まだ平和な時間
「……以上が、俺と天十字黒星との関係の全てです。
嘘偽りのない、すべてです」
「貴殿が嘘をついているとは思わん。
しかし、世界を股にかけた因縁か……」
騎士団長は、また少し考えるような仕草を取った。
「やはり、この世界に来ても因縁を引っ張っているのは、珍しい
ことなのでしょうか」
「そうだろうな。
かつて聞いたことがない、《エクスグラスパー》同士の争いなどと」
そう言う意味でも、この時代に現れた《エクスグラスパー》は
特別なものなのだろう。召喚なしに存在しなかった者たちが、確かに
存在する世界。過去の因縁に引き合わされるように現れた、銀の星と
暗黒星。何かが起ころうとしているのだろうか?
「いずれにせよ、話は分かった。天十字黒星なる男、危険な存在で
あることは明白。『共和国』全域に指名手配を行い、情報の収集に
当たることと致そう」
「感謝します、騎士団長」
映像技術が発達していないこの世界で、その捜査網がどれだけ
役に立つのか、真一郎には未知数だった。だが、少しでも目が多く
あってくれるのはありがたかった。もう二度と、黒星の被害者を
増やしてはならない。真一郎は拳を握り固めた。
「それでは、ご報告はこのあたりでよろしいでしょうか。騎士団長」
「うむ、報告はこのあたりでいいだろう。して、クラウス」
騎士団長は机の抽斗を開け、そこから一本の剣を取り出した。
刃渡りはそれほど長くない、六十センチ程度であろう。柄には革の
バンテージが巻かれており、柄頭には緑色の宝石が取り付けられて
いる。吸い込まれそうな、と言うより吹き飛ばされそうな、不思議な
色合いを放つ宝石だ。刀身には不可思議な文字が刻まれており、
戦闘用とは思えない。
「困難な任務を、よくぞ耐えた。
ここに褒美を取らせよう、新式の魔導剣なり」
「魔導剣、ですと……!?
し、しかし騎士団長殿、勿体なくございます……!」
クラウスはこの剣を前にして、ひどく狼狽した。魔導剣、とは
いったい何なのかは、真一郎には分からない。だがそれがクラウスに
とって大それたものであることは分かった。
「お主の功績を見れば、相応しいものよ。
これを使い、これからも『共和国』に仕えよ」
騎士団長は剣を鞘に納め、クラウスに差し出した。彼は迷ったが、
恭しく受け取った。
「それでは、ご苦労であった。今日は休め、クラウス」
クラウスは深々と礼をした。真一郎も、一郎礼をした。彼らは
反転し、部屋から出る。
「……俺の手に、このような物が収まるとは……
思ってもみなかった……」
「魔導剣というものは、それほどまでに珍しいものなのか?」
「極めて珍しい、と言うより中央で開発された新兵器だからな。
グラフェンの方に来ると言うだけでも珍しいし、それも俺のような
下のものに渡されることはそうないだろう」
クラウスは剣を鞘から抜き、刀身を見た。陽光を受けて妖しく
輝く、と言うほど美しいものではなかったが、なるほど上質な鉄を
使っているようで、見ているだけで重みが見て取れるようだった。
柄に仕込まれた宝石が、美しく輝く。
「それが、お前たちのいうところの魔法石というやつなのか?」
「ああ。ここに魔法力を込め、それを解放することで武器として
使用する。力を解放するだけなら誰にでも出来る、と言うが、
力を込めることが出来るのは大自然の力だけだ。ゆえに、
『共和国』はその場所を秘匿しているという」
ガソリンや天然ガスのようなものか、と真一郎は思った。文明を
維持することが出来る力を、一部の人間が独占している。牧歌的に
見えて、やはりここもまた人間が作った世界なのだな、と真一郎は
思い知らされた。
「……丁度いい、少し時間がある。試し振りをしてみることにするか」
「いいのか?
その魔法石とやらに込められる力には、限りがあるんじゃないのか?」
「問題はない。最初に力を込めるまで、魔法石は何の力も持たない、
無色の石だという。逆に、力を込められた石はその属性に応じて
色を付ける。色のついた石は大自然から力を吸収することが
出来るようになり、時間を置けば何度も使えるようになる……
らしい」
自動充電機能はついている、ということか。そんなものでも
なければ、スタンドアローンの兵器としては通用しないのだろうな、
と真一郎は何となく思った。
「兵舎の近くに鍛錬場がある。
そこならば、この剣を振っても問題はないだろう」
煉瓦造りの宿舎の隣、整地された広場が兵士たちの鍛錬場に
なっていた。雨天時は狭い体育館のようなものを使うことに
なるという。真一郎は屋内鍛錬場を見た。少なくとも、ここに
いる兵士たちが全員入っただけでも鮨詰めになるんだろうな、
と思った。
その奥、巻き藁のようなものが真一郎の目に入って来た。
それに向かって、新兵と思しき、それほど動きの良くない
騎士たちが剣を打っている。木と木がぶつかり合う音が、
爽快感を想起させた。クラウスはそれから十メートルほど
離れて、立った。
「あ、お久しぶりですクラウスさん!
もう任務からお戻りになったんですか!?」
「久しぶりだな、コウ。
一時帰宅のようなものだ。またすぐに発つことになるだろう」
「そうですか……なら、その前にもう一度、稽古つけてくださいよ!」
「考えておこう。
それからこちらが《エクスグラスパー》、ソノザキシンイチロウだ」
クラウスは穏やかな笑みを浮かべて、コウと呼ばれた少年に真一郎を
紹介してきた。まだあどけなさを残す顔立ちをしており、どこか丸みを
残した体格をしている。揃えられずボロボロになった髪型と、荒れた
肌とが、騎士団生活の過酷さを伺わせる。
「よろしく。クラウスには世話になっている。
キミは彼の後輩か何かなのかい?」
「はい! クラウスさんにはいつもお世話になってるんです!
俺も、クラウスさんみたいに立派な騎士になりたいって、
いつも思ってるんです!」
「俺程度の騎士になら、いつでもなれるさ。
もっと志を高く持て、コウ」
そう言うと、クラウスは剣を抜き放った。剣に込められた力を、
コウも感じ取ったのだろう、その刀身を見て息を飲んだ。クラウスは
切っ先を巻き藁に向けて、息を一つ吐いた。轟、と、風が刀身に
収束していったような気がした。クラウスは剣を大上段に振り上げ、
振り下ろした。十メートル先に会った巻き藁が、真っ二つに裂けた。
「す……スゴイ!
クラウスさん、いつの間にこんな技身につけたんすか!?」
「俺の力ではない。全ては賜ったこの剣、風刃シルフィスの力だ」
クラウス自身も、その力に驚いているようだった。まさか、
このようなことが出来るとは思っていなかったのだろう。真一郎に
とっても、これほどの破壊力は予想外だ。クラウスの身体能力と
合わされば、それこそ《エクスグラスパー》に匹敵するのでは
ないか、そう真一郎は思った。
「魔法石の力……想像していたよりも、凄まじいものだったな」
「これなら、お前の力に頼らずともやっていけるかもしれないな」
クラウスは薄く笑い、剣を鞘に戻そうとした。
それを、真一郎は制した。
「なら、クラウス。試してみるか?」
真一郎は《スタードライバー》を取り出し、腰に巻き付けた。
そして、シルバーキーを取り出す。遥か彼方、星辰の彼方に
封じられし神の力を顕現させるデバイスを。
「そんな剣一本で、俺に敵うと思っているなら……
やってみるといい」
クラウスはまた、薄く笑った。そして、戻しかけていた剣を
再び振り上げ、真一郎にその切っ先を向けた。
真一郎はシルバーキーを刺し込み、回した。
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リナが下宿に使っていたのは小ぢんまりとした、しかしフィネの
ような人間にとってはあまりに大きすぎるアパートだった。風雨に
さらされたモルタルの壁はこの建物が過ごして来た時間の長さを
想像させ、そしてそれでも立ち続ける姿は造りの確かさを伺わせた。
「ふひぃーっ、ぐ、グラフェンってこんなにひ、広かったんすね……」
フィネは目を回しながら部屋に入って来た。その手には大量の荷物、
後から入ってきたリナも多くの荷物を持っていた。それは服飾品で
あったり、生活必需品であったり、アクセサリーであったり、武器で
あったり、それはもう色々であった。二人して祭りで賑わうグラフェンの
街を散策し、仕入れてきた結果だ。収穫祭はまだ先のことだが、しかし
それでもグラフェンの賑わいようは異様とも言っていいものだったのだ。
「長旅で買い物をする時間もありませんでしたからねー、
戻ってこれてよかったです」
「……しっかし、リナさん。こんなに買って本当に使うんすか?」
彼女の手には大きめの袋二つ分くらいに詰め込まれた衣類がある。
仮にこれを一着ずつ、着て行ったとすると最低でも一週間はかかるの
ではないだろうか。
「もちろん、使います。
コツコツと少ないお給金を貯めて買ったんですからね!」
「教会の人って結構貰ってるイメージあるんすけど、そうなんですか?」
「いえいえ、神に仕えていますからそんなには。
ご飯の心配はありませし、宿の心配もないから、お給金自体が
少ないのは仕方ないのかもしれませんけどね」
「それにしてはリナさん、今日は結構使ったっすねぇー」
そう言われると、リナは顔を暗くして目を伏せた。
「……使う機会がないから、貯まるだけ貯まってっちゃうんですよね……」
教会での通常勤務に加えて勤労奉仕、更には遠征への追従なども
あるため、神官、それも見習いのリナが自由にできる時間はそれほど
多くない。ちなみに、今回の旅で足りなかった予算は自腹で出すことに
なっている。あくまで扱い的には休暇になるからだ。
「しかし! そんなことを言ってはいられません!
こうしてわずかに残ったお金と時間を使って、友達と一緒に
遊べるんですから文句の一つもありませんよっ!」
リナは首を振るって、弱気を投げ捨てた。フィネは若干引きながら、
部屋の中を見渡した。入口の通路の横にはバスルームとトイレ、
真正面にいまいるリビングがあり、その隣には寝室があるのだろう。
リビングは飾り気が少なく、家具も最低限のものしかない。観葉植物が
窓際に一つ飾られているが、造花だろう。そうでなければ、一週間も
水をやらないで咲いているはずがないのだから。
「さて、そんなことはいいとして……
フィネさん、まず荷物を置きましょう。それから食事です。
私、いつも自炊なので、ちょっと手伝ってもらえるとありがたいです」
「もちろんっすよ、リナさん。
一人の時期は長かったんで、あっしも役に立てるっす」
買ってきた衣類がシワにならないようにしながらハンガーにかけ、
二人は夕食の準備に取り掛かった。食材は買いものの合間にリナが
調達したものだ。時間もそれなりに遅いので、リナはサクサクと
作れるメニューに取り掛かった。ブツ切りにした野菜と豚肉を
コメと一緒に煮込み、それからチーズを入れたリゾット風のものだ。
「わしゃ!? なんだこりゃあ、美味いっすねぇリナさん!」
「どういたしまして! フィネさんが手伝ってくれてよかったです」
さすがに上流階級出身、といったところか。リナの舌は歳とは
不相応に肥えている。まかないの食事のクオリティに満足出来ず
はじめた自炊だったが、いまのところそれは功を奏していると
言えるだろう。彼女の料理の腕前はかなりのものだ。
そこに、長いこと一人で生活して来たフィネの腕が加わった。
彼女にとって食事とは生活、生存に必要不可欠なものであり、
そこに求められるのは効率性だ。リナの腕とフィネの効率性が
加わり、奇跡のようなクオリティが出来上がったのだ。
「いやぁ、リナさんはいいお嫁さんになるっすよ。
あ、いいトコのお嫁さんは自分で料理なんて作らないんでしたっけね?
ま、それはそれってことで」
「料理人なんて雇ってるところは、そうありませんよ。みんな自分で
お店を持った方が稼げるから、独立していっちゃうんです。
直属のシェフなんて本当の一流さんだけです」
「本当の一流さん、っすか」
「ええ。
それこそお店を一つ買ってしまえるようなお金を持っている人だけです」
リナは苦笑した。自分も生まれてこの方、専属のシェフなんてものを
お目にかかったことはないからだ。屋敷でパーティなんかが開かれる
時は、その時だけ注文をする。それだけでもかなりのお金が飛んで
行くと、実家で両親は嘆いていたはずだ。
「それじゃあフィネさん、そろそろお風呂が沸くと思いますから、
一緒に入りましょう」
「えっ! い、一緒に入るんすか? こ、ここで……?」
フィネは大層驚いた様子だった。
リナは気分を害したのかと思い、しゅんとした。
「……ごめんなさい、何だか一人で盛り上がっちゃったみたいで……
嫌、ですよね」
「あ……いや、失礼。
あっしも人と一緒に風呂に入ったことはあるんですがね。
ただ、大衆浴場みたいなトコばっかりだったんで、こういうところで
入ったことはなかったんす」
『共和国』では浴場文化が盛んだ。『共和国』を興した男が大層な
風呂好きであり、その趣味を国民に周知させるために建設した、などと
言う噂も出来るくらいには、たくさんある。ワンコインで入れる小さな
ところから、それこそテーマパークのような場所まで。
「嫌ってわけじゃないっす。
むしろ、ご一緒していいのかな、って思っちゃって」
「当たり前じゃないですか。一緒に入りましょう、フィネさん」
リナは満面の笑みを浮かべて、世界で一番尊い『友達』に言った。
フィネもぎこちない笑みを浮かべ、しかし内心ではまんざらではない、
という感じで頷いた。二人ともどことなく頬が紅潮しており、下世話な
想像を働かせるものが見ればいらぬ想像を掻き立てられることであろう。
あくまで二人は、本当に友達であるのだが。
夕食の片づけが終わったくらいのタイミングで、風呂は沸いた。
二人は買ってきた寝巻を持って浴場へと足を運んだ。一人で使う
ための風呂であるため、脱衣場もそれほど広くない。幅の大きくない
体の二人であるが、しかしそこで着替えるのは少し窮屈そうだ。
「はは、これなら大浴場を使えばよかったですね……失敗しました」
「へえ、この辺にもお風呂屋さんあるんすか? 行ってみたいっすねー」
「風呂釜の調子が悪くなってしまった時は、私も利用させていただいています」
個人で風呂を楽しめるのも、『共和国』の持つ高度な上下水道技術、
そして個人用に普及した魔法石の賜物だ。十円玉くらいの大きさな赤色の
石を水に入れておくだけで、水が湧くという便利な代物だ。とはいえ、
個人用であるため出力は低く、それなりに値は張る。更に、魔法石は
自然エネルギーの蓄積と放出を繰り返すものであるため、徐々に
劣化していく。未だに魔法石を使った武器が普及していないのは
そのためだ。いかに強力な兵器であったとしても、メンテナンスに
かかる費用と時間がバカにならないのだ。
浴場の扉を開くと、白い湯気が二人に襲い掛かって来た。水の粒子が、
二人の体を濡らした。風呂場もやはり、それほど広くはない。女性二人が
入れないほどではないが。
「そう言えばフィネさん、明日何か予定はありますか?」
リナは椅子に腰かけ、掛け湯をした。
美しい髪が水に濡れ、艶やかに輝く。
「いえ、あっしはこっちに知り合いがほとんどいませんからねぇ。
リナさんみたいに戻ってくるような場所も、クラウスさんみたいに
挨拶する人もいないんですよ」
フィネは石鹸を泡立て、髪と頭頂部にある耳を洗った。特に、耳の
付け根辺りを念入りに洗う。この辺りにダニやノミが好むものがある、
と言われているためである。
「それじゃあ、ソノザキさんと合流するまで一緒にお祭りを見ませんか?
きっと楽しいですよ、色んなものがありますからね!」
「お、そりゃいいっすね!
どんなものがあるんでしょうね、いまから楽しみっす!」
「ふふ、よかった。私も楽しみです。
色々と、やっておきたいことがありますからね」
無邪気に笑うフィネを見て、リナはほくそ笑んだ。
こうして、二人の夜は更けていく。




