地下闘技場
猥雑な通りを抜けて、ターバン男は人気のない住宅街に向かっていた。
その後ろから、真一郎は忍び寄る。すでにほとんどの家屋から明かりが
落ち、街灯もないため、数歩先も判別出来ないほど道は暗い。片目を
慣らしていなければ追いかけられなかっただろう。
(こんな時間、こんなところに、あの男……
いったい何の用があってここに?)
男は時折、キョロキョロと辺りを見回す。まるで追手がいないか、
警戒しているようだった。気付かれているのか? そう思ったが、
いまのところ男が動く様子はない。
男は角を曲がる。真一郎も続けて曲がる。
だが、進んだ先に男の姿はない。
「バカな、姿も見えないなんてことがあり得るはずが……!」
路地を曲がった先にあったのはそれなりに長い直線道路だ。上り坂に
なっており、あれを駆け昇るには相当苦労するだろう。そもそもそれなら
足音がするはずだ。
ふと、横に視線を向ける。すると、家と家の間に小さな隙間が空いており、
階段があることに気付いた。
完全に建物の影になっており、見逃してしまいそうになった。傾斜の
きつい下り坂になっており、最奥はランプで照らされている。人影が
動いたのが見えた。
壁に手を突き、おっかなびっくりに坂を下っていく。
土壁のざらざらとした感触が、いやにはっきりと感じられた。坂の終点には
大きな扉があった。地下室になっている。
扉越しに人々の歓声が聞こえて来た。真一郎は慎重に扉を押した。
ギギギ、という重い音を立てて、扉が開く。
直後、耳をつんざくような音が聞こえて来た。
暗い室内には、数え切れないほどの人々がごった返していた。これで
ミラーボールでも回っていればクラブか何かのようだ。ドリンクを運ぶ
煽情的な格好をした女性給仕がせわしなく歩く。参加している人々は
それなりに身分が高い人間のようで、お忍びらしく粗末な衣装に身を
包んではいるものの、だらしない肉体を隠すことは出来ていない。
真一郎は人ごみに紛れ、店内の奥へと入って行く。辺りを見回すが、
ターバン姿の男を見つけることは出来ない。撒かれたか、そう思った時、
部屋の中央で歓声。
何をしているのか、真一郎は見た。部屋の中央には大きい円状の柵が
設置されており、その中には巨大な覗き窓があった。下層を見下ろす
大きな窓だ。何をしているのか、見て真一郎は絶句した。
そこには、小さな闘技場があった。
ルールはあってないようなものなのだろう、倒れ伏し、あからさまに
動けなくなった人に対して、もう一人の選手らしきものが何度も拳を
打ち下ろしている。どう考えても、死んでいる。それを見て人々は口元を
覆い、悲鳴を上げるが、ワインを手放さない。笑っているのか、嘆いている
ポーズを取っているのか、分からなかった。
作業員らしき男によって死体が片付けられ、レフィリーが勝者の腕を
天高く掲げた。大きな歓声。室内では喜ぶものと、残念そうな表情を
作るものではっきりと分かれていた。覗き窓の上には何枚もの紙幣が
投げ捨てられていた。
(闇闘技場……?
バカな、奴隷はこの国にいないのではなかったのか……?)
二人の男が消えるのと入れ替わりに、もう二人男が闘技場内に入って来た。
室内は歓声に包まれるが、真一郎は別の要因で息が詰まるような心地がした。
(……クラウス!)
そう思った時、真一郎の後頭部に何か固く、太いものが叩きつけられた。
シルバスタの力を操るとはいえ、真一郎はただの人間だ。後頭部を
いきなり殴られれば、成す術もない。覗き窓を守る柵に真一郎は、身を
投げ出すようにして転んだ。何とか後ろを振り向いた彼は、ターバン姿の
男が棍棒のような物をもう一度振り上げるのを見た。
そして、それが真一郎の脳天に叩き込まれ、彼はそのまま意識を失った。
結局、園崎真一郎はその日帰らなかった。
行方不明になったクラウスも、終ぞ見つけることはなかった。




