懐かしき再会
それから数日。
無事に脅威を退けた彼方たち皇族と護衛部隊は、一人として欠けることなく『共和国』首都ウルフェンシュタインへ到着した。正直、あの襲撃を受けて一人も欠けることなく辿り着けたことは奇跡に等しい、と真一郎は思っていた。
「神の作りたもうた聖遺物の威力、この目で見られるとはな……」
聖遺物とは神話の時代作り出されたと言われている武具であり、この力を使い十二人の勇者は闇を払ったという。
《エクスグラスパー》の存在、そして《ナイトメアの軍勢》の実在という二つの事実が重なり、聖遺物も存在するのではないかと早い段階から目されていた。だが、実物として発見できたものはそれほど多くないという。
「あの力があれば、『真天十字会』を倒すことが出来るのだろうか?」
「どうだろうな、確かに凄まじい力だが……だが、旗印にはなってくれるだろう」
「あの子供が軍を率いて悪を滅ぼすのか。出来の悪いファンタジーみたいだな」
クラウスは真一郎の発した単語の意味は分かっていなかったが、侮蔑的なニュアンスは読み取ったようだ。曖昧に笑いながら『他の人には言うなよ』と釘を刺して来た。
「それで、俺たちはこれからどうなるんだ?」
「実績を作ってしまったからな、今後も頼りにされることになると思うぞ」
実績か。真一郎は嘆息した。どんな実績がついたというのだろうか、皇族を見殺しにしたという実績がついたのだろうか? 最悪打ち首もあり得るのだろうか?
真一郎はそんなことを考えたが、処分は実際寛大なものだった。新型ナイトメアの大半を殲滅し、ダークマターを足止めした功績だけが評価される形になった。花村彼方を放り出して後方に移動した点に関しては、彼が無事だったことからうやむやにされた。
引き続き、彼は最前線で戦うことになった。クラウスたち、信頼出来る仲間と一緒に。
それから一週間ほどの時間が流れた。グラフェンからの難民がウルフェンシュタインに到着した。当初の想定より、かなり数を減らしている。グラフェン市街地に浸透した《エクスグラスパー》によって、かなり大きな被害が出たという。
真一郎にとってはそれほど意味のないことだが、ウルフェンシュタインは悲しみに包まれることとなった。
その頃になると、彼の待遇はかなりいいものになっていた。御付きの騎士が一人月、彼の生活をサポートした。重要な会議にも出席できるようになり、生活もかなり快適なものとなった。
もっとも、会議に出たところで彼が発言をすることはほとんどなかったし、いなくても会議は進んでいく。御飾りの階級なのだと理解していた。
それでも、煩わしい手続きを簡略化できる立場にいることには満足していた。これまではどこに行くにしろ許可を取らなければならなかったが、監視の目と引き換えに広域での自由な行動を取ることが出来るようになっていた。
いつも通り、士官用の食堂で彼は食事をとっていた。雑多な運動部寮めいた下士官以下用の食堂と違い、ここは落ち着いた雰囲気で、専属のコックさえも付いていた。
かなり前、リナに専属のコックを雇えるものはそれほどいないと聞いたことがあった。『共和国』高級士官というのはそのわずかな例外の一つなのだろう。
しかし、と真一郎は思う。なぜここはこれほどまでに日本的なのだろうか? 外観は城郭そのものであり、この部屋も畳敷きだ。クラウスも若干居心地が悪そうだったので、『共和国』特有のものというわけでもないだろう。だいたいグラフェンも西洋風だった。
「最近どうだ、ソノザキ? 何か不自由することはないか?」
「四六時中男が付き添ってくること以外は快適だ。そっちはどうだ、クラウス?」
真一郎は御付きの騎士に敵対的な視線を向け、クラウスとの会話を続けた。体格はいいがあからさまにこなれていない雰囲気を放っており、そのおどおどとした態度が真一郎をより一層苛立たせているということに彼はまだ気づいていなかった。
「グラフェンに駐留していた『真天十字会』が行動を開始したという報告があった」
「と、なるとウルフェンシュタインでも戦闘が始まるのだろうか?」
「いや、ここから離れた場所に陣を敷き、様子を伺っているということだ。
彼らもグラフェンでの戦闘でかなりの戦力を失った、嫌が応にも慎重にならざるを得ないのだろう」
グラフェンでの戦闘では田畑と森を焼き尽くし、かなりの数の敵を殲滅することが出来たと聞いている。《ナイトメアの軍勢》を使役することが出来ると言うが、それを生み出し、使っているのは人間だ。根幹たる戦力がなくなれば敵は瓦解する。
「陣を敷いて待機して、どうするんだ? お仲間のスカウトでも始めるつもりか?」
「そうさせないように、警戒を厳にしているところだ。いまのところ動きはないが……
もしかしたら、お前に先行してもらい、敵への攻撃を行うことになるかもしれん」
「そう言う分かりやすいのは、俺が最も得意とするところだな」
真一郎は苦笑した。結局のところ、突っ込んでいくだけしか出来ないのだ。
「……ところで、ソノザキ。リナとは会ったか?」
クラウスは遠慮がちに言った。真一郎は努めて平静を保ちながら、水に口を付けた。
「フィネは、彼女と会ったそうだ。それほど変わりはなかったそうだぞ。ここで始まった新しい生活にも、それほど不満もないそうだ。時間があるのならば、お前も……」
「悪いが俺もこっちの生活に慣れるので精いっぱいだ。会いには行けないよ」
真一郎は乱暴に会話を切った。クラウスも、それ以上それを続けることはしようとしなかった。ただ、彼の気遣うような視線が気に障ったようだった。
(いいじゃないか。満足しているなら、俺がわざわざ会いに行く必要はない……)
自分がどうしてそんなに苛立っているのか分からなかった。その分更に苛立った。
――その生活に不満を持っていればよかったのに。内心ではそう思っていた。
それから二人は無言で食事を続けた。御付きの騎士は空気の重さに耐えかねたように視線を泳がせていたが、その時間はそれほど長く続かなかった。
食事を平らげた二人は、それぞれの行くべき場所へと戻って行った。とは言っても、真一郎にとって行くべき場所などなかったのだが。
「それでは、ソノザキ。また会おう。今度はお前がおごってくれよ?」
「気が向いたら、そうしてやるさ。それじゃあな、クラウス」
二人の別れも、どこかぎくしゃくしたものだった。
その原因が自分にあるということに、真一郎はさすがに気付いていた。
だからこそ彼は苛立った。
「あの……すみません、あなた。園崎さん、って言うんですか?」
その背後から、若い声が投げかけられた。
これほど若い知り合いが、果たしてここにいただろうか?
真一郎は思わず振り返り、声の主をまじまじと見た。
中肉中背、歳相応の体格、派手さのない麻の服。年頃の農民の少年のような、そんな立ち姿の少年だった。顔立ちはどこか日本人的で、黒い髪とぱっちりした茶色の瞳が真一郎を真っ直ぐ見つめていた。眼鏡をかけているが、伊達だろう。特有の歪みがない。
「やっぱり……真一郎さん。あなた、信さんでしょう?」
真一郎の脳裏に、懐かしい記憶が蘇って来た。
かつて妹、美咲と一緒に遊んでいた頃の記憶だ。
あの頃も確か、こんな感じの男の子が一緒に遊んでいたということを思い出した。
自分のことを信さんと呼び慕う、男の子が。名を何と言ったか。
「俺……紫藤善一です。あなたの妹さんの、美咲さんの幼馴染の……」
そうだ、確かそんな名前だった。
あの頃の記憶と、それほど違わない顔立ちだった。
この少年と初めて出会ったのは、いったいいつだったか。そんなことを考えながら真一郎は自分にあてがわれた、高級士官用の部屋へと彼を招き入れた。
家が近かったこと、両親が働き詰めであったことも合わさって、シドウ少年とそのご両親にはよくしていただいた記憶があった。まさか、この世界に来て再会するなどとは思ってもみなかったのだが。いや、それにしても彼は……
「まさかこちらの世界に来て、知り合いに会えるとは思ってもみなかったよ」
真一郎は薬缶に水を注ぎ、囲炉裏の真ん中に置いた。火を付けるのに四苦八苦していると、見かねたシドウが代わりに火を付けてくれた。鮮やかな手さばきだ。かつてボーイスカウトに所属していたが、その時習った技能の大半を真一郎は忘れていた。
「お久しぶりです。都市圏の大学に通っている、と聞いていたんですけれど」
「こっちこそ。キミは死んだと、そう聞いていたんだがな」
彼の死亡記事はよく見たし、妹の美咲から何が起こったのかも詳しく聞いていた。奇跡的にシドウが蘇生する可能性がないということはよく分かっていたつもりだ。
「キミの葬式にも出た。
かなりひどい状態になっていたそうだから、死に顔を見ることも出来なかったが……
美咲の悲しそうな顔を見るのは、とても辛いことだった」
シドウは渋面を作った。自分の身に起こったことを受け入れられないのだろう。
真一郎は言葉を続けようとしたが、シドウはそんな彼を手で制した。
「あれから美咲はどうなりましたか? あいつ、その、自殺しかけて……」
今度は真一郎が渋面を作る番だった。
重い口を開き、事実だけを淡々と話した。
「あいつはキミの葬式が終わった後、自殺した。
港湾部の桟橋に、遺書と一揃えの靴が残っていた。
死体も上がらなかったが、警察は死亡したものと判断しているよ」
美咲の死を契機として離婚という結末に加速していったが、あの頃からすでに夫婦仲は冷え切っており、家の中の雰囲気は最悪だった。本来ならばそこにフォローを入れるのが息子の役目だったはずなのだが、折り悪く真一郎も強い心の傷を抱え、他者に気遣っている余裕がない時期でもあった。すなわち、黒星がもたらした災厄についてだ。
だからこそ、真一郎は妹が発していたSOSに気付くことが出来なかった。いや、それを見ることすらなかった。後悔の念が真一郎の心を押し潰そうとしていた。
「……どうしたんだ、シドウくん。顔色が悪いようだが……」
真一郎は内心の動揺を悟られないよう、なるべく気持ちを押し殺したままシドウに語り掛けた。顔色が悪いのは自分の方だ。ただ他人に言えばそうでなくなる気がした。
「いえ、何でもありません。ところで、信さんはどうしてこちらに?」
まさかそんなことを聞かれると思ってはいなかったので、真一郎は一瞬面食らった顔をした。あの日、いったい何があったのか。真一郎は軽く思い出そうとした。
「雨の日のことだ。子供がトラックに轢かれそうになっているのを目撃した。
子供が被っていた雨合羽は黒っぽかった。反射板は着いていたが、恐らく保護色になっていたり、ライトの光に被ったりして運転手からは見えなかったのだろう。考えている暇はなかった」
「じゃあ、信さんは子供を助けようとしてトラックに轢かれて?」
シドウは連鎖自殺の可能性を考えたようだったが、違う。真一郎は笑って首を振る。
「いや、俺はトラックに轢かれてないよ。
子供を突き飛ばして、でも少しばかり時間はあった。端に避けられるほど長い時間じゃなかったがね。だから仕方がない、俺はトラックを飛び越えることにしたんだ」
「トラックを飛び越える、って……え? そんなこと、本当に出来るんですか?」
「出来るよ。トラックと言っても軽トラックだったからね。車高はそれほど高くない。
横回転のジャンプを打って、でも飛距離が足りないから軽トラの天井を打ってもう一回跳んだ。確実に避けきった、そう思ったんだが……俺の前に黒い穴が開いていたんだ」
「穴、ですか。っていうことは、それを潜ってこっちの世界に現れたって……?」
シルバスタになるためには体力、知力、精神力に優れていなければならない。
『スタディア』との戦いはルール無用の残虐ファイトであり、体調が悪いだの精神的に疲れているだの、そんなことは考慮してくれないのだ。だからこそ、彼は体を鍛えた。
あるいは、長年シルバスタを使ってきた副作用かもしれない。考案者である月岡博士は神の力が人間の体に流れ込むことがある、と言っていた。どんな作用があるかは分からないとも。身体能力増強程度で済んでいたのは僥倖だっただろう。
「しかし、こう言う世界に来るのって普通、トラックに轢かれてからじゃないですか?」
「俺はそう言うのはよく分からんが……そういうものなのだろうか?」
「少なくとも、トラックを飛び越えて異世界に飛び込んできた人はいねーと思いますよ」
シドウと真一郎は笑った。久しぶりに、腹の底から笑った気が真一郎にはした。
「ん、あっと……もうこんな時間なのか。すいません、信さん。俺そろそろ行かないと」
「この世界の時間が読めるのか。かなり苦労しているな、シドウくん」
「こないだ時計無くしちまいましたからね。なので、思い切って覚えようかと」
未だに真一郎はこの世界の時間も、距離も分からない。この世界に来てどれほどの時間が経っているのかは分からないが、大したものだ。世界に順応しようとしている。
「あの、信さん。またお会いすることって、出来ますよね?」
「俺もちょっと探し物をしなきゃならないから、少しの間ウルフェンシュタインを空けるようなことがあるかもしれない。けど、必ずまた会えるさ。二度と会えないわけはない」
残されたワイルドガードとフォトンレイバーを探し出さなければならない。それがなければ、黒星との戦いに支障が出るだろう。だが、『帝国』領が『真天十字会』によって制圧された今、どうやってフォトンレイバーを回収すればいい?
真一郎はそう思ったが、しかしシドウに話すようなことではない。頭を下げ、部屋から出て行く彼を見送った。
「向こうの世界からの因縁……ロクでもないものばかりだと思っていたが。ふん」
久しぶりに、真一郎は心の中に詰まっていたわだかまりが解消されるのを感じた。
あの少年の笑顔には、他人の心を溶かす不思議な力があるのかもしれない。
柄にもなく、そんなことを考えてしまうくらい、真一郎はその時疲れていた。




