を脅かす存在が目の前にいたにもかかわらず。
雛は慌てて後方へと視線を向ける。
体は完全に栽培場からはみ出していた。
(あそこまで逃げ込まなきゃ)
前足で簡単に押さえこまれていたが、それでもどうにかして久哉が築いた結界の中へと逃げ込もうとした。
(あそこまで)
そんな風に自身に言い聞かせながらよりどころとするように栽培場の角へと目を向けた雛は、ハッとして目を瞠った。
(え!? どうしてっ)
そこにあるはずの石が見あたらない。
石は結界を張るための点だと久哉は言っていた。点となる石と石を繋ぐようにして村を覆っているのだと。
けれどその石がいくら探しても見あたらない。
一瞬久哉が嘘をついていたのかと疑った。しかしこれまでも、妖怪には出くわさなかったものの狂暴な獣は何度も村までやってきており、そのつど結界に助けられてきた経験が雛にはあった。だからそれはありえないとすぐさま否定した。
そもそも久哉が雛を騙す必要性はない。
雛のことが邪魔になったならどこにでも置き去りにして一人で旅に出ればいいだけのこと。わざわざ妖怪がやってきて雛を襲うまで待つ必要はないのだ。
だからこそ久哉は嘘は言っていないと思うし、信じたいと思った。
それならばと他の理由を考えて、けれども同時に村人がなにかした以外には理由などないだろうことにも気づいた。
雛は思わずため息をこぼした。
あらためて栽培場へ視線を向けて、そこで遅ればせながら栽培場が幾分広くなっていることに気づく。
ようするに村人たちはいつのまにか久哉が施した結界を越えるようにしてワタの栽培場を広げていたのだ。このぶんではほかの畑や家畜の放牧地もこっそりと広げている可能性がある。
村の居住区だけは久哉の目に触れやすい場所なので手を加えていないとは思うが、それすらも怪しいかもしれない。
実際のところ久哉は小屋の中にいるか、村の入口となっている門のすぐそばに生えている巨木の上にいることがほとんどで、雛と違って手伝いなどはしていない。さすがにミコを働かせることを村人が忌避したからだ。あとでなにをされるかわからないという意識が強かったのだろう。
その点雛は最初から村の子供と同じように扱うと宣言したうえでの逗留だったので、手伝いもしっかりとさせられていた。雛が文句を言ったり、手を抜いたりしないとわかってからは、なおさらほかの子がやりたがらない仕事を押し付けられたりもしていた。
けれどこれはさすがにひどいだろう、と雛は思う。
広げたければ久哉に一言相談すればよかったのだ。そうすればそれに合わせて結界を広げてもらえたはずだし、結界の外に出さえしなければこんな風に雛を犠牲にしなくともじゅうぶん身の安全は確保されていたのだから。
(泣くな)
自身に言い聞かせて雛は目を閉じる。
幸い呼吸ができなくなるほどではない。捕らえられた最初だけは息が詰まるほどだったが、雛が暴れなかったからか、今は地面に縫い付けようとするほどには押さえつけは強くない。
妖怪にとってはただのお遊びなのだろう。
押さえつける力を弱めてもいっかな逃げられない雛をどう思っているのか。
獲物と思っていることは最初に見た瞳で知っている。
しかし捕らえてすぐに牙をたてるのかと思えば未だその様子はない。
そろりと目を開けた雛はゆっくりと妖怪を仰ぎ見ようとした。そしてぱちくりとまばたきをする。ちょうど雛の顔を覗き込もうとしていた妖怪とばっちり目があってしまったのだ。
もう一度まばたきをする。あえてゆっくりと。
けれど。
目を開けた先には、さきほどよりも近づいている妖怪の瞳が見えただけだった。
どう見ても幻覚ではないようだ。その証拠に、妖怪の細長い鼻先が、ほつれた雛の白い髪を梳くようにもてあそび始めた感覚がしっかりと伝わってくる。
妖怪にとってもこの髪の色はめずらしいということか。
ときおりにおいをかいでいるのは、雛を食べることができるかどうか調べているのだろうか。
雛が初めて妖怪を見たのは、この村に生け贄を要求していた沼の妖怪だけ。あのときは駕籠ごと飲み込まれたので怪我はなかったが、今度はそういうわけにはいかないだろう。飲み込みやすい大きさになるように噛み切られることは必至だ。
それはいつやってくるのだろう。そして最初はどこなのか。
考えてしまえば恐怖がじわりじわりと広がって体が震え始める。
(久哉ぁ)
すがる存在はただ一人。けれど今はまだ太陽は沈んでいない。
昼の神子の久哉は結界を張ったり怪我を治したりといったことしかできない。
妖怪に対峙できるほどの攻撃の力は、太陽が沈んで夜の巫女にならなければ使えないのだ。
昼の神子と夜の巫女。
昼と夜とで久哉の体が変化するわけではない。夜になって巫女になったからといって少女になったりはしない。ただ使える呪が変わるだけ。昼には陽の守りの力。夜には陰の攻めの力。どちらか一方しか使えない。
今ここで雛が久哉の真名を呼べば、ここに久哉自身を呼び寄せることは可能だろう。しかし力の使えない久哉を呼んだところで犠牲者が一人から二人に増えるだけでしかない。
(陽が沈んでからじゃなきゃ)
雛には妖怪の強さがどの程度なのかわからない。
以前の球体に手足が生えたような沼の妖怪と比べれば、この四足の妖怪のほうが体が小さくて細い。だからといって力まで弱いとは限らない。
ちょっとした仕草だけを見ても、知能はこちらのほうが高そうだからだ。
そのぶん力も強いということはおおいに考えられた。
雛は暮れ始めた空に気づいて太陽を探す。
しかし勢いよく顔をあげたところに偶然妖怪の牙があった。
「……ッ」
浅くではあったがそのことによって額を切って血が流れる。
血のにおい故か。
それまで比較的おとなしかった妖怪がかすかに唸り声をあげた。
流れる血を数度舌で舐めとった妖怪は、いきなり体を固くして村のほうをねめつけるようにじっと見つめた。
かと思えば突然雛が腰に巻いている帯をくわえる。そのままくわえて運ぶのかと思われたが、グイッと持ち上げたあとは、首を反らすようにしてブンッと雛の体を宙に放り投げた。そして落ちてきた雛の体をうまい具合に背にのせると、素早くその場を走り去る。
突然のことになすがままだった雛は、妖怪の背中で受け止められたときの衝撃で意識を失ってしまったのだった。