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30.男爵領と善虫

 爵位継承が発表された舞踏会の翌朝。

 雪はアテナに、文字通り、叩き起こされた。

「雪、起きろ。出かけるぞ。」

「へっ、アテナ。何の話?」

 雪は、久々の運動で、筋肉痛に見舞われた体をベッドから起こすと、寝ぼけ眼でアテナを見た。

「決まっている。爵位継承が終わったんだ。領地にもどるのさ。」

「へっ、領地?」

「ああ、男爵領に行く。雪の乗馬も上手くなったし、もっと上達するには、習うより慣れろだ。男爵領は、距離的にもちょうどいい。準備はしてあるから、着替え次第、すぐに出発するぞ。」

 アテナは雪に乗馬服と防寒用のマントを放った。

「へっ、何。」

「いいから、着替えろ、雪。」

 雪はアテナに急かされて、乗馬服を着ると、厩に連れ出された。

 そこには馬の背に、簡易用の荷物を括りつけられた、おとなしそうな馬が待っていた。

「早いな、アテナ。」

 そこには、すでに馬に乗ったアレスと慎がいた。

「なんで、お前たちがいるんだ。」

「決まっている、男爵領までの護衛だ!」

 アテナは呆れ顔で、アレスを見た。

「護衛は入らん。それにセバスが、それを許可するとも・・・・・・。」

 アテナの言葉が終わらないうちに、セバスチャンがアレスを呼ぶ声が聞こえた。

「遅くなりました、アレス様、慎様。こちらが昼食です。」

 セバスチャンは、大きな袋を二つ抱えて、こちらに歩いて来ると、それをアレスに渡す。

「ああ、助かる。」

「いえ、それでは皆様、お気をつけください。」

 セバスチャンは丁寧に礼をすると、帰って行った。

「おい、まさか。あの書類の山を片付けたのか?」

 アテナは信じられない顔で、唖然としている。

「「当然。」」

 二人は声を揃えて、自慢した。

『『途中で気を失いそうに、何度もなったけどな。』』

 二人はチラリと視線を合わせた。

「まあ、それならかまわないが、慎は確か、乗馬ができなかったんじゃないか?」

 アテナが気づかわしげに、慎を見た。

「大丈夫だ。二時間は特訓した。上達するには、習うより慣れろだから、ちょうどいいさ。」

 慎は、アレスの暴言に、ちょっとムッとしたが、この間見たく、男の後ろには、死んでも乗りたくない。

 今はやるしかないと、腹をくくった。

 アテナはそうかと呟いた。

「じゃ、いくぞ。」

 アテナを先頭に、四人は男爵領に向かった。


 その頃、王宮では、イーリス姫が従兄のイト公爵を急かしていた。

「早くしないと慎様を見失うわ。まだ準備出来ないの?」

「今、やっていますよ。それに行き先は決まっているんですから、見失うことはありません。」

「分かっているけど、早くしてちょうだい。」

 イーリス姫とイト公爵は、彼らから遅れること、二時間後に王宮を出発した。

 途中で護衛役の冒険者たちと彼らは合流した。

「イト公爵、お久し振りですね。」

「やあ、今日は頼むよ、シアン公爵。」

 シアンは苦笑いを浮かべて、イト公爵に、やんわり事実を指摘した。

「イト公爵、もう俺は爵位をアレスと慎に譲ったので、ただの冒険者のシアンですから、お間違えないように。」

「そうだったね。本当にうらやましいよ。ところで、今、君の隣にいるご婦人は、誰だい。」

 イト公爵は、シアンの隣で、茶色の馬に乗り、黒髪を肩で短く切り揃え、背中に矢筒と肩に弓、腰には細い剣を下げた少女を興味深げに見ていた。

「憶えていませんか。一番下の妹のアンジュですよ。」

「えっ。あのよちよち歩きのアンジュ?」

 イト公爵は、マジマジと少女を見た。

「一体、いつの話ですか? 私はもう20歳です。」

「ええー、あのよちよち歩きが20歳になったのか。」

 シアンはおかしそうに、二人のやり取りを聞いていた。

 そして、前を行くイーリス姫を見て、イト公爵にそっと囁いた。

「いいんですか? 男爵領は、猛獣が出るような辺境ですよ。」

「うーん、大丈夫だろう。王もそろそろ、イーリス姫に、現実を認識させるつもりのようだから。」

「そうですか。ならいいんですが、彼らに追いつくつもりなら、今日は野宿ですよ。」

 イト公爵は力なく笑う。

「うーん。そこはシアン、君に任すよ。」

「はぁ、なに言ってんですか? それはイト公爵の仕事じゃないですか。俺達は、単なる護衛ですよ。」

「まあ、そういわず。俺達は幼なじみだろ。」

「そういう時だけ、幼なじみにするのは、やめて下さい。」

「まあまあ。そう言わずに、とにかく頼むよ。」

 二人がそんな話をしている間にも、冬のせいか、周りがだんだん、暗くなってきた。

「シアン兄さん。そろそろ野営の準備をしないと。」

 アンジュが周囲を警戒しながら、聞いてきた。

「森近くは猛獣がでるから、あまり野営したくなかったんだが、思ったり早く、暮れそうだね。仕方ないから、あの坂を超えた辺りで野営しよう。これ以上進むと、帰って危なそうだ。」

 アンジュは頷くと、先に馬で走っていった。

「今更だが、そんなに男爵領は猛獣が多いのか?」

 イト公爵の問いかけに、シアンが頷いた。

「ええ、おかげで冒険者にとっては、ここは天国ですよ。」


 四人は知らなかったが、彼らは、先を行く慎たちに、たいぶ追いついた位置にいた。

 アレスとアテナは、男爵領の山の麓で野宿の準備を始めた。

 雪と慎は、二人に言われるまま、焚き木用の枝を集めた。

 アレスはそれで火を熾し、アテナはいつの間にか、夕食用の猪を狩って、それをその場で捌くと鍋に放り込んだ。

 雪はそれを目を丸くして見ていた。

「二人ともずいぶん貴族のくせに、慣れているのね。」

 アテナは、混ぜていた鍋の蓋を閉めると、持って来た水を飲みながら、雪の疑問に答えた。

「ああ、私もアレスも軍務が長かったから、料理は結構上手いぞ。」

「なるほどね。」

 アテナは雪との会話が終わると、煮立った猪の肉を持ってきた、深皿に盛った。

 雪は、アテナから受け取ると、冷ましながら、それを食べ始めた。

「うーん、思ったよりおいしい。塩しか入れてないのに、良い味だしてる。」

「ああ、そうだろう。剥いだものを直ぐに、煮込んであるが、煮込み用の薬草も入れているので、結構いけるだろ。」

「うん、うん。」

 アテナと雪の横で、アレスも自分で鍋から皿に、猪の肉を入れると食べ始めた。

 慎だけがなんでか、さっきからパンだけ食べている。

「慎は、食べないの? けっこう美味しいよ、この猪の肉。」

 慎は雪を睨んだ。

「はっ、よく食えるな雪は。なんで目の前で、猪を解体されて、それを食べられるんだ?」

「えっ、そりゅあ、ウサギなら考えたかも知れないけど、猪は別にかわいくないし。」

 雪の納得できるんだか、できないんだかわ、からない理由に、慎は項垂れた。

「俺は気持ち悪くて、無理。」

 慎はその鍋を見て、そっぽを向いた。

 アテナはなんでか、その慎の言葉に笑い始めた。

「おい、アテナ。急になんだ?」

「だって、あはははははぁ。昔のアレスに、そっくりなんだもの。」

「「へっ」」

 慎と雪が思わず、アレスを見た。

 アテナは笑いながら、二人に教えてくれた。

 昔のアレスも最初に軍の訓練で、アテナの男爵領に来た時、今の慎と同じことを言って、猪の肉を食べなかったそうだ。

「しかたないだろ。それまで目の前で、調理されたものを食べたことなんか、なかったんだから。アテナが貴族のくせに、慣れている方がおかしいんだ。」

「まあ、そうかもな。なんたって、うちは貧乏貴族だから、食事は自分で狩るものしかなかったからな。」

 アテナは何かを思い出したようで、寂しそうな笑顔を見せた。

 彼女は亡くなった両親を思い出していた。

『アテナ。』

 アレスはアテナの肩をそっと抱いた。

 四人はたき火を囲みながら、そこでウトウトしながら、夜明けを待った。


 真夜中過ぎ、何かの木を切り倒す音に、全員目が覚めた。

『『『なんだ?』』』

 アテナは弓矢を、アレスは剣を出して、立ち上がった。

 慎は慌てて隣で、寝ぼけている雪を起こす。

「なに?」

 雪が目をごそごそしながら慎を見上げた。

 慎は慌てて、雪の口を塞いだ。

 モゴッ

『なにするの。』

「静かにしろ雪。何かが近づいて来る。」

 四人が静かに周囲を警戒していると、悲鳴と怒声が聞こえてきた。

 アレスが継いでいた馬を放すと、竜になる。

 慎も慌てて、アレスに飛び乗った。

 雪もフクロウになったアテナに飛び乗って、空に上がった。

 上から見ると、誰かが何かに襲われているようだ。

「「なに(だ)あれ。」」

 雪と慎は、大きな芋虫の塊が暴れている姿を目にしていた。

『あれは、荒れ地を耕す善虫だが、なんでこんなところで、暴れているんだ?』

 アテナは、アレスを見た。

『わかった。』

 アレスはアテナに頷くと、善虫に上空から近づくと、慎の力を借りて、大量の水を放つ。

 水を多量に浴びた善虫は、周り中に砂を巻き上げながら、地中に潜ると、地上の木を何本も巻き込みながら、姿を消した。

 アテナは、襲われていた人たちの方に向かっていった。

 アレスも善虫が遠くに行ったのを見届けて、アテナの後を追った。

 四人が地上に降りると、そこには泥水で真っ黒になったイーリス姫とイト公爵、それに簡素な装いの冒険者に戻ったシアンとアンジュがいた。

「大丈夫?」

 雪がアテナから降りながら、四人に声をかけた。

 いち早く気がついたドロドロ姿のイト公爵が、雪に声をかけた。

「助かりました、雪。」

「イト公爵! なんでこんなところに、いらっしゃるんですか?」

 雪はあまりのことに、目を大きく見開いて、泥水で真っ黒になったイト公爵を呆然と見つめた。

 雪に続いて、アレスから慎が降りると、それに気がついたイーリス姫が、ドロドロの姿のまま、彼に飛びついた。

「慎さまぁーーー。こわかったぁー。」

「イーリス姫! なんでこんなところに、いるんですか?」

 慎はイーリス姫に抱き付かれて、自分も真っ黒になりながら、唖然としている。

 アテナが、フクロウから戦士服の姿に戻ると、つかつかと善虫に襲われていた四人の傍に行くと、四人全員の頬を張り倒した。

「お前たち、子供じゃないんだ。一体何をやっているんだ!」

 雪はアテナの怒鳴る姿に、唖然としていた。

「申し訳ありません。この隊の責任者は、私です。」

 シアンが四人を代表して、アテナに頭を下げた。

 アテナは、責任者のシアンを情け容赦なく、今度は殴りつけた。

「お前も冒険者を名乗るなら、きちんと隊を統率しろ!」

 地面に殴り倒されたシアンを見て、イーリス姫が唖然とその姿を見ている。

「雪、行くぞ。」

 アテナはそう言うと、フクロウの姿に戻った。

 雪が慌てて、フクロウに飛び乗った。

 アテナは、雪を乗せたまま、空に舞い上がった。

『アテナ!』

 雪の問いかけに、アテナはしばらく、何も答えなかった。

 アレスはアテナが飛び立ったのを見てから、近くで項垂れていたアンジュの耳元に何か囁くと、慎に声をかけた。

「行くぞ、慎。」

 アレスは竜に戻った。

 慎は隣にいたイト公爵にイーリス姫を預けると、竜の背に跨った。

 アレスはすぐに、空に上がる。

「なあ、なんであんなにアテナは怒ったんだ。」

『善虫は滅多なことでは人を襲わない。そして荒れ狂うと、見境なく、真っ直ぐ突進するんだ。』

「だから、つまりどういうことなんだ。」

『たまたま今回は、俺がここにいて、多量の水で善虫が正気に戻ったが、戻らなければ、アテナが炎であいつを殺すしか、前進を阻止する方法はなかっただろう。』

「なんで、それが問題なんだ?」

『この先には、村がある。あのままの勢いで突進すれば、村一つくらい平気で壊滅だ。』

「じゃ、別に殺しても、問題ないんじゃないか?」

『善虫は文字どおり、善なる虫なんだよ。あいつは、普通に土を食って、その栄養ある土を吐きだしながら、生きているんだ。それが森を畑を潤ませるんだ。さらに、あんな大きな善虫は、めったにいない。いうなれば黄金の値するような、富める土地を増やせる生き物なんだ。滅多やたらに殺すことは出来ん。逆に言えば、殺せば村、一つ以上の犠牲が出る。」

「それじゃ、アテナはアレスのあの水で、善虫が正気に戻らないようなら、どうしていたんだ?」

『たぶん、領主の責務として、あえて村一つ、犠牲にしただろう。』

 慎はアレスの言葉に絶句していた。

 アテナが怒るはずだ。

 アレスは、慎に、そこまで話すと、全力でアテナの後を追った。

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