園崎真一郎
それから。日が暮れるまで、三人はクラウスの捜索を続けた。
だが、芳しい成果を上げることは出来なかった。回れる限り山を回り、
参拝客に対して聞き込みを行い、それでもクラウスを見つけることは
出来なかった。もうここにはいないのではないだろうか。焦燥感が
真一郎たちを包み込んで行った。
唯一、収穫があったことと言えば、フィネの大道芸で路銀が稼げた
ことだろう。見事な投げナイフの技量、演武。そうしたもので、小さな
カップは硬貨でいっぱいになった。
「いやー、とりあえずこれで今夜の飯くらいは
何とかなりそうっすよ! 旦那!」
「早いとこ、クラウスを見つけなきゃいけないことに
変わりはないが……助かった」
「エッヘッヘ、もっとあっしのことを褒めてくれても
いいんすよ、旦那?」
「とはいえ、宿を取るには少し足りませんからね……
もう一度、教会に行きましょうか」
「そうだな。夜も遅い、今夜はこれで休むべきだろうな」
電灯のない《エル=ファドレ》の夜は早い。七時頃にはほとんどの
明かりが落ち、九時になれば門番くらいしか動くものはなくなる。
このまま呆けていては、夕飯を確保することすら出来なくなってしまう。
真一郎たちは移動を開始した。
「でもどうすりゃいいんでしょうねー。もう手詰まりって感じですよー?」
フィネはクルクルと周りながら言った。歩きながら回るとは器用な
奴だ。しかも誰ともぶつかっていない。真一郎は諌めようとしたが、
しかし口をつぐんだ。回っていることに、ではない。
手詰まりだ、という部分についてだ。
足を使って探し回ったが、手掛かりらしき手掛かりは得られていない。
たったの一日で探せるわけがない、ということかもしれないが、刻一刻と
クラウスの生存率は下がっていく。《エクスグラスパー》が絡んでいると
いうことも気になった。
「少し危険だが……夜の街に出るしかないかもしれないな」
「うえ、本気っすか旦那?
まだマシとはいえ、ここも夜は危ないっすよ?」
夜は官憲の目が届かない。物理的な闇が、ありとあらゆるものを押し潰す。
実感が伴っていないのだから、真一郎に実際のところは分かっていない。
だが、四の五の言っていられる時ではない。多少のリスクに目を瞑らなければ
ならない時だ。
(やるしかねえんだろ、だったやってやるさ!)
かつて聞いた声が、真一郎の脳裏に木霊する。
ギリッ、と歯噛みした。
「フィネ、悪いがついて来てくれ」
「ええ!? あ、あっしがですか? で、でも、ホラ……」
驚き、フィネは頬を赤くした。
何を考えているのかは分からなかったが。
「お前は誘拐グループの顔を知っているからな。
人相を特定したら、あとは俺がやる」
「そ、そうっすか? そ、それならまあ……
そ、そういうことでしたらね!?」
「いやだから何を考えてるんだ、ワケ分からないことを
言うのはやめろ」
ため息を吐き、真一郎はリナの方を向いた。そして懐からシルバーウルフを
取り出し、彼女に渡した。リナは真一郎と、シルバーウルフとを交互に見た。
「あ、あの、ソノザキさん? こ、これ大事なものなんじゃ……」
「持っていてくれ。あんたが持っていてくれた方が、安心出来るからな」
真一郎は笑い、言った。一切の反論は聞かないとでも言っているようだった。
リナは納得していなかった。
だが、真一郎はリナの納得を待たずに踵を返した。
「終わったら、フィネをそっちに戻す。もし戻らなかったら、その時は頼む」
真一郎はフィネを伴い、夜の街に消えて行った。
リナはその姿をずっと見ていた。
宵の帳が落ちてなお、ドースキンの光は消えることがなかった。
荘厳な霊峰にそぐわぬ猥雑な世界が、そこにはあった。街頭には蠱惑的な
笑みを湛えた美女たちが男たちに声をかける。スケベ心をむき出しにした
男が、それに応じていた。
「うー、やっぱりあっしはこういうところ、苦手ですよ……」
「奇遇だな。俺もこういうところには入ったことがないんだ」
真一郎はため息を吐き、辺りを見回した。キョロキョロとしていないか、
自分で自分が心配になった。その様子を見て、フィネは笑い出した。
「あはは、ホントにこういうとこ、慣れてないんすね。そういう感じっすもん」
「悪かったな、慣れてなくて。俺はこういう遊びが嫌いで苦手なんだよ」
酒を飲むのも人と話すのも大の苦手な真一郎は、こうした盛り場を避けて来た。
「バカにしてるわけじゃないっすよ。そう言うの、誠実で好きっす」
「他人と話をすることが出来ないってのは、誠実ってのとは違うだろう」
バカにしているのか、とも思ったが、フィネの言葉に裏表はなかった。
「……苦手なんだよ、こういう雰囲気っていうのか。空気感っていうか」
だからかもしれない。真一郎は口から不用意な一言を吐いてしまった。
「ふえ?」
「俺が物心つく頃には、両親の結婚生活ってのは破綻しててな……」
園崎真一郎は、取り立てて特徴のない、典型的な核家族に生まれた。
父と母、そして妹が一人。父は典型的な日本のサラリーマンであり、家庭を
あまり顧みることなく仕事に没頭していた。母はそんな中で、子供たちを
育てたが、やはり一人で上手くいくわけがなかった。故郷の両親とは、
喧嘩別れ同然だそうで、終ぞ彼らの顔を見ることはなかった。
子育て支援はいまの時代も充実しているとは決して言えないだろうが、
真一郎が子供の頃はもっと酷かった。重荷はたった一人の肩にのしかかる。
助けてほしい人には、助けてもらえない。どこかに逃げたかったのだろう。
それは分かった。
「子供の頃……たまに、休みの日とかに友達の家に遊びに行った時だ。
忘れ物をして帰ってくると、家には見知らぬ男がいるんだ。
それも、母親とすごく、親し気にしている。母親は『友達だ』、って
言ったんだ。けど、俺にはどうしても信じられなかった」
「……なんでっすか?」
「滅多に香水なんてつけない人なんだ。父さんと出掛ける時だって。
薄くかけるくらいでさ。でも、その時は、着飾って……キツイ匂いを
させるんだ。それが嫌だった。大好きなはずの母親が、まるで、誰かも
分からない女に見えたんだ」
『友達』との付き合いは、それからずっと続いたのだろう。
最後に会った時、父と母が言い争う声を聞いた。聞きたくない単語が
いくつも聞こえて来た気がした。それに耐え切れなくなって、家を出て、
帰ったらすべては、終わっていた。
「昔から盛り場ってところが苦手なんだ。
騒がしくて、臭くて、ギラギラしてて。それでいてとても楽しそうな
ところが、俺はとても嫌いなんだ」
言い終わってから、何を言っているんだろうな、と真一郎は自嘲気味に息を吐いた。
「悪い、フィネ。つまらないことを聞かせてしまったな」
「そんな、つまらないなんて。あっしは嬉しいですよ、旦那」
「嬉しい、って。変に気を使わないでくれ。失言だって思ってんだからさ」
「いままでの旦那は、その失言さえしてくれなかったっすからね」
フィネはその場でくるりと身を翻し、真一郎の顔を見ながら後ろ向きに
歩き出した。犬狼人の鋭敏な感覚のなせる業か、人でごった返す通路を
誰とも接触せず歩き続けた。
「旦那のこと、よく分かりませんでしたけど。
でも、一緒なんだなって分かりました」
「一緒?」
「いろんなことに悩んで、傷ついて。
それでも優しい人なんだって分かったっす」
「買い被りだ。俺はそんな、大それたものなんかじゃあない」
「あはっ、それじゃあ大それた人じゃなくてよかったっす。
肩こっちゃいますから」
決して楽な人生を送ってはいない、少なくとも真一郎のそれよりも過酷な
人生を歩んできた彼女は、しかし向日葵のように朗らかな笑顔で真一郎の
言葉に答えた。
「ふん、まったく……お前らの都合のいい解釈には、いい加減うんざりだな」
そう言う真一郎の表情も、どこかまんざらではないようだった。フィネも
それを見て笑うが、しかし隣を横切った男の姿を見て表情を固くした。
真一郎も気を引き締める。
「旦那、あいつっすよ。あのおかしな、頭に布巻いた男が私たちを運んだっす」
「なるほどな、いかにもって感じのツラしてやがる。
ここまででいい、お前は戻れ」
「ここまで来て、あっしだけのけ者なんて冗談じゃないっすよ!」
フィネは肩を怒らせるが、真一郎は冷静にそれを諭した。
「俺がもししくじったら、リナと一緒に俺たちを助けてくれ。
お前たちにしか出来ない。お前たちにしか頼めないことだ。
頼む、ここは堪えてくれ」
どうにも口が軽くなって仕方がない。
真一郎は心中でそう考えたが、悪い気はしない。
「……分かったっす。でも、でも、必ず帰ってきてくださいよ、旦那?」
「ありがとう。俺が朝まで帰らなかったら……リナにシルバーウルフを
預けてある。いつも俺がそうしているように、トリガーを引け。
弾は出ないから安心していい」
フィネの背中を叩き、真一郎はターバンめいた布を巻いた男を追いかけて行った。




