~彼岸花の場合~
「未鍵真子さんへ
こんにちは。
そして、はじめまして。
薬事さんから聞いてるとは思いますが、俺は明次絢斗です。
未鍵さんと話がして見たくて、手紙を書きました。
俺はこの店……“Lösung”に入ったばっかりなので、アドバイスをくれると嬉しいです。
では短いですが、これぐらいで失礼します。
明次絢斗より」
俺はそう書いた便箋を白に花の描かれている封筒に折りたたんで入れ、それ用に買ったシールを貼り付ける。
俺は薬事さんの過去を聞いて以来、そのままにして置いた椅子から立ち上がった。
「薬事さん。手紙書いたので、渡してもらえませんか?」
「いいですよ。……また、行動が早いですね。」
何時もの絢斗さんは、マイペースに突き進んで行くのにとそんな目で薬事さんに見られる。
「いやいや、俺も人が相手だったりする時は、きちんと動きますよ?……きっと、未鍵さんも待ってるんじゃ無いかと思いまして。」
酷い勘違いだと思いながらそう言えば、薬事さんはなるほどと頷いた。
「絢斗さんらしいですね。……甘草の花言葉は、物忘れなんて言いますが、全然そんなこと無いじゃ無いですか。」
「いやいやいや、ここでそんなことしてたら俺やっていけませんって。本当に。」
料理のレシピにその種類。コーヒーのブレンドのし方から花の名前とその花言葉まで、最近覚えるものが多すぎて大変なのに、これで物忘れが発動なんてしたら、俺は疲れて倒れてしまう。
真顔でそう答えれば、薬事さんに苦笑された。
「まぁ、それはそうですね。」
「でしょう?」
何も偉くないのに、えっへんと胸を張れば、薬事さんに余計に苦笑される。
俺はなんだか恥ずかしくなり、頬を左手の人差し指で掻きながら、薬事さんに手紙を差し出した。
「はい。確かに受け取りました。」
薬事さんは、両手でそれを受け取りながら優しく笑った。
「はい。お願いします。」
「ふふ。……さて、今日も頑張っていきますか。」
「そうですね。」
そんなやり取りをして、俺は大きく伸びをしてから、腕時計に目を向ける。
「もうそろそろで、九時が来ますね。」
「ええ、そうですね。朝お客様が来るのであれば、この時間帯が多いですし、急ぎましょうか。」
「はい。」
俺は頷いて、在庫があるかどうかの確認をしてから、厨房を出てカウンターの方へ進み、薬事さんは一旦手紙を置きに、着替え室に入って行く。
俺は最近、何かあればすぐに確かめる事をするようになったと思う。
今までの……この店に来る前の仕事では、同じ事の繰り返しで大きな間違いをする事がなく、唯々淡々と仕事をこなしていた。
そんな事だから、俺は確かめる事をなかなかせずに、怒られる事ばっかりをしていたのだろうなとそんな事をしみじみと思っていると、店のドアが開く音がした。
「いらっしゃいませ。」
俺はとっさにその考え事を頭の隅に追いやり、この店に丁度響くぐらいの声で言った。
入ってきたのは、焦げ茶色に染めた髪をポニーテールにし、目、鼻、口が、すべて整った可愛らしい、女性だった。
「……えっと。」
「どこにでも、好きな場所にお座りください。」
女性がどこに座ればいいかと、目で訴えかけて来たので、俺は笑ってそう言った。
「あっ、はい。」
女性は、おどおどしながらもそう答えて、カウンターの方ではなく丸机に向かい合って置かれた椅子の片方にベージュの肩掛け鞄を置き、もう一つ椅子に座った。
俺はそれを見て、すぐにメニュー表と水の入ったコップを手に取り、カウンター脇の通路から出て丸机の上に置くと、それを見て女性は俺に向かって、会釈をした。
「俺はカウンターの方にいるので、決まったらお呼びください。」
それに合わせて、俺は軽くお辞儀をしてからそう言って、カウンターに戻った。
「来ましたか?」
「はい。」
戻れば、そこには薬事さんが立っていて、俺に話しかけてきた。
「カウンターじゃないのは、久し振りですね。」
「そうなんですか?」
「ほら絢斗さんの時も、そうだったでしょう?それから、来た人も。」
あぁそうでしたねと俺が言えば、薬事さんはでしょう?とくすりと笑った。
「あの、すみません。」
話をしていれば、女性が控えめに声を掛けてくる。
「あっ、はい。」
薬事さんに行く様子が無かったので、俺は急いで女性の方に向かう。
「えっと、カフェラテとフレンチトーストで。」
「はい。かしこまりました。」
俺はまたお辞儀をして、カウンターに戻り、厨房に行こうとすると薬事さんに呼び止められた。
「なんでしょうか?」
「今回、絢斗さんが悩みの解決をしませんか?」
「……はい?」
何を言っているんですかと目で言いながら、俺は素っ頓狂な声を出した。
「これでも、結構ここにいるでしょう?経験を積んでいってもらおうと思いまして、ね?」
「ね?じゃないですよ、ね?じゃ。……まぁ、薬事さんの事だから最初っから、そうしようと思っていたんでしょう?」
「分かっていたんですか?」
俺がため息をつきながらそう言えば、薬事さんは目を見開きながら、俺に聞いてきた。
「ええ。まぁ、何となくですけど。薬事さんって、結構強引ですね。」
「ふふ、そうですか?……自己紹介はこちらの方がやっておくので、絢斗さんは食べ物の方お願いしますね?」
「……分かりました。」
薬事さんには、口では勝てないと改めてそう感じながら、俺は厨房に行く足をまた動かす。
「っていうか、フレンチトーストは俺流でいいのだろうか?」
さっきの注文を聞いていたのだろう、さっきまで手紙を書いていた机の上には食材が準備されている。
それらを見ながら俺は呟く。
俺は甘いのが苦手なので、フレンチトーストもそこまで甘いものではないのだ。
「まあ、薬事さんが何も言ってなかったし、いいか。」
自分の中で自己完結し、俺は作り始めた……。
* * *
「よし。出来た。」
綺麗な焦げ目のついた分厚目に切った食パンのフレンチトーストを半分に切ったものを、食べやすいように白い皿の上に重ねて置く。それを片手で持ちもう片方にシナモンの粉の入った小さめの容器と、メープルの入った小さなカップを持つ。
厨房から出れば、薬事さんと女性がまだ話をしていた。
「お待たせしました。……シナモンとメープルがあるので、好きな方を掛けて食べてください。」
コーヒーはすでに薬事さんによって運ばれていたので、俺はゆっくり皿を置いてから、そう言った。
「あっ、はい。ありがとうございます。……明次さん、ですよね?」
「はい、そうですが?」
どうかしましたか?と目で続きを聞けば、女性はにこりと笑った。
「いえ、薬事さんに紹介されたので、ちゃんとあっているか確かめたくて。……いえ、薬事さんを疑ってたわけじゃないですよ?」
「はあ……。」
「あっ、すみません。一気に喋っちゃって。……私、音楽のこと以外本当に興味が無くって、ちょっとしたら人の名前であっても、すぐに忘れちゃうんですよ。」
「あぁ、なるほど。」
俺の名前を確かめるように呼んだのは、それが理由かと頷けば、女性はほっとしたように笑った。
「良かった。いつも、そうやって説明しても、最初の方は大体信じてくれなくって……。」
「分かります。俺も忘れっぽいんですよ。」
「そうなんですか?」
ええと俺が頷けば、女性は同士だと嬉しそうに笑う。
「あっそう言えば、この花って彼岸花ですよね。不吉な花って言われているのに、またどうしてですか?」
それから、女性はメープルの入った小さなカップを手に取りながら、赤い花の生けてある白いカップに目をやる。
「あぁ、まぁ最初はそう思いますよね。でも、彼岸花ってそれだけじゃないんですよ?」
「そうなんですか?」
「ええ。」
女性がメープルをフレンチトーストにゆっくりと掛けていくのを見ながら俺は頷いた。
「……彼岸花って、そういう不吉な花ってイメージが定着してるんですけど、他にも“天上の花”って言ってめでたい兆しって言われていたりするんですよ。」
「なんか、矛盾してますね。」
「ええ。……それから、花言葉は独立、あきらめ。」
俺が続きとばかりに花言葉を言えば、女性はメープルを掛けていた手を止めて、俺の方を驚いた目で見てきた。
「どうかしましたか?」
「いえ、なんか核心を突かれたような気がして。」
「悩み、ですか?」
はいと女性は小さなカップを机に置きながら、頷く。
「俺で良ければ聞きますよ?」
「ありがとう、ございます。」
女性は困ったように笑いながら、薬事さんがいつの間にか持ってきていた、ナイフとフォークを女性は手に取り、フレンチトーストを切って口に入れた。
「美味しい。」
「良かったです。」
そこから黙々と切ってあった片割れのフレンチトーストを、一気に食べ切った女性は、紙ナプキンで口を拭いてから、口を開いた。
「私、さっき音楽の事以外頭に無いって言ったじゃないですか。」
「ええ。」
俺は頷く。
「でも、最近なかなか上手くいかなくって……。」
「何の楽器なんですか?それとも、歌?」
「ピアノ、です。」
俺は音楽なんて殆ど興味が無かったからよく分からないが、結構辛いことなのだろうなと思った。
「あともう少ししたら、コンクールがあるんですけど、どうしてもその曲のあるところで必ず躓いちゃうんです。何回やっても上手く出来なくて、それで余計に空回りしちゃって……。」
「今回のコンクールは、諦めようと?」
女性は頷いた。
「今回はもういいかなと……。」
「折角頑張ってきたのにですか?」
「それは……。」
言葉を濁す女性。
俺は気付かれないように、そっと息をつく。
「彼岸花って、他にも花言葉があるんですよ。」
「え?」
いきなり話題が変わった事に、女性は間抜けな声を出す。
そんな反応に俺は優しく笑って、続きを言う。
「幾つもの意味を持つ花って、たくさんあるんですよ。彼岸花もその一つ。」
「そう、なんですか。」
「彼岸花の他の意味は、再会、情熱。」
女性の肩がぴくりと反応する。
「情熱?」
「ええ。」
俺は笑顔で答えると、女性はくすくすと笑いだした。
「彼岸花って、花言葉まで矛盾してるんですね。」
女性はそう言ってからほうと息をつき、笑うのを止めた。
「情熱……ですか。」
「ええ。」
女性は大きく頷く。
「あきらめない。……もう一回、頑張ってみます。」
女性は俺の顔を見て、にっこりと笑ってから、でもその前に明次さんの作ったフレンチトーストを食べないと、と言って手を動かし始めた。
俺はもう大丈夫だろうと、女性に食べ終わったらカウンターにいるので、俺を呼んでくださいと言って、その場から離れカウンターに戻る。
「流石絢斗さんですね。初、一人での悩み解決。なんだかんだ言いながら、出来たじゃないですか。」
「内心すっごく焦ってましたよ。なんとかいって良かったです。」
俺は大きく息をついて、薬事さんさんを見る。
薬事さんはにこにこと優しそうに笑っている。
「ふふ。私の時もこんな感じで無茶振りされて、困っていましたよ。」
「って、俺の気持ちが分かるのであれば、こんな事やめて欲しかったです。」
俺が半目になりながら薬事さんに言えば、薬事さんはまあいいじゃないですか。上手く行ったんですからと、はぐらかされた。
薬事さんにはやはり勝てないと、今日二回目の言葉を心の中で呟き、俺はまたため息をついた。
「……にしても、絢斗さんって何でも作れるんですね。」
「何でもは作れないですよ?俺だって人間ですし……。俺の好みに味付けとかしてあるので、作っても好き嫌いが激しいものが結構ありますし。」
俺が薬事さんの言葉にそう返すと、薬事さんはでも何処のレストランだって喫茶店だって、そんなものですよとフォローを入れられ、それからまた絢斗さんのフレンチトースト、食べてみたいですと言われた。
「じゃあ、また作りますね。薬事さんが欲しい時に言ってくれたら、何時でも作りますんで。」
「ありがとうございます。」
俺と薬事さんは顔を合わせて、笑った。
「あっ、そう言えばスープって?」
俺は急に思い出して、薬事さんに聞いた。
「もう飲んで貰いましたよ?一度、私が厨房に入ったのに気づきませんでしたか?」
「全く気づきませんでした。」
俺がそう答えると薬事さんは苦笑して、絢斗さんはフレンチトースト作りに一生懸命でしたからねぇと言われた。
「……それで、今回のスープは何だったんですか?」
少しむすっとしながら薬事さんに聞けば、苦笑しながら答えてくれた。
「今回はチキンスープですよ。」
「ふむ。」
俺が頷きながらそう言えば、心休まるスープの方が、今回はいいと思いましてと薬事さんが続けて言った。
その言葉に俺がなるほどと言えば、明次さーん!と元気な女性の声が聞こえた。前を見ると、女性が俺に向かって手を振っている。
「ほら、仕事はまだ終わっていませんよ?」
薬事さんもその女性の姿を見たのだろう、俺にそう言ってきた。
「そうですね。」
俺は簡単にそう答えて、女性の元へと走って行った。
* * *
「本当に美味しかったです。」
会計を済ませてから、女性は俺に笑いかけながらそう言った。
「ありがとうございます。」
俺も笑ってそう返すと、女性ははっと思い出したように腕時計に目を向け、やばいと言った風な顔になる。
「これからピアノの練習があるんです。もう、行きますね。」
「はい。頑張って下さい。」
「ありがとうございます。……薬事さんさんも、スープ美味しかったです。本当にありがとう。」
俺と薬事さんが頷けば、女性は笑ってドアを開け、走って出て行ってしまった。
「今回は本当にお疲れ様でした。」
「本当にそう思っているんであったら、手伝ってくれたら良かったのに……。まぁ、俺がこれからやっていくためですもんね。」
俺が近くにあったカウンターの椅子に座りながらそう言えば、薬事さんは苦笑する。
「ふふ。……お詫びに、チキンスープ飲みますか?心が休まりますよ?」
「飲みます。飲みたいです。」
俺は立ち上がって言う。
「じゃあ、人が多く来る時間が過ぎましたし、厨房に行きましょうか。」
「はい!」
俺と薬事さんはまた顔を合わせて、笑ったのだった……。
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