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「先週は悪かったね」
その日、先に公園に着いていたのは守だった。守は公園の入り口の束石に座っていた。
「祐ちゃん、水曜も金曜も来てたんだろ? 随分待ったんじゃない?」
ごめんね、と守は再度謝罪した。
「なにかあったの?」
「どうしても来れなくてね。少しだけでも顔出そうと思ったんだけど、時間がなかったんだ」
守は金曜も姿を見せなかった。おかげで、僕は気になって仕方ない週末を過ごすことになってしまった。ひょっとするともう守が公園に来ることはないのではないか、とも考えた。所詮子どもの口約束だ。いくらでも反故にできるし、約束を守る義理もない。隣の校区なのだから、行くのが面倒になればそれまでだ。
だから週のあけた今日、守の姿が見えたとき、僕は内心ほっとした。
先週、待ち続けた時間の長さなどどうでもいい。僕の考えが杞憂だったこと、少しでも守を疑ったことを心の中で恥じた。
ふと。
僕の視界に白いものが飛び込んだ。
守の右手。
手の甲から手首にかけて、守の右手に白い包帯が巻かれてる。守は右手を背中の方に回し、それを隠そうとしているようだったが、シャツの袖から不自然に伸びた白いものは、異様なものとして僕の目に映ってしまった。
僕は尋ねずにはいられなかった。
「どうしたの――それ」
「ん? ああ、これね――」
守は苦笑いを受かべ、答えあぐねているようにも見えた。
「――怪我しちゃったんだ」
「先週来れなかった理由って、それのせい?」
そう尋ねると、守考え込むように眉根を寄せた。
「まあね。病院行ったりしてたから――」
「そうなんだ」
どこか歯切れの悪い返事に感じたが、あまり深く聞かない方がいい――守からそんな雰囲気が漂っていた。
「ねぇ、守君。家の電話番号とか聞いちゃ駄目かな。お互い行けない日があるときなんか連絡先知ってた方がいいかな、と思って。僕んちの電話番号も――」
「やめといた方がいい」
遮るように守が言った。
「それは――やめといた方がいい」
「でも、今度は僕が来れない日があるかもしれないし。守君をここで待たせるのも悪いから」
守は首を振る。
「待つのは平気さ。三十分って約束だろ。先週は祐ちゃんを待たせて悪かったとは思うけど。だけど、家に電話するようなことはやめといた方がいいと思うんだ。僕が隣の校区に来てるって知ったら、お母さんも心配するだろうし。それに――」
言葉を止めた守の横顔は、どこか寂しげで怯えているようにも見えた。友人を無くしたくないという思いから、僕は連絡先を聞くことを諦め、ごめんと一言謝った。
「そのうち話すから」
「え?」
「そのうち話すから。僕がなぜいつもここに来るのか。なぜあの日、祐ちゃんを助けたのか。きっと話す日が来ると思う。だから、今はここでこうやって会うだけにしておきたいんだ」
守の視線が僕を捉える。大きな瞳に見つめられ、男同士だというのに、僕は頬を赤らめてしまった。時々、守が同性だということを忘れてしまいそうになる。それほど、守の目は魅力的だった。
「お詫びのしるしに、僕の宝物、見せてあげる」
そう言うと、守は包帯の巻かれていない手をズボンのポケットに突っ込んだ。
「なに、それ?」
守が取り出したのは十五センチくらいの細長い棒のようなものだった。光沢を帯びた青い色がやけに眩しく映った。
僕は守が無言でその棒を差し出すので、それを受け取った。ひやりとした感触が手のひらに伝わり、見た目よりも重量感がある。棒の先には銀色の突起のようなものがあった。
「その突起部分を押してみて」
言われるがまま、僕は親指でその突起を軽く押してみた。
すると。
棒の先から勢いよくなにかが飛び出してきた。
「うわっ」
驚いた僕は、思わずその棒を手放してしまった。かさっという音とともに、それは足元の草むらに落下した。
「ご、ごめん」
「大丈夫? 怪我しなかった?」
「け、怪我って――。守君、それひょっとして――」
ごめんごめんと、守は笑いながらその棒を拾い上げた。
僕が受け取ったときよりも、その棒は倍近く伸びている。しかも伸びた部分は銀色に鋭い光を放っていた。
ナイフだった。
本物を見るのは初めてだった。十センチほどの刃先が不気味に輝いている。母親が使う包丁より二まわりくらい小さいものだが、それは禍々しいものに見えた。
「そんなに驚くとは思わなかったよ。ちゃんと言っとくべきだったね。もし逆の方を持ってたら祐ちゃんが怪我するところだった」
「そ、それじゃあそれは――」
「本物だよ」
そう言うと、守は近くの腰ほどまで伸びた雑草めがけてナイフを横に振った。緑の細い茎は綺麗に切り裂かれ、半分ほどの長さになった。
「よく切れるでしょ」
おもちゃではない――。
「な、なんでそんなもの持ってるの?」
当然の疑問だ。
中学生が持ち歩くべきものではない。いや、大人でも持ち歩くのは特殊な人間だろう。大体こんなものを持ち歩いて、一体なにをするつもりなのだ。これは凶器なのだ。
「護身用――かな」
「護身用って――。そんなもの使わなくても、守君は強いじゃない」
「強くなんてないよ、僕は」
強くなんてない、と守は放心したように何度も繰り返した。
「使ったことあるの? それ」
守は頭を振った。
「――まだ、ない」
「まだ、って。いつか使うの? 誰に?」
野蛮な話だ。こんなものを誰かに使ってしまえば痛いでは済まない。使えばそれは事故でなく事件にまで発展するだろう。
止める――べきか。
そんなことが頭に過ぎったとき、守は大声で笑った。
「冗談だよ、冗談。こんなもの誰かに使うわけないじゃん。面白いなあ、祐ちゃんは」
呆気に取られた僕をよそに、守は続ける。
「祐ちゃんをあいつらから助けるときだって震えてたんだよ、俺。それに初日は素通りしちゃったんだから。そんな臆病な俺が、こんなもの人に向けて使えるわけないでしょ」
「それじゃあ、なんでこんなものを」
「これはね、お守りなんだ」
「お守り」
守は光沢を帯びた青い柄の部分を愛でるように何度も撫でた。もちろん、刃の部分は納めてある。
「昔、お父さんからもらったんだ。家を出ていくときに――」
守の両親は、彼が小学校低学年の頃に離婚したらしい。理由までは聞かなかったが、父親の話をする守は哀しげな表情を浮かべていた。
「お母さんになにかあったらお前が守れって、これを渡されたんだ。どうかしてるよね、まだチビで包丁もまともに握ったことないような子供にこんなもの渡すなんて。大体自分は離婚して出て行っておいて、俺に守れとか恰好つけちゃってさ。自分で守れよ、って話だよ」
「それから毎日持ち歩いてるの?」
「最初は怖くて触れなかった。だから机の引き出しの奥に仕舞っておいたんだ。五年生に上がったときかな。自分で刃を出してみたのは」
カチッと小さな音を立てて刃先が飛び出した。
「別にお母さんになにかあったわけじゃない。なんとなく触ってみたかったんだ。どれくらい切れるものなのかな、って興味が出てね」
守は刃の飛び出したナイフを左手で器用に弄んで見せた。随分と慣れた手つきだ。
これ持ってると強くなれる気がするんだと守は言う。
「実はね、祐ちゃんがあいつらに殴られてるのを初めて見たとき、これを持ってなかったんだ。その日に限って家に置いてきちゃってた。あの日――祐ちゃんを助けた日、こいつを持ってたから勇気が出たんだと思う」
夕日がナイフの刃に反射して、僕はその眩しさで目を細めた。




