犬狼人
全員、息を切らしながら山道を抜けた。いつの間にかフィネも合流していた。
「……どうにか山道を越えることが出来たな。全員、生きて出られてよかった」
「あんな化け物が、年がら年中あの道にはいるのか?」
「もちろん、あんな化け物昔はいなかった。
山を支配するのは狼だった。変わったのだ」
クラウスは沈痛な面持ちで言葉を紡いだ。
彼の言葉には、なんとも言えない実感が伴っていた。
もしかしたら、彼はこの近くに昔は住んでいたのかもしれない。
「あのー、ところで、その女性はいったい誰なんでしょうか?」
身の安全が確保されると、いろいろなことが気になってくるものだ。
リナは露骨に疑わしげな視線をフィネに向けた。
フィネは指貫グローブを付けた手を振った。
「えっ、や、やですねえ! あっしは、そんなに怪しいもんじゃあありませんよ!」
「その喋り口の時点で、大分怪しいというか、胡散臭いと思うんだが……」
時代劇の三下か何かのような口調だった。『先生』でも呼んでくるのだろうか。
「ホントに、怪しいもんじゃないんですよ?
あっしはフィネ=ラフィアと申します」
「……聞いたことのない名だ。山賊や盗賊の類ではないように思うが」
擁護している、というよりは思ったことをそのまま口にしているようだった。
「で、そのフィネ=ラフィアはいったい何をしにこんな山奥まで一人で来た?」
「あっっと、すいません。あっしとしたことが、用件を伝えずにこんな……」
と、言ってフィネは体をぱんぱんと払った。
纏ったローブの前は開いており、ほとんどマントのような
使い方になっている。短めの動きやすい服装に、ほつれの
目立つ革靴。袖口から覗く肢体には生々しい傷の他に、
古い傷もいくつか見え隠れしていた。
「あっしはそこな御仁に、一言礼を言いたくてここまで来たんでございます」
「……俺のことか?」
「はい。あっしは昨日、あなた様に命を救われました。
そのお礼を申し上げたくて」
そう言われて、真一郎は思い出した。昨日の貧民窟での戦闘で、
うずくまった人を一人助けていたような気がしていた。別に、
助けようと思って助けたわけではない。オークを相手にするには、
あの場にいた方がよかった。それだけだった。
「別に助けたつもりもないし、恩を売るつもりもない。満足したなら帰れ」
「なんと。礼の一言だけで十分とは……」
妙な方向に勘違いをされているようなので、真一郎は一言釘をさすことにした。
「俺はオークを殺すためにあの場にいた。人の命なんぞ、二の次だ。
お前が生き残ったのは幸運な、ただの結果に過ぎない。
助けるつもりはなかったことはもう一度言っておく」
念入りにくぎを刺したが、フィネはうんうんと頷いた。嫌な予感がする。
「つまり、やって当然のことをしただけだと。さすがでございます!」
訂正するのも面倒だ。真一郎は頭を掻き、反転した。
ゴブリン襲撃のせいで、かなりの時間を無駄にしている。
こんな娘に構っていられる時間はありはしないのだ。
「感激いたしやした!
あっしの受けた恩は、『星海』よりも広く、深いものでございます!
あっしの命、賭してあなた様のお役に立ちとうございます!」
「ふざけるな! これ以上面倒な同行人が増えてたまるかッ」
「あっし、これでも役に立ちますぞ! 地図も読めるし読み書きも出来やす!
有り合わせの物で正しい方位を読み解いてみせましょう!
ちと、料理は苦手ですが!」
地図の読める奴はいるし、読みは出来る。
第一、こんな危険な旅の同行人を一々増やしてなどいられなかった。
大人しく帰れば、痛い目を見なくて済むというのに。
「ああ、お待ちください! せめて肯定か了承かをお聞かせ願いたく!」
「『否定』で『拒否』だ! だいたい、それじゃあどっちを選んでも同じだろうが!」
ふざけた女だ。このままではどこまでもついて来そうだった。
「あのー、フィネさん……」
そこで、リナが口を開いた。
身なりから考えて、リナはフィネのそれとは地位の違う。
上流階級の出身だろう。
彼女のことを快く思っていないのかもしれない。
「あちらの方はソノザキ=シンイチロウと言う方です。お名前で呼んでみては?」
しかし、彼女の口から放たれた言葉は予想の遥か斜め上を行くセリフだった。
「おお、つまりシンの旦那! 旦那、お待ちください! アッシをぜひお供に!」
人懐っこい犬か猫のように、フィネは真一郎の後をついて来た。
クラウスはこんな時、一言だって言葉を発さない。
真一郎はズキズキと痛む頭を押さえた。
(あの女、最初に会った時のこと根に持ってんのか……?)
当然だろう、と思いながらも、彼女の意趣返しを肯定出来るわけではなかった。
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それから数時間、何度かの休憩を挟みながら真一郎たちは歩き続けた。
歩きながら、フィネはよく喋った。その華奢な体のどこに
そんな力が眠っているのだ、と言いたくなるほど喋り続けた。
マシンガントークというやつだ。
会話のネタが途切れることがないのは羨ましい、と思いながらも、
やられる方はたまったものではない。
フィネから振られた会話の内容は多岐にわたった。
天気や気候と言った他愛のないものから、それぞれの故郷、育ちについて。
根掘り葉掘り聞かれているわけではなかったが、自然とそれを引き出される。
天生の詐欺師のような口の上手さだった。
その結果、やはりリナは『共和国』首都の生まれ、
そしてやはり上流階級の出身であったこと、
クラウスはこの先のフランメル村の出身であり、
里帰りになることが分かった。
「首都の生まれって言っても、そんな大したことはないんですよ。
家にお金はありませんでしたし、そのくせ見栄を張るために
借金しているような家でして。私が神官見習いなんてやっているのも、
学問をさせるほどのお金はないけれど、体裁は整うからですし」
そう言ってリナは笑ったが、所作の数々には独学では辿り着けない
領域にある、一種の優美さが感じられた。
幼少期、散々仕込まれたのだろう。
「『星海渡り』があの村に出来る前に、私は村を出て行ったからな。
グラフェン州騎士団に加入してから、五年。
恐らく、変わりようには驚くことになるのだろうな」
そう言って、クラウスは薄く笑った。この旅が始まって初めて、
笑顔を見た気がする。ちなみに、真一郎はフィネの質問をはぐらかした。
伝説の《エクスグラスパー》だ、などと言っても信じないだろうし、
何よりも彼女が信用出来なかった。
信用出来ない人間に情報を握らせることなど出来なかった。
「散々聞きまわっているが、お前の方はどうなんだ?」
話をはぐらかすために振ってみたが、これがまずかった。
「えっ! い、いやですねえ、旦那。あっしの過去なんぞ楽しいもんじゃありません」
「他人には話させるのに、自分は秘密を保つのか? そりゃあ筋が通らんだろう」
フィネはもじもじと口ごもるが、やがて意を決したように口を開いた。
「えー、聞かれて答えるもおこがましいですが……」
「そろそろ陽が落ちる。野営にするぞ。準備を手伝ってくれ」
しかし、それはクラウスの空気を読まない一言によって遮られた。
せっかく覚悟を決めたのに、とフィネはバツの悪そうな顔をしたが、
結局話すことにはなった。
フィネ=ラフィアが生まれたのは中空に浮かぶ名もなき島、
彼らがウルガスタと呼んでいた場所だ。最低限の水場があり、
深い森と高い山に囲まれていたため、外敵の侵入を受けたことは
なかった。彼女は幼少期、そこで平和に暮らしていた。
「ところがある日、村に火が放たれやした。『帝国』の人買いどもの仕業です」
聞いたところによると、この世界で『共和国』と勢力を二分する
『帝国』は奴隷制を公認している、ということだった。
工業生産力が低く、人権意識も低い時代ではまま見られるものだった。
今だって、大して世界は変わっていないのかもしれないが。
村を焼かれ、男も女も人買いによって浚われた。
間一髪、幸運にもフィネはそこから逃れることが出来たが、
一瞬にしてすべてを失ったことに変わりはなかった。
二振りのダガーナイフと、粗末な着物。
それが、彼女の持っている全てのものだった。
それから一年。ナイフとハッタリ、それから必要に迫られて
身に着けた盗賊めいた技術を使って、彼女は必死になって生き延びた。
そして、『共和国』との交易船に潜り込み、彼女は亡命を果たした。
奴隷制を廃止した楽園、『共和国』へと。
だが、亡命を果たしたその先にあった場所も、楽園とは程遠いものだった。
ただそこには奴隷が存在しない、と言うだけのことだった。
腹を満たす食料があるわけでも、糧を得るための仕事があるわけでもない。
頼りのない亡命者にとっては当たり前のことだった。
結局、『共和国』に潜り込んでからも、彼女は裏街道を歩まざるを得なかった。
人から盗み、人から奪い、最低限不要な殺しをしないという理念を持ちながら、
彼女は様々な悪徳に身を染めて来た。
そんな暮らしが一年ほど続いて、心はすっかり擦り切れていた。
「結局のところ、救世主も神様もこの世界にはいないんだと思い知りました」
振る舞われた熱いコーヒーを冷ましながら、フィネはつぶやいた。
「あっしらにとっては生き辛い世界だと聞いていましたが、いやまさかこれほどとは」
そう言って、フィネは被っていたローブを脱ぎ捨てた。
頼りない火明かりに照らされ、彼女の端正な顔立ちが映し出された。
血と泥で汚れているが、美人と言ってもいい。
だが、何よりも目を引いたのは、頭頂に生えたフサフサの毛に
覆われた耳だった。ちょうど、柴犬のようにピンと立った綺麗な耳で、
外側は鼠色の毛で、縁のあたりは白い毛で覆われている。
獣人。その言葉が、真一郎の頭の中に浮かんで来た。
「……なるほど、犬狼人か。『帝国』で暮らすには、さぞ苦労するだろうな」
「犬狼人?」
「彼女のように、犬のような特徴を持った人々のことです。
『帝国』では一まとめにして『亜人』と呼んでいるんですが、こっちでは
呼ばないでくださいね」
「奴隷制廃止だけじゃなく、人権活動も盛んとはな。分かった、そうしておこう」
「じん……? まあともかく。『帝国』では彼らのような、
獣相を持った方々は積極的に差別されているんです。
それこそ、犬のような扱いで。
『犬人は人に隷属するために存在するのであり、ゆえに奴隷にしてもよい』、
という感じで扱われています」
言っていて、リナは落胆して顔を落とした。
言うのも不快、ということだろうか。
「ゆえに、『帝国』領では奴隷を提供する商人と、奴隷狩りを行う
人買いとが公的な職業として存在している。
ちなみに、人として扱われない者の中には異人種も含まれる」
「なるほど、俺のような男であっても奴らは奴隷として見てくる、というわけか」
「お前なら、剣闘奴隷として扱われるかもしれんがな。『帝国』は見世物が好きだ」
古代ローマでは属州から浚ってきた人々をコロッセオで戦わせ、
その有り様を見物するという風習があったというが、この世界でも
人を使った見世物は盛んなようだった。
「ま、そんなこんなでこっちに来てからも裏街道との縁は切れなかったのです」
「裏街道の住人が、なぜ俺に礼など? そんなものは気にしないかと思ったんだがな」
「そんなことありません! 旦那はあっしの人生を変えてくれたんです!」
フィネは立ち上がり、力説した。あまりの力の入りように、真一郎もたじろぐ。
「あっしは人生など意味のない、死ぬまでに課せられた責め苦の
一つと思っていました」
「……悟りに一歩近づけたようで、よかったじゃないか」
「ですが、そんなあっしのことを旦那は助けてくださいました!
あっしの人生、光明が開いたような心地になりました。
あっしはこの恩を返すために生まれて来たんです!
地の果て水の果て、『星海』の彼方までご一緒いたしやす、旦那!」
フィネはキラキラと目を輝かせながら、真一郎の手を握って来た。
犬狼人といえども手の形は人間のそれと同じようで、
柔らかな感触が真一郎の手を包んだ。
「……よせ。こんな旅について来ても、お前にとって得るものは何もないぞ」
その手を、真一郎は乱雑に振りほどいた。そして、荷物を枕にして転がった。
「人生が変わったと思うなら、変わったなりに生きる方法を考えろ。
恩を返すだの、やらなきゃならないことがあるだの、全部錯覚だ。
自分のために人生は使え」
そう言って、真一郎は会話を打ち切るように転がり、三人に背を向けた。
「お前のことを気遣っているのだろう。恩人から受けた言葉は、大事にしておけ」
「まあ、なんだかんだ言って、その……悪い人ではなさそうですしね?」
「ここまであっしのことを考えてくれた御仁は、いままで
じいちゃん以外におりゃあしません……感激しました!
あっしは命の限り、旦那について行きます!」
一同は真一郎の言葉を勝手に解釈して、何やら頷いているようだった。
(どう思おうが、勝手だが。俺の言葉は、言葉以上の意味はないぞ)
そんなことを考えながら、瞼を閉じた。深い眠りが、彼の意識を覆って行った。




