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22.誰

「なんだ? まだ寝ぼけてるのか?」

 呆れたというように久哉は目を見開いた。

 雛は陽炎にしがみついたままふるふると首を振った。

「いいえ、寝ぼけていません。あなたは久哉じゃありません。あなたは誰ですか?」

 はっきりとした雛の口調に久哉は困ったように頭に手をあてた。

「ロウ、雛はどうしたんだ? おまえからもなにか言ってやってくれないか」

 近づこうとした久哉に、陽炎は牙をむいて唸った。

「おまえもか……」

 久哉はため息をこぼすと、雛と陽炎に背を向けて距離をあけるように数歩前に進んだ。

「なーんでこう一発でわかっちゃったのかなー?」

 久哉とは似ても似つかぬ成人男性の声が聞こえたかと思えば、あっという間に目の前の子供の姿がゆがんで青年へと変化していった。

 振り向いた青年は今まで見たこともない妖だった。定番の黒い髪は前髪も含めて顎のラインできれいに切り揃えてある。ほかの妖は邪魔にならない程度に適当に短くしているなかで異色な存在ともいえた。

「まだほかに仲間がいたのか」

 ようやく口をきいた陽炎に対して、その妖は興味深げな視線を向けてきた。

「へえ、ちゃんと喋れたんだ。実は喋れない下等な妖怪だと思ってたんだよねー。意外意外」

 陽炎をバカにした発言だとはわかったが、雛はむっとしただけでこらえた。横たえていた体を伏せの体勢に変えた陽炎が、絶妙な間合いでもって、雛に背中に乗るように尻尾で促したせいでもあったが。

 すでに乗りなれている雛は妖を睨みつけたまま、陽炎の背中をするりとまたいで膝で挟んだ。これでいつ陽炎が走りだしても振り落されることはないだろう。

 陽炎はおもむろに立ちあがると、ゆっくりと後退る。

 雛は声に出さずに口の中で呪を唱え始めた。

「逃がすと思ってるの?」

 妖は前髪をかきあげて顔をあらわにすると、口角を持ち上げてニタリと笑った。

 陽炎が横に跳ぶ。

 いきなりどうしたのかと雛が問う前に、それまで陽炎たちがいた場所の床が破裂した。砕けた板の破片があたりに飛び散る。

 雛は悲鳴をあげて陽炎にしがみついた。

 妖は紅い瞳を煌めかせた。

「よく避けれたねー」

 舌なめずりをした妖は、これならどうかとさらに力をふるった。

 いつ呪を唱えているのか。雛にはまったくわからない。陽炎の背中に乗せてもらっていなければ、今頃無事ではいられなかっただろう。むしろ生きてはいない可能性のほうが高かった。

(どうやって)

 口の中で呪を唱え続けながら雛は頭を巡らせる。

 陽炎がわかるのだからなにかがあるはずなのだ。

 見えるものだろうか。見えないものだろうか。

 妖の動きを注視しながら陽炎の動きと照らし合わせてなんとか突破口を開こうとした。

 だがさしもの陽炎も避け続けることはできなかった。

 妖の攻撃が過激さを増す。

 床の大部分はすでに破壊されており、あちこち穴だらけだ。そのぶん逃げるための足場の確保も難しくなっていく。

 妖のほうもそうやって追い詰めていくことを楽しんでいたようだが、それだけでは物足りなくなってきたのか、徐々に遊びの部分が減ってきていた。

 逃げることができる場所が限られているのだ。次にどこへ逃げるかがわかっていれば時間差で攻撃をしかければいいことになる。

 妖は少しも動かずにただ見えない力を放ってくるだけ。

 対して陽炎は逃げの一手ですでに後がない。

 かろうじて残っていた桟を足場にして次へと飛び移ろうとした陽炎だったが、そこはすでに彼らを支えるだけの強度は残っていなかった。

 あっけなく砕け散る桟と支えを失って落ちていく陽炎たち。

 その瞬間を狙って放たれた妖の攻撃。

 雛は力の直撃を受けて陽炎の背中から吹き飛ばされたのだった。

 床だったところはすでに木の破片で埋め尽くされている。

 そのうえを勢いよく転げていったのだから、雛の全身はあっというまに傷だらけになってしまった。

 割れた板の端で切ってしまった傷もあれば、破片が突き刺さってしまっている傷もある。

 流れ出た血で着替えたばかりの白い服がみるみる紅く染まっていった。

「……ッつぅ」

 壁にぶつかってようやく止まった体。雛は痛みでぎくしゃくさせながらもなんとか体を起こした。

 額を伝う鮮血を手のひらでざっと拭って顔をあげる。

 陽炎の姿を探せば、床の穴に中途半端に体が挟まってもがいているところだった。

「ロウ!」

 駆け寄ろうとして立ち上がりかけた雛は、足に力を入れたところで走った激痛によって再びうずくまる。

 よくよく見れば左足の甲に棒状に砕けた板の破片が突き刺さっていた。

 即座に抜こうとして棒に触れるが、それだけで激痛に襲われて瞬時に手をはなしてしまう。

 見る間に涙ぐむ自身に、雛は情けなさから余計に泣きそうになって俯いた。

 そんな雛の耳の陽炎の悲鳴が突き刺さった。

「ロウ?」

 顔をあげてみれば、潤んだ視界の中でも、陽炎が攻撃を受けて血まみれになりながら苦しみ悶えている様子がはっきりとわかった。

「ロウ!?」

 雛は慌てて周囲を見渡した。

(なにか、なにかないの……)

 そんな雛のもとに、妖が放った力の余波で吹き飛ばされてきた籠が目に入った。

 そこに行こうとして、雛はまたしても痛みでうずくまる。

 雛は陽炎を見て、次いで左足を見た。

 おもむろに左の袖口を口にくわえて噛みしめると、右手で突き刺さったままの破片をつかんで躊躇なく引き抜いた。

 ざっと体を撫でて同じように刺さっていた破片を取り除いていく。それにより出血は増したが、今は動きを遮られるほうが命取りになる。

 不幸中の幸いというべきか。自力では抜けないほどの大きな破片は刺さっていなかったので雛一人でもなんとかなった。

 痛みであふれでた涙を袖で拭いとると、雛は顔をあげて籠のもとまで向かった。

 妖は陽炎を攻撃することに夢中のようだ。

 非力な雛は眼中にないのか。それとも先に陽炎を片づけてからじっくりといたぶるつもりなのか。この青年も妖である以上、軽佻と同じように子供を産ませようとしているのかもしれない。

 どちらにしろ意識から逸れているのであれば雛にとっても好都合だ。

 痛みに気を取られないように歯を食いしばって体を起こした雛は、それでもできるだけめだたないようにと中腰になって静かに移動した。

 籠の中には雛が風呂上りに体を包んでいた大きな布が入っていた。

 それを取りだしてざっと広げてみる。

 破れてはいないようだ。

 雛はギュッと拳を握りしめた。

(できたっ)

 準備を終えた雛はふっと肩から力を抜いた。

 けれど本番はこれからなのだと気を引き締めた。

 陽炎がもらす呻き声はひっきりなしに聞こえている。

 これ以上は陽炎ももたないのではないかと思えるほどに妖の攻撃は執拗だった。

(なんて性格の悪い)

 不快な気分を、深呼吸をすることで散らす。今は陽炎を助けることが先決だ。

 妖からの攻撃はひっきりなしとはいえまったく合間がないわけではない。

 雛は足に力を込めると、陽炎の口から声がもれた瞬間駆けだした。

 一目散に陽炎のもとへ向かった雛は、ほとんど動かなくなっている体を飛び越えて妖との間に割り込む。

 同時に持っていた布を広げて自身と陽炎の体を覆うように被せた。

 雛は素早く手で印を組む。

 小指と薬指を内側で組み、左右の中指の先を合わせる。人差し指はまっすぐ立てて外側に広げ、親指は揃えた。

 浄三業印明、佛部三昧耶、蓮華部三昧耶、金剛部三昧耶の四つの呪は雛自身の血でもって四辺に記している。

 残るは一つ護身三昧耶のみ。

 雛は喉に力を込めて呪を唱えた。

「オンバザラギニハラジハッタヤソワカ」

 布は淡い輝きを得て雛と陽炎を覆うと、直後に放たれた妖の攻撃を弾いた。

「ロウ、床を壊せる?」

 今のうちに床を壊して挟まった体を解放するように伝えた。陽炎の爪を使えばすぐに切り裂けるはずだ。

 それをしなかったのは雛がこの建物の中にいたからだ。

 雛を置いて逃げることができなかったために陽炎は甘んじて攻撃を受けていたのだから。

「遅くなってごめんね」

 雛がすぐに陽炎のもとに戻ってこれなかったためにこれほどまでに傷を負わせてしまった。

 だが陽炎はふっと吐息で笑った。

「くだらないことを言ってないでしっかりつかまってろ」

 無言でうなずくと、雛は陽炎の首に右手を回して、左手で布をつかむ。

 床板の破片が体に傷を増やすのにも頓着せずに、陽炎は爪を振るってようやく拘束から逃れたのだった。

 ふたりの体は支えを失って落下する。

 地面に降り立った陽炎は一気に駆けて建物の床下から抜けだした。

 その間何度も床板が棘状に変化して頭上から襲いかかってきたが、それらは雛が持っていた布に触れると霧散していった。


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