24.自由とは
夜が明けて昼の神子の力を得た久哉は、さっそく全員の傷を治していった。
高床式の建物はすべて木端微塵に砕けていたが、なぜか井戸は無事だった。炊事場の屋根や壁も粉々に砕け散っていたが、かまどは使えなくもない。
妖だとてなにも食べずには生きられない。
本能という言葉に惑わされて妄執に囚われてしまったものの、井戸やかまどといった命をつなぐものへの敬意は残っていたのかもしれない。
ただ風呂桶が無事だったことには笑ってしまった。
「あいつらはきれい好きだったのか?」
軽口をたたきながらも、ちょうど良いとばかりに、破片を片づけて、せっせとかまどで沸かしたお湯を運ぶ。
浴室の屋根や壁ももちろんなくなっていたが、どうせさんにんしかいないのだからと気にすることなく、体にこびりついたままの血を交代で洗い流していった。
冷たい川の水で血まみれの体がきれいになるまで念入りに洗うことを思えば、お湯を沸かす手間などさほど苦労と感じなかった。
汚れた衣服は洗ってかまどのそばに干す。
破れて血まみれになった衣服も一応洗って干しておいた。なにかに使えるかもしれないからだ。
汚れを落として、乾いた服を着て、焼いておいたカンショを食べる。
村を覆っていた結界はもうない。妖もいない。罠もない。
月日がたてばこの廃村へも人や動物が訪れるようになるかもしれない。
その日のためにきちんと後片づけをしてから村をあとにした。
それから十数日森の中を移動して、ようやく欠片を持つ者のところへたどり着いたのだった。
雛と陽炎は久哉から数歩後方で立ち止まった。
焚き火のそばに立つのは若い女性一人。
天幕もなにもない。
女性の緩やかに波打ちながら肩をわずかに超える程度の長さに揃えられた赤茶けた髪と、期待に満ちて煌めく瞳の色は平均よりもやや黄みが深くて明るい色をしていた。それが整った目鼻立ちをさらに引き立てていた。
久哉の外見でミコだと確信した女性がその場で膝をつく。
首にかけていた紐を引っ張って吊り下げていた小袋を引きだす。小袋の中から欠片を取りだした女性は、それを手のひらにのせると久哉へ差し出すようにして掲げた。
「昼の神子さま、夜の巫女さま。約定の品をお持ちしましたので、どうぞ私の願いをお叶えください」
「なにを所望する?」
「自由を」
「どのような?」
女性は意味がわからないといったふうにしきりにまばたきを繰り返した。考えてもわからなかったのだろう、同じ言葉を口にする。今度はやや脅しをはらんでいた。
「自由は自由でしょう? 約定を違えるのですか?」
「約定をというのであればなおさらです。明確な望みでなければ叶えられないこともご存じのはずですが?」
「だから自由をと言っているでしょう。ほかになにがあるというのです」
久哉は一つ息を吐きだした。
「私が知る自由と、あなたが言う自由が同じとは思えませんが?」
「なにを言っているのかわからないわ。自由は自由。なにものにも束縛されないこと。意味なんてそれ一つしかないじゃない!」
女性が言い切った瞬間、久哉がわずかに口角を持ち上げた。
「心得ました」
では、といって久哉は結んだ刀印で女性の首を薙ぐようなしぐさをした。すると女性の首に赤い横線が走って体がかしぐ。まるで見えない血がそこからふきだしているようなのだが、首には赤い線が横に引かれているだけで傷はない。血も流れていない。しかしかしいだ女性の体は地に伏せる前に空気にとけゆくように消えゆき、命は確実に今世から解き放たれたことを知る。
「自由……」
その様子を見つめていた雛がぽつりとつぶやく。
久哉は女性の手のひらからこぼれ落ちた欠片を拾い上げると雛を振り返った。
じっと見つめてくる瞳に居心地が悪い思いをしていると、久哉が口を開いた。
「雛にとっての自由とはなんだ?」
雛は小首をかしげた。
自由とは。
たとえば自分がやりたいことをできる時間。
たとえば誰かに拘束されないこと。
たとえば身勝手でわがままな行為。
たとえば誰かやなにかに邪魔をされないこと。
たとえば言いたいことを言わせてもらえる状態。
考えれば考えるほどこれだと言い切れなくなっていく。次第に雛の眉間にしわが寄ってきた。
久哉がその皺を指先でつつく。雛は逆に問いかけてみた。
「久哉にとっての自由ってなに?」
久哉は薄く笑った。
「命の解放」
「命の……解放……?」
雛はつぶやきながら視線を女性がいた場所へと向ける。
「だから……?」
殺したのか。
「それもある。だが彼女が望んだのはなにものにも束縛されない自由だった。だからだ」
肉体に縛られない自由。
時間に捕らわれない自由。
摂理から逃れる自由。
さまざまな事象現象から逃れるためには『無』になるしかない。
だから一見ただ死んだだけのように見えても、実際は『死』とほぼ同時に『無』になっている。だから骸さえ残らない。
「彼女が望んだ自由の結果だ」
雛はもう一度女性がいた場所へ視線を向けた。
雛には『死』と『無』の違いはわからない。どちらも命が欠けた状態という意味においては同じとしか思えないからだ。
腰のあたりまで持ち上げた両手に視線を落として雛はぼんやりと考えていたが、久哉がそれを遮った。
「考えたところで今すぐ答えなど出ないぞ。むしろ考えすぎればすぎるほど頭が混乱して精神を病むだけだ。自然に答えが出るまでほっておけ。さて、次はどちらへ行きたい?」
久々の問いかけと共に久哉が指し示す先には三本の道。
なぜ久哉はいつも雛に道を選ばせるのか。初めて不思議に思った。
「ねえ久哉。どうして私に選ばせるの?」
「どの道を選ぼうとすべての欠片が集まるまでは俺の行く先が変わることはない。しかし雛は違う。どの道を選ぶかで送る人生が大きく変動するからだ」
自分の人生は自分で選べたほうがいいだろうということだった。
そんなことを言われてしまうと、とたんに選ぶのが怖くなった。
「私が選ばないといけないの?」
「今言ったとおりだ。それとも意思の無い人形のようにただ流されるだけの人生のほうがいいか? それを選ぶのも雛の人生ではあるからな。どうする? 俺が決めてやってもいいぞ」
そんなことを選択しようものならたちまち久哉に軽蔑されるだろう。雛は即座に首を横に振ってそれを断った。
後ろにいる陽炎を見返す。
予想どおり腰を落として座ったままなんの反応も示さなかった。
雛が決めろということだ。
前に向き直った雛はもう一度三本の道に目をやった。
「左の道へ」
理由もなにもない。ただの思いつき。この選択が今後どうなるのか。改めて考えると背筋が震えそうになる。
進む道を選んだものの、萎縮して一歩も足を動かせなくなってしまった雛の腰を陽炎の尻尾がポンと叩いて促す。
そのまま雛を追い越して左の道を進もうとする陽炎につられるようにして雛もようやく足を踏み出した。
「ねえロウ。ロウは私が選んだ道でいいの?」
「オレは雛について行くといっただろう。もう忘れたのか?」
「そうじゃないけど、それでいいの?」
「そもそもオレには特に目的はない。雛と一緒にいる。望みはそれだけだから。あとはまあ成るように成るんじゃないか」
雛は考え過ぎなのだと陽炎が言う。
嫌になれば離れれば済むだけの話だ。だから気負う必要はないのだとも。
「そういうものかなー?」
「そういうものだろう。ヒサヤもさっきそう言ってただろう」
たしかに言葉は違うけれど言っている内容は同じだ。
とはいえあらためて考えると一つ疑問がわいた。
「ねえ久哉。久哉はどうして私と一緒にいてくれるの?」
振り向いた先。久哉の瞳が紅くまたたいたような気がした。




