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この手に平和をもう一度 ~英雄再生譚~  作者: 小夏雅彦
信仰と悪徳の街
18/48

プロローグ:暗黒星からの使者

 二人の息遣い。肉と肉がぶつかる音。

 それだけが薄暗い室内に響いた。

 そして、二人を見下ろす人々はその様子を

喜悦の表情で鑑賞する。


 見下ろす人々の格好は、それは豪奢なものだった。

金糸をあしらった絹のドレスを着た女性。我々の知る

燕尾服によく似た物を着た男性。

 中には胸に十字飾りをつけ、長い司祭帽を被ったもの

さえいる。この世の欺瞞と悪徳とが、この空間に凝縮されていた。


 彼らが見下ろす二人は、やがて果てた。

 男は馬乗りになり、もう一人の男に何度も、何度も拳を

振り下ろす。彼らが身に纏っているのは薄汚れた

パンツ一つだけであり、それ以外はまったくの裸だ。

彼らがぶつかり合う空間とそれを眺める人々との間は

厚いガラスで隔絶されており、裸の男が見世物に

されているのは明らかだった。


 観覧席では歓声が上がり、いくつもの紙が舞い上がった。

宙を舞っているのは『共和国』で使われている紙幣であり、

それ一枚で低所得者一日分の所得に匹敵する額面の紙幣が

いくつもあった。客席の熱狂が、彼らをそうさせているのだ。

 彼らがいる空間はすり鉢状になっており、下層と上層は

完全に隔離されている。上層に入れるのは一定以上のカネを

積んだものだけであり、ここにいるのは世界の勝利者だけが

楽しむ事が出来る残酷な娯楽を享受出来る選ばれた者たちなのだ。

 

 だが、そんな一握りの勝利者を、更に上から見下ろす存在が

いることを、彼らは知らない。

 一見、上層を照らす明かり窓に見えるそこは、実際には

開放的なスペースだ。人がごった返す上層部とは違い、最上層部は

観葉植物が設置され、安らかな音楽が鳴るリラクゼーション空間だ。

身が沈むほど柔らかなソファに、一人の男が鎮座している。


 醜く、でっぷりと太った体はオークのそれを彷彿とさせるが、

オークほど俊敏に動くことは出来ないだろう。ズボンに

締め付けられた足はボンレスハムのようになっており、足置きを

使わなければ座っていることさえ辛いだろう。体と同じく

膨れ上がったすべての指には黄金の指輪が嵌められており、

十色の宝石が彼の手の中で輝いた。

 男はめくれ上がったように大きな唇に、透き通るような

赤を湛えたワインを流した。


「フォー、フォーフォー。ガッシュは頑張っているようだなぁー」


 積み重なった脂肪の層が彼の呼吸を困難にしているのだろう、

細い管を風が通り抜けて行くような音がした。男の横に侍らせた

女性が、彼の口元にフルーツを運んだ。


「今週は全勝しています。オッズも、順当に偏り始めているようですね」


 男の言葉に答えたのは、覗き窓の近くに立った眼鏡を付けた青年だ。

洗練された立ち振る舞いは、歴戦の執事めいて堂々としたものだった。


「拳闘士を続けて……たしか、親をこのドースキンに呼ぶつもりだったと?」

「同情を引くストーリーが、彼の人気の一因でもあると考えられます」

「しかし、こう勝ち続けているのではなあ。盛り上がらないではないか、賭けが」

「そうおっしゃると思いまして。すでに対策は打ってありますよ」


 ガッシュと呼ばれた拳闘士は、動かなくなった男の上で荒い息を吐いた。

通常ならこのあたりでレフェリーが――もちろん死ぬまで動かないが――

戦いを止め、勝利を告げる。

 だが、その時は違った。乱入者がいたからだ。ガッシュが

入って来たゲートから、もう一人の男が入って来た。あまり

鍛えられているとは言えない体つきをしている。男っぽい

体つきをしているが男らしい盛り上がりには欠ける。

滑らかだとさえ言っていい。顔面を布でグルグル巻きに

しており、表情は伺えない。両腕も革のベルトで拘束されており、

一見したところでは犯罪者に対する扱いにしか見えなかった。


 ガッシュは訝しみ、立ち上がった。上層は突然の乱入者に熱狂していた。

 拘束された男が走り、跳び上がった。そして、男の飛び蹴りが

ガッシュの顎を打った。歴戦の拳闘士であるガッシュは、それを

避けられずまともに食らい吹き飛ばされた。熱狂の色がより一層

濃くなり、プレートが中央の籠に投げ込まれた。どちらにいくら賭けるかを

記入するプレートであり、対戦のオッズは東西南北に表示されている。

もちろんこの戦い、オッズは新人の男に対して傾いている。


 ガッシュは顎を押さえ、立ち上がった。拘束具の男は律儀に

それを待った。あるいは、上の賭けが締まるのを待ったようにも

見える。いずれにしても、その姿はガッシュの闘争本能を刺激した。

腕が使えず、視界が縛られている以上、自分に有利。ガッシュは

攻め立てた。彼には待っているものがおり、負けるわけにはいかないのだ。


 だが、結論から言えば主催者側の刺客であるこの男にガッシュは

負けた。打撃を裁かれ、蹴りを受け止められ、真正面から力で

ねじ伏せられ、大地に倒れ伏した。敗者は死ぬ。

 それがこの暗黒地下闘技場のルール。拘束具の男はガッシュの

首元に踵を置き、見せつけるように体重をゆっくりとかけた。

抵抗の力が徐々に弱まっていく。観客は残虐なショーに悲鳴を

上げながらワインを楽しんだ。


 じっくり時間をかけて、ガッシュは死んだ。

 拘束具の男は不愛想にそこから立ち去って行った。

これにてショーはお開き。観客たちは元の日常に戻って行く。

何の罪がござい、という顔で。


「フォー、フォーフォー! 実に愉快! 楽しいものだな!」

「実に。まったくその通りでございます、旦那様」

「カネ! 暴力! 娯楽! これぞ神の与えたもうた、我らへの恵みよ! フォー!」


 旦那様と呼ばれた醜悪なオークめいた男は高価なワインを

一息で飲み干し、ワイングラスを投げ捨てた。

投げた先には、十字架があった。


「我らドースキンの民に祝福あれ! フォー、フォー、フォー!」


 壁に掛けられた十字架に、僅かに残ったワインが血のように滴った。


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