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この手に平和をもう一度 ~英雄再生譚~  作者: 小夏雅彦
プロローグ
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1/48

英雄召喚/覚醒の刻

 男、園崎真一郎にとって現実というものは、煉獄に他ならないと考えていた。

 身長百八十センチ越え、鼻の高いやや日本人離れした端正な顔立ち、

引き締まった鍛え上げられた肉体。もし、こんなセリフを本当に吐いたなら

『なにをバカな』、と言われることは請け合いだ。

実際のところ、真一郎の人生は表面的には充実したものだ。

 人間関係、女性関係、学業、スポーツ。

さしたる失敗をしてきたわけではない。

むしろ、成功者と言っても過言ではない。

その先の人生は輝かしいものだろう。


(クソ食らえだ)


 それでも、と真一郎は思う。本当に手に入れたいものを何一つ

手に入れられない人生にどんな意味があるのか。守りたかったものを

守れない命に価値はあるのか。

 彼の私生活は、それは凄惨なものだった。一年前、妹が自殺した。

捻くれた兄に似ず、素直で利発な子だった。死の寸前まで、苦しみを

打ち明けることすらなかった。突然の自殺で、地元メディアからは

かなり責めたてられた。妹は地元ではそれなりに有名人だった。


なぜ自殺したのか言え。

そう言われたがそれはこっちが教えてほしいくらいだった。


 メディアの攻勢に耐えかねた母は、父に離婚を切り出した。

元々夫婦仲は冷え切っていた、当然と言えば当然だった。

だが、それでも、無意識のうちに父は母が自分を支えてくれると

思っていたのだろう。逆上し、突き倒し。

あとはまあ、お決まりの展開。


 一年の内にありとあらゆる親類を失った真一郎は、失意のまま

故郷を出た。慣れ親しんだ土地で暮らすには、彼は有名になり過ぎた。

幸い、都会人にとってこういった事件はありふれたものだったようで、

彼の人となりに気付くものは一人としていなかった。


 都会で暮らし、喧騒とは無縁の生活を送り、しかし、それでも。

 園崎真一郎の心を包み込んでいるのは、たった一つの敗北感だった。

 二度と取り返すことの出来ない敗北。

それを抱えたまま、生きていくこと。


(それは、どんなものよりも惨めなことだ)


 撥水性の黒いロングコートを、雨粒が伝った。空を見上げてみると、

黒い雲が一面を覆っていた。真一郎は舌打ちした、天気予報はまるで

頼りにならなかった。

 ふと、視線を外した真一郎の視界に、小さな影が映り込んだ。

 それは、子供だった。黒いパーカーを纏った、小さな子供。それが、

路上に立っている。アスファルトとほぼ同化しているのだろう。

軽トラックを走らせるドライバーの目からは、それは単なる地面と

同じに見えているのだ。スピードは少しも緩まない。


 舌打ちして、真一郎は走り出した。

降り注ぐ雨粒の一つ一つが、目に見えているような気がした。

錯覚だ。かつては見えていたのに。

真一郎は走った。

走り、少年の脇に手を入れると、それを乱暴に投げ捨てた。

けたたましいクラクションの音。それを――


■◆■◆■◆■◆■◆■◆■


 世界を星明かりが照らす。

それ以外に、光をもたらすものは天にはなかった。

 一際、大きく瞬く星があった。否、それは星ではない。

もし星であるのならば急速に膨らんでいくわけはないし、

流星であるのならばあれほど長く留まっているはずはない。


光り輝く『星』は、少女の丁度真上で制止し、東西南北

四方向へ弾けて行った。


 少女の格好は奇妙なものだった。頭に被っているのは彼女の頭の

サイズに合っていない黄金メッキのサークレット。中心部には

拳ほどもある大きなアクアマリンが飾られている。

古代ギリシアのトーガめいた衣装で華奢な体を覆い隠し、

その胸元には雷神を象った大きな留め金。

手には彼女の背丈ほどもある鈍色の杖を持っている。


 少女は天を仰いだ。金色の髪が、彼女の動きに呼応するように流れた。

古代ギリシアパルテノン神殿を思わせる波打つ何本もの柱によって

支えられた神殿に、彼女は立っている。大理石の床を踏むカツン、カツン

という足音が何度も虚空に木霊する。天を仰ぎながら、ロッドを振り、

彼女が舞っているのだ。


 部屋の中心には黄金の水鏡が設置されている。外の水路から絶えず水を

引き上げているため、水鏡は常に揺れ動いている。その揺れが、一際

激しくなった。水だけではない、神殿全体が振動しているのだ。

天から落ちて来た『星』のために。

 『星』は天井に備えられた直径五メートルほどの大きさの穴を通って、

水鏡に向かって真っすぐ降りて来る。それでも、少女は舞を止めない。

ゆっくりと降りて来た『星』が、水鏡にピタリと嵌ったのと同時に、

彼女は舞を止めた。


 光り輝く『星』の表面に、亀裂が入る。それは頂点から足下にかけて

ゆっくりと刻まれて行く。まるで卵の殻が、ゆっくりと割られて行く様を

見ているかのようだった。少女は固唾を飲んで、その光景を見続けた。

やがて、一直線の亀裂が『星』に走った。

 一際強い輝きが、神殿を満たし、外まで漏れ出した。それと同時に、

歓声が上がった。暗闇の中に篝火の光が上がった。一つ、二つ、

どんどんとそれは増えていき、その度に神殿の周辺を、百人ほどの

人が取り囲んでいるという事実を映し出した。


「……ここは、どこだ」

 園崎真一郎は、自らの体が濡れていることに気付いた。

雨を浴びていたからではない。

いま水に浸かっているからだということに、彼はすぐ気づいた。


「……ようこそ、お越し下さいました。勇者様」


 急にかけられた声に、真一郎は訝しんだ視線を向けた。

自分のことを言っているのだと気付くのに、しばし時間を要した。

彼は立ち上がり、水鏡から出た。生ぬるい風が彼の体を冷やした。

記憶が正しければ、いまは十二月のはずだったのだが。

 次に、彼は辺りを見回した。辺り一面闇に包まれた、静寂の世界。

時折風に吹かれて木々が騒ぐ音だけが聞こえてくる。遠くには住居と

思しきものが、頼りない光に照らされている。

少なくとも、ここが日本ではないということは分かった。

 次に、奇妙な格好をした少女が目についた。真一郎の視線が、

険しく細まった。


「ここはどこだ。貴様は誰だ。何の目的があって、俺を浚った?」

「一つ一つ、説明いたします。私はリナ=シーザス。天空神に仕える巫女です」

 何を言っているのか、理解は出来なかった。漠然と、真一郎の頭の中に

『カルト宗教』という単語が浮かんできたが、一先ずは彼女の話を聞くことを

優先することにした。


「ここは《エル=ファドレ》。月なき世界。あなたに分かりやすいように

説明するのならば、あなたの暮らしていた世界とは異なる『異世界』、

というところでしょう」

「異世界、だと?」

「大天空と大海幕とに挟まれた、この世界のために。

あなたをお呼びしました」


 真一郎は女の目を見た。彼にはカウンセラーの資格や心理学者の資質は

なかったが、少なくともその女が何かウソをついているようには

見えなかった。目は泳いでいない。真一郎はふっ、と顔を下げ笑い、

女に近付いた。


そしてそののど輪を掴んだ。

 女が悲鳴を上げる暇すらなかった。足を引っ掛け背中から転ばせた。

背中から固く冷たい大理石の床に激突した女が叫ぼうとしたが、

喉を潰され風切り音がするだけだった。


「俺がそんな与太話を信じるとでも思っているのか……!?

舐めた真似をしてくれる」

「う、ウソでは、ありません。信じて、ください……!」

「仮に貴様が話した内容が真実だとしても、俺に関係のないことだ。

死にたくなければ、ここの出口を教えろ。

お前が死なないと思っているなら、それは大きな間違いだ……!」

 真一郎は喉元に込めた力を強める。

すると、突然外から怒号と金属音がしてきた。


 真一郎は訝しんだ。金属音に紛れて、重い砂袋を切りつけるような音と

悲鳴がしてきた。真一郎は女の喉から手を放すと、素早く近場の柱に

走り寄った。

 外を見た瞬間、我が目を疑った。満天の星空が、真一郎を迎えたのだ。

風は都会で感じたそれとは違い、まとわりつく様な粘っこさを感じさせない

爽やかなものだった。視界一杯に広がるのは、宵闇に紛れた広大な森林。

その奥には山麓が見えた。


 視界を落とすと、そこには人がいた。だが奇妙な格好だ。

ショルダーアーマーや鎖帷子、大振りの盾と両刃剣。古代ローマを

舞台とした映画を見ているような格好だ。

その中で一際大柄で、屈強な男はモヒカンめいた飾りをつけた

鉄兜を身に着けている。


 そんな男の眉間に、矢が突き刺さった。

粗末な作りで、表面はささくれ立っている。

 豚の泣き声を連想させるような咆哮が、夜の静寂を切り裂き響き渡った。

真一郎がそちらを見て見ると、これまた信じ難い、正気を疑うようなものが

そこにはいた。


 豚のような鼻とイノシシのような牙、理性を感じさせない濁った瞳。

豚を直立させ、手足を人間サイズまで伸ばしたような、醜悪な物体だった。

緑色のラバーのような、光沢を放つたるんだ皮膚の下には、堕落を

如実に表すような脂肪の塊があるのだろう。太く短い三本の指で、

器用にシミターめいた片刃剣を握り、力任せに振り回している姿が

複数見て取れた。中にはロングボウを握り、射撃を行っているものもいた。


「バカな……なんだあれは?」

 少女、リナは真一郎の体がぐらりと揺れたように見えた。息も

絶え絶えになりながら、彼女は立ちあがる。

その身に秘めた使命感が、彼女に痛みを無視させる。


「彼奴らこそ、邪悪なる魔物。《エル=ファドレ》に巣食う暗黒の軍勢です」

「あれがか? バカな、あのような生き物……有り得るはずがない」

「この世界に来られた方々は、口々に、そのような反応をなされるそうです。

ですが、この世界では、あのような怪物が存在することが、当たり前なのです」


 聞きながら、真一郎は冷静に状況を見極めた。

緑色の怪物、一般的な豚人(オーク)のパブリックイメージを具現化したような怪物は、

破竹の勢いで人々の軍勢を殲滅しているように見えるが、その実体勢を立て直した

人間の軍勢によって押し返され始めている。どうやら、オークの弓には重装歩兵の

防御力を貫くだけの破壊力がないらしい。


「呼び出した、と言ったな。何のために俺を呼び出した?」

 そのため真一郎は、もう少しの間この女と話す時間があるだろう、と判断した。

「この世界をお救いいただくためです。あの悪魔、《ナイトメアの軍勢》から」

「なぜ俺に貴様らを救う必要がある。人の力を借りなければ滅んでしまうような

文明、いっそ滅んでしまえばいい。呼び出すんなら、もっと暇な奴を呼び出せば

よかったものを」

 真一郎は吐き捨てた。そんなお人好しになるつもりはないのだから。


 リナは色を失ったが、真一郎の興味はすでに彼女にはなかった。

視界の端に映ったものがある。

それは、最初に見た住居だったが、今では少し状況が変わっているようだ。

遠目にも、あそこから火の手が上がっているのが分かった。


「おい。お前たちの軍勢、あそこにいる連中を守りはしないのか?」

 呆然としていたリナだったが、真一郎の言葉で正気付いた。

「あの辺りは……ダウンタウンです。

本営から離れているので、すぐには」


 リナは言葉を詰まらせた。位置関係から考えて、ここは都市部から

離れた場所にあるのだろう。だから護衛の兵士がいる。だが都市部では

話が違ってくるのだろう。要するに、あの辺りは防波堤替わりなのだ。

だから兵士の対応が遅い。


「ふん。どこの世界だろうが……

弱いやつが利用されることに違いはないようだな」


 異世界だろうが何だろうが、人間の欲望によって成り立つ

世界であることに変わりはない。ならば、やることに変わりはない。

 真一郎はコートの前を外し、はためかせた。そして、ベルトの

ホルダーに備え付けられていた物を取り上げた。リナは、金属質の

長方形の物体を見た。真一郎はそれを迷うことなく腰に当てた。

背後にいたリナには分からなかったが、長方形の物体から革のような

質感のベルトが現れ、真一郎の腰に巻き付いた。

 彼はコートのポケットから、銀色の鍵を取り出した。

彼はそれを見つめる。


(助けを求めている人がいるんなら……

それに手を伸ばすのは間違いじゃないだろ!)


 彼の脳裏に、男の叫び声が木霊した。

真一郎は頭を振り、それを振り捨てた。

(そうだな、お前は間違ってはいなかった)

 目を見開き、真一郎は眼前の光景を見る。

銀色の鍵を長方形の物体に差し込んだ。


「……変身」


 低く、唸るように真一郎は言った。刺し込んだ銀色の鍵を、

真一郎は捻る。獣の咆哮のような、地を震わせるような低い音が鳴り、

奇怪な音声が辺りに鳴り響いた。

 漆黒のラインが、真一郎の首筋から背骨に沿って臀部のあたりまで伸びた。

同じようなラインが、両目の下から首、首から足首、肩から手首に向かって

伸びた。そこを中心に、体を覆うようにして銀色のスーツが彼の全身を

包み込んだ。 更に、前腕、肩、胸、腰、両足に、ピンポイントアーマーめいた

装甲が現れ出でた。全てが、虚空から。

 真一郎が腕を振るう。それだけで風が巻き起こった。

戦場の動きが、瞬間止まった。


「ゆ、勇者、様……? あなたは、いったい……」

 呆然とした表情で、リナが真一郎の姿を見る。成る程、この姿は異世界に

あっても奇異の目で見られるものなのだな、と真一郎は理解した。

(俺は生きる。弱き者が虐げられるなら、俺はこの手で何者をも救って見せる! 

俺はこの手で――もう一度世界を救って見せる!)

 真一郎はリナを振り返る。その力を、その姿を、見せつけるように。


「そうだ、まだ名乗っていなかったな。俺の名は……シルバスタ!」


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