13.旅は道連れ世は情け
風が治まると、雛はその場に膝をつく。そして体から空気が抜けるようにへなへなと座り込んだ。目隠しをしていた久哉の帯が役目を終えてはらりと解ける。
「はぁー。疲れたー」
がっくりと頭を落としてせりふそのままの態度を示す雛を、久哉と陽炎があきれた眼で見つめた。
「雛、なぜおまえがそこまで疲れるんだ。そもそもおまえの注意力が散漫なせいで俺たちが苦労したようなもんだぞ」
痛いところを突かれて雛はぐうの音も出ない。ただのどが塞がったような息苦しさを覚えて顔をしかめた。
そこへ助け舟を出したのは陽炎だった。
「それはおまえが甘やかしすぎたからだろう」
「どこがだ」
久哉は納得がいかないと眇めた眼で陽炎を見返した。
「眠らせたり、腕に中に囲ったり、目隠しをしたり」
それは今回の久哉の態度だった。
「余計な手間がかからないようにしただけだ」
久哉は腕組みをして、さらに胸も反らせている。やましいことはなにもなく、間違っているとも思っていないことが如実に表れているその態度。
けれど陽炎は鼻で笑って一蹴した。
「そんなことを繰り返しているからヒナも身につかないんだ」
失敗する前に久哉が止めているのだ。
そうすればたしかに久哉や周囲のものにとっては被害は少ないだろうが、痛い目を見ていない雛の成長を阻害する結果にもなった。
「だからヒナは未だに危険に対する認識が甘い。守られることがあたりまえになっているから、状況を考えずにすぐに己の思考に没頭して周囲への警戒を忘れるんだよ」
そうなったのは雛を育てた久哉の責任だと言い切った陽炎。
久哉は思いっきりしかめっ面をした。
いつもそばで誰かに守られていることに慣れた雛は、周囲の状況を忘れて考えに没頭することがあるのは事実だったからだ。
たしかに村にいたころは絶えず久哉がそばにいたわけではない。けれどミコである久哉の養い子に本気で傷を負わせるものはいなかったし、雛は雛で周囲から意識を切りはなすことで聞きたくないことを聞かなくて済むように生きてきたためそんな風になってしまった感がある。
そういう意味では久哉だけの責任ではないが、手間を惜しまなければもっと早い段階で修正をかけられなかったわけではない。つまりはここは年長者である久哉の責という結論が導かれた。
久哉は観念したように組んでいた腕をほどいた。
「わかった。もし今後も俺のそばにいるというのであれば改善させるように努めてみるさ」
その言葉に反応したのは雛のほうだった。
「え? 久哉、それどういうこと?」
迎えに来てくれたものと思っていた。
だからこれからも一緒に旅を続けるのだと疑いもしなかった。
けれど必ずしもそうとは限らないという。
「星が流れた。俺はまた欠片のところへ行かないといけない」
「だからってどうして? どうして今回はついて行っちゃいけないの?」
久哉がひとりで行かなければいけないというのであれば、我慢して留守番するが、そうでなければ一緒に行きたい。
雛がそう伝えると、久哉は陽炎を一瞥した。
「ロウはどうするんだ?」
「どうするって……」
陽炎は陽炎でこれまでのように生きていくのではないだろうか。いったいなんの関係が、と首をかしげていると、とうの陽炎が尻尾を使って雛の頭を叩いた。
「逃がさない。そう言っただろう。もう忘れたのか?」
「え、でも、久哉が戻ってきたのに?」
「それがなんの関係があるんだ?」
陽炎の朱い瞳が揺らめきながら剣呑な気配を纏ってくる。
陽炎の言葉は容赦がなかった。
「そもそもヒナはオレにささげられた生け贄としてここにいるんだ。本来であればすでに食われて死んでしまっている存在だ。逃げないと約束したから生かしてやってるだけで、勝手にふらふらと出て行こうとするんなら食っちまうぞ」
そういえばそうだった。
雛だって考えたではないか。久哉の足手まといでしかないなら、陽炎と一緒にこの森で生活するのもいいのではないかと。
けれどいざ久哉に再会してみると、一緒にいることしか考えられなくなった。
雛はすがるように陽炎を見上げた。
「だめ……なの?」
身勝手に許しを請うことしかできないことが情けない。けれどほかにどうしていいのかわからなくて、我がことながらあまりの嘆かわしさにじわじわと目が潤んできた。
あっというまに目尻に溜まる涙を陽炎が舐めとる。
「泣き落としか?」
陽炎が嗤う。
雛は違うと即座に否定を返して力いっぱい首を左右に振った。そして飛びつくようにして陽炎の首に抱きついた。
「でもここにいて、またさっきの妖みたいなのに会うのは嫌なの!」
雛の足で。しかも考え事をしながらふらふらと歩いていたのだから、妖に襲われた場所は陽炎の棲み処である洞からさほど離れていなかった。
つまりはこの先もないとは言えないのだ。
雛が妖と会ったのは今回が初めてだ。
妖から攻撃されたことも、あれほどの攻撃を昼の神子である久哉の結界が防ぎ切った様をまのあたりにしたのも、同様に初めてのことだった。
だから今までは上辺だけしか知らなかった久哉の力は、攻撃ができない昼だからといって名を呼ぶことを遠慮する必要がないくらいには強かったこともわかったのだ。
そうしたことからも雛が久哉のほうに傾倒してしまうのは当然だった。
いっぽう陽炎も自分の棲み処のすぐそばで獲物を横取りされるとは思っていなかった。いわば縄張りを荒らされたのだから、雛の言葉はかなり応えた。
いったん逸らされた陽炎の朱い瞳は、やがて雛を見て、久哉を見た。
「オレも一緒に行く」
最初に目を瞠り、次いで陽炎を睨みつけながら口を開いたのは久哉だった。
「なにを言っている。おまえは妖怪だろう。一緒に旅などできるわけがないだろう」
「人の目があるときだけオレが身を隠せばいいのだろう。しょせんそんなことを気にするのは『人』だけだ」
そもそもミコである久哉が一言「連れ」だといえばそれで済むことだ。なにせ白髪の雛を連れて歩いているくらいなのだから、妖怪が一体増えたところで周囲の反応にさほど違いが出るとは思えなかった。
逆に妖怪を従わせることができるのかと尊敬されるだろう。
久哉もそうした状況は容易に思い描くことができて、ひどく苦々しい顔をした。
陽炎が続ける。
「ヒサヤは欠片のところへ行かなくてはならない。ヒナはヒサヤと一緒にいたい。オレはヒナを手放す気はない。そうなると全員で移動するしかないだろう?」
「陽炎も一緒に行けるならいっきに問題解決ね」
ようやく話に追いついてきた雛が相好を崩した。
そんな雛の頭を、久哉が拳でもって軽くコンと叩いた。
「雛。ロウ、だ。いいかげん覚えろ」
「それって一緒に行ってもいいってことよね」
「とりあえずそうするしかないだろう」
久哉の声はやけに疲れているようだった。
賛成はしないが、反対も邪魔もしないといったところだろう。仮にダメだといっても陽炎であれば勝手についてくるくらいは簡単にしでかすだろう。それならば最初から行動を共にして、いざというときの対処についても話をあわせておいたほうがいい。
二人と一体は、いったん陽炎の棲み処である洞に戻って支度をしてから旅立つことになった。