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この手に平和をもう一度 ~英雄再生譚~  作者: 小夏雅彦
信仰と悪徳の街
22/48

どこに逃れ、どこに消えたのか

 森を抜けると、険しい山が現れた。

 その先には白亜の宮殿と、住居が見えて来た。


 険しき霊峰ドースキンの麓に築かれた都市。緩い傾斜の上に

家屋が建てられているため、遠目には実際以上に街が広く見えた。

 巨大宗教都市でもあるこの街に、二人は緊張した面持ちで足を

踏み入れる。奪われた物を取り戻すために。


「先に、この街での拠点を作っておいた方がいいかもしれないな」

「そうですね、けれど、その、私は……」


 そう言って、リナは麻袋を取り出し逆さに振った。

埃の一つも出てこなかった。


「……金の管理はクラウスに任せていたからな。

 もしかして、無一文か?」

「ソノザキさんが何も持っていないなら、私たち

 完全に無一文ですね」


 もちろん、そんなものを持っているはずはない。

どうするか、しばし真一郎は考えた。


「とにかく、この街の教会に行きましょう。

 私は見習いとはいえ神官ですしね」

「こういう状況で、聖職者が頼りになるのか?」

「普通の人々はあなたより信仰心がありますから。

 旅の合間に地方の教会に立ち寄ることもよくあります。

 ですので、自然と情報が集まっても来るんですよ」

「分かった、悪かった。この状況で頼りになるのはお前だけだ。

 言う通りにするよ」


 何につけても斜に構える癖が出来ている。自分の悪いところだ。

そうしなければやっていられなかった、というのもあるが。

これでは人の不興を買うだけだ。

 二人は並んで街を歩いた。周囲に目を配る、先ほどの山賊が

いないとも限らない。


「かなり露店が多いな。教会も、こういうのを認めているのか?」


 ゴツゴツとした不揃いな石畳の上にシートをひき、商品を

並べている行商がかなりの数いることに真一郎は気付いた。

道路に面する家屋を店舗としているところもあるが、その数倍の

数の露店が設置されている。


「天十字教は商売を禁止していませんから。

 むしろ、人と人とが交わり合うとして、推奨している面も

 あるんです。その結果として儲けがあるのも当然のことだと

 言っています」

「俺たちの世界じゃ、金を得るための商売を宗教は

 忌避するもんなんだがな」

「そこは色々ですね。たしかに、人の心がお金のみに向かって

 行ってしまう一面も否定出来ません。それに、人が交わり、

 欲望が生まれれば、それだけ世は乱れます。だから教会は商売を

 認めると同時に、行き過ぎた商売を規制する力を持っているんです」


 そう言って、リナは道端に目を向けた。

 道路の要所に、街の雰囲気とはそぐわない鎧を着た人が立っていた。

全身を覆うスーツアーマーと呼ばれるタイプのものであり、鉄の

バケツめいたヘルムには飾り立てられた十字の覗き穴がつけられている。


「教会も私有軍隊を持っているのか?」

「神聖騎士団と呼ばれる人たちです。

 武勇と教養に優れたエリートさんですね」

「それでよく、国と対立しないもんだ。

 権力と宗教は対立するもんだろ」

「まあ、いまのところは……『帝国』も『共和国』も、

 ある意味教会の後ろ盾で存続している部分があるので。

 あんまり、深刻な対立になったことはないんです」


 やはり、この世界では完全な政教分離には至っていないようだ。

分離するには、あまりに天十字教が持つ力が大きすぎるのだろう。

教会の意に背くようなことがあれば、国家が完全に分裂してしまう。

あるいはそのようにコントロールしているのかもしれない。

 真一郎は顔を上げた。ドースキンの最奥、霊峰にぴったりと

重なるようにして建てられた巨大神殿が見えた。それはあまりにも

大きい、教会の力を象徴していた。


 そこに行くのかと思っていたが、リナは途中で道を曲がった。

大通りの一部ではあるが、しかしどう考えても、一番大きな教会に

辿り着くとは思えない道だった。


「リナ、どこに行くんだ? あそこに行くんじゃあないのか?」

「あそこも教会は教会なんですけど、あそこ私じゃ入れないんですよ」

「入れない?

 俺はともかく、お前も入れないっていうのはどういうことなんだ?」


 聖職者が入れない教会とはこれ如何に。リナは困ったように頬を掻いた。


「こういうこと言っていいのかは分からないんですけど……

 私教会での立場悪くて」

「どういうことなんだ? 立場っていったい……」

「まあ、いいや。歩きながら話しましょう。

 まだ教会まで距離ありますから」


 また、二人は並んだ。先ほどまでより狭い道路だったが、

人の密度はほとんど変わらなかった。二人して身を屈め、

人波をかき分けて先に進んで行った。


「天十字教には二大派閥がありまして。

 『原典派』と『俗世派』っていうんですが」


 リナの話をかいつまんで説明すると、天十字教は一枚岩ではない。

どこまでも原典の競技を忠実に実行し、生涯妻を娶ることもなく、

養子さえ取ることなく、ただその身を神に捧げることを求める

『原典派』と、それとは別に俗世に迎合し、言い方は悪いが天十字教の

教義を歪め、より今の世界に適合した生き方を求める『俗世派』に

分かれている。


「で、私は『俗世派』にいるんですけれども、ドースキンって

 『原典派』の総本山なんですよ。大教会なんてその最たるもので、

 解放されている地域ならいざ知らず、内側になんて本当に敬虔な

 信徒以外は入って行けないんですよ」

「教義を忠実に実行することを求めるのに、参拝客は受け入れているのか?」

「先程も言った通り、天十字教は商売を禁止していませんからね。

 それは他ならぬ天十字教自体も含まれます。それに、敬虔でない

 信徒は啓蒙すべき対象だからいいんです」


 それもそれで、教義を都合のいいように解釈しているのではないか、

と真一郎には思えた。とにかく、ドースキン最大の教会に自分たちは

入って行けないようだった。


「まあ、入れなくてよかったのかもしれないな。

 俺なんて数秒でボロが出るだろ」

「あはは、あんまり教会でそんなこと言わないで下さいよ?

 袋叩きにされます」

「しかし、いかにも敬虔な信徒って見た目なのに、

 そうじゃなかったんだな」

「失礼な。私は敬虔な信徒です。この身は神のために。

 ただ考え方が違うだけです」


 そんなことを言われるのは心外だ、とでも言わんばかりにリナはむくれた。


「だって、私たち天十字教の宣教師は人々を導き、よりよい世界を

 作るためにいるんですよ? それは、『原典派』と『俗世派』に

 共通することです。でも、世界はずっと変わり続けている。

 それなのに私たちが変わらなかったら、受け入れてくれる筈がありません」

「変わっていく世界そのものが、間違っているかもしれないぞ」

「そんなこと、ありませんよ。だって、この世界は『光』が人間のために

 与えてくれた世界なんです。だったら、変わっていくこと自体それは

 全部正しいことなんです。変わっていく世界を受け入れて、でもその中で

 変わらないもの……人への愛だとか、助け合うことの大切さだとか、

 そういうことを教えていくことが、私たちのすべきことなんです」


 彼女の言葉を、傲慢だと取ることも出来よう。だが、彼女の声色は

あくまで真剣で、一かけらの悪意も存在しなかった。彼女は、本心から

人のために生きたいと思っている。信じられないほど、彼女は純真で、

そして真っ直ぐだった。


「……あんたにもう少し、早く会えていればよかったな」

「え?」

「あんたから聞く説法なら、もう少し素直に聞けたと思っただけさ」


 真一郎は柔和な笑みを浮かべ、彼女の言葉に答えた。

 一瞬、リナはきょとんとした顔を浮かべ、そして笑顔でそれに頷いてみせた。


 緩やかな坂を下り、T字路を左に曲がる。かなり街の奥まった場所にある。

やがて、ドースキンを囲む城塞が再び見えてきたところに、小さな教会が

見えて来た。かつては真っ白な漆喰を塗られていたであろう建物は薄汚れ、

傷つき、歴史の深さを伺わせる。


「『俗世派』の教会、と聞いてたが……

 何というか、慎ましいところなんだな」

「グラフェンの教会は、ここよりは立派なところなんですけどね……

 やっぱり、『原典派』の人が多いので私たちってどこでも肩身が

 狭いんですよね……」


 世界が変わっていくことを求めない人というのは意外に多い、

ということだろうか。リナは教会のドアを開く。ギギギ、と蝶番が

悲鳴を上げ、傷だらけの扉が開いた。


 まず目に入ってきたのは、色とりどりのステンドグラス。そこには

アルカイックスマイルを浮かべた髭面のマッシヴな男が描かれていた。

恐らく、あれが『光』なのだろう。偶像崇拝を禁止していないのか、

それとも偶像さえ自らの糧にしろという教義でもあるのだろうか。

一神教の神の姿を描いているのは珍しい。

 祭壇には一人司祭が控えている。立ったまま眠っているのか、

あるいは瞑想をしているのかもしれない。来訪者に対して何らかの

応対を行う様子はなかった。


 やはり、表にあった『原典派』の教会に比べて人はまばらだ。

やや派手な服装に身を包んだ女性やしわがれた老人、くたびれた感じの

婦人など。どちらかと言えば、この辺りに住む人々に信仰を受けて

いるようだった。灰色の耳を付けた犬狼人もいる。


「……あっ! だ、旦那ぁ!

 こ、ここにいれば会えると思ってましたぁーっ!」


 と、思っていたら、それはフィネだった。こちらの姿を見るなり

跳び上がるようにして立ち上がり、真一郎に向かって抱き着いて来た。

真一郎は冷静に飛びかかってくるフィネの両脇に手を入れ、

ジャンプアタックの衝撃を殺すためにその場で回転。着地させた。


「ブーブー。ようやく再会したんすから、喜びを受け入れてくれて

 いいじゃないっすか」

「やかましい。それより、よく無事でいたな。クラウスはどうなったんだ?」


 そう言うとフィネは暗い顔になり、首をフルフルと横に振った。


「クラウスさんが暴れて、あっしを逃がしてくれたんです。脇目も

 振らずに逃げて来たんで、あいつらがどういう奴らなのかは全然……

 すいません、旦那」

「生きて帰ってきてくれればいいさ。あいつらはクラウスを殺さず、

 連れ去っていったんだろう? ならば、あいつもまだ生きているはずだ。

 必ず取り戻すぞ」


 真一郎の口から予期せず放たれたポジティブな言葉に、フィネは驚き、頷いた。


「この辺りの人浚いについて、調べてみよう。あいつらの様子じゃ、

 この辺りで何度も同じようなことを行っているようだった。

 必ず噂になっているはずだ」

「そうですね。まずは、司祭様に話を聞いてみましょう。

 何か聞いているはずです」


 はず、の言葉は少し弱かった。

 あの眠りについたような老人が何か知っているのか?


 だが、真一郎の予想はいい意味で外れた。彼は思ったより様々なことを

知っていた。


「この辺りで活動しとる人浚い、か……

 聞いたことは、確かあったような……」

「ほ、本当ですか司祭様?

 じ、実は、その……仲間が浚われてしまって」


 リナは赤裸々に自分たちの素性を明かした。グラフェンから旅を

していること、《ナイトメアの軍勢》との戦いを行っていること、

真一郎が《エクスグラスパー》であるということ。半分くらい言う

必要はなかったのかもしれないが、信用を得ることは出来た。


「……ところで、ご存知かなリナさん。

 この『共和国』に奴隷が存在することを」

「え……で、でも。『共和国』憲章で奴隷は禁止されている

 はずではないのですか?」

「禁止されていても、闇では需要があるということか。

 あいつらのように」

「左様。むしろ、禁止されているからこそ大きな需要がある、

 ということでもある」


 アメリカ禁酒法時代。酒を禁止し、人々をアルコールから遠ざけた

結果、マフィアの作る密造酒が飛ぶように売れた、という話を聞いたことが

あった。人は規制され、禁じられれるほど、それに対する欲求が強まっていく

生き物なのだ。


「奴隷を求める者は様々じゃ。取るに足らない小さな日常の

 雑事をさせたがる者、農地の人手が足りぬ者、自らの下世話な

 欲求を満たそうとする者……」

「そんな……それでは、『帝国』とまるで変わりがないじゃないですか!」

「そうさな。

 だが、誰もが望んで『共和国』に加わったわけではないのじゃよ」

「『共和国』独立の機運が高まった時、たまたまここにいた者もいる、

 ということですか。本心では独立などしたくなかったのに、

 そこから逃れられなかった」


 人はその場の雰囲気を跳ね除けられるほど、心の強い生き物ではないのだ。


「それに、『共和国』の生産コストは『帝国』よりも高い。

 数倍に及ぶ物もあるそうじゃな。それも、奴隷制を否定し、

 奴隷を使わなくなった結果といえよう」


 奴隷は大きな導入コストを除けば、あとはそれほど多くない

維持コストだけで使うことが出来る。工業用機械のようなものだ。

死んだ後の処分にも、恐らく困らない。正式に雇用契約を結んだ

労働者相手では、こうはいかないだろう。『帝国』や『共和国』の

労働環境が、どれほどの物か、真一郎は詳しくは知らなかったが。

 商売で儲けることが天十字教の教義に適うのならば、より低い

コストで生産することもまた然り、ということなのだろうか。


「そんなの……人の道を外れていますよ!

 どうしてそんなことが出来るんです!」

「さてのぉ、ワシが奴隷を使っているわけではあるまいし……」


 正論だ。いま老人はこの街の現状を語っただけであり、怒りを

向けるのは筋違いだ。真一郎はリナの肩を優しく掴み、それを引き留めた。


「司祭様。この街で、奴隷の売り買いを行うことが出来るような

 場所はあるのですか?」

「さてな。この街では『共和国』よりも教会の権威の方が強いからのぉ。

 この街で売りに出される全ての商品には、教会のお墨付きが与えられる。

 逆に言えば、それが存在しない商品というのはこの街にはないはずじゃ。

 どこで売っておるのか、分からんの」


 司祭は首を横に振った。この老人が知らないとなれば、どうすればいいのか。


「そうっすねぇ……そう言うのはだいたい、裏市場で売られているのが

 鉄板っす」

「マフィア映画とか、そういうのでしか見たことがないな。

 ブラックマーケットってのは……どの辺にあるか、分かるか?

 ドースキンのじゃなくてもいい」

「治安のよろしくない、スラム地帯にあるのが普通っすよ。それも表には

 出てなくて、地下とかデカい建物とかを使うんす。でもここにそんな

 場所あんのかな……?」

「『原典派』の連中が貧民相手への炊き出しをやっておるからのぉ。

 それに、そうした人々に積極的に仕事を紹介しとる。貧民窟は

 この街にはないじゃろうなぁ」


 こうなっては八方塞がりだ。正規ルートで奴隷が売りに出されている

訳はなく、ブラックマーケットを展開するのにおあつらえ向きな場所も

存在しない。だが、奴隷狩りは実際に存在している。何という論理矛盾。

無限の泥沼にでも嵌ったような気分だ。


「……整理しよう。人買い連中は確かに存在していて、俺たちはそれに

 襲われた。そこでクラウスが浚われ、その足跡はドースキンに

 続いていた。だが、ここには奴らが人を売れるような場所は

 存在していない。そういうことでいいな?」


 三人は唸り、状況を整理しようとした。大まかには、真一郎が

語った通りだ。


「……もしかしたら、ホントにドースキンには裏市場なんて

 ないんじゃないっすか?」

「それじゃあ、あいつが浚われた理由が説明つかんだろう」

「いやいや、そういうことじゃなくてですね。旦那たちが見たのは

 ドースキンに向かって行く馬の足跡だけでしょ? 逆に言えば、

 この街に入って行くとこは見ていない」

「そういうことだな。なるほど、ドースキンの街にはいないということか」

「確かに、この近くの山ならば、彼らが隠れるのにうってつけですね」

「山には、自然洞窟も多いからのぉ。修行者が利用することもあるが、

 大半は薄暗く、崩落の危険があるから人が立ち入らん。たしかに、

 潜むにはうってつけじゃな」


 方針は決まった。期せずして山登りをすることになってしまったが、

他に手がかりがない以上そうする他ない。クラウスがいつまでも無事で

いられる保証はないのだから。


「司祭様、ありがとうございました! おかげさまで、先に進めそうです!」

「ホッホッホ、老人が役に立てたなら本望じゃ。ならもう一つ、お節介じゃ」


 司祭の老人は一本、指を立て言った。


「まずは疑ってかかることじゃな」


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