1.赤子
影が揺らいだ。
森の木々さえもただの濃墨でえがいた闇でしかない暗夜のなか、明かりも持たずに現れたのは一人の子供だった。
少年なのか少女なのか外見からはわからない。纏う衣装、装いによってどちらにも見えてしまう中性的な顔立ちをしている。
きめが細かい肌は焼けを知らず、整った顔立ちを闇のなかに浮き上がらせるほど。肩にかかる絹糸のような艶をもつ髪は漆黒で、わずかな明かりをも集めて輝きをちらつかせる。
首からくるぶしまでの長さの白い一枚布を脇で縫い合わせて手首までの長袖をつけたすとんとした上衣のトーブと、同じくくるぶし丈の下衣のパンツ。首にかけられた手のひらほどの幅の帯のようなものも同じくくるぶし丈で、豪奢な刺繍が施されたそれは子供が歩くたびに金糸銀糸がちらちらと煌めく。
子供が向かった先には小さな天幕があった。
そのすぐ手前には焚き火。その明かりが子供を照らして、さらに首にかけた帯状のものを煌めかせていたものの正体だった。
焚き火の見張り番なのだろう。天幕の外にいた一人の男が子供に向かって一礼すると、振り返って天幕の中に向けて声をかけた。
中から現れたのは二人の男と一人の老婆、そして老婆が抱きかかえた赤子。
三人の男たちは老婆より一歩さがった場所で横一列に並ぶとその場に膝をついた。
いっせいに全員が頭をさげて子供へ礼をとる。
彼らは子供と同じ白いトーブとパンツ姿だった。幾分汚れているのはここまで旅をしてきたためだろうと思われる。違うのは腰に帯が巻かれているところくらいだろう。子供に比べるとかなり質素な刺繍だが、それでも共通点は見受けられる。
つまりは子供が首にかけている帯状のものは正真正銘帯ということになる。なぜそのようなことをしているのかは不明だが、あえて腰に巻かずに装飾品のように首にかけることで、帯そのものに注目をさせるようにしているのかもしれない。そうすることによってその帯の刺繍の豪奢さが一瞥するだけでわかるようにしているとも考えられた。
もっともここにいる赤子を除いた四人全員が多少の濃淡はあるもののすべて赤茶けた髪の色をしているように、それはこの世界の人に共通する髪色という常識のなかで、子供の漆黒の髪はそれだけでもじゅうぶん目立つものだったが。
帯と髪色。それがなにも言わずとも子供の正体を彼らに知らしめるものだった。
数拍ののち、老婆だけが顔をあげた。
「ようやっと相まみえることが叶いました、昼の神子さま、夜の巫女さま。約定に従いし品をお持ちいたしましたので、我にどうぞお力添えをよろしくお頼申します」
老婆のすぐそばにいた男が、両の手のひらに小さな欠片をのせてうやうやしく掲げる。
子供はそれを髪色と同じ漆黒の瞳で一瞥すると小さくうなずいてようよう口を開いた。
「なにを所望する?」
老婆が差しだしたのは腕に抱いていた赤子だった。
「この子の処分を」
禁忌の子供だというその赤子は女児。頭部を薄く覆うのは白い髪。
さすがに殺すのは忍びないのでミコにということだった。
ミコは欠片を持つ者の願いはなんであろうと叶えなくてはならない。ミコと呼ばれた子供は欠片と赤子を受け取るとその場をあとにした。
子供が向かった先は以前宿を借りたことのある村だった。
村につくまでは木の実から採れるミルクを与えた。
これは動物にとっても人にとっても一時的であれば乳の代わりになるものだ。森のあちこちで簡単に手に入るが、もちろんこれだけでは栄養が不足するため、母乳を与えることができない間のつなぎでしかない。
それでも空腹で餓死させるよりはマシである。
目的の村は赤子を受け取った場所からわりと近い位置にあったために数日でたどり着いた。するともくろみどおり乳飲み子を抱えた母親が数人おり、乳をわけてもらえることになった。
その母親たちのうちの一人は以前宿を借りた家の娘で、今回も同じ宿で寝泊まりできるように取り計らってくれた。
禁忌の赤子に名づけるものなどいない。
子供は自身の名前――久哉から「ひ」をとって雛と名づけた。
ミコの子供は少年だった。
雛は乳を飲んですくすく育っていった。
この村で数年を過ごして雛は童女へと成長したが、久哉はまったく変わらない子供の姿のままだった。
ミコは歳を取らない――成長しないということはこの世界の常識のようなもの。当然この村の者全員も知っていること。
しかし知っていることと、その異様な光景を間近で見続けることは別物だ。平気でいられるものではない。平常心を保つにも限度はある。
できるだけ早く村を出ていったほうがいいことはたしかだ。
それでもせめてと、言葉を覚えて、旅ができる程度にまで成長するのを待ってから、久哉は雛の手を引いてその村をあとにした。
引き留めるものは一人もいなかった。