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【溺愛プラン】オプションどうします?  作者: 田中葵
第4部 一歩踏み込む
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本部側の不安と戸惑い―むしろ「整っている」からこその再解釈へ

 会議室では、相変わらず何も起きていなかった。


 数値は安定している。

 苦情件数も、解約率も、異常検知も、基準値の範囲内だ。

 グラフは滑らかで、赤い警告灯は一つも点いていない。


 それなのに――。


「……落ち着かないんですよね」


 誰が言い出したのかは、もう分からなかった。

 議事録には残らない種類の言葉だった。


「“問題がない”という報告しか上がってこないのに」 「はい。むしろ、問題がないこと自体が……」


 言い淀みが、室内に漂う。

 誰も続きを言わない。言えない。


 本部は、理由を探し始めていた。

 “何も起きていないのに不安が残る理由”。


 最初は、数値の再確認だった。

 集計方法の見直し。

 母数の定義変更。

 誤差範囲の再計算。


 だが、どれも「問題なし」で終わる。


 次に疑われたのは、現場だった。

 報告の遅延。

 担当者の感覚的判断。

 あるいは、意図的な見落とし。


 しかし、現場から返ってくるのは、整然としたログばかりだ。

 余計な感情も、余白も、削ぎ落とされた報告。


 それが、逆に不安を増幅させた。


「……静かすぎませんか?」


 誰かが呟く。

 またしても、議事録には残らない声。


 本部は、“健全”という言葉を避けるようになっていた。

 肯定しきれない。

 だが、否定する根拠もない。


 そこで、矛先は「意味」に向かう。


 意味づけが、どこかで勝手に行われているのではないか。

 数値に現れない解釈が、流通しているのではないか。


 その仮説が出た瞬間、空気が少しだけ緊張した。


「……誰が、解釈しているんでしょう」 「利用者、では?」 「それは想定内です」 「では、制度側が?」


 誰も即答しない。


 そのとき、共有フォルダの一角に、参照履歴の通知が灯った。

 古い文書だった。

 花子が、かつて提出した言葉。


 正式採用も、却下もされていない。

 ただ、「参考資料」として棚に置かれたままの文書。


 それが、複数の部署から、断続的に開かれている。


「……これ、誰が使ってるんですか?」


 質問は淡々としていたが、場の温度がわずかに下がる。


 文書の内容自体は、危険ではない。

 攻撃的でも、煽動的でもない。

 制度を否定する言葉も書かれていない。


 むしろ、整っている。


 だからこそ、再解釈が始まっていた。


 「これは、利用者の感情を安定させる補助概念では?」

 「いや、制度の副次効果を説明するための素材だろう」

 「“選ばない”という行動の定義に使えるかもしれない」


 誰も、花子本人の意図を参照しない。

 必要がないからだ。


 言葉は、すでに制度の側に渡っている。


 本部は気づき始めていた。

 不安の正体は、事故でも反乱でもない。


 制御していない意味が、静かに動いていること。


 数値に反映されない。

 警告も出ない。

 だが、確実に内部を通過している。


「……これ、禁止したほうがいいんじゃないですか」


 誰かが言う。

 即座に、別の誰かが首を振る。


「理由がない」 「“何も起きていない”状態で禁止語を増やすのは……」


 結論は出ない。


 そのまま会議は終了し、

 「引き続き注視」という言葉だけが残った。


 一方で、花子はその動きを知らない。


 知る必要もなかった。


 彼女はもう、その言葉を使わないと決めている。

 再解釈されていることも、引用されていることも、関知しない。


 ただ、どこかで――

 自分の提出した言葉が、

 “問題が起きていない理由”を説明する材料として

 使われ始めている気配だけが、かすかに漂っていた。


 本部は、理由を探し続ける。

 空回りしながら、意味を定義しようとして、失敗する。


 そして誰も気づかない。


 最も不安を生んでいるのは、

 何も起きていないことではなく、

 誰も選んでいない領域が、すでに動き始めていることだという事実に。


 その静けさは、まだ異常とは呼ばれていなかった。

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