23.消滅
ようやく外に逃げだすことができた雛はほっと息を吐きだした。
けれどそんな雛を嘲笑うかのように突如突風が吹きつけてきて布を大きくひるがえした。
ただの風に布の結界は効力を発揮しない。そもそも苦し紛れの簡易の呪だったため、向けられる害意から己を守るためには自身で布を操らなくてはならない。そのため風を防ぐためには、向かってくる風の盾になるように布を持ってこなければならなかったのだが、雛にはそこまで素早く反応することはできなかった。
そのまま風の力に負けて、布は雛の手から離れて遠くへ飛んでいってしまう。
自然は妖に味方したのだろうか。
わずかにあきらめの気持ちが芽生え始めたが、雛はその思いを振り払うように頭を振った。
「久哉はどこだろう?」
久哉と合流できればまだなんとかなるのではないか。
あたりを見渡して久哉の姿を探す。
再び吹きつけてきた風が砂をまきあげる。雛は顔をしかめて目を伏せた。
「雛……ッ」
地面が鋭く尖ったいくつもの棘となって陽炎たちに襲いかかった。
棘は陽炎の体を突き抜けて雛をも貫いた。
雛は両腕と両脚を刺し貫かれて宙に拘束された。
さきほどまでいた建物の壁が一部吹き飛んでそこから妖が出てくる。
「逃がさないわよぉ?」
妖の青年が腕を振ると、さらに土の棘がのびて雛に突き刺さる。
「ようするに胎だけ無事ならいいんだから、手足はいくらでも傷つけられるのよ? おわかり?」
すでに狂気にとりこまれているようだ。妖の瞳に理性は感じられずただ子を生そうとしている。
「ほんとうなら気持ちよくさせてあげたんだけどねぇ……」
そこで言葉を切って意味ありげに嗤う。
いかにも逆らった雛の愚かしさを嗤っているようだった。
妖の青年が前髪をかきあげる。
左目がチカリとわずかに光ったように感じた。
錯覚だろうか。
流れ続ける血のせいでだんだん朦朧としてきた雛は、自信を持って言い切れなかった。
なにかが足を這う感覚がして見下ろすと、雛の足にはいつのまにか緑色の蔦が幾本ものびてきており巻きついていた。
さらにのびてきた蔦は同じように雛の体を這い上がって腕へと巻きついていった。
「なっに、これっ」
雛の動きを封じるに足る量の蔦が手足に絡みついたところで、土の棘がぼろぼろと崩れ落ちていく。
ただし雛に突き刺さっていた棘だけで、陽炎のほうはそのままだ。陽炎も妖を睨みつけているものの動くことはできないようだ。
「ちょっと、やめてよ。人をものみたいに扱わないで!」
逃れようと暴れてみるのだが、手足はびくとも動かなかった。
気がつけば目の前に妖がいる。
まさに今の雛は妖に差しだされた生け贄だった。
妖の手が、雛の頬を撫でてからゆっくりと首筋へとおりていく。そのたびに雛の体は恐怖で震えた。
そんなことはお構いなしに妖は口元に笑みを浮かべたまま、雛の体形を手のひらで確認するようにゆったりとした動きで撫でていく。
「触らないで!」
「おバカさんだねー。触るなと言われてやめるわけがないでしょう?」
すでにぼろぼろになっていたトーブを両手でつかんだ妖がそのまま左右に引っ張れば、たやすく裂けて雛の肌をあらわにした。
「そうねぇ、まだちょっと青いけど、機能は問題ないわねー」
雛のお腹を指先でチョンとつついた妖は、残っていたパンツも同じように裂いた。
「面倒だから、もうこのままいただいちゃうわね」
妖が自身の衣服を緩め始める。
雛はめちゃくちゃに暴れた。
「いやぁ! 私は久哉の子供以外産まないんだからね!」
「だったらいつまでもそんな奴に捕まっているんじゃない」
ぼろぼろと泣きながら叫んでいた雛は、聞きなれた声を拾って反射的に顔を向けた。
「久哉ぁ!」
こちらも血で真っ赤に染まったうえに、穴だらけでぼろぼろになった衣服を纏っていた。
まさに久哉も雛も陽炎も満身創痍である。
だが誰一人瞳から精気をなくしたものはいない。
「軽佻はどうしましたー?」
目を眇めて久哉を見返す妖。
久哉はわずかに口の端を持ち上げた。
「誰のことだ? 軽佻も形兆もいないが?」
「殺しましたね?」
「消滅させただけだ」
久哉は指を立てて揃えた左手をまっすぐ胸の前に持ってきた。
「ナウマクサマンダバザラダンカン」
そのまま片膝をつくと左手の手のひらを地面へと叩きつけた。
そこから地表を走った炎は、陽炎を拘束していた土の棘を砕き、雛をとらえていた緑の蔦を焼き尽くした。
妖は慌てたように数歩とびしさる。
入れ替わりのように雛のもとにたどり着いた久哉が、落ちてきた体を両腕で受け止めた。
雛は久哉の首に腕を回す。
「久哉ぁ」
「バカ雛。いつまでやられっぱなしでいるつもりだったんだ」
「だって私、久哉みたいに力がないもの」
「だから溜めておいてやっただろう。なぜ使わない」
雛は意味がわからなくてきょとんとした顔で久哉を見返した。
久哉は苦笑する。
「本人も気づけないほど偽装したつもりはなかったんだが……」
久哉が雛の髪を撫でると、白かった髪が銀の色を持つ髪へと変化していった。
雛は目を丸くして自分の髪を見つめた。
「私の髪、どうなったの?」
「おまえの白髪は、力を溜めこむことができる」
雛が持つ力自体は人と同じ弱いものだ。
むしろ弱すぎるといってもいい。
だが唯一雛にだけできることがあった。髪に力を溜めることだ。
普段は一定の量を超えると自然に外に排出される力。
けれど雛は力が溜まっていく様子を思い描きながら呪を唱え続けたり、他人から注ぎ込まれた力を体から髪に移して溜めこむことができた。
髪の色の濃さは力の大きさに比例する。力の大きさは肉体の強さでもあった。
だから白髪の雛は、久哉や陽炎に触れながら眠ることで力を分け与えてもらえなければ健康を維持できないほどに弱かった。
幼いころに病気がちだったのは、髪が短くて溜めこめる力の量が少なかったからだ。
軽佻から与えられた熱を短時間で体から抜くことができたのは、久哉が髪へと移したからだった。
髪に力が溜まってくると銀色に染まってしまうのを隠すために、白く見えるように偽装したのも久哉だ。髪を乾かしながらおこなったので誰もそのことに気づかなかった。
もっとも雛自身も自覚がなかったのは久哉の誤算だったようだ。
「だがそれでよかったのかもしれないな」
「どういうこと?」
「これで一気に片づけられる」
久哉の挑発めいた言葉に、妖はさも不快そうに眉間にしわを寄せた。
「そんなに簡単にやられるわけがないでしょー」
「好きなだけ吠えていろ。すぐに父親と同じところへ送ってやる」
「……どうしてそれを?」
「あの柱の呪の主が生け贄として身をささげたとしたら確実に子を孕んでいただろう。だったらこの村で産まれた妖が一体は必ずいるはずだからな」
妖の子種は一度注がれると受胎するまで子宮に留まり続ける。そのうえ一度懐妊するとおろすことは不可能だ。胎の中の妖が己の誕生のために自身と母体を守ろうとするので、母親自らが命を絶とうとしても叶わない。だからこそ女性は余計に恐れるのだ。
久哉は嗤った。
腕に抱えていた雛を地面におろして、右手を取る。
「雛、ちょっとのあいだ我慢しろよ」
なんのことかわからなかったが、雛は素直にうなずいた。
手首をつかまれた右手が、久哉の口元に持っていかれる。
くわえた人差し指をねっとりと舌で舐められて目を瞠る。
すぐに痛みが走って反射的に腕を引こうとしたが、手首をつかまれているため逃げることはかなわなかった。
「ひさ、や?」
指の先を歯で噛み切られたのだとわかった。だが久哉がなぜそんなことをしたのかわからずに思わず名を呼ぶ。
けれど久哉は指をくわえたまま雛を一瞥しただけで、流れ出る血を口で受け止めるだけ。
わずかにうごめく舌がときおり指に触れるだけ。
雛は心の中で「あ」と呟いた。
呪を唱えているのだとわかったのだ。
緊張と痛みから思わず入ってしまった腕の力を抜くと、久哉の目が満足げに細まった。
落ち着きさえすれば血の流れとともに髪に溜めた力が久哉へと流れていくのがわかる。
だがただでさえ血が流れ過ぎて貧血を起こしかけていたところにこれでは、だんだん立っていることができなくなってきた。
ふいに膝が崩れる。
もう駄目だと思ったときには膝から力が抜けていたのだが、倒れる前に久哉があいているほうの腕を腰に回して雛の体を支えた。それからゆっくりと自身の膝を折って片膝をつくのに合わせて雛の体も地面へと座らせていく。
その隙を狙って妖が地面を隆起させて棘をのばし、はたまた空気を圧縮してぶつけてきた。
逃げようもないそれを爪で切り裂き、尻尾で弾いたのは陽炎だった。間一髪で妖と雛たちのあいだにその身を滑り込ませたのだ。
「やられっぱなしのいいとこなしは性に合わないからな」
ニヤリと笑えば牙があらわになる。不用意に近づけばいつでも噛み切ってやるという陽炎の意思表示だ。
時間稼ぎは陽炎が務めてくれたので、久哉と雛は心置きなく自分の役目をこなすことができた。
ようやく久哉の舌の動きが止まる。
もったいぶるようにくわえていた雛の指を口から出せば、指先には血で梵字が一文字書かれていた。
人差し指だけ立てて、ほかの指は軽く曲げる。添えられた久哉の手によって同じ形を成した二人の指先は促されるままに地面へと向かう。
耳打ちされた久哉の言葉にうなずき返して、雛は唾を飲み込んだ。
息を合わせて呪を唱える。
「ナウマクサマンダボダナンバク」
二人の指先が地面へと触れた瞬間、そこから渦を巻くように力がほとばしる。
あおられて舞い上がった雛の髪の色が白に戻ると、力はさらに爆発して村全体を瞬時に駆け巡った。
溜まりに溜まった妖の気配。それに浸食されて妖と同調するまでに至った村の土地と建物。
そのすべてが浄化されていく。
させてなるものかと渾身の力で放たれた爆裂の術諸共に、妖は核をも含めたその体ごと粉砕されて消滅していったのだった。
ぐらりと傾ぐ雛を支えながら、けれども正直久哉も力をほぼ使い切って意識を失う寸前ではあった。
重い頭を持ち上げる。
「ロウ、動けるか?」
「おまえよりは多少」
全員揃って血まみれのぼろぼろ。
特に雛は人の身なので一番厄介だ。
未だ夜は明けず、久哉は治癒の呪が使えない。
どうしたものかと思案していると、風にあおられた大きな布が視界に入った。
「ロウ、あの布をとってきてくれるか?」
そのくらいならばと陽炎は軋む体を動かした。久哉がいうからには雛に関係があることだとわかったからでもある。
雛が盾代わりに使った布。
久哉はふっと息を吐きだした。
「これなら使えるか」
自身の指先を噛み切って血を出すと、その血で布に快癒の呪いをえがいた。
完成した呪いつきの布で雛の全身を包む。
「ロウ、雛を頼む」
雛を預けようとした久哉の手を、陽炎が尻尾で叩いた。
「そのまま抱いてろ」
陽炎は雛を腕の中に抱えている久哉の背後にまわると、その場に横になった。尻尾で久哉たちを引き寄せて腹にもたれかからせる。
「寝ろ」
久哉は小さく笑った。
「どういう心境の変化だ?」
「オレも疲れててこれ以上動きたくない。それだけだ」
「そうか」
「そうだ」
陽炎は前足を交差させてそのうえに顎を置く。
尻尾で久哉と雛の二人を守るようにあたためるように囲う。
ほどなくして三つの口からそれぞれ寝息が漏れ始めたのだった。




