『太郎』の学校
私は今年新しい高校に赴任したばかりの教師だ。
けど実は、今回赴任した学校にはあるとんでもない特徴がある。
「それでは、佐藤太郎くん!」
「はい!」
「次、鈴木太郎くん!」
「へい」
「次、高橋太郎くん」
「ほい」
「そん次は……田中太郎くん……」
「うす」
「つ、次は…………、吉田太郎…………くん……」
「ウェーイ!」
お聴きの通り、この学校にはげっそりするぐらい男子に『太郎』とつく生徒ばかりが在籍しているのだ。
かつては、外国人から見て日本のポピュラーネームは「太郎」「花子」であると言われていたが、さすがにこの学校に来るまではそれは現代日本人に対する間違った固定観念と思っていた。
実際、男子の名前で「太郎」をそれ単体でつけられた生徒はこれまでそれほど見かけなかった。
だが、この学校に限ってはその考え方は180°改めるべきなのかもしれない。
私は前の学校までは生徒のことをなるべく下の名前で呼んでいたのだが、あるときこの特殊な学校で間違ってそれをやってしまったのだ。
「お~い、太郎く~ん! ……………あ」
私はこの時、担当教科の化学の質問をしに来た寺尾太郎と松井太郎のことを呼ぼうとしたのだが、ついそれまでの癖で名前で言ってしまったのだ。
「はい」
「はい!」
「はい!!」
「はい!!!」
「はい!!!!」
「「「「はい! はい!! はい!! はい! はい! はい! はいはいはいはい………!!!」」」」
「うわああああ、ストップストッープッ!!!」
案の定、まるで甘いものに寄ってくるアリのように大量の生徒が私を襲撃してきたのだ。さしずめ私は砂糖と言ったところか。
それ以来、私は生徒を慣れない苗字のほうで呼んでいるのだ。
ところでこの学校の生徒は下の名前のパターンこそほとんどないが、苗字のパターンは結構豊富なのだ。
だからいま専らに楽しみにしているのは、この苗字に『太郎』の名をつけられた人がどういう生徒なのか、ということである。
ある日の放課後、担任をしているホームルーム教室の近くの廊下で私のクラスの長門太郎と上原太郎、そして桜木太郎が楽しく話していた。
「あっ、先生」
「なんだ、長門に上原に桜木じゃないか。何を話しているんだ?」
「実は今、この高校の生徒の名前について話していたんです」
「あっ、ああそうか………」
「先生はこの学校には『太郎』という名の生徒が多いとは感じませんでしたか?」
というか今さらそれか。 もっと早くに気付けよまったく。
「……あっ、ああ、確かにそうだな……」
「そのくせ苗字だけは豪華な人もいるんですよね」
「そうですね」
「例えば?」
「そう言えば、隣のクラスに勅使河原太郎ていましたよね」
勅使河原って四文字姓に太郎って……………。
「それいったら、今出川太郎もいましたよね。それに近衛太郎や鳳凰院太郎だって」
その人たちは公家かなんかですか? そもそもここは公立高校のはずなのになんで…………。
でも苗字のお陰か、歴史上の人物になんかいそうな感じもする名前だな。
「いやいや、そもそも生徒会長はクラウス・デイートリヒ・“太郎”・フォン・フォイエルバッハて名前じゃんか」
おいおい、やたらすげぇ名前だな。さすが何でもカッコ良く魅せちゃうドイツ語クォリティー半端ないなー。つか、“フォン”ってそれ貴族の証じゃないか。
しっかしこうしてみると、『太郎』がこれまたやたら雰囲気にそぐわなくて物悲しい感じだな、こりゃ。
イカンイカン、このままではここに来た外国人講師が本当に「太郎」を日本人のポピュラーネームと誤解しかねん。
そうして私が心の声でツッコんでいると、上原が私にある事実を告げたのだ。
「どうしたんですか? 冨樫“太郎”先生♪」
ああそうだった、私の下の名前も『太郎』だったね。結局同じ穴のムジナと言うことですか。
「類は友を呼ぶ」、それを実感した日でもあった。
こうして私は、今日もたくさんの『太郎』を指導するのであった。
皆さん、いかがでしたか?