プロローグ 1
5
「これが問題の画像か。よく見せてくれ」
エリンは落ち着いた声だった。画像を睨む目も、まだ死んではいない。
「侵入体の正体が、これでどうやら、はっきりしましたね。侵入体は隕石のような形状の集合体生物で、宇宙を移動していた。ターゲットの惑星に衝突する前に素早く構成因子に分裂して、獲物を襲う。前代未聞でしょう」
石橋は声の震えを、努めて抑えながら話した。地球に襲い掛かりつつある想像以上の過酷な現実が、今まさに証明されたのだ。
「擬態とは、また解釈が違うようだな。通常の生き物は、攻撃を仕掛けるために擬態を使い、相手を騙す。もしくはその逆、相手を騙して身を守る。どうやら今回の侵入体は、ただの移動手段のために隕石に化ける」
エリンは、画像から目逸らさずに話した。まるで画像の奥に問いかけるように。
「宇宙空間であれば外敵もいないでしょうし。まあ、言い切れるわけではないですが。隕石に化けるという解釈は、隕石を知っている人類だから偶然にも通用した――とも言えますね」
話の輪にエリンが加わったことで、マクレーガーの口調は少し畏まった。マクレーガーの説明にエリンが頷く。
石橋は、あえて話の流れを塞き止めた。
「私の意見は違います。侵入体を隕石と間違えたことで、火星への落下を許した。攻守に長けた擬態ではないでしょうか。もし飛来物の発見時に、人工的な造型ラインであったら、万全の体制で臨んでいたと思います」
石橋は主にエリンに向かって話した。口には出せないが、まんまと擬態で騙された時点で人間の負けだと伝えたかった。マクレーガーの手前、この話はできない。
「颯太、結果論だ。今は状況を正確に把握することを、優先しなければならない。マクレーガー、隕石の大きさはどれくらいだ?」
エリンの声は、低いながらも鋭かった。石橋は、遠回しの叱責をいなされた気分だった。
画面のマクレーガーは、手元の資料を漁った。
「飛来時の大きさは、およそ百十五万立方メートル。一つのスタジアム並みでしょう」
マクレーガーは即答した。マクレーガー自身も、恐怖の規模を分っているはずだ。侵入体の個体の数が、恐ろしいほどの数になることを。
A棟にいる侵入体は、ほんの一部に過ぎないということになる。時間が経つにつれて、B棟、C棟は侵食される。いや、すっぽりと覆いつくされると形容したほうがいいだろう。
六ヶ月で交代するため、第三宇宙ステーションから有人シャトルが到着するのは、二ヵ月後だ。二ヶ月の間、タルシス高原通信基地局が篭城しきれるはずがない。
石橋は考えた。何か次善策が工夫できないか、と。
もはや火星を救う手立てはない。が、侵入体の完全勝利で終わらせない方法を考えるのだ。
黙りこんだ石橋を尻目に、エリンが口を開いた。
「マクレーガー、B棟の生存者たちもC棟に移そう。スタジアム並みの重量では、B棟に侵入する前に、建物が潰されるかもしれん。こちらで警備と調整をしてみる」
エリンの声は落ち着いていた。地球の管制局の狼狽を、少しでも火星に伝えさせない配慮に感じられた。
エリンは去り際に、石橋の背中を軽く数回ぽんぽんと叩いた。新しい情報を、上層部に報告するのだろう。
石橋は目線を向けて、エリンに返事をした。エリンもまた無言で、その場を後にした。
6
画面上のマップのA棟は、完全に赤く染まっていた。監視カメラの映像も途絶えている。今は、B棟からC棟へ生存者の移動が始まっている。
石橋は逐一入る情報を処理しながら、頭の片方では侵入体の対策を考えていた。対策というよりは“仕返し”という言葉のほうが近い。
石橋には“ある考え”が浮かんでいた。決して不可能ではない案。が、話を通すには人道上の壁が邪魔をする。
石橋は、マクレーガーに打ち明けようと呼び出した。
「颯太、画像を見てから、ずいぶん暗くなったな。気持ちは分るが、元気を出せよな」
マクレーガーは、薄っすらと苦笑いを見せている。かなり暖かい口調に聞こえた。
石橋は冷水を浴びたように、気持ちを新たに切り替えた。窮地に立たされているマクレーガーに、逆に励まされたのだ。自分の幼い態度に、罪深さを感じてしまった。
「マクレーガー、ありがとう。暗い顔をしていたのは、考え事をしていたからなんだ。この考え事が、自分を暗くさせていた。思いついた本人でも理解しがたい、突拍子もない考えだ」
石橋は声が小さくならないように、腹に力を込めて話した。笑みを出そうとしても、愛想笑いでさえ出てこない。
「残された時間は少ないけど、聞こうか。つまらない悩みなら、スピーカフォンでそっちに流してやるからな」
マクレーガーの声は、心なしか弾んでいた。冗談めかして悪態をつくのは、明らかに場違いだ。が、話を切り出しやすくなったことも確かだ。
「侵入体を研究しようと考えている。火星ではなく地球で本格的にだ。侵入体の弱点や、生体の仕組み、習性を研究して対策を練りたい。うまく伝えられないが、未来に繋ぎたいんだ」
石橋は顎を力ませ、上擦る声を押さえながら話した。自然と握り拳ができていた。
聞き手によっては、タルシス基地局を捨て駒にする考えである。どのみち滅びが回避不可能なら、何か成果を上げて滅びなさい、と。神に祈る時間すらも与えない。
マクレーガーは前のめりになった。唇の歪んだ顔が一回り拡大された。
「面白いじゃないか、颯太。侵入体捕獲の考えに、俺は乗るよ。早速、エリン局長に相談してみよう」
「ちょっと待ってくれ、マクレーガー。話に賛同してくれたのは嬉しいよ。けど、なぜ、そこまで明るく振舞うんだ? 君は、その……」
言葉が続かない。自分は何を聞きたいのか。相手に何を言わせたいのか。
7
石橋は遂に、破ってはいけない暗黙を破った。
「タルシス高原通信基地局が壊滅することは、衛星画像を見た時点で分ったよ。同時に、俺はここで死ぬんだと悟った。恐怖感はなかった。元々、宇宙で安全な場所はないと考えていたからだろうな。死ぬのが嫌なら、宇宙に関わるな、ってな」
マクレーガーは、声を絞りながら話している。静かなトーンから、マクレーガーの悲愴な覚悟が窺えた。
「俺がここで死ぬことは分った。だが、このまま指をくわえて待つのも釈然としない。侵入体に火傷を負わせることも、噛み付くこともできないのかと。内心、悶々としているところに颯太の案が飛び込んできた。やるしかないだろう?」
マクレーガーの目が輝いていた。生気の篭った輝きだった。
石橋は、ふと地球にいる自分の境地を振り返った。死の危険がない、ざわめく広いフロア。小さな病院だって併設されている。
今まで生きている幸せを、感じたことがあるだろうか。当たり前すぎて、考えたこともない。
今は、心から生に縋りたい。マクレーガーのおかげで、生きる実感が湧く。
「よし、エリン局長に相談してみる。反対する連中も多数いるだろうが、エリン局長と上層部を口説けばなんとかなる。マクレーガー、無人ロケットの準備だけ始めていてくれ」
石橋は、つい早口になる口調を抑えた。こめかみが吊り上る感覚を覚える。目標がしっかり定まると、頭が活発になった。
マクレーガーは「了解」と答えると、画面から遠のいた。
石橋は、エリンを探しに立った。
久しぶりに振り返ると、六十人いるスタッフの約半数は大小様々な画面を見ていた。見守る作業しかできない。管制局ができる仕事は、基地局の延命だけだった。
石橋は、画面を見ているスタッフを忙しくさせてやると、一人で意気込んだ。侵入体確保のサポートで、慌ただしくさせてやろうと。
エリンは、フロアの中央にいた。石橋は、人を掻き分けて近づく。汗を含んだ熱気が体を通り過ぎた。
石橋はエリンの傍らに立った。エリンが気がつくまで、ざっと数秒かかった。
「エリン局長、いいですか?」
石橋はエリンをまっすぐ見つめた。
エリンは「ああ」と力なく返事をした。が、動く気配はなかった。ここで話せと言いたいらしい。
「時間がないので、デスクに来てください」
石橋は、今まで座っていた場所を指差した。もどかしい口調を察してくれたのか、エリンは歩き出した。
「急用ということは、新しい情報か?」
「ええ、まあそんなところです」
歩きながら曖昧に濁した。周りに人がいなくなってから話すつもりなのだ。
8
歩調を速めようとしたところで、フロア内にざわめきが波打った。石橋は、画面のマップに目を走らせた。
B棟の一角が赤く染まっていた。基地局の侵食は着実に進んでいる。
エリンの怒声がフロアに轟いた。
「落ち着け! B棟に人はいない。侵入経路のダクトを調べろ。どうやって突破したのか、可能性を探れ。次の逃げ道になりそうな場所に、監視カメラの焦点を合わせておけ」
エリンの声は、指示を出していくうちに落ち着いてきた。
石橋は焦った。B棟が侵され始めたおかげで、エリンがまたどこかへ行くのではないかと。侵入体確保への残された時間が、急速に少なくなっているのだ。
石橋は目を細めてエリンを見た。エリンは、インカムに手を当てて、小声で喋っている。上目遣いのエリンと目が合うと、指で自分のデスクを指された。
石橋は、それでも動かなかった。無言で不満を漏らす。
「わかった。行こう」
エリンは移動を始めてくれた。エリンの顔の隅に、呆れた表情がすっと消えた。
デスクに着くと、石橋は座らずに話を始めた。
「エリン局長、提案があります。基地局の残された時間を、侵入体の確保に充てませんか。奴らの習性を、私たちは知らなすぎます」
石橋は声のトーンを、落として話した。自分の顔の張りが実感できる。
「バカなことを言うな。基地局にいる人たちの心情を考えろ。そもそも、侵入体と渡り合う余裕があると思うのか?」
エリンの眉間が盛り上がった。基地局のスタッフを持ち出されると、石橋の心に痛みが走る。何度も味わった痛みだ。
「しかし、おかしいと思いませんか? 火星に人類がいなかったら、侵入体は何を襲ったのですか? 広大な火星の土地で、基地局に割りと近いマリネス渓谷に落下した。広さで言うなら、宇宙の中で火星を選んだ。凄まじい低確率です。生物が生息していない星が、大多数を占める宇宙で」
石橋はわざと声を太くした。エリンの強硬な意見を、砕いて脆くするためだ。
胸を張って、石橋はエリンと対峙した。石橋は、興味本位という軽い言葉で片付けられたくなかった。
エリンは、腕を組んだまま俯いている。石橋の問いかけに、答を出そうとしているのか。
いや、火星のスタッフたちの人権が、エリンの肩を押さえつけているのだろう。
「地球は本当に安全なのですか」
石橋は、ぼそりと呟いた。とどめの一撃のために用意していた台詞だ。




