恐怖の島への船旅
海渡りの船。それは真一郎の常識とはかけ離れた物体だった。
それは、帆船だった。
「……この世からあの世までひとっ飛び、ということなのか? これは……」
一応、誰にも聞かれないように気を使っていたが、目ざとい尾上には聞かれていた。
「まあまあ、知ってるふりして堂々と振る舞ってよ。一応僕の仲間なんだ」
尾上は真一郎の肩に手を置き、息がかかるほど近くに顔を置いた。
真一郎はほとんど肘打ちをするような形で尾上を振り払った。
彼は一瞬、早く身をかわしてきた。
「あんたたちが何者なのか、船の上でゆっくり話を聞かせてもらおうか」
「いいね、それ。丁度僕たちも説明してあげたいと思っていたところなんだ」
大きめの舌打ちを一つして、真一郎はタラップを上がって行った。
「好戦的な子だねぇ。そんなピリピリしてると、色々筒抜けだよ?」
尾上は苦笑し、それに続いて行った。全員が船に乗ると、タラップが外された。
「だが、本当にどうやってこれが飛ぶんだ? 推進機構があるようには見えんが」
真一郎は辺りを見回した。すると、船の進行方向上に丸太が
敷かれているのが見えた。古代イースター島では巨大なモアイ像を
運ぶために木材を切り出し、ベルトコンベアのようにして使っていたという。
イースター島が荒廃したのはそのためだとも言われている。
「まあまあ、黙って見てなよ。最初に見た時は、僕もぶっ飛んだもんさ」
それはどういうことだ、と言おうとした時、船がガタンと揺れた。
それなりに強い揺れで、思わず真一郎は体勢を崩し、船べりに
へばりついて何とか転倒を免れた。
下を見ると、船の側面に飛行機についているような、傾斜した翼が
現れていた。翼の下には、これまた飛行機についているような
小型のプロペラめいたものがついている。
「ウソだ。あんな物で空に浮かぶはずがないだろう」
真一郎は内心で頭を抱え、首を横に振った。
尾上はそれを面白そうな顔で見ている。
「ウォォォォォーッ! 野郎ども! 押せェーッ!」
凄まじい怒号とともに、再び船がガタンと揺れた。
嫌な予感を覚え、船尾の方に真一郎は視線を向けた。
そこでは、何人もの男衆が船にまとわりついていた。
「そんなので動くわけがないだろ! いい加減にしろ、お前ら!」
真一郎は声を張り上げ精一杯現実を否定しようとするが、
現実というのは無慈悲に、確実に突き進んでいくのが常だ。
巨大な船体が、徐々に動き出していった。それに呼応するように、
翼に備え付けられたプロペラも回転を始める。船の動きはどんどん
大きくなり、そしてプロペラの回転も同様に激しくなっていく。
真一郎の叫びも激しくなる。
やがて、海渡りの船は崖から飛び出し、滑空するように飛んで行った。
水平に飛び出した船体が、沈んでいくことはない。
むしろ、どんどん浮上していっている。
「ウソだ……こんな帆船が飛ぶわけないだろ……性質の悪い冗談だ」
「なぁに、何度もやっているうちにクセになるさ。僕も初めは信じらんなかったなぁ」
尾上は流れていく雲を見て、ケラケラと笑った。そして、真一郎に向き直る。
「ま、異世界暮らしの先輩としてアドバイスさ。
何でも受け入れるもんさ、そうだろ?」
異世界暮らしの先輩。その言葉で、ようやく合点が行った。
小さな違和感の正体に。
「僕は尾上雄大。キミと同じく、『共和国』に召喚された
《エクスグラスパー》だよ。キミの噂は聞いてる。
なかなか個性的な子みたいだけど……よろしくね?」
尾上はウィンクを一つして、真一郎に手を差し伸べて来た。
所作の一つ一つを見て、真一郎はこの男とは親しくなれないだろうな、
という直感を抱いた。
■◆■◆■◆■◆■◆■◆■
船内客室。
とは言っても、船の中心に大きな談話室めいたものが一つあるだけだ。
他の部屋は貨物室であったりするので、自由に使える部屋はここしかない。
「はー、しんどかったぁ。久しぶりにやるもんやないなぁ、こんなことは」
和服姿の女性は肩を回しながら部屋に入って来た。
ゴリゴリという音が聞こえた。
「あんた、船長なんだろ? この船の操舵、やんなくていいのかよ?」
「操舵輪は固定しとるから、落ちる心配はあらへん。
ユウくんに見張りも頼んでるからなぁ、いきなり落ちる
確率は相当低いで。ちょっとの休憩くらい許してぇな」
和服の女性はからからと快活に笑ったが、命を預けている身としてはたまらない。
「自己紹介がまだやったな。ウチの名は金咲疾風。
『共和国』のモンや、よろしゅうな」
そう言って手を上げ、二本の指でVの字を作った。
見た目に反して非常に軽い。
「よろしくお願いします、金咲さん。私は……」
「リナ=シーザスにクラウス=フローレイン。
ソノザキ=シンイチロウに『鼠の』フィネ=ラフィアやろ?
安心せぇ、あんたらのことは調べてきてるからなぁ」
ハヤテは全員のフルネームを言い当てて見せた。
『鼠の』というのは、グラフェンで付けられていたフィネの通称だろう。
彼女が身を固くするのが見えた。この女、果たしてどのあたりまで
調べ上げているのか? 真一郎の全身にも緊張が漲った。
「ま、リナとクラウスに関してはウチらの同業者やからなぁ、
情報を仕入れるのは簡単やったで。あんたも結構、
派手にやっとったみたいやから情報は多かったでぇ」
「……人の道に反することは、した覚えなんてないしッ」
フィネはハヤテを威嚇した。ハヤテはそれを難なく受け流した。
「まあんなことはどうでもええねんけどな?」
ハヤテは懐から竹筒を取り出し、その中に入れられていた飲料を一口飲んだ。
「《エクスグラスパー》が供回りと一緒に旅に出た、
なぁんて聞いた時にはそら仰天したわ。しかも、
行き先が偶然ウチらと同じやったとは更に驚きや」
「あんたたちは『共和国』の人間なんだな。なぜこの村を目指していた?」
「そら、この辺りに巣食うオークを退治するためやがな」
ハヤテは言い切ったが、真一郎はそれを信じなかった。
中央の人間が、こんな辺鄙なところまでわざわざ来るだろうか?
来ない確率の方が高いのではないだろうか。
「ややなぁ、疑ってる? ウチってそんなに信頼感ないかなぁ」
「自分が信用されやすい人間だと、本当に思っているなら重症だな」
「んもう。そんなこと言われたって困るわぁ。
《ナイトメアの軍勢》ってここ数年のうちに現れたから、
その生態もよぉ分かってへんのや。そこら辺の調査も含めて、
ウチらの仕事やけん。しかも退治なんて荒事まで任されてるんやでぇ?」
ハヤテは心外だ、とでも言わんばかりの口調で真一郎を責めた。
そんなことを言われると悪いことをしているような気分に
なってくるから不思議なものだ。
「この辺りに出没するオークの調査と撲滅せぇ、って言われてたのはホントやがな」
「……俺を追いかけて来るのも、仕事の一部には言っているのか?」
「ややなぁ、あんた自分がそんな大事なもんやと思ってるんかいな?」
ハヤテはカラカラと笑い否定した。真一郎は表情を固くした。
重要なものでなければ、あんな大仰な儀式を行うはずはないし、
あんな大規模な部隊を展開し、神殿を守ったりはしないだろう。
《エクスグラスパー》の存在は、『共和国』にとって何らかの
意味を持っていることは明らかだった。
(だが……確かにそれほど重要な存在ならば、神官長も俺を放置したりはしないか)
あの時、真一郎は突っぱねられる覚悟であれを言った。
兵士が展開して来ればすぐに発言を撤回するつもりだった。
だが彼の予想に反し、彼の要求は百パーセント受け入れられた。
それとも、こうして放置していることにさえも彼らにとっての
意味があるのか。その辺りのことを一人で考えていても、
答えは出てこないのだが。
「まあまあ、ウチらの出自を疑うよりも、それより先にやるべきなんは救出やろ?」
「そうっすよ、旦那! あそこには助けを求めてる人がいるんすよね!」
「浚われた村人の数は、十人を下らない。彼らを助けなければならないぞ」
クラウスたちは口々に人々の救助を訴えた。だが、真一郎の感心はそこにない。
(あの島に落ちて行ったという流星。俺のサブガジェットであればいいのだが……)
この世界で活動していくために、それはどうしても取り戻さなければならなかった。
「救出作業はお前たちで行ってくれ。俺はオークたちを引きつける」
「そんな……それじゃあ、ソノザキさんが危険なんじゃありませんか?」
「俺が危険に晒されるだけ、そっちも動きやすくなるだろ。
それに、俺はそう言うのが苦手だからな。表で暴れている方が、
よっぽど性に合っている」
これは本当だ。シルバスタは高い出力を持っているが、
それだけ操作が難しい。人質と一緒にいたのでは、
本来の動きが出来ない。それどころか人質を傷つける危険もある。
「船の防衛はウチとユウちゃんに任せときぃ。あんたらが帰るまで指一本触れさせん」
「あんたたちが船を守る? 本当に大丈夫なのか?」
「ウチらのことが信用出来んなら、なおのこと近くに置かん方がええんとちゃう?」
判断に迷うところだ。ハヤテが言っていることは、一抹の正しさを
帯びているようには感じられる。救出に人数を割く以上、船の防衛に
回せる人員はいないのだから。
「あの、ソノザキさん。彼らのこと、信じていいと思うんですけれど……」
「……同業者のお前がそういうのならば、俺は積極的に否定する意味はないな」
リナがハヤテの擁護に回ったところで、大勢は決した。
「ありがと、リナちゃん。なんやあんた、いい人やなぁ」
「そんなことありませんよ。この船のこと、お願いしますね。ハヤテさん」
リナははにかんだように微笑み、ハヤテの手を取った。
「……この船は村人にとっても重要なものだ。必ず、守ってやってくれ」
「分かっとる。これはあの人らの、命の次に大事なもんやからな。
傷一つつけへんよ」
「この船で何をするんだ、普段は。網で鳥でも捕えているのか?」
この空飛ぶ船で収益を得るには、それくらいしか手段がないように思えた。
「んにゃ、これ自体で利益を得るわけやあらへん。
辺りに島があるのは知ってるやろ?」
ハヤテはあっさりとそれを否定した。
「この辺の耕作は、大部分が島で行われとるんや。
それなら、盗賊や山賊に荒らされる心配はないやろ?
んで、この船なら収穫した食物を入れて本島まで運べるやろ?」
「なるほど、この船は運搬船というわけか。
必死になって守ろうとする意味も分かる」
船でなければいけない場所に畑や田園を作っていた、というわけか。
「……そう言えば、もう一つ聞いておきたいことがある。なぜオークは人を浚う?」
「オークの生態に関しては分かってへんことも多いが、それだけは
分かっとるで。あいつらは基本的に狩りで食物を調達するんやけど、
食物を貯蔵して置く習性もあるんや」
「食物を保存? ということは、浚われた人間というのは、すべて……」
「あいつらにとっての保存食、ってことになるやろうなぁ」
それを聞いて胸が悪くなってきたが、努めてそれを表に
出さないようにした。この世界では、人間は人間ではなく、
その辺りにいる獣と同じような存在なのだ。
「あいつら賢いで、結構。腐りにくくする知恵もあるからな」
「さっさとあいつらに追いつかなければ、村人全員がベーコンになるってわけか」
クラウスがギュッと拳を握りしめるのが見えた。その時、警鐘が辺りに響いた。
「おっと、ユウちゃんからや。ちょっと行ってくるわ」
「俺たちも、そっちに行ったほうがいいのか?」
「ああ、構わへんわ。あれは緊急の警報やなかったからな」
そう言って、ハヤテは部屋から出て行った。真一郎も、それに続いて行った。
「なんや、ゆっくり休んでりゃええのに。あんたらこれから大変やで?」
「どんな秘密の話をするのか、俺も興味があるからな」
「その徹底的に人を信用しない姿勢、どっから来てるんやろうなぁ?」
ハヤテは呆れたようにつぶやいたが、真一郎はそれを無視して歩き続けた。
そして、船首に辿り着く。尾上は近代的な黒い双眼鏡で先の景色を見ていた。
「ハヤテちゃん、そろそろ島につくから舵を……って、園崎君も一緒にいるのか」
「ウチと離れたくないって言うからなぁ。了解、んじゃ舵はこっちに任せてぇな」
そう言って、ハヤテは手をひらひらと振りその場から離れて行った。
「……あんた、俺と同じ《エクスグラスパー》なんだってな」
「ああ。召喚されたのはいまから二月ほど前。
キミから見れば先輩ってことになるな」
「その先輩に聞いておきたいな。あんたたちは何の目的で
こんなところまで来た?」
尾上は肩を震わせた。『同じことを聞くんだね』、とでも言いたげな表情だ。
「さっきの説明じゃ不満かい、真一郎くん?」
「仮にもこの世界を覆う脅威、《ナイトメアの軍勢》の調査をするんなら、
あんたたち二人だけじゃ足りないだろ。あんたたちが生物学への
造詣があるようには見えない」
「そりゃちょっと偏見に過ぎるんじゃないかい?
まあ、僕が学者に見えないのはいいとして……数が少ないのを
気にしているみたいだが、『共和国』の資産だって無限じゃあないんだ。
いかに世界の危機とはいえ、無制限に《ナイトメアの軍勢》への調査費は
出せないんだよ。だから少人数で広範囲を調べる、みたいな無茶を
しなきゃいけないんだ」
尾上の言葉がすべて真実であるとは思えなかったが、合理性がないとも
言えなかった。『共和国』についての知識がない真一郎は、彼の言葉を
否定することが出来ない。




