21.干からびる
外に出た久哉と軽佻は唯一設けられている結界の出口へと向かった。
そして唖然とした。特に軽佻が。
「おまえたちはいつからここにいるんだ?」
「……さあ? 長すぎてわかりません」
「だろうな」
村人がいなくなれば当然人は食べられなくなる。
通りすがりの旅人とて、廃村は厄介ごと満載の領域だと認識しているためまず近寄りはしない。
動物たちの野生の勘はそれこそ力を発揮して全力で避けようとするだろう。
「飢えれば当然こうなるだろうな」
淡々とした口調が久哉の呆れっぷりを如実に語っているといえた。
結界によって足止めをされたのはなにも軽佻だけではなかった。結界の一部に組み込まれていた食虫植物のような妖怪も同様だった。しかもそこから移動することも逃げることもできない状態で。そうなれば当然飢えて死ぬしかない。
村の中であれば動き回ることができた軽佻と違って、この妖怪はまさにこの場所に縛られていたのだから。
久哉は腰を屈めると、足元の小石を一つつかんで妖怪に向かって放り投げた。
葉が閉じるどころか、小石があたったところが乾いた音を立てて崩れただけだった。
「干からびてるな」
「ですね」
ざっと首を振って周囲を見渡した久哉は、もう一度妖怪本体を見つめた。
一応妖怪は妖怪なりに努力して周囲に蔓をのばして罠を張っていったようだが、いっこうにかからない餌に力尽きたようだ。
久哉は左手を胸の前に持ってくると、指をすべてのばして左手だけで祈るように構えた。指先が唇に触れるように持ち上げる。そのままの体勢で口の中で唱えた。
「ナウマクサマンダバザラダンカン」
妖怪の本体にぽつりと生まれた小さな炎は、たちまち妖怪の屍を呑み込んでいく。捕食のための罠も含めて妖怪に属するすべてのものが炎に焼かれて灰になって消えていった。
「さて、これで出口は確保できたな」
実際のところこの結界は軽佻と妖怪をとらえるものへと変化していたため、久哉や雛、陽炎にはそもそも影響はなかった。
妖怪を消滅させたところで軽佻には出口にはならない。
それをわかったうえでの久哉の嫌がらせでもあった。
「いい性格してますね」
「妖だからな」
「そうとう根に持っていますね」
泣き言のような恨み言のような。軽佻のそんな言葉も軽くかわして久哉は雛のもとへと戻ろうとした。
「どうしても手を貸してくださらないと?」
「そんな義理はないだろう」
「あの子……雛といいましたか。雛がこちらの手の中にあるとしてもでしょうか?」
「雛はロウに任せている」
「所詮妖怪でしょう」
久哉は鼻で笑った。
「妖怪だから任せられるんだろう」
くだらない問答にもそろそろ飽きてきた久哉は、軽佻を無視して歩きだす。
そんな久哉の右側から突風のような力が走って、子供の体をいともたやすく吹き飛ばしたのだった。
そばにあった建物に体ごと叩きつけられた久哉は、勢いを殺せずにそのまま木の板の壁を突き破った。
破片と一緒に床を転がった体がようやく止まった久哉は呻き声をもらしながら起き上った。
苦痛にもれる声を押さえるように奥歯を噛みしめて右腕に視線を向ける。
右腕はどう見ても変な方向に曲がっていた。
「折れたか……」
とっさに持ち上げた右腕。
そこは背後から攻撃をしかけてきた軽佻の蹴りを受けたところだった。
左手を使ってとりあえずまっすぐに戻しておく。
今は呪で治す余裕はなさそうだ。
背後から聞こえてくる足音はだんだん近づいている。
右腕は自然治癒に任せることにして、久哉は左手で刀印を組みながら後ろへ向き直った。
呪を唱えようとして開かれた久哉の口。けれどもそこから放たれたのは鮮血だった。
幾度も咳き込み、そのたびにほとばしる鮮血。
床から伸びたたくさんの棘に全身のいたるところを刺し貫かれて血まみれになった久哉の体は、動きを封じることで拘束されていた。
白かった衣服が本人の血を吸って紅く染まっていく。
止まることなく流れ出る血によって軽佻の瞳と同じ紅色に染め上げられるさまは、まさにかの妖の瞳に捕らえられてしまったようにもみえる。
唇を血で汚した久哉が伏せていた視線をゆるゆると持ち上げると、その先には片膝をついて片手を床につけた軽佻がいた。
「僕もただここにとらわれていたわけじゃありませんよ」
むしろ長く共にあったがために同調すらしてきていた。
「ですからこんなこともできます」
にやりと笑う軽佻。
すると久哉を串刺しにして捕らえていた棘が根元からのびて、少年の体を持ち上げる。
自身の重みで棘はさらに深くえぐるように突き刺さっていった。
声にならない叫びと鮮血がまたもや久哉の口からほとばしる。
「いいですねぇ」
うっとりとした表情と声音で軽佻がつぶやく。
けれどすぐに驚愕なものへと変化した。
久哉の足元に突如として出現した炎が渦を巻きながら巨大化すると、久哉の体を棘ごと呑み込んだのだった。
緩やかに姿を現した久哉の瞳は剣呑な輝きを保ちながら軽佻をその視界にとらえる。
弧をえがいた唇の隙間から、血に染まった牙が覗いた。
雛を体と尻尾で抱き込むようにしていた陽炎は、扉が開く音をとらえて耳をぴくりと動かした。
「ロウ」
呼ばれた陽炎は目を開けると頭をもたげて視線を向けた。
入ってきたのは久哉だった。
白かった衣服は鮮血で紅へと染まり、無数に穴が開いている。
顔色も悪く、そうとう血が流れたようだ。
だからといって陽炎がなにかを思うことはない。ましてや労うことなどあり得ない。
ひとりで歩いているのだから構う必要もない。
陽炎は持ち上げた顔を伏せて再び目を閉じた。
「冷たいやつだな」
苦笑する久哉。
だが陽炎は一切反応しなかった。
「ロウ? どうした?」
さすがにおかしいと思ったのか。久哉が不思議そうに尋ねながら近づいてきた。
陽炎の目の前までたどり着いた久哉はその前に片膝をつく。
「まあいいさ。おまえはおまえでそういう気分のときもあるだろう。雛は俺が引き取るからゆっくりと休むといい」
両手を差し出してくる久哉。
それでも陽炎は尻尾で雛を隠したまま。いかにも渡す気はないといった態度を取った。
「ロウ。どうした。雛を渡せ」
久哉の声音が危険な気配を纏い始めた。
陽炎は片目を開けて久哉を一瞥すると、また閉じた。
「ロウ! いいかげんにしないか」
荒げた声に、とうとう雛が目を覚ました。
雛は目をこすりながら体を起こす。
ぐるりと周囲を見渡していた瞳が、久哉をとらえて止まった。
「あなた、誰?」
雛は警戒心もあらわに、陽炎の首に腕を回してしがみついた。




