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31.冒険者シアンの受難

「シアン兄さん。」

 アンジュが殴り倒されているシアンに近づいた。

「大丈夫だ。アテナ様がこれくらいで、済ましてくれたんだ。本当だったら、首を斬られても、文句は言えん。」

 シアンは、ボロボロになりながら、立ち上がった。

「なんて、野蛮な女なの!」

 イーリス姫の言葉に、シアンは彼女に近づくと、もう一度、彼女の頬を叩いた。

「私に向かって、なんてことをするの無礼者。」

 イーリス姫は、叩かれた頬をおさえながら、喚いた。

「先程の私の言葉を憶えていますか?」

「なによ。あんな臭い生き物なんですもの、仕方ないでしょ。」

「あなたが善虫に香水を吹き付けなければ、あの虫は何ごともなく、すぐに通り過ぎたんです。」

「だから、なによ。私が悪いっていうの?」

「ええ、その通りです。ちなみに、あなたが言う通りに、あの善虫を殺した場合、何百万人もの人々が飢えに苦しむことになったでしょう。」

「だから、何よ。王は娘の私が助かるなら、何百万人もの人々が飢えに苦しむことになっても、当然だと思うはずよ。」

 シアンはイーリス姫の言葉に、唖然とした。

「なによ、その顔は。それより早く、着替えを出してちょうだい。こんな恰好は、もういやよ。」

 シアンは黙って、さきを歩き始めた。

「ちょっと、待ちなさい、シアン。聞いているの。これは命令よ。」

 シアンの後をイーリス姫が大声で叫びながら、追いかけていく。

 イト公爵は大きな溜息を付きながら、二人の後を追った。

 アンジュも黙って、彼らの後を歩いていった。

 それから半日、一行は暗い中を足元に気を配りながら、小休止しながら、山を登った。

 しかし、体力のないイーリス姫が、途中でバテテ動けなくなった。

「もう、いや。動けない。」

 シアンは黙って、歩いていたが、大きな溜息をついて、立ち止まった。

 アンジュは、後ろからイーリス姫を追い抜くと、シアンに声をかけた。

「シアン兄さん。急がないと、また日が暮れるわ。」

 シアンはアンジュを見た。

「ああ、わかっている。だが、ここにイーリス姫を一人で置いていくわけには、行かない。お前とイト公爵は、先に村に向かってくれ。俺はイーリス姫と後から行く。最悪暗くなって、動けなくなったら、ここで、野営でもするさ。」

「シアン兄さん。わかってるの? ここは山の中腹なのよ。麓以上に気温が下がるわ。野営なんかしたら、下手すると凍死よ。」

「仕方ない。それも神の思し召しってやつさ。」

 アンジュは、大きく息を吸うと、鋭い音がする指笛を吹いた。

「アンジュ?」

 アンジュは、アレスが飛び立つ前に、彼女に言った事を話した。

「山の中腹まで来て、どうしても村に行きつけない時は、指笛を吹いてから、山を登れって、アレス様が言っていたの。」

「アレス様が、そう言ったのか?」

 アンジュは大きく頷いた。

「そうか。」

 シアンは半信半疑ながら、その後も文句を言い続けるイーリス姫を宥めながら、山を登った。

 気温がかなり低くなっていたが、昼頃になって、なんとか少し登った。

 そこで、わずかに草が生い茂った場所が見えた。

 そして、信じれらないことに、そこにはなんと、鞍をつけた馬が待っていた。

 四人は目を丸くして、その馬を見つめる。

 アンジュとシアン、イト公爵が、慌てて馬の手綱を掴む。

 ハッとして、鞍についている袋を開けると、そこには、携帯用の干し肉と少量の水が括りつけられていた。

『『アレス様』』

 アンジュとシアンは涙目で、馬を見た。

 どうやら、馬は先程の指笛で、戻って来るように、訓練されていたようだ。

 四人は、携帯用の干し肉と少量の水で、食事をすると、山の頂上にある村を目ざした。

 馬に揺られながら、寒さを我慢すること数時間。

 四人はやっとの思いで、村にたどり着いた。

 しかしながら、なぜかそこには、人がほとんどいなかった。

 村に残っていた村人を捕まえて、イト公爵が事情を聞くと、どうやら新領主を迎えて、領主館で宴会が開かれているようで、村人はほぼ全員、そこに行っているようだった。

 四人は、仕方なく、そのまま村を通り過ぎると、そこよりかなり上方にある領主館を目指した。

「本当に、なんで私がこんなに、苦労しないとダメなのよ。」

 イーリス姫はブツブツと文句を言いながら、馬の背に揺られている。

 イト公爵は、無言でそれを聞き流していた。

 シアンも疲れからか、何も言う気がないようだ。

「それは、あなたがわがままだからよ。少しは反省したら!」

 思わずアンジュは、真実を口にしていた。

「なっ、なななんて、失礼なことを言う娘なの。私を誰だと思っているの。私は王女なのよ。」

「そうね。あなたは、この村一つどころか、何百万人もの人を餓死させようとした王女よね。」

 イーリス姫は、顔を真っ赤にして、怒鳴り返した。

「なんて、失礼な娘なの。」

「私は真実だけを言っているのよ。」

「な・・・な・・・・・・・。」

 イーリス姫はあまりのことに、アンジュを睨みつけた。

 そこで、みかねたシアンが二人の怒鳴り合いに終止符をうった。

「もうよせ、二人とも。着いたぞ。」

 二人が怒鳴りあっているうちに、領主館に着いたようだ。

 四人は馬から降りると、シアンが敷地に設置されている門のクリスタルに触れた。

 しばらくすると、領主館の警備兵が姿を現した。

 シアンたちを見ると、何も聞かれずに、すぐに彼らを敷地内に入れてくれた。

 彼らが敷地に入ると、屋敷に仕える執事が現れた。

「お待ち申し上げておりました。アレス様よりお聞きしています。どうぞ、こちらに。」

 執事はイト公爵とシアンを右奥にある湯殿に案内した。

 二人が連れて行かれたところは、広い露天風呂だった。

「これは、すばらしいな。」

 思わずイト公爵は、感嘆の声を上げていた。

「アンおおばあ様の趣味の賜物ですよ。」

 シアンの説明に、イト公爵が目を丸くした。

「これは、君のご先祖が作ったものなのか?」

「私が聞いた話では、アテナ様と昔行った時に、入ったことがあるそうで、ここにそれを再現したそうです。」

 シアンが説明を終えたところで、執事は入浴を終えた時までに、着替えを用意しておきますと言い置くと、いなくなった。

 遠慮なく、二人は湯に浸かった。

 温泉の湯がつかれた体に澄み渡っていく。

 さきに、イト公爵が温泉から立ち上がった。

「イト公爵?」

「私は先にあがるよ、シアン。のぼせしまいそうだ。」

「そうですか? 俺はもう少し浸かって、疲れをとってから上がります。」

「ああ、わかった。」

 イト公爵はシアンを残すと、さきに上がっていった。

 シアンは、そのあと大分ゆっくり浸かってから、温泉をあがる。

 脱衣所で着替えて、通路に出ると、そこにはメイドが部屋に案内するために待っていた。

 ふと見ると、そのメイドは昔付き合ったことのある女性だった。

 向こうも気がついたようで、二人で目と目で合図しあうと、シアンは案内された寝室で待つことにした。


 一方、アンジュとイーリス姫は、メイドに左の突き当りにある女性専用の湯殿に、案内された。

 二人は、直ぐに脱ぐと、さっそく温かい温泉につかった。

「ああ、気持ちいい。生き返る。」

 アンジュは、ゆっくりつかるが、イーリス姫は、備え付けの石鹸で何度も体を洗うと、サッと温まって、先に出て行てしまった。

「本当に、忙しない姫ね。」

 アンジュは呆れながら、彼女の行動を見送った。

 イーリス姫は、湯殿を出ると、食事をどこかに運ぼうとしているメイドを見つけた。

「ちょっと、それをどこに運ぶの。」

 イーリス姫のきつい問いかけに、先程シアンに食事を頼まれた元恋人のメイドは、おどおどしながら答えた。

「はい、あのーー、公爵様のところです。」

 イーリス姫はそれを聞くと、目を輝かせた。

「公爵の部屋は、どこなの?」

 メイドは、二階の一番奥の部屋を指差した。

 イーリス姫は、メイドから食事が載ったお盆を奪うと、それを持ってその部屋に向かった。

 彼女が部屋に入ると、すぐに、分厚い胸に抱きしめられ、思わず口づけられる。

「あぁ・・・シ・・・。」

 イーリス姫の言葉は、シアンのキスに翻弄され、最後まで言えなかった。

 お互い、相手を誤解しあったまま、二人は何度も暗い寝室で抱き合った。

 ベッドの中で、ことが済んだ後、月明かりの中、二人は互いを認識して、驚愕した。

「イーリス姫! なんでここに。」

「なんで、シアンがここにいるのよ。」

 二人は気まずそうに、ベッドの上で背を向けると、その夜はお互い、何ごともなかったことにして、別れた。

 しかし、神はそんな彼らを見放したようだった。

 二人はその後、お互いを無視して生活していたが、数か月後、イーリス姫の妊娠が発覚した。

 結局シアンは、一度、冒険者に戻ったものの、数か月でまた新たな公爵家の当主に、舞い戻ることになった。

 それは、巷に噂として流れていた”善虫を害するものは不幸に見舞われる”という、伝説がみごとに現実化した瞬間だった。

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