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今度は僕が  作者: 益次郎
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 なにを言っても聞く相手ではない。

 どれだけ言ってもやめる相手ではない。

 そんなことは百も承知なのだが、言わずにはいられなかった。

「やめてよ――」

 僕の言葉は彼らにとって、真逆の意味を持つのかもしれない。やめろという言葉は、彼らには続けろと聞こえるようだ。手を止めるどころか、拳にはより一層力が入り勢いを増している。

「痛い」

 声を出すまい、そう頭で考えても自然と口から言葉がこぼれ落ちる。反射的なものなのだろうか。ぐっと口を閉じて唇を噛んでいても、体に与えられる衝撃によって言葉を発してしまう。

 言うな。

 我慢しろ。

 僕の脳はそう命令を出すのだけれど、それを無視して、喉の奥から逃げ出すように言葉が飛び出してくる。今この瞬間、僕の思考と体は統率力を失い、自分でもコントロール出来なくなってしまっていた。

 どん。

 これまでにない、大きな衝撃が背中に走った。まるで地震でも起きたかのように、僕の視界は激しく揺れた。と、同時に揺れたと思った視界は真っ白になった。

 衝撃の大きさの割にさほど痛みは感じなかったが、その代わり僕の体は呼吸をする術を失った。肺の中の空気は吐き出されているというのに、息を吸おうとしても空気が入ってこない。ひゅうひゅうと鳥の雛のようなか細い嗚咽とともに、僕は膝から崩れ落ちてしまった。

「うわあ、今のは決まったね。勝ちゃん」

「祐樹君ダウンです」

 地面に手をついた僕の周りで楽しげにはしゃぐ声がする。小石や砂が掌に食い込んだがそんなことはどうでもよかった。

「昨日観た映画でやってたのさ。相手をかわして体勢が崩れたところに背中めがけて肘を――こう」

 へぇーっと取り巻き二人が感心している。僕からは見えないけれど、おそらく今僕にしてみせた動きをもう一度見せびらかしているのだろう。そんなことはどうでもよかった。

「立てよ、祐樹。まだだぞ」

「も、もうやめてよ」

 我ながら情けない声だ。まるで命乞いでもするかのような、腰抜けの声だ。

 自分で自分が情けなくなってくる。彼らに対する怒りや憎しみよりも、自分に対する嫌悪の方がよっぽど大きい。

 いつ終わるんだろう。

 どうやったらやめてくれるのだろう。

 僕が一体なにをしたというのだろう――。

 殴られ、蹴られ、通学カバンを足蹴にされてなお、僕の頭はそんなことばかり考えていた。

「――楽しそうだね」

 聞きなれない声がした。三人の中の誰のものでもない声だ。三人よりも声域が少し高い。

 地面に四つん這いの状態で突っ伏している僕には、その声が誰のものなのか分からなかった。

「なんだ、お前」

 植山勝太がいつもより声を低くして警戒している。

 三人の中でもリーダー格の植山は、小学校の頃から僕のことを見つけては、なにかしらちょっかいを出してきた。初めのうちはじゃれ合いのうちの一つだろうと思っていたのだけれど、その行為は次第にエスカレートしていき、中学校の入ってからはこのざまだ。あのとき、少しでも抵抗していれば――なんて今さら後悔してもあとの祭りだ。

「楽しそうだな、って思ってさ」

 一瞬、三人が息をのんだのを空気で感じた。突然の闖入者に戸惑っているのか? あの三人が?

 僕は恐る恐る顔を上げた。涙で目が滲んでよく顔は見えないが、白いシャツと学生ズボンを穿いた少年の影が確認できた。

「東中の制服だぜ、こいつ」

 川島武の声だ。三人の中でも学校の成績は上位で、リーダーである植山にひっついてはなにかと威張っている。ひとりのときは僕を見ても知らん顔の癖に。きっとこいつは臆病ものなのだろうと、そう僕は思っている。今だって、いつもより声が上ずっているのがその証拠だ。

「東中の奴がこんなとこでなにしてんだよ」

 新田悟も驚いている様子だ。植山がいなければなにも出来ない小心者。ここで僕が殴られているのを見て楽しみながらも、いつもまわりを気にしている。誰か近くを通るたび、ただ遊んでいるように見せかける卑怯者。植山がそばにいるから、そうやって居丈高でいられるのだ。新田ひとりなら、さっさと逃げ出しているに決まっている。

 とりあえず、何者かの乱入で僕への攻撃は止まった。

 こんなことは初めてだ。

 学校終わりの午後、住宅街の一角の公園――といっても遊具ひとつ無い、雑草だらけの空き地のようなものなのだが――で行われるこの行為を、誰も気に留めることはなかった。   それは新田や川島の周到さのせいでもあるのかもしれないし、人通りが少ないせいかもしれない。近隣の住人に助けを求めない僕のせいかもしれない。

 今日もなじられる苦痛の時間は、植山の気が済むまで続く――予定だったはずだ。

 助かった――。

 僕は闖入者に気を取られている三人の背後にまわり、ようやく体を起こした。

「俺も混ぜてよ」

 思いがけない言葉に、制服に付いた土を払っていた手を僕は思わず止めてしまった。

「あ?」

 植山が驚きを隠すようにすごんでみせた。

「楽しそうだから俺も混ぜて、って言ってんの。楽しいんだろ。一昨日もやってたみたいだしさ」

「楽しいに決まってるだろ。遊んでんだから」

 新田が取り繕う。人が近くを通ると僕の肩に手を回して、気味の悪い笑顔でわざとらしくおどける。そうやって誤魔化すのだけれど、声を掛けられたのは初めてだ。確実に動揺している。

 それにしても。

 乱入してきた少年は僕と同じくらい小柄で、どこにでもいる普通の男の子だった。見知らぬ連中の輪に、わざわざ飛び込んで来るような子にはとても見えない。

 僕と同類――つまりクラスでも目立たず、教室の隅っこで静かに一日を過ごすような子に見えた。どこの学校にもいるような、腕力と威嚇だけで生きている様な輩には見えない。つまり僕と同じように華奢なのだ。

「向こう行けよ」

「混ぜてって何度も言ってるだろ」

 三人に詰め寄られても、少年は引き下がらない。

 僕は今のうちに逃げようかとも思ったが、少年が気になってその場に立ちすくんでいた。もしかすると三人だった敵が四人になるかもしれないというのに。

「混ぜてってどうしたいんだよ、お前」

「好きに殴っていいんだろ。抵抗もしないし、彼。人間サンドバッグって感じかな。人を殴ってみたいんだよ。いいだろ、俺も――」 

 あっという間の出来事で、一体なにが起きたのか分からなかった。

 気付いたときには、植山が腹を抱えて体を「く」の字に曲げていた。よく見ると、少年の右の拳が植山の腹部に食い込んでいる。

 植山は苦しいのか、声も出せない。いつもの僕のようだ。気持ちはよく分かる。ちっとも同情する気にはならないが。

 二発。三発。四発。

 少年は追い打ちを掛けるように、拳で、足で、植山の体を攻撃していく。呆気に取られた川島と新田は、打ち付けられる植山をただ眺めていることしかできないでいた。

「て、てめぇ――」

 六発。

 少年の拳が植山の頬へ命中した。それと同時に体が地面へと倒れ込む。

「勝ちゃん!」

 新田と川島が慌てて倒れた植山の元へ駆け寄った。突如現れたヒーローに打ちのめされた親分の元へ子分が駆けよる――まるで漫画のワンシーンのようだ。

 そんな夢とも現実とも取れないような光景に呆気にとられていた僕を、いつの間にか少年が見つめていた。肩で息をしている少年の目は、じっと僕を捉えている。どうしていいか分からない僕は、ただその少年を見つめ返すことしかできなかった。

「行こう」

 突然手を引かれた僕はされるがまま、少年に合わせて走り出していた。

 背後で新田がこちらに向かってなにかを叫んだようだったが、少年はそんなものを気にする素振りも見せず、スピードを緩めることはなかった。僕はといえば、流れる風景を見る余裕もなく、前を行く少年の背中を見ているしかなかった。

 どの道をどれくらい走っただろうか。

 ようやく少年は立ち止まり、握っている僕の手を緩めた。ふたりとも息を切らし、額には汗が浮かんでいる。

 気付けば、見慣れない団地の駐車場に立っていた。どうやら学校や自分の家とは間逆の方へ走ってきてしまったようだ。

「危なかったぁ」

 意外な言葉だった。あの植山を一方的に痛めつけた人間の口から出る言葉とは思えない。

「あ、危なかったって――」

「思ったより上手くいったよ。あっさり引いてくれて助かった。もし残ったふたりがやる気だったなら危なかったよ、ほんと」

 あっけらかんと笑いながら、少年は車止めの上に腰掛けた。そして緊張の糸が解けたのか、だらしなく足を放り出し大きく息を吐いた。

「怖かったー。見てよ、これ。まだ足が震えてる」

 少年の指さした先では、紺色の細い学生ズボンが小刻みに震えていた。

 一体この少年は何者なのだろう。自分より背の高い相手を殴り倒したかと思えば、怖かったなどといって震えている。なんのためにあんなことを――そんなことを考えながら、少年にかける言葉を探していた。

「あの――」

 ありがとうと僕が言いかけると、少年は掌をこちらに向けてそれを制止した。

「やめてよ。そんなこと言わないで、一緒に話そう」

 少年に促され、僕は隣の車止めに腰を下ろした。ひんやりとしたコンクリートの感触が、制服の上から伝わってくる。

「礼なんかいらないよ。だって僕は一昨日、見て見ぬふりをしたんだから。本当は僕が謝らなくちゃいけないんだ」

「えっ」

 そういえば、植山に一昨日もやってたじゃないかと言っていた気がする。あのときはそれどころではなかったから気にも留めなかったのだけれど、一昨日もあんな無様な姿を見られてしまっていたのか。情けなさと恥ずかしさで僕はこの場から逃げ出したい気持ちになった。

 そんな僕に向かって、少年は頭を下げた。

「申し訳ない」

「そ、そんなこと言わないで。だって今日こうやって助けてくれたじゃないか」

「正直、迷ったんだ。ああするべきか、一昨日みたいに知らん顔で通り過ぎるか。偶々上手く言ったけど、下手すれば君と同じように殴られただろうし」

 殴られるのは恐いからね、と少年は申し訳なさそうに笑みを浮かべた。笑うと口元の八重歯が印象的で、眉毛まで伸びた柔らかい髪質と深い二重の目とが相まって、女の子のようにも見える。植山のごつごつした岩のような顔と比べると対照的だ。

「でも、強かったよね。植山があんな風にやられるの初めて見たよ」

「植山っていうんだ。あいつ」

 少年はふぅんと鼻を鳴らした。さっきの記憶を思い返すように遠くを見つめている。

「さっきも言っただろ。偶々だよ」

 偶々であれだけのことができるはずがない。現に植山はなんの抵抗もできなかったではないか。そう言うと、少年は眉を寄せた。

「一昨日、君が殴られているのを見て一晩考えたんだ。どうやったらあいつらをやっつけられるかな、って。それで思い出したんだ。小さい頃に見た映画の台詞――」

 先手を打て。

 そう言って、少年は左の拳を突き出した。

「多くの人間はまず、争いを避けようとするらしいんだ。こっちを威嚇してくる奴なんかは特にね。威嚇して脅しつけて、向こうから引かせるんだ。向こうを引かすことが出来たなら勝ち。つまり争いに勝った気になる。プライドの問題さ。そういう奴には先手を打つ。殴られた相手は驚いて隙だらけになるから、そこに追い打ちをかけてやれ、ってさ。六発も入れてやれば、ほとんど戦意喪失。そうしたらとにかく――逃げろ」

 おどけてみせる少年に、僕はなにも言えなかった。確かに少年の思惑通りに進んだのだろう。それにしても、ここまで上手くいくものだろうか。どんな映画かは知らないが、それはあくまで物語の中の話であり、まさかそれを実行してみせるとは。上手く行ったからいいものの、もし植山がそれで怯まなかったら僕と同じような目にあっていたかもしれないのだ。

 しかしそんな馬鹿げたことを、と文句を言える立場でもない。この少年のおかげで今日は連中から逃げることができたのだ。それにあの植山の無様な姿――胸のすく思いだ。

「それに、お礼言うのは僕の方かもね」

「え?」

「なんだかね、強くなったような気がするんだ。さっきあいつをぶん殴ってやったおかげで、こう、自分が生まれ変わったような――。君があそこで殴られていたおかげで、僕は成長できたんだよ。君にとっては迷惑な話だけどね」

 実は人を殴ったのは初めてなんだ、と少年は笑った。

 確かに僕と同じくらい華奢な少年だ。好んで争いごとをするようにはお世辞にも見えない。

「――人を殴るってどんな感じ?」

 僕は人を殴ったことがない。兄弟もいないし、小さい頃にも他人と殴り合うような喧嘩などしたことがなかった。植山たちと出会って以来、もっぱら殴られる専門だった。

少年はしばらくうーんと首をかしげて考えて、

「痛いね」

 と、顔をしかめながら笑った。

「殴られた相手も痛いだろうけど、その分こっちも痛いよ。これ見て」

 そう言って差し出された少年の拳は、皮がめくれ少しだけ血が滲んでいた。

「夢中だったから分からなかったけど、結構力いっぱい殴っちゃったみたい。急に痛みを感じ出したよ。これがアドレナリンってやつなのかな」

 拳に息を吹きかけ、イテテと笑う少年を僕はなんとも言えない気持で眺めていた。

「また明日もあそこにいる?」

 僕はその問いにうろたえてしまった。好きであそこにいるわけがない。植山たちに連れられて、あそこにいるだけなのだ。それに家とは逆方向だ。学校帰りに来る場所ではない。できれば近づきたくない場所でもある。

 応えかねていると、少年は笑った。植山をいきなり殴ったとは思えないくらいよく笑う。

「勘違いしないで。あいつらと一緒に、って意味じゃないよ。また僕と――」

 会って欲しいんだ――。

 少年は照れ臭そうに笑った。


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