護衛団
こうして、真一郎の任務はすべて終了した。
慌ただしく人々が飛行船に乗り込んでくるのを、真一郎はぼんやりと眺めていた。素人である自分が出張って行ってもロクなことにはならないだろうと考え、隅の方で大人しくしていた。しばらくすると、クラウスとフィネが接岸橋から乗り込んできた。傷ついてはいないが、疲労は見て取れる。
「二人とも、大丈夫か!」
「ああ、我々は大丈夫だ。だが、下の状況は思っていたよりも悪いようだ」
フィネも疲れた、とでも言うように手を振るものの、特に傷ついているわけではないようだ。下の状況がひどかったのは、乗ってくる人々を見れば分かる。
この船に乗っているわけではないが、おびただしい出血をした少年もいたようだ。
だが、そうだとしたらどうだというのだ?
何が出来るわけでもない。自分には関係のないことだ。
「全員の収容が完了した! 出港するぞ、全員固定しろ!」
そんなことを考えている暇もないようだな、と真一郎は思い直した。船べりに会った手すりを左手で掴み、右手でシルバーウルフを構えた。襲撃を行ってくるようなやからがいれば迎撃するつもりだったが、どうやらそれはないようだった。魔法石から圧倒的なエネルギーが発生し、船を浮かす。風の道が飛行船を押し上げた。
眼下、一際大きな教会から火の手が上がった。何らかの爆発のエネルギーが発生したのだろう。ともかく、飛行船を追ってくるようなガッツのある敵はいないようだった。真一郎はそこで初めて息を吐き、甲板に倒れ込むようにして座り込んだ。
「どうやら、何とかなったようだな。二人とも、無事で何よりだ」
「はぁー、これからいったいどうなるんすかねぇ? あんなことになっちまうなんて」
この世界が安定していない、ということは理解していたつもりだったが、これほどとは。火薬庫のような世界はほんの些細な火種で爆発してしまう。その爆発に巻き込まれれば、命はない。慎重に考えなければならない、この世界で生きていくために。
(テロリストというからどれほどのものかと思ったが……これほどとはな。
真正面から大帝国を打ち砕くあの力、『共和国』とて危険なことに変わりはない……)
アルクルス島での一戦を観察しただけだが、敵の持つ力の危険さはよく理解出来た。以前の信一郎ならば、この段階で戦いから降りることを考えていただろう。だが、いまの真一郎にその選択肢はない。それを取れば、彼の仲間が傷つけられることになる。
過去の苦い経験から、真一郎は仲間を作らないようにして生活して来た。人と距離を取り、自分一人ですべてを行い、決定する。それが出来るだけの能力はあったし、そうしていた方が仲間を作るよりもずっと楽だった。
だが、《エル=ファドレ》での交流が彼を変えた。同時にそれは、喪失の恐怖を抱え続けることと同義であった。
「……ソノザキ、いったいどうしたのだ。さっきから。様子がおかしいぞ、お前」
「いや、何でもない。ただ、こうした光景を見るのは久しぶりでな。めまいがしていた」
それは本当だ。かつて、真一郎はこれと似た光景を見たことがあった。黒星の生み出した地獄と、目の前にある光景とは酷似していた。
(天十字黒星、貴様もここにいるのか? だとすれば、俺は……)
憎い仇を探すようにして、真一郎は眼下の地獄を真正面から見据えた。当然ながら、そこに仇敵の姿を見つけることなど出来なかったわけだが。
丸一日、魔法石が粉砕するほどの出力を出し、飛行船は『共和国』領に辿り着いた。
騎士や現地協力者たちが慌ただしく飛行船に収容された人々を降ろしているのを尻目に、真一郎たちはグラフェン騎士団拠点へと歩を進めていた。到着するなり伝令の兵士が彼らの前に現れ、至急の用があるのでご足労願う、そう言ってきたからだ。
先に来客があったそうで、真一郎たちはしばらく待たされた。ブッキングするくらいならちゃんとスケジュールを組んでおけ、と内心で毒づいたが、しかし表には出さないことにした。応接室で待つこと十分少々、騎士団長の部屋から数名の男女が出て来た。髪の長い二人の男に、小さな二人の女の子。奇妙な取り合わせだな、と真一郎は思った。
そこから更に数分待たされ、そろそろしびれを切らしかけたところで部屋に招かれた。
「お待たせいたしました、ソノザキ様。クラウスさん。どうぞ、お入りください」
クラウスはシルフィスを受け取った時に会った若い騎士が、二人を団長室へと案内した。緊張しているのか、その表情は固い。室内に入ると、見知らぬ人影があった。
一人は眼鏡をかけた若い男だ。目つきは鋭く、来ている服も高級感漂うものだ。恐らくは高級貴族なのだろう、という漠然とした感じがあった。
もう一人は少年だ。この場所の雰囲気にはそぐわない、素朴な雰囲気の少年だ。耳までかかる鼠色の髪の毛とルビーのように赤い瞳が特徴的だ。緊張し、表情を固くしている様は哀れみすら覚える。
「よく来てくれた、ソノザキくん。そして、クラウス。ご紹介しよう」
騎士団長はイスから立ち上がり、そこにいた二人を紹介してくれた。騎士団長は相当な高位者であり、こうして他人の紹介をすることなどほとんどないと以前聞いたことがあった。その騎士団長が立ち上がり、どこか遠慮がちな態度を取っている。相当の相手だ。
「こちらの方はフェイバー=グラス近衛騎士団長。『帝国』皇帝直属の近衛部隊を率いるお方だ。今回の『帝国』陥落に際して、こちらに対して協力を打診して来た方でもある」
「キミがソノザキくんか。聞いていた通り、油断ならぬ目つきをしている」
騎士団長はこの男にどんなことを吹き込んだのだ、と思わず睨み付けそうになった。むしろ、油断できないのはお前の方だろう、と口を突いて出て来そうになった。『帝国』陥落の際、真っ先にこちらに逃げ遂せて来るとは。本当に信頼に足る人物なのだろうか?
「私のことが信用できない、そんな顔をしているように見えるが」
「どうでしょう。沈む船から脱出するのは賢い行いだとは思っていますが?」
フェイバーの眉はピクリとも動かなかった。感情を隠すのが上手そうに思えた。
「まあ、私のことはいい。それよりも、本題に入ろう。こちらに座ってくれ」
フェイバーはまるで自分が部屋の主であるかのように着席を促した。真一郎もクラウスも微妙な顔をしながら、大人しく彼に従った。少年もちょこんと腰かける。
「先の戦いでのキミの功績を鑑みて、是非とも皇族護衛任務に就いていただきたい」
「皇族護衛? ということは、『帝国』皇帝の護衛ということか?」
「いや、皇帝陛下は惜しくも命を落とされた。守ってほしいのはあの方のご子息だ」
当然皇帝なら子弟もいるだろう、と思っていたのでそれには驚かなかった。彼にとって理解出来なかったのは、なぜ自分がその任務に任命されたかだ。
「なぜ俺だ? 俺以外にも信頼できる人間がいるはずではないのか?」
「信頼出来る人間は多くいる。だが、力のある人間はほとんどいない。
特に、《エクスグラスパー》との戦いに適応出来るほどの人間となるとな」
「つまり、『共和国』本土にあっても《エクスグラスパー》の襲撃を予測していると?」
フェイバーは真一郎の疑問に頷き答えた。
通常の戦力とは違い、移送の手間がほとんどないことを考えると、どこで出てきても不思議はないように思えた。他ならぬ信一郎自身も、この一カ月の間に『共和国』領土をあっちこっちに移動していたりするのだから。
「無論、騎士団による通常の護衛作業も行う。キミには一番厄介なものの相手をしていただきたいだけだ。もし出現しなかったのならば、それでもよし」
「一つ聞きたいことがある。通常の護衛任務に当たる騎士の選定は終わっているのか?」
「いや、まだ終わっていない。キミからの推薦があるのならば、考慮するが?」
フェイバーは一瞬にして真一郎の意図を理解してくれたようだった。頭は回るようだな、と真一郎は思いながら、隣に座っていたクラウスの肩を叩いた。
「『共和国』騎士団、クラウス=フローレインを推薦する。それから、民間人だがハンターとしての実績があるものを一人知っている。犬狼人、フィネ=ラフィア」
そこから先は、とんとん拍子に話が決まって行った。真一郎とクラウス、そしてフィネは皇族護衛隊の一員として、数日後グラフェンの街から離れることになった。
それから更に数日後、グラフェンが『真天十字会』の襲撃を受けることとなる。
いずれにしても、真一郎にとってはどうでもいいことだった。




