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25.最後の欠片

「久哉?」

 立ち止まったままの久哉はしきりにまばたきを繰り返していた。

「どうしたの? 久哉」

 心配になった雛は慌てて駆け戻った。

 間近で覗き込んでみて、雛は見間違いでもなんでもないことを知った。

 焚き火の明かりのせいじゃない。

 女性がつかっていた焚き火は、森へと燃え移らないようにすでに消してある。

 ここがひらけた場所で、いくら満月で明るいからといっても漆黒の瞳が紅く見えるはずはない。

「久哉……瞳の色が……」

「ああ。やはりそうか」

 自分でもなんとなくはわかっていたらしい。

「久哉、妖に戻るの? そもそもどうしてミコになったのか訊いてもいい?」

 こんなことを訊いてもいいのだろうか。そんな気持ちが雛の声を弱くする。

 久哉は小さく息を吐きだした。

「そうだな」

 ちょうどいい機会かもしれない。

 久哉はそう言って軽く左手を振る。それだけでそばにあった大木が一本伐り倒されたのだった。伐れた場所はちょうど久哉が左手を振った位置だった。

 けれど直接手が触れたわけではない。久哉と大木のあいだは、目一杯腕をのばしたとしても触れないくらいには距離があった。

「久哉がやったの?」

 呪は唱えなかったはずだ。

 雛は久哉と倒れた大木とを見比べた。

 久哉は左手を握ったり開いたりする。それを数度繰り返した。

「力が戻った俺が呪を唱えずに振るえる術の一つだな」

「力が戻った?」

「さきほどの欠片で昼と夜に分けられていた力が一つに戻った。だから残りの欠片はあと一つ。それが揃えば封印がすべて解けてこの子供の体も本来の姿に戻る」

 久哉こそいわゆる禁忌の子供であった。

 母親が妖に襲われてできた子供。

 母親は久哉を産むと同時に息を引き取り、久哉は儀式によって『時』を奪う呪をかけられた。呪をかけたのは母親自身だ。儀式用の陣をえがいてその中で久哉を産んだのだ。

 奪われた『時』は砕かれて、欠片は世界中に散らばった。

 そうして強制的にミコに仕立てあげられた久哉は、『時』を取り戻すために旅に出た。

 その旅の合間に久哉が女性を襲うことがないように対策も取られていた。

 妖の血により、生れ落ちてすぐに青年の姿に成長していた久哉だったが、儀式によって子を孕ませることができないようにと子供の姿へ封印された。

 また安易に人の命を奪わないようにさせるために、力も昼と夜に分けることによっておさえられた。

「子供の体になった分、力の総量も減ってしまって、すぐに力尽きて倒れるようになってしまったのは痛手だったな」

 左手を見つめたままで久哉は苦笑した。

「お母さんが……」

「そうだ」

 雛も両親に捨てられた子だ。

 けれど貴重な欠片を使ってまでミコに――久哉に預けてもらえた。

 手を汚すことを厭うたのかもしれない。

 けれど村では育てることができなかった雛を生かすために、村にとって貴重な宝を差し出してくれたのだとも言えた。

 こうして雛が考えられるようになったのも、生きてここまで成長できたからだ。

「久哉のお母さんも、心が成長する時間を与えて考えることができるようになってほしかったんだね」

 被害者を出さないようにするためであれば、妖として成長する前に命を奪ってしまえばよかっただけ。

 けれども妖であっても我が子だと認めていたのだろう。

 そのままであればほかの妖たちのように生殖本能だと言い訳して、なにも考えずに女性を襲い続けていたに違いない。

 久哉が軽佻に対して『己を正当化するための言い訳に使っているだけ』と言い切れるまでに成長できたのは、ミコとしての年月があったからだろう。

 久哉は同意も反論もしなかった。

 所詮雛の考えたことで、真実を知るものはすでにこの世にいない。

「それで久哉は最後の欠片が見つかったらどうするの?」

 伐り倒された大木に腰かけた雛は話を元に戻した。

 久哉は『すべての欠片が集まるまでは俺の行く先が変わることはない』といっていた。

 ということは集まった先のことは決まっているということではないだろうか。

 どうしていまだに雛と一緒にいてくれるのかの問いにも答えてもらえていない。

 久哉の口調は淡々としたものだった。

「いっただろう。命の解放だと」

 それは久哉にとっての自由はなにかと尋ねたときの答えだった。

「久哉は自由になりたいの?」

「ああそうだ」

「じゃあ最後の欠片が見つかったら、もう一緒にはいられない?」

「そうだ」

「どうしても?」

「おまえにはロウがいるだろう」

 たしかに陽炎はずっと一緒にいてくれるといっている。

 久哉がいなくなっても独りになるわけじゃない。大切な友達がそばにいてくれるのだから。

 けれど、大切な家族は……。

 雛はお腹の上に手をあてた。そこの帯には雛の宝物が隠してある。

 陽炎にさらわれて、初めて久哉のそばを離れて独りになったときに見つけて、雛を慰めてくれたきれいな小石。

 帯の上から小石に縋るように押さえた。

「でも私は――雛は……。陽儺ひなは陽狭夜と夫婦になってこれからも一緒に暮らしたい。そして陽狭夜との赤ちゃんのお母さんになりたい」

 ぴくりと久哉の瞼が震える。眇められた目は剣呑に紅く揺らめいた。

「俺を縛るというのか?」

「縛る? どうして?」

「俺にとっての自由とはなにかを教えたばかりだろう」

「でも久哉は今すぐ自由になりたいとは言わなかったよ」

 久哉にとっての自由とは命の解放だとは聞いた。自由になりたいとも。けれど今すぐとは言わなかった。そして雛の『どうしても』の問いには答えなかったのだ。

 そうやって一つ一つ指摘していけば盛大なため息をつかれた。

「やられたよ。ここで真名を使うとは。それに」

 言葉を途切れさせた久哉。どうしたのかと雛が首をかしげれば、久哉は雛が小石を押さえている手を指差した。

「おまえが最後の欠片を持っていたとはな」

 これでは願いを叶えないわけにはいかない。そう愚痴る久哉。

 雛は慌てて帯に挟んでいた小石を取りだした。

「最後の欠片ってこれのこと?」

 差し出してきた久哉の手のひらに小石をのせる。小石だと思っていた欠片を持った手を久哉がぎゅっと握りしめると、そこから光があふれて久哉を包み込んだ。

 光の中にぼんやりと見える久哉の影はゆっくりと成長していき、やがて光が消えたあとには妖だとわかる青年が立っていた。本来の姿を取り戻した久哉だった。

「ミコは欠片を持つ者の願いはなんであろうと叶えなくてはならない」

 久哉の紅い瞳が無表情に雛を見下ろしながら、初めて聞く男の声で告げた。だが不本意だと思っていることはしっかりと伝わってきた。

 だから雛はまっすぐ紅い瞳を見返しながら言い切った。

「どうしても嫌なら断ってもいいよ」

「望むのではないのか?」

「久哉も同じように望んでくれないのだったら意味がないから」

 でもミコとしての約定に従わなくてはならないというのであれば、まずはこれまでどおり一緒に暮らしてほしいと願った。

「私は陽狭夜と陽炎とさんにんで暮らしたい。私がもう少し大人になって、そのとき久哉が奥さんにしてもいいって思ってくれたら夫婦になりたい」

 もちろん子供の問題もある。妖である久哉の子供は当然妖だ。生まれてすぐに青年へと成長する。けれどそれではだめだと雛は思った。

 人と同じように時間をかけて心と体を成長させなければ、欲に負けてしまうような弱い存在にしかなれない。久哉や軽佻たちを見てきてそう感じたのだ。

 だからそういう呪も見つけなければならない。

 無意識に名と真名を使い分ける雛に、久哉はお手上げといった感じで両手を持ち上げた。

「わかった。そういうことなら俺も異論はない」

 そうして適当な場所に家を建ててとりあえず一緒に暮らすことになった。

 数年ののち、雛と久哉の間に子供が産まれる。

 雛と久哉、どちらも禁忌の子供として産まれたがために、実の親のぬくもりを知らずに育ってきた。

 しかし決して人のぬくもりを知らずに育ってきたわけではないので、互いにぬくもりを分け与えあう夫婦として、家族としての関係を作り育てていったのだった。

 今はもう追儺の願いを込めずとも、昼と夜のはざまに捕らわれずともよい。

 ただ静やかに暮らせよとなぎと名づけられた子供と、意外にも率先して子守を手伝った陽炎と共に、それからもゆったりと穏やかな時を過ごしていったのだった。


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