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この手に平和をもう一度 ~英雄再生譚~  作者: 小夏雅彦
終わりの足音
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悔悟と過誤と買い物と

 甲高い炸裂音が耳に突き刺さり、真一郎は目を覚ました。反射的に

《スタードライバー》に手を伸ばすが、しかし窓の外を見てため息を

吐き、それを離した。

 空にはいくつもの光の花が浮かんでいた。真昼だというのに、美しく

瞬いていた。今日はグラフェン収穫祭、多くのヒト、モノ、カネが、

この街に集結してくる日。

 目を閉じ、真一郎はもう一度横になった。しかし、眠れない。街の

喧騒が許さない。


「……クソ、これだから祭りの日っていうのは嫌いなんだ……!」


 約束の時間まで寝て過ごそうと思っていた真一郎だが、これほどの

大音量を聞きながら寝ていられるほど神経は太くない。不貞腐れた

態度で起き上がり、着替えた。最初の頃はチクチクすると思っていた

服の肌触りだが、慣れとは怖いものでいまでは何の違和感もなく

着れてしまっている。恐らく、元の世界の服を着るとツルツルし

過ぎて落ち着かないのだろうな、と真一郎は思った。

 かけてあったコートを手に取ろうとして、手を止めた。この世界で

二月以上過ごしてきて、もはやボロボロになっていた。オークや

ゴブリンとの戦闘、地下闘技場での軟禁など、様々な事態を一緒に

潜り抜けて来た、いわば相棒のような存在である。こうなってしまった

ことに、一抹の申し訳なさを感じないでもない。だが。


(これを修繕することは……出来るのか?

 頼んでみるのもいいかもしれんが……)


 この世界の技術で、素材で、このコートを直すことが出来るの

だろうか? 恐らく出来ないのだろうが、しかしそれでもやらない

よりはいいように思えた。ちょうど、困ったことがあれば訪ねて来い、

と言われているクラウスが隣の部屋にいる。聞くことにした。

 真一郎はドライバーを手に取ろうとして、やめた。この市街地で

必要になることもそうそうないだろうし、いざとなればこの手に

『召喚』することが出来るのだが。結局、彼は上着だけを羽織って

部屋から出て行き、クラウスの部屋の扉をノックした。


「……む、どうした?

 ソノザキ、お前から訪ねて来るとは珍しいな……」

「ああ、聞きたいことがあってな。

 服の修繕を頼めるようなところはこの街にあるか?」


 そう言われて、クラウスも得心したのだろう。

 少し考えるような仕草をして、言った。


「大通りにテーラーがいる。それほど格式ばっているところではない、

 どちらかと言えば大衆向けの、少し見栄を張りたい奴が使うような

 店だ。俺も使わせてもらっている」

「なるほどな。すまないが、案内してくれないか?

 いまの街を歩ける気がせんのだ」

「たしかにな。人波に流されて行っているお前がよく見えるようだよ」


 ちょっと待っていろ、と言ってクラウスは部屋に引っ込んで行った。

シャツだけを着ていたから、上着を持ってくるのだろう。そういう

ことなら、と真一郎は思い、自分も修繕依頼を行うコートを取りに

部屋に戻った。数分後、二人は部屋の前で合流した。


「……クラウス、お前、それを持っていくのか? 街に?」

「騎士はいかなる時にも、危機を想定しておく必要があるからな」


 クラウスはそう言ったが、どことなく嬉しそうだ。この剣を貰った

ことが、よほど嬉しいのだろう。それは当たり前だ、功績を正当に

評価された結果なのだから。


「街に出るついでに祭りでも見てきたらどうだ?

 昼もそこでとるのがいいだろう」

「そうだな。祭りの食べ物は好きだ。テキ屋の雰囲気がなければな」


 祭りを心の底から楽しめなくなったのは、いつからだろう。あの喧騒に

身を沈めることが、苦痛になったのはいつからだろう。いつの間にか、

子供の頃を忘れてしまっていた。もう一度、それを思い出したい。

真一郎は、そう思った。


 喧騒と歓声が街を包む。舗装道路をせわしなく人々が歩く。その顔は

どれも楽し気で、見ている方が笑顔になってくるような、そんな場所だ。

前後左右、どこを見ても露店や講談師、易者に怪しげな芸人。こんな場で

なければ見られないような、不可思議な光景だ。


「毎年参加することにしていたが、今年はより一層、だな」


 クラウスはくすりと笑った。こんなことが毎年繰り返されるのならば

辟易してしまいそうだが、今年に限るなら悪くない。そう真一郎は思った。

見渡すと飲食の露店もかなりある。ヤキトリめいた、一口大の肉を串に

刺し焼いたもの。太く大きな肉を巨大な鉄串で刺し、豪快に焼くゲバブ

めいた料理。全体的に肉料理が多めだ。


「……おや、あそこで作っているのは……アイスか?」


 店の看板には氷のような絵が描かれており、長蛇の列とまでは言わない

までもそれなりの行列が出来ていた。近付いてみると、色とりどりの

アイスがバケツに入れられていた。


「らっしゃい!

 安いよ、ウチの地方に伝わる氷菓子だ、ウマいよ兄さん!」


 バケツの周りは氷水で満たされており、水色の宝石が中に入れられて

いた。これもまた、魔法石文明の賜物ということだろう。指先を入れて

みると、切るように冷たい。


「……クラウス、一ついいか? 少し、食べてみたいんだが……」

「面妖な食物だが……まあいい。いくらだ、店主」


 クラウスが金額を聞いて、眉をひそめた。平均的な菓子の価格から

考えると、少し高めなのだろう。とはいえ、魔法石を使った大規模な

設備を作っているのだから仕方がない。クラウスはそれに何とか納得し、

真一郎に選ぶように促した。

 さて、頼んでみたはいいがどれを頼んだものか。白、緑、赤、黄。

色とりどりだが、どれがどれだかは分からない。とはいえ、どれを

選んでもアイスには変わりはないだろう。真一郎は赤と白のアイスを、

それぞれ選んだ。店主は威勢のいい掛け声でそれに応じ、カップ状に

成型したコーンの上にアイスを取り分けた。


「クラウス、あんたも食うか?

 多分だが……まあ、美味いと思うぞ?」

「……勘定をしたのは俺だ。まあ、貰おうか」


 クラウスは真一郎が手渡したバニラめいたアイスにかぶりついた。

真一郎も口にアイスを運んでいく。爽やかな冷たさと、甘さ、そして

酸味が舌に去来する。少々乳臭い気もするが、しかしアイスとしては

美味い部類なのではないか、と真一郎は思った。


「不思議な味だな。

 マズくはない、決してマズくはないが、しかし……変わっている」

「ウチらの郷土料理だからな。

 口に合わねえって人も、ヘッ。いるかもしれませんね」

「美味かったよ、店主さん。また来ることがあれば寄らせてもらうよ」


 真一郎は手を振り、そこから立ち去った。空きっ腹にデザートだけを

詰め込んだせいか、無性に腹が減っている。腹の虫が大声を上げて鳴いた。


「……例の店までどれくらいの距離があるんだろう、クラウス?」

「歩いて十分程度、と言ったところだ。

 腹が減っているなら食え、俺も減っている。

 今日ばかりは立ち食い、歩き食いが許されているからな、堪能しろ」


 大きめのため息をクラウスはついた。

 そうこなくっちゃ、真一郎は辺りを見た。


 適当に店を選び、サンドイッチのようなものを買った。薄く切った

トーストをカリカリに焼き上げ、そこにタレを付けて焼いた豚肉と

葉物野菜を挟んだシンプルなものだ。かなり大きめで、これ一個で

腹いっぱいになってしまいそうなものだ。

 それを食べ、歩きながら、真一郎は思った。


(また来ることがあれば、か。

 まるで俺がこの先もここにいるみたいな言い方だな)


 そう考えて、真一郎は分からなくなった。

 自分はこれから、どうして行きたいのかと。


 向こうの世界で守るべきものは、もうすべてなくなってしまった。

強いて言うならば自分の命かもしれないが、それはあそこでなくても

守れるものだ。父が死に、母が死に、妹が自死し、彼らが生きてきた

痕跡も残らず消え去ったあの場所。

 かつて真一郎は、そんな世界を守るために戦ってきた。だがそれでも、

守れないものはたくさんあった。月岡博士は死んだ。星神加奈子は

死にゆく大地を守るため、その命を捧げて行った。花沢は『仕方がない』、

そう言って去って行った。真一郎の与り知らぬところで世界は救われ、

残されたのは虚無感一つだけになってしまった。


 真一郎はこの世界に来た時、『出口を教えろ』と言った。

 もし、本当にそんなものがあったとして、自分は本当にそこから

元の世界へと帰って行ったのだろうか。守るべきものも、理想も、

大義も、一つとして存在しない、痛みだけを残した世界に。


「……どうした、ソノザキ? ボーっとしているぞ。らしくないな」


 らしくない。そうクラウスは言った。この男は、自分のことをどこまで

理解しているのだろうか? やせ我慢と虚勢を張り続けた男のことを、

どこまで知っているのだろうか。


 その店は祭りの喧騒とは無関係に思えた。大通りから少し外れた太い

路地に入り、そこから更に進み、少し狭い路地に入った場所に、そこは

あった。『月岡洋裁店』。看板にはそう掲げられていた。何となく、

真一郎は因縁を感じた。


「この店の主人は、月岡と言う人なのか?」

「ああ。月岡奈美子さんという。

 確か、北方の出身と言っていた。首都から来たと」


 首都から下ってきた、ということか。首都で成功出来なかったのか、

あるいは首都の喧騒が嫌になってこちらに来たのか。出来れば後者が

いい、と思いつつ、もし静寂を求めてやってきたなら、気の毒だったな。

そう思い、真一郎は薄く笑うのだった。

 店頭から見えるだけでも、立派な佇まいだと真一郎は思った。赤褐色の

煉瓦で建てられた建物は、天井当たりの飾り窓にあるステンドグラスと

合わさり、モダンな雰囲気を放っていた。店内は落ち着いた木目調の

床張りに、安心感を想起させる白い壁。ところどころに設置された

ランプシェードも、その印象を後押ししているように思えた。


 恐らくテーラーが作ったのであろう服も、見事なものだ。裁縫の

知識はなかったが、表面には糸の一本も出ておらず、左右対称、

折ればピタリと合うように作られたスーツは、製作者の技量を

感じさせるには十分なものであるように思えた。

 真一郎は扉を開け、店内に入って行った。いくつかのランプに

照らされただけの、薄暗い店内だが、しかしそれがより一層、

安心感を強めた。


「いらっしゃいませ、お客様。

 本日はどのようなご用件でしょうか?」


 真一郎の入店に合わせて、支配人が出て来た。女物のスーツを着た、

初老の女性だった。黒髪が混ざった白髪を綺麗に半分に分け、後ろ手に

まとめている。ピンと伸びた背筋に、柔らかな物腰。一流の雰囲気を

感じさせる、スマートな女性だった。


「服の修繕をお願いしたいのです。

 物を見て、可能であればでよろしいのですが……」


 そうなると真一郎の方も自然と肩肘張った話し方をしてしまう。

元々が礼を失しているところがあるので、どこかぎこちのない

ものだが。彼は持ってきたコートを差し出した。


「これは……見たことのない素材を使っているようですね。

 ポリエステル……?」


 やはり、この世界に化学繊維はないようだ。

 軽い落胆が真一郎を襲う。


「かなり無理な使い方をしてきたようね。

 柔軟性があって、破れにくい繊維なのだけど」

「ええ、おっしゃる通りです。

 あまり綺麗に使ってはいられない仕事でして……」


 責められているわけではないが、何となく真一郎は恐縮してしまった。

彼女から放たれる体格だとか、腕力だとか、そういうものとは無関係な

気迫が、彼を圧していた。


「そうね、繕うことは出来るでしょうが……

 応急処置的な対応になります」

「やはり、完全な修復は不可能、ということでしょうか?」

「やってはみますが……

 あまり、ご期待をなされない方がいいかと思います」


 テーラーは丁寧に頭を下げた。

 あまり期待していなかったので、落胆はない。

 しかし、現実問題として、寒い。東側に位置していることが関係して

いるのかは分からないが、フランメルもドースキンもグラフェンも

真一郎の体感では寒い。コートがあるのとないのとでは、大違いだ。

とはいえ、真一郎には持ち合わせがない。


「……そうだな、替えのコートがあった方がいいだろう。

 買っていくか?」

「なに? いや、確かに必要ではあるが……

 それほど、安くはないのだろう?」


 真一郎はコートの相場は分からない。だが、掛けられている値札は

どれも、先ほど買ったアイス一玉の百倍はする、ということだけは

理解することが出来た。


「寒さに苦しむのを見るのでは、あまりに忍びないのでな。

 ここは任せろ」


 クラウスは微笑んだ。

 ここは彼の好意に甘えておこう、真一郎はそう思った。


「それに、お前の買い物ならばあとで経費として落ちるからな」


 クラウスは照れくさそうな顔で笑った。

 それでも、ありがたいことに変わりはない。


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