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今度は僕が  作者: 益次郎
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 翌日の放課後、僕は学校を出て、自宅とは逆方向へ歩いていた。

 あの公園へ。

 自分の意志であの場所へ向かうのは初めてのことで、その道のりは新鮮だった。植山たち三人に捕まって連れて行かれる道程は足取りも重く、見える建物や行き交う人や車まで憎らしく見えていた。だけれど、今日は違った。暗く沈んだ色に見えていた古い軒並みが、心なしか明るく見えてくる。

 ――気持ちひとつでここまで景色が変わるものなのか。

 僕はそんなことを考えながら、公園へと急いだ。

 公園は相変わらず人気が無かった。改めて考えると住宅街の中にありながら、これだけ人気が無いのも珍しいのではないかと思う。自宅近くの公園ではいつも近所の小学生たちが遊んでいるのに、ここら辺の子供たちは一体どこに遊びに行っているのだろう。雑草の手入れをして遊具のひとつでも設けてやれば、子どもも寄りつくだろうに。ベンチすらない公園では、ベビーカーを引いた母親でも近づかない。これではただの更地にしか見えない。だから植山のような連中が目を付けるのだ。

 名ばかりの公園に入ると、僕はとりあえず草むらの上に腰を下ろした。腰掛けるところもないのだ。土の上に直に座るよりよっぽどマシだ。

 いざここへ来て見ると、不安が頭をもたげてくる。植山たちがどこかに隠れていないだろうか。待ち構えていて、昨日の仕返しを企んではいないだろうか。それに、本当に昨日の少年は来るのだろうか。辺りを見回しながら、そんなことを考えていた。

 そもそも、僕はあの少年の名前をまだ知らない。

 昨日、またここで会って欲しいと告げると、僕がなにかを言う暇もなく、少年はさっさと姿を消してしまった。僕は名前も知らない、たった一度だけしか会ったことのない少年の口約束を信じて、この公園に来てしまったというわけだ。

 昨夜から僕の頭は不安だらけだった。

 少年が本当に今日ここへやって来るのかという不安ではなく、学校へ行ってからのことだ。なにせ植山たち三人と顔を合わせるのは僕だけであり、昨日の仕返しを一身に受けてしまう状況にあるのだ。学校が違う少年に助けてもらうわけにはいかない。

 これまで、三人が学校にいる間、直接的な暴力を振るってくることはなかった。他の生徒や教師たちの目を気にしてのことだろう。とりあえず、登校して放課後までの間は、平和に過ごせていたのだ。

 だけれど、あの一件をあの植山が黙っているはずもない。ふたりの子分の前で見せたあの無様な姿。新田と川島の忠誠が揺らぐには十分な姿だった。失われた信頼を取り戻したいなら、力を見せつけてやらねければならないはずだ。

 僕に対してもそうだ。あんな屈辱的な姿を、いつも一方的に支配してきた羊に見られてしまったのだ。内心穏やかではいられるはずがない。そんな不名誉を回復するためなら、どこの馬の骨かも分からない少年を待つより、身近な僕の方へ怒りの矛先を向けるに違いない。

 要は八つ当たりだ。

 一日中同じ教室にいるのだから、なにかしらの仕返しを覚悟しなければいけないだろうという不安で、昨夜はなかなか寝付くことができなかった。

 ところが。

 そんな僕の心配は杞憂に終わった。

 新田も川島もどこかよそよそしく、僕の方を見向きもしない。それどころかどことなく避けているようにも感じた。

 植山にいたっては、学校に姿を見せなかった。昨日殴られた腫れが引かないのか、屈辱で登校する気にもなれなかったのか。それともあの少年を探しに、隣の中学の校区をうろついているのか――。

 そんなことを考えながら、空いている植山の席を眺めて一日を過ごした。

 平和な一日ではあったが、胸の内には、どこか深く濃い霧がかかっているようだった。

 そして――。

 少年の姿はまだ見えない。

 相変わらず公園には僕ひとりだ。雑草だらけの公園のど真ん中に中学生がひとりぽつねんと座っている光景は、辺りの住人にどう映っているのだろう。これだけ人通りが少ないならば、植山たちが好んで使うはずだ、と改めてそう思う。できればもうここには近づきたくないとも思う。

 だけど、あの少年のことが気になって仕方なかった。助けてくれた恩ももちろんあるが、それ以上に、また会って欲しいという一言が、忌まわしいこの場所へ足を向けさせたのだ。

「やあ」

 聞き覚えのある声がした。遠くを所在なげに眺めていた僕が声の方へ顔を向けると、昨日の少年が立っていた。昨日と同じ、シャツの襟元に校章がプリントしてある東中の制服姿だった。

「来てくれたんだね。よかった」

 昨日と同じように少年は笑った。

 ただ――。

 昨日とは違ったところがひとつ。

 少年の口元に昨日は無かった傷がひとつ。血の滲んだ痣のようなものが見てとれた。植山には一発ももらっていないはずだ。僕がその痣のことに触れる前に、少年は言った。

「長谷川――守」

「え?」

「長谷川守。僕の名前。昨日言い忘れてたから――」

 地面に腰を下ろしている僕の目の前に、少年は手を差し出した。突然のことに、僕は慌てて立ち上がって手に付いた雑草やら小石やらを払い落してその手を握った。細く長い指から、少年――長谷川守の温もりが伝わってきた。

 守でいいよ――長谷川守はそう言って白い歯を見せた。

 それから僕も慌てて名乗った。昨日すべきだった自己紹介は、なんとも慌ただしく少し恥ずかしくもあった。

「祐樹君か――。じゃあ祐ちゃんでいい?」

 そう呼ぶのは母親と祖母だけだ。多くのクラスメイト――友人と呼べるほど打ち解けていない――は、みな同じように名字を君付けで呼ぶ。

「祐ちゃんっていいよね。守なんて略しようがない名前だし」

 あだ名で呼ばれるなんていつ以来だろう。幼稚園、いや小学校の低学年以来だろうか。

 それまでは友達もいたし、毎日が楽しかった。それが年を経るにつれ、その友達たちはそれぞれの世界と地位を築いていき、いつの間にか僕のことを「祐ちゃん」と呼ぶ人間はいなくなってしまった。その代わり現れたのが、僕を攻撃する人間、つまり植山たちだ。

 あいつらは「祐ちゃん」などと呼ばない。下手をすれば名字でも呼ばれないのではないか。僕のことどれだけ殴っても反抗しない、おもちゃのようにしか考えていないのだ。

「祐ちゃんは学校に友達いる?」

 守の問いに僕は答えあぐねた。

 正直なところ、友達と呼べる生徒はひとりもいない。中学二年になった今まで、僕はいつも教室の机にひとり、ぽつんと時が過ぎるのを待っているだけの生活だった。学校での僕は空気も同然だ。放課後になって初めて、食う気は実態を持つ――植山たちだけに。

 だけど、「いない」と答えるのはどこか恥ずかしく、答えることができなかった。そんな僕の容姿を察したのか、守が言った。

「俺さ、友達いないんだ」

「そう――なんだ」

「夏休み終わって、こっちに転校してきたんだ。それまでは県外にいたんだけど、親の都合でこっちへ」

 そう語る守の表情はどこか寂しげだった。僕はそんな横顔を眺めながらも、口元の痣が気になっていた。

「馴染めないんだよね、今の学校」

 前の学校でもそうだったけど、と守は笑った。

「僕もいないよ――友達」

 そう言うと、守はふうんと空を見上げた。

 しばらくの間、ふたりの間には沈黙が続いた。それは友達がいないというお互いの境遇を、咀嚼しているかのような時間だった。

 沈黙を破ったのは守だった。

「――友達になってよ」

 戸惑う僕に、守は再び手を差し出してきた。

「――どうして、僕と?」

「どうしてって聞かれると困るな。ここで出会ったのもなにかの縁――と思ってさ」

 僕は差し出された手を再び握り締めた。


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