0.序章
激しく吹く風がアテナの金色の髪を後ろになびかせていた。
アテナは一個中隊を率いて、王宮を出ると、まっすぐ国境の砦に向かう。
『アレス』
アテナは馬を駆って、町を抜ける坂を上りきった、小高い丘に来たところで、馬を止めると王宮を振り返った。
「どうかしましたか?」
すぐ後ろからついてきたプテン隊長が、馬を止めて、後ろを振り返ったアテナの行動を怪訝に思ったのだろう、後方から問いかけて来た。
「いや、何でもない。国境の砦に急ごう。」
アテナは馬を走らせながら、昔、神殿で聖女様に言われた予言を思い出していた。
”あなたが愛するものを守ろうとすれば、その思いは成就する事はないだろう。しかしその代わりに、そのものの命は、ソナタの思いによって守られる。”
私の命でアレスが助かるなら幸いだな。
アテナは自嘲気味に笑うと、砦に向け、隊を進めた。
「アテナ様、あれを見てください。」
そこには既に、何万もの大軍に包囲されている味方がいた。
「くそ、遅かったか。プテン隊長。若い兵士を二人連れ、お前は秘密通路から砦に入って、なかにいる民間人を逃がせ。後のものは、今戦っている部隊の援護と撤退のための時間稼ぎだ。」
「お待ちください。」
プテン隊長がアテナを呼び止めた。
「なんだ。」
「その役は、私がやりますので、アテナ様こそ、秘密通路より砦に入って、なかにいる人の誘導を・・・。」
アテナは不敵に笑うと、
「お前はこの大軍に勝てるのか?」
プテン隊長はギクリとして、
「そ・・・それは。」
「私は負ける気はない。」
プテン隊長は一瞬何かを言おうとして止めた。
「わかりました。」
馬の踵を返そうとすると、アテナはプテン隊長を呼び止め、馬を近づけると、彼に短剣を渡した。
それは、きれいに装飾された繊細な模様が描かれた短剣だった。
「これは?」
「私の短剣だ。アレスにあいつの短剣を返すと約束したからな。返しに行くまで、それは人質だ。城に戻った時に渡してくれ。」
プテン隊長はアテナに言おうとした。
それなら、自分で返しに言って下さいと、でも声にならなかった。
代わりに違う言葉を吐いていた。
「わかりました。今の言葉と共に、必ずお渡しします。」
プテン隊長はそう言って、大事そうに懐に短剣をしまうと、一番若い二人を連れて、隊を離れていく。
ミラン副隊長がアテナの傍に馬を進めて来た。
「今回の一個中隊が、やけにベテランばかりだったのは、こういうわけですか?」
「なんだ、ベテランなのが気にくわないのか、ミラン副隊長。プテン隊長といっしょに城に返りたければ行っていいぞ、私は止めんからな。」
「まさか、この年でこんな大軍を相手に出来るなんて、嬉しくてたまらないのに、そんなわけないじゃありませんか。」
二人はにやりと笑い合うと、剣を鞘から抜いて、馬を駆けさせた。
「突撃ーーーー」
辺りはすさまじい剣戟の音と叫び声に包まれた。
数時間後。
馬を潰され、追い詰められた二人は、敵に囲まれて、背中合わせに戦っていた。
「どうせ背中にするなら、プテンの方が若くてよかったかな。」
アテナは息が上がり気味のミランに、声をかけた。
「ハッハッハァ。私の方が、年をとっていても、男前ですよ。まだまだ今でも、中年のご婦人方には、かなり人気なんです。」
「それは悪かったな。ではこの大軍をさっさと片付けて、そのご婦人方に恨まれる前にお前を宮廷に返さなければな。」
アテナの問いかけに、ミランはうめき声で答えた。
背中からミランがいなくなり、地面に倒れ伏す。
アテナは大軍の前に、全身血まみれで、たった一人、立っていた。
すぐさま四方から複数の剣に刺され、地面に膝をつく。
『すまん。アレス、お前の剣を返しに行けそうにない。』
アテナの目の前に、アレスの顔が浮かんだ。
『出来ればもう一度、会いたかった。アレス!!!』
アテナは、そこで絶命した。
プテンは、アテナと別れた後、秘密通路を使って、砦に残っていた使用人の男女を連れ、密かに、戦闘を避け、王都に戻った。
使用人たちのことは、部下二人にまかすと、城の近衛隊の隊長であるアレスに、すぐさま、今回の国境付近の砦での戦闘の状況を報告する。
アレスは激昂していた。
「なんだと、12万もの大軍を前に、一個中隊で突っ込んで行ったのか、あのバカは。」
アレスは青ざめていた。
プテンも実際、自分が報告しながら、その馬鹿げた話に呆れるばかりだ。
「くそっ。」
アレスは、腰の剣に手を伸ばすと、柄を握りしめた。
その時、城の中庭に、馬が血まみれになった息も絶え絶えの兵士を運んできた。
「おい、大丈夫か?」
城の中から、駆けつけた兵士に抱きかかえられながら、その兵士を庭に降ろす。
「どうした?」
兵士の問いかけに、兵は叫んだ。
「アテナ様は、数刻前に、国境付近にて、討ち死にされました。」
戦闘から半日以上立っていた。
アレスはこの兵士の報に、広場に出向くと、血まみれの兵の胸蔵を掴んだ。
「遺体はどうした?」
「大軍に囲まれ、取り返すこと敵わず。私はアテナ様の命令で、10万の大軍が国境付近から、王都に向かっていることを、アレス様に知らせるようにと・・・。」
兵士は血まみれになりながらも、苦しい息をしながら、その事を伝える。
「くそっ、あのバカが、知らせるなら、自分で来い。」
アレスは、そう吐き捨てると、踵を返して王のいる玉座の間に向け、歩き出した。
「お待ちください。アレス様。」
アレスは不機嫌そうに、呼び止めたプテンを振り向く。
「なんだ、プテン。お前の話を、今聞く気はない。」
「アテナ様からの伝言があるんです。」
「あのバカからの伝言だと。」
アレスは睨み付けるように、プテナを見た。
プテナは頷くと、
「預かった剣を、返しに行くまでの人質だと・・・。」
プテンはそう言って、大事に懐に仕舞っていた剣を、アレスに渡した。
アレスはその剣を受け取ると、しばらく眺めてから、大事に懐にしまった。
「どちらに、行かれるのですか?」
「王と王妃に軍を出すように言質をとってくるだけだ。プテナ、お前はついでに、近衛と守備隊にすぐに出陣すると、伝言しておけ。その後は、お前は王都の守備だ。」
アレスはそう言うと、数時間のうちに、大軍を準備すると、アテナの敵を討つために、国境に軍を進めた。
「プテナ、お前には王都守備を命令したはずだが。」
アレスの隣を軍馬で走っているプテナに文句を言う。
「私は、アテナ様の部下であって、あなたの部下ではありません。」
「お前はアテナの気持ちを無駄にする気か。」
「あなただけに、アテナ様の敵をまかす気はありません。ちなみに、アテナ様に言われた若い二人はちゃんと王都に置いてきました。」
しれっと言い返してきた。
「好きにしろ。」
アレスはそう言って、軍を進めた。
アテナのもたらした情報とアレスの天才的な指揮で、敵軍は、あっという間に敗れ去った。
そして、アレスはアテナの遺体を取り戻した。
「くそっ、なんでお前は、すぐに撤退して、俺の元に帰って来なかったんだ。」
アレスは、アテナの亡骸を抱きながら、文句を言った。
アテナが返すと約束したアレスの剣は、彼女の胸に抱かれたまま、国境の砦に埋葬された。
『アテナ、お前は世界一のうそつきだ。』
アレスは墓標の前でそう呟くと、踵を返して、戦場に戻った。
彼は死ぬまで、その砦を動かなかった。
原稿がやっと見つかって、後から追加で入れました。ごめんなさい。