20.妖の主張
久哉が雛を運んでいったのは囲炉裏のある居間だった。
囲炉裏の前に腰をおろした久哉は、陽炎から渡された籠から手ぬぐいを取りだす。あぐらを組んだ膝の上にのせた雛の濡れた体をその手ぬぐいで丁寧に拭いていく。
最初に体を拭いてから湯冷めしないように大きめの布でくるむ。それから髪を乾かしていった。
そのあいだ雛は跳ねる体ともれる声を必死で押さえようとしていた。
「雛、力を抜け」
「……でも」
「それじゃいつまでたってもぬけないぞ。そんなにあいつに抱かれたかったのか?」
「そんなことない!」
それだけはしっかりと否定を返した。けれどどうしても恥ずかしくて久哉がいうようには力を抜けずにいた。
「久哉ぁ、体が熱くてうずうずして変な感じなの。どうしたらいいの?」
「しょうがない奴だ」
あきれたようにつぶやく久哉。雛はギュッと目を瞑ってますます体を固くした。
久哉の手が雛の頭にまわされて、耳を胸元へと押し付けるように持っていかれる。
そのままの体勢で動かない久哉。
最初は混乱していた雛も、動かない久哉に首を傾げ始めたころ、ふと耳に届いた鼓動に意識が引き寄せられた。
トクントクンと一定の速度を保つ久哉の鼓動。
雛がそのことに気づいたとわかったらしい久哉の手が離れた。
再び久哉が髪を乾かし始める。
くすぐったさと気持ちよさと。
体の中でくすぶる熱がときおり吐息に交じって外に出るが、それらに意識を囚われることはなかった。
雛がどんな醜態をさらしても、この鼓動が乱れなければ気にしなくてもいいのだと言われているようで、こもる熱も無駄に力んでいた体も自然と治まっていく。
長い白髪が完全に乾くころには、平常な状態へと戻っていた。
「なぜそれだけで落ち着くんですか? かなりの熱を込めさせたはずですよ。それをイきもイかせもせずに解放させるなんて、なんてもったいない」
あたりまえのように久哉たちを追って居間までやってきていた妖の青年。
久哉や陽炎と同じように囲炉裏の前に腰をおろした妖は、ずっと久哉と雛の様子を興味深げに見ていた。
もちろん雛に溜まった熱を開放させるために必ず手を出すだろうと踏んで見学するためだ。
目論見が外れて妖はおおいに不満顔だ。
「どこまでも勝手な奴だな。そもそもおまえはここでなにをしている」
妖は意外なことを聞いたとばかりにぱちくりとまばたきした。
「そりゃ、こうやって子供を産んでくれそうな女性が現れるのを待っているんですよ」
ほかになにがあるのかといった調子だ。
「ただ待っているだけじゃ、そうそう来ないだろう。そもそもここにいた村人はどうした」
「僕たちが食べてしまいました」
「全員か?」
「そう」
「僕たちってのは? ほかには誰がいるんだ?」
妖は村の一画を指差した。
「あちらに手を組んだ妖怪がいまして」
妖がいうには、村に結界を張って出口を一つだけにして、そこに仲間の妖怪が待機して逃げ出した村人をまる飲みしていたのだという。食虫植物が巨大化したような妖怪で、罠のどこかに触れると勢いよく葉のような体が閉じて獲物を捕らえるのだという。その後は中央にある口に運んでそのまま飲み込むのだそうだ。
「飲み込んでしまったら、子供を産むことができないんじゃないのか?」
これには妖が頭を抱えた。
「そうなんですよ。僕の子供を産むよりも死んだ方がましだっていうんですよ。あんなに丁寧にかわいがって狂いそうなほど気持ちよくさせてあげたのに、報酬だけ受け取って肝心の子供は産んでくれないのですからね。奉仕する身にもなってほしいものですよ」
「おまえ……」
「ああ、いいかげんその呼び方はやめてくれませんか。僕は軽佻っていいます。もちろん真名じゃありませんから安心して呼んでください」
「軽佻……?」
「はい」
軽佻と名乗った妖の青年は紅い瞳を輝かせてにんまりと笑った。
「どこが真名じゃないだ。ほとんど真名だろう。これが反射的に呼ぶように仕向けたか?」
これといって久哉はちらりと雛に視線を落とした。
「ばれましたか。呼んでもらえれば少しは術を仕込めたんですけどね、残念です」
「おまえなど形兆でじゅうぶんだ」
そのとき軽佻の表情がこわばった。
「な、ぜ、それを……」
久哉はちらりと居間の隅へと顔を向けた。
部屋の角に立てられた柱。その上部。屋根との境。
そこには細い枯れ枝を束ねて作った人形が飾られていた。
飾るというよりは、柱に縄で縛りつけているようだった。
血塗れたような紅に染まったそれは、たぶんこの妖をこの村に縛り付けるもの。
真名を刻んで呪と成し、新たな真名を与えることで縛りを強固なものにする。
この妖の本来の真名は形兆。新たに呪によって与えられた真名が軽佻。
軽佻は両手を軽く持ち上げて降参した。
「参りました。ちょっと子供を産んでもらって、あの呪を解いてほしかっただけなんですけどね。残念です」
それのどこがちょっとなんだろう。
雛は久哉の鼓動に耳を傾けたままぼんやりと思った。
脱力した体は自力では動かせず、また鼓動の心地よさから離れがたく感じていたので余計に動けない。
久哉のほうも軽佻を警戒しているからなのか雛を抱えたままでいるので、二人の会話はずっと久哉の腕の中でぼんやりと聞いていた。
とりあえずそういうことは同意を得られた相手だけにしてほしいと雛は思う。
せっかくお風呂を楽しんでいたのにと、思い返せばなんだか腹立たしくなってきた。
(もう、今すぐ目の前から消えてくれないかな……)
そんな風に思っていると、おもむろに久哉が雛の口を手で塞いできた。
「雛、声に出ている。おまえが口を挟むとややこしくなるから当分黙っていろ」
むっと口を尖らせてみたものの、声に出したつもりもないことがもれているとあっては素直に従っていたほうがよさそうだ。
こうなったらあとのことは久哉に任せてこのまま寝てしまおう。
そう考えた直後には雛は寝息をたてていた。
「寝てしまった?」
「ああ」
「ほんとうに?」
「わかっているだろう」
「そうなんだけど、この眼で見ても信じられなくて」
わずかに久哉の唇の端が持ち上がる。
「まあそうだろうな」
わかっていたふうな久哉の口調。たしかに彼はわかっていたのだろう。
軽佻は思いっきり大げさに息を吐きだした。
「久々に楽しめると思ったのに」
「まだ言ってるのか」
「君も見たでしょう? 美味しそうだったでしょう? ねえそこの君もそう思うでしょう?」
軽佻は今度は陽炎に同意を求めた。
もっとも陽炎はずっと我関せずといった態度で、いつものように交差させた前足に顎をのせて目を閉じていた。
もちろん寝ているわけではない。しかし雛に被害がない限りは動くことも関わることもしようとしないだけのことだ。
久哉もそのほうが都合がいいためなにも言わなかった。
そうしたところがこの関係を成り立たせていたといえる。
だから陽炎の返事も無言。目を開けることはおろか、尻尾さえ動かさなかった。
「つきあい悪いですね」
片眉を持ち上げた軽佻は、それでもわかっていたことだと一言もらしただけですぐに引いた。
どのみち久哉を攻略しなければどうにもならないことは軽佻にもわかっているはずだ。
「出産可能な年齢の女性を見つければ楽しんで楽しませて孕ませようとするのは妖として当然でしょう?」
「そもそも妖は男の欲が生み出した魔物だと言われているからな。だからといって女性が受け入れなければならない理由にはならないだろう」
「妖の君がそれをいいますか」
「俺が言ってなぜ悪い」
「子供の体でも欲はあるでしょうに」
久哉はくすりと笑った。
軽佻は不快そうに眉をひそめた。
「なにがおかしいのです。生殖本能には君だって逆らえないでしょう? 生まれつきもつものだからこそ本能と呼ばれているのですから、誰しも逆らえるわけがないのです」
「くだらないな。おまえは所詮その程度か」
「失礼な」
「どこがだ。己の不足さや未熟さから目を逸らすために本能という言葉を持ちだしているだけだろう」
「そんなことはありませんよ」
「ではなぜ本能などという言葉にすがる。こだわると言い換えてもいいか。おまえは女性を無理やり手込めにする己を正当化するための言い訳に使っているだけだろう。誰しも逆らえない? なにを甘えたことを。そんなことを言っているからこうやって囚われるんだよ」
久哉は柱に縄で縛りつけられた人形を指差した。
「そうやっておまえがのさばりかえっていたから、自ら生け贄として名乗りをあげた女性に名を奪われて、血を取られたのだろう?」
図星を指されてよほど腹に据えかねたのか、軽佻の顔はあからさまに憤怒の形相へと変化した。
「あの女……さんざん可愛がってやったというのに……」
恨みつらみを並べ立てる軽佻を久哉は冷めた目で見返す。
やがて考え事でもするようにわずかな時間目を伏せていた久哉は、素早く雛に衣服を着せると横抱きにして立ち上がった。
「ロウ」
久哉の呼びかけに陽炎が目を開ける。
「雛を頼む」
陽炎は尻尾を除けて胴をさらした。そこへいつも雛がしていたように、陽炎の胴体にもたれかからせるようにおろす。
「ロウ、俺が誰かはわかっているな?」
囁くような久哉の言葉に答えるように、陽炎は牙を見せるようにして笑った。
満足そうに久哉が目を細めて立ち上がる。
久哉が一歩後ろに下がると、陽炎は再び尻尾を引き寄せて雛に掛ける。守るように。隠すように。ちらりと朱い瞳で雛を一瞥した陽炎は添い寝をするように目を閉じた。
「さて」
久哉は軽佻を振り返った。
「おまえの仲間の妖怪のところに案内してもらおうか」




