~福寿草の場合~
「明次君へ
初めまして。未鍵真子です。
薬事君から話を聞いていました。
話をしてみたいと思っていたけれど、まさか明次君の方から手紙をもらえるとは思っていませんでした。
手紙が来た時は、本当に嬉しかったですよ。
さて、アドバイスですか……。
アドバイスじゃないかも知れませんが、明次君は料理も出来るんでしたよね?
良かったら、新しいメニューを作ってもらってもいいですか?
本当に薬事君は料理が出来なかったもので、結構な品数を没にしてしまって、メニューの数が少なくなってしまっているんですよ。
今こそ上手く作れているのでしょうが、薬事君自身でメニューを作るのは本当に駄目で、私が引退してから一つもメニューが増えていないんです。
よろしくお願いします。
あぁ、もしメニューが出来たなら、写真を撮って見せてくれると嬉しいですね。
では、この辺で失礼します。
未鍵真子より」
俺は水色のシンプルな便箋を折りたたんで、それが入っていた真っ白な封筒に入れ直す。
「新しいメニューか……。」
そんな事を呟きながら、ふと時間を見ると腕時計は、八時を示している。
俺は、開店までまだ一時間あるなと考えながら、ため息をついた。
「どうかしましたか?絢斗さん。」
厨房のいつもの場所に座っているのに気づいた薬事さんが、俺に話し掛けてきた。
「さっき、薬事さんから未鍵さんの手紙をもらったじゃないですか。」
「ええ。」
薬事さんは頷きながら言う。
「それに良かったら新しいメニューを考えて欲しいって、書かれてありまして……。」
「あぁ、なるほど。私じゃ上手く出来ないために、絢斗さんにしてもらおうと言う訳ですか。」
そうらしいですと俺は頷いた。
「薬事さんは、未鍵さんに扱かれて何でも料理が出来るようになっているものだと思ってました。」
「いや……まぁ、扱かれはしましたが、全てが上手くなる訳ではないですし……。」
冗談で扱かれたなんて言ってみると、薬事さんに肯定された。
俺はおいおいと呆れ顔で薬事さんを見れば、薬事さんは苦笑をしていた。
「……なんか、すみません。」
「いえ、大丈夫ですよ。扱いたのは、未鍵さんですし。」
何だか気まずくなって謝れば、 薬事さんは優しく笑いながらそう言ってくれた。
「……さて、ここのパンって買って来てるんですよね?」
「ええ。そうです。」
俺が椅子から立ち上がって薬事さんに聞けば、それがどうしましたか?という風な顔で言った。
「いや、折角オーブンがあるのに、作ってないのは勿体無いなぁと思ったので、パンを作ろうかなと。」
「……凄いですね。」
薬事さんが驚いた顔でそんな事を言うので、俺はそんな事はないですよと言いながら、苦笑する。
「いやいや、十分凄いですよ。……それで、何パンを作るんですか?」
薬事さんが興味津々で聞いてくるので、俺は少し考え込んでから薬事さんに何がいいですかと聞いた。
「そうですねぇ。……まずは、食パンからはどうですか?」
「そうですね。最近作ってなかったので、それがいいかもしれないです。」
俺は薬事さんの提案に賛成してから背伸びをし、パンを作るための準備を始める。
「邪魔になりそうなので、私は今日飾る花を摘んできますね。」
「分かりました。」
俺の背中に薬事さんがそう言ってきたので、俺は一旦振り返って薬事さんに頷き、作業を再開した……。
* * *
さてあとは焼くだけだと、俺は邪魔なので外して机に置いていた腕時計に目を向ければ、時間は十時前となっている。俺ははっとなり急いでオーブンにパンを入れ焼き始めたのを見届けてから、急いでカウンターの方に向かい、薬事さんに呼び掛ける。
「薬事さん!」
「あぁ、絢斗さん。パン、もう出来たんですか?」
薬事さんは優しく笑って、そう俺に聞いてきた。
「えっと、まだ焼き始めたばっかりですね。……ってそうじゃなくて、お客さん大丈夫だったんですか?」
「ええ、大丈夫でしたよ?まだ、十時にもなっていませんし……。」
薬事さんにほのぼのとそう言われてしまえば、俺は謝る気力を無くしてしまった。
「はぁ……そうですか。」
「そうですよ。……あっ、パンの方見てなくていいんですか?」
「あっ。」
薬事さんに言われて、俺は厨房に一旦戻りますと言って戻れば、厨房からはパンの良い香りが漂っている。
「……そろそろだな。」
まだ、机に置いていた腕時計を確認して、俺は呟きながら鍋用の手袋をオーブンを止めてから付け、型を取り出す。
銀色の型の中には、綺麗な狐色のパンがある。
「久しぶりでちょっと心配だったんだが、大丈夫そうだな。……後は、味だな。」
俺はまな板の上にパンを型から取り出し、少し冷ましてからパン用の包丁で端っこを薄く切る。切った場所からは、白い蒸気がふわりと舞っていく。
それから切った端っこを半分にまた切り、片方を食べてみる。
「熱っ。……でも、不味くはない。」
自分で作った為か、どんな反応をしたらいいか分からず、俺はもう片方のパンを丁度いい大きさの皿に乗せ、薬事さんに持って行った。
「あっ、焼けたんですね?パンの良い香りがします。」
「ええ。……で、俺の判断だけじゃ駄目なので、薬事さんも食べて見てくれませんか?」
俺が皿を持ち上げれば、薬事さんは食べます食べますと嬉しそうに笑いながら、皿を受け取った。
「……やっぱり、焼きたては美味しいですね。」
さすが絢斗さんですと言いながら、薬事さんはパンを千切っては食べ、千切っては食べを繰り返す。
「……いいんじゃないですか?私はこれを加工したものをメニューに加えることに賛成です。」
「了解です。」
少ししてパンを食べ終えた薬事さんは、開口早々にそう言った。俺がその言葉に頷けば、それに合わせて突然ドアが開き、スーツを着た男性が入って来た。
「いらっしゃいませ。」
薬事さんは、それに驚く事なくそう言ったが、俺は慌ててその言葉が言えなかったので、お辞儀だけしておいた。
「パンのいい匂い……。ここって、喫茶店ですよね?」
「そうですよ。ここにいる明次さんが、先程パンを焼いたばかりなんです。」
「ちょっ、薬事さん。」
本当の事だが、まだメニューにもしていないのに良いのかと目で聞けば、薬事さんは大丈夫ですよと笑う。
それにどう反応したらいいか分からなかった為に、俺は渋々ながらも頷いた。
「へぇ、そうなんですか。」
男性は薬事さんに向けていた視線を俺に向けてから、頷く。
「さて、席はどこでもいいですよ。好きなところにお座りください。」
男は最初戸惑っていたようだが、カウンターの通路が無い側の端に座った。
俺はその間にと用意したメニュー表と水の入ったコップを男性の前に置き、そっと離れて薬事さんに声をかける。
「さて、俺は一旦厨房に戻りますね。」
「分かりました。」
厨房に戻れば、先程パンから出ていた蒸気は消えていた。完全に冷え切っているのだろう。
俺はパン用の包丁をまた持って丁度いい分厚さに切り分け、三つ用意して袋に入れていく。二つは俺と薬事さんが持って帰る用で、一つはここ(Lösung)に置いておくようだ。
「絢斗さん。注文の方、いいですか?」
「あっ、はい。」
そんな作業をしていると、いつの間にか厨房に入ってきていた薬事さんに、声をかけられた。
「と、まぁ言いたいところなんですけど、ここに来るのは初めてなので、コーヒーとお腹に優しい品を一つ何かあれば、それを頼みたいですと言われてしまって……。」
「あぁ……。」
俺はその男性の言葉が徹夜……多分残業をしたんだろうなと察してしまい、苦笑してしまった。
「?……まぁ、料理に関しては絢斗さんの方がよく知っているので、相談してみたんですが、どうですか?」
薬事さんがそんな俺を不思議そうに見ながら、再度俺に問いかけてきた。
「そうですね、フレンチトーストとかはどうですか?後は……あっ。えっと、薬事さん。今日のスープは何ですか?」
「えっと、今日は少し肌寒かったので、身体の温まるコーンスープにしようかと……。」
「メニューに入ってないですけど、つけパンなんてどうですか?コーンスープなら丁度いいですし……。」
俺がそんな事を言えば、薬事さんはそれいいですねと目を輝かせた。
「それじゃあ、私はコーンスープを温め直して来るので、絢斗さんはパンを焼いておいて下さいね。」
俺は薬事さんのテンションの上がり方に戸惑いながら、ここ(Lösung)用の袋からパンを一枚取り出し半分に切り、片方をそのままもう片方を焼いて皿に乗せた。
「絢斗さん。スープの用意、出来ました。」
「こっちも出来ましたよ。」
皿を洗って持って薬事さん行った方向を見れば、いつもより少し大きく底の深いコップを持った薬事さんに話し掛けられたので、俺はそう答えた。
「さて……待たせていますし、早く行きましょう。」
「そうですね。」
* * *
「お待たせしました。」
「どうぞ。」
薬事さんと俺はそれぞれ持っていたものを男性の前に置いてからそう言い、薬事さんはすぐに厨房に戻って行った。
男性はそんな薬事さんを見ながら、俺に聞いてくる。
「……えっと、このパンはさっき明次さんが、焼いたと言っていたものですか?」
「えっ、あっ、そうですね。……今回、スープの方がコーンスープだったので、つけパンと言う形にしてみたんですがどうでしょう?」
気に入らなければ違うものにしますがと、そう目と口で俺は聞いた。
「いえ、大丈夫です。」
「よかった……。それと、パンはまだあるので、お代わりを言ってくだされば、持ってきますので。」
「はい。」
男性は笑って頷いた。
俺もそれにつられて笑ってから、いつの間にか薬事さんがサイフォンを付けてコーヒーを作ってくれていたので、俺は棚からカップを出してコーヒーを注いでいると、男性が話しかけてきた。
「……あっ、そうだ。この花ってなんて言う花なんですか?」
俺は、男性が指さしている映えた黄色の花に視線を向けて答えた。
「これは、福寿草と言います。」
「へぇ……。花言葉とかは、あるんですか?」
「ありますよ。沢山ある中の一つが確か、悲しい思い出ですね。」
俺は指を顎に置いて男性に言えば、男性はいつの間にか焼いていない方のパンをコーンスープに付けていた手を、ひたと止めた。
「?どうしました?」
心の中で聞かない方がいいんだろうなぁなんて考えながら、俺は男性に問い掛けた。
「悲しい思い出……ですか。……明次さん。」
「はい。」
「何と無くで分かっているのでしょうが、昨日は残業で遅くまで残っていて、まぁそのまま会社に泊り掛けしてて、朝来た上司に今日は有給取って休みなさいと怒られてから、会社を追い出さまして……。」
「で、お腹が空いたからここに入ったと。」
男性は頷いた。
「まぁ、最近自暴自棄になってこんな事を続けてたからなんでしょうね。」
「自暴自棄?」
「ええ。一週間ほど前に妻を亡くしまして。」
俺は声を出さずにゆっくりと頷いた。辺りを重く暗い空気が包む。
「辛くて悲しくて……。忘れたいんですけど、彼女との記憶はとても大切なもので……。」
「考えないようにするために、仕事に没頭するのですか?」
男性が沈黙を破り、そんな事を言うので俺は男性に聞いた。すると、男性は図星ですと言って笑った。
「友達にも心配かけてばかりですよ。」
「でも……いいじゃないですか。」
俺は笑って言った。
「……福寿草の花言葉は、沢山あるって言いましたよね。」
「あぁ、そうでしたね。」
男性は少し迷惑そうな目で、俺を見てきた。
「幸福なんですよ。幸福、幸せを招く……そんなのが、この福寿草の花言葉の他の意味に入ってるんです。」
俺は先程男性が指差していた、福寿草を生けてあるコップを持ちながら言う。
「……。」
「心配してくれている人がいる。大切な記憶がある。……辛くても、それがあれば幸せでしょう?」
男性はこくりと頷き、俺の顔を見て嬉しそうに辛そうに笑った。
「そう、ですね。」
俺は花の入ったコップをカウンターの脇に置き直し、男性に熱いうちにどうぞと声を掛けてから、先程入れたコーヒーを男性の前に置いて、厨房に戻った。
* * *
「どうでしたか?」
いつも置いてある椅子に座っていた薬事さんに、声を掛けられた。
「あっ、はい。何とかなりました。……で、薬事さんは何をしていたんですか?」
俺は薬事さんが紙に何かを書き込んでいるのを見て、聞いた。
「あぁ……。これは私の作れるスープの種類をまとめてるんですよ。」
「どうしてまた?」
「まぁ、新メニューを考えるのならば、今回の様に私のスープと組み合わせることがあるかもしれないと思いまして……。」
成る程と俺は頷いた。
「結構数があるので、まだ少ししか書けてませんが、今回のお客様が帰られてから、渡しますね。」
「分かりました。じゃあ、俺は一旦カウンターの方に戻りますね。」
「はい。後から私も行くので。」
俺は頷いて、今日は動き回ってばかりの日だなぁなんてしみじみ思いながら、カウンターに戻った。
* * *
その後、俺は男性と他愛も無い話をしながら三十分程過ごし、男性はその間にコーヒーやパンのお代わりををしたりしていた。
「……そろそろ帰ります。」
男性は一旦息をついてからそう言った。
「分かりました。」
「おや、もうお帰りになるのですか?」
俺が頷くと丁度カウンターに戻ってきた薬事さんが、男性に聞いた。
「はい。なんだかんだで長い時間いましたし……。」
「あぁ……。そうですね。かれこれ一時間って所ですか。」
薬事さんはサイフォンの横にある置き時計に目をやり、苦笑しながら言った。
「そうですね。こんな居心地の良い喫茶店なんて、初めてで長く居過ぎちゃいましたね。」
男性も苦笑しながらそう言い、お代は?と聞いてきた。
「そうですねぇ……。今回はまだメニュー入りしていない物を食べてもらいましたし、コーヒー代だけ貰いますね。」
「そんな!結構食べたのに、安過ぎます!」
男性は薬事さんの言葉に驚いて、立ち上がりながら大きな声で言った。
「いいんですよ。ねぇ、絢斗さん。」
「あっ、はい。まぁ言ったら、今回のパンなんて俺の趣味で作ったようなものですし……。」
ほら、絢斗さんもそう言ってるじゃないですかと、薬事さんが男性を諭す。
「……分かりました。」
男性は俺と薬事さんを交互に見てため息をつき、渋々ながらも頷いてコーヒー代を払った。
「にこにこと笑顔でさらりとそんな事を言われてしまえば、言い返せないですね。」
「あはは……。」
帰る準備をしている男性の口からそんな言葉が聞こえ、俺は苦笑するしかなかった。
「……じゃあ、さようなら。」
「「ありがとうございました。」」
俺と薬事さんは、お辞儀をしながら出て行く男性を見送った。
「ふぅ……。」
「今回は結構重い悩みでしたね。」
俺は大きく頷いた。
「そろそろお昼もきますし、私達もつけパン食べますか?」
薬事さんは苦笑しながら、まだパンは残ってましたよね?と聞いてきた。
「はい。俺と薬事さんの分があります。」
「じゃあ、美味しく食べちゃいましょう!」
俺が疲れた声で答えれば、薬事さんは努めて明るめに俺に言ってきた。
今回、俺に全て任せてしまった事に少し責任を感じているのだろう。
「そうですね。」
「ふふ……。」
俺は頷いて厨房に歩き始めるた。
そんな俺を見て、薬事さんは優しく笑っていた……。
誤字、脱字、感想などあれば、コメントよろしくお願いします。
今回は、きちんとした解決はさせませんでした。
人は完全ではないという事を、出してみたいなぁと思いまして……。
少しもやもやした感じが出せてたら嬉しいです。