穏やかな旅路
整備された街道を歩く旅は、旅慣れぬ真一郎にとっても
それほど辛くはなかった。
地平線の彼方から、夕日が覗いた。どんどんとその姿は
小さくなり、消えて行こうとした。
「今日はそろそろ、休んだほうがいいだろう。
夜間行軍は危険を伴う」
そうクラウスは言った。どこまでも続いて行く街道の先に、
家らしき明かりが見えた。
「どこに宿営地を立てるんだ?
それとも、宿みたいな、泊まれる場所があるのか?」
「教会からは支援を受けたが、あまり多くの額を
受け取ったわけではない」
クラウスは人がいないのを確認し、懐の革袋を開いて見せた。
金、銀、銅、色とりどりの貨幣がその中には入っており、
豊かに髭を蓄えた老人、柔和な表情をした女性、
偉そうな態度を取り王冠を被った男と、刻印されている
模様も様々だった。
「……俺はこの世界の貨幣価値を知らない。
どれくらい使えるんだ?」
「あまり長くは使えないだろう。今回は野宿をした方がいい。
このあたりは気候が比較的穏やかで、暑くも寒くもなく、
治安も安定している。野営にはもってこいだ」
「ああ、なるほど。俺が野宿に慣れるにも、ちょうどいいかもしれんな」
クラウスは聞き返して来たが、『なんでもない』と返し
その会話は打ち切った。
子供の頃のキャンプを、真一郎は思い出した。
薪を収集し、眠るのに適した場所を探し、保存食を食べる。
街道に近く、街にも近いこの辺りでは狐狸や山賊の類が
出ることはほとんどない、というクラウスの言葉を信じ、
三人はかなり無防備に眠っていた。
ザリ、と何かが動くのを真一郎は感じた。
その人物は真一郎のバッグを漁り、何かを探しているようだった。
目当てのものを探り当て、戻って行こうとする。
「《スタードライバー》を奪っても、何の意味もないぞ」
声をかけると、その人物はビクリと体を震わせた。
真一郎は身を起こした。彼が《スタードライバー》を
奪おうとした理由に関しては、特に聞かないことにした。
真一郎は右手を広げた。すると、クラウスの手から
《スタードライバー》が徐々に消えて行く。
そして、真一郎の手の中で再び実体化した。
「……妖術の類か?」
クラウスは呆然とした表情で、自分の手と
《スタードライバー》とを見比べた。
「……まあ、そんなものだ。どのみちドライバーは俺にしか使えない」
ドライバーの分解と再構成のプロセスについては
よく聞いていなかったし、説明する気にもなれなかった。
人類の既存技術から隔絶した技術で、ドライバーは
作られている。使用者のバイオメトリクスを登録し、
登録者にしか使えないようにしているのもそのためだ。
どんな科学的な誤魔化しも通用しないドライバーは
神秘で満ちている。
「《スタードライバー》を奪うように、あの騎士団長
あたりから頼まれたのか?」
「……これは私の判断だ。貴殿の力が、必ずしも
『共和国』を利するとは考えられない」
「当然だ。俺は『共和国』の手足ではないし、
そのことを『共和国』側も了承している」
もっとも、それは単なる方便に過ぎない。見張りを
用意しているのはこちらの動向を探るためだろうし、
自由を与えているのはいつでも対応できるという自信を
持っているからだろう。だからこそ、真一郎には力が
必要だ。四方に飛び散って行った、力の欠片が。
「……あんたは寝ておけ。不寝番は俺がする」
「ああ、気を付けてくれ。
何かがあったら、すぐに起こしてくれ」
少なくとも、いまのところクラウスには寝首を
掻く気はないのだろう。その気になったら、
すぐにこの男にはそれが出来る。
寝首を掻かれる気は微塵もなかったが。
(俺は死なない。
生き続けることが、お前の正しさを証明することだ……)
真一郎は目を閉じた。いまは亡き、友を思いながら。
メジロのような鳥のささやきで、真一郎は目を覚ました。
陽は山陰に隠れているが、昇り始めている。空気は爽やか、
天候は晴れやか。まだこちらの空気になれていないのか、
頭は少し重いが、許容範囲内だ。真一郎は立ち上がった。
「起きたか。朝飯だ、食べろ」
クラウスは小さな皿に盛られた、コメのようなものを
差し出して来た。口に入れて一噛み、触感も味も
コメそのものだった。慣れたものが食べられるのはありがたい。
「うーん……ふわぁぁっ……おはようございます」
しょぼしょぼとした目を擦りながら、リナが起き上がって来た。
寝起きで少し頬がむくれているが、特に問題はなさそうだった。
「これはいったい、どこで取れるんだ?」
「……コメ、という。《エクスグラスパー》が伝えたとされている」
どうやら、自分以外にもこの世界に呼び出された
日本人がいるようだ。彼らが持ち込んだ稲穂が、
奇跡的にこの世界の環境に適応し実を結んだのだろう。
「いやはや、熱いおコメに熱いお茶。
命の洗濯とはまさにこのことですねぇー」
リナは自分で淹れた茶を飲み、一息ついた。
真一郎はいままでなぜ言葉が通じるのかを疑問に思っていた。
ファンタジー世界のお約束、翻訳能力なんぞが身について
いるのかとも思ったが、もしかしたら彼らは自分と同じように
日本語を喋っているだけなのかもしれない。
だとしたら、細かいニュアンスまで伝わることにも納得がいく。
なら今度、この世界の本でも読んでみるとしようか。
どうせ、この世界からはそう簡単に脱出できないのだから。
食後、一息つきながら真一郎はそんなことを考えた。
「今日は山を越えることになる。それほど険しい道ではないが、気を付けろよ」
クラウスは荷物を片付け、火の始末をしながらそんなことを言った。
リナは彼を手伝い、食器や寝具、点火剤と言った類の荷物をバッグに
仕舞っている。
「山越え、か。山を登っていくようなことになるのか?」
「山道が整備されている。ただ、街から離れている場所だから危険も多い」
『危険が多い』というのは狐狸や山賊の類のことを言っているのだろう。
真一郎は自分の荷物だけを手早くまとめ、立ち上がった。
クラウスとリナも準備を終え、歩き始めた。リナは何か言いたそうな
表情で真一郎を見たが、無視した。




