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農家の異世界奮闘記~理の目と鍬一本で、国を救い、神に挑む~  作者: 今無ヅイ
穢れ火戦争編

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黄色い瞳の少女たち

 フレイヤとの「羽根と寝床」相談がひと段落したところで、彼女がふっと視線を外にそらした。

 焚き火の向こう――子どもたちの輪のあたりだ。


「……ついでに、もうひとつ。アンタに言っといたほうがいい話がある」


 声が、さっきより少し低い。冗談の皮を被せているけど、芯は硬い。


「……まだ何かあります?」


「アタシだって、増やしたくて増やしてるわけじゃない」


 フレイヤはテント入口の布を指でめくり、外へ短く声を投げた。


「ロザリー。こっち!」


 焚き火のそばで子どもたちと何かをしていた娘が、顔を上げる。黒い羽根が、火の明かりに鈍く光った。

 駆けてくる足取りは軽いのに、目の奥は落ち着いている。黒髪をひとつにまとめ、子どもに毛布を掛け直してからこちらへ向かってきたのが分かった。


 その後ろを――小さな影が、とことことついてくる。

 白い羽根。淡い金髪。焚き火の赤に染まってもなお「白さ」が残るその翼は、日鴉族の中でも珍しい、とどこかで聞いたことがある。

「フレイヤさん、なにかご用ですか?」


 ロザリーがテントの前で止まり、軽く頭を下げる。礼儀が身についている。

 避難民というより、むしろ“場を回す側”の動きだ。


「ロザリー。こっちがツチダ」


 フレイヤが親指で俺を指した。


「帝国の農政顧問。土と飯の理屈で生きてる変人。……でも、今ここで一番役に立つタイプの変人だ」


「変人は余計です」


 苦笑して突っ込むと、フレイヤは肩をすくめる。


「褒めてんだよ」


 それからフレイヤは、白羽の小さな影のほうへ視線を落とした。


「で、こっちが――ミドラーシュ。……今は、あんまり喋れない」


 白羽の少女――ミドラーシュは、その半歩後ろで止まった。目線は上がらない。火の音だけを聞いているみたいに、じっとしている。


「うん。ちょっと目、見せな」


 フレイヤはロザリーの肩を軽く押し、焚き火のほうへ顔を向けさせた。

 ミドラーシュも、促されるまま同じ向きに立つ。


 俺もつられて視線を上げて――そこで、はっきりと違和感に気づいた。


「……あれ?」


 ロザリーの瞳。

 黒じゃない。焚き火の光を映しているだけじゃない。金色とも琥珀ともつかない、黄みを帯びた色が、虹彩の奥に残っている。


 ミドラーシュのほうも同じだった。まるで“居場所を見つけた”みたいに、黄がそこにある。


「気づいただろ」


 フレイヤが言った。


「この子ら、元々は他の連中と同じで黒い目だった。逃げてくる途中まではね」


「いつから、こうなったんです?」


「はっきりした“いつ”は分からない」


 肩をすくめる。


「山の中じゃ、そんな細けぇとこ見てる余裕はない。……でも、避難所で落ち着いてから気づいた。『あれ?』ってね」


 俺はロザリーの顔を真正面から見て、ゆっくり訊いた。


「痛みとか、違和感は?」


「えっと……別に、痛くも痒くもないです」


 ロザリーはぱちぱち瞬きをしてみせる。


「視界も普通。暗いとこが見えやすいとか、そういうのも……たぶんないです」


「ミドラーシュはどう?

 目、痛いとかはない?」


 白羽の少女は、肩をきゅっとすくめた。

 唇が動く。けれど声にならない。息だけが、ひゅ、と喉を擦った。


 心が折れたあと、言葉がうまく出なくなることがある。

 そういう話は、前の世界でも聞いたし、この避難所でも耳に入っていた。


 ミドラーシュは、こくりと頷いた。

 それが「痛くない」の合図だと、俺は受け取る。


「分かりました。ありがとう」


 言葉を短くして、圧を減らす。


 フレイヤが続けた。


「病気っぽい感じもなくて、痛みもない。

 ……でも、見てると落ち着かない。山で見たことのない色だからね」


「日鴉族で目の色が変わる例って、今まで――」


「聞いたことない」


 きっぱり。


「生まれつき羽根の色が変わってる子はいる。ミドラーシュみたいにな」


 フレイヤの視線が、白羽へ向く。

 ミドラーシュは身じろぎもしない。ただ、火の音を聞いている。


「……でも、後天的に瞳が変わる、なんてのは年寄りも“知らん”ってさ」


 普段なら皮肉で押し流すところを、フレイヤはそこで止めた。

 言葉を選んでいる。


「……嫌な予感がする」


「根拠は?」


「ない」


 即答だった。


「ただ、山が燃える前の風の匂いと同じ。『まだ何も起きてないけど、起きる』って匂い」


 理屈になっていないぶん、逆に無視しづらい。

 勘で生き延びてきた猟兵の言葉は、だいたい後から理屈が追いつく。


「分かりました」


 俺は頷いた。


「魔術的な原因があるかどうか、専門家にも見てもらいます。……怖がらせないように」


「頼む」


 フレイヤは短く言って、二人の背を軽く押した。


「ロザリー。ミドラーシュ。ちょっとだけ目ぇ見せてもらいな。痛いことはしない」


「はい」


 ロザリーは素直に返事をした。

 ミドラーシュは、もう一度、小さく頷いた。


 ◆


 クローディアとリベラゴールは、仮の指揮所テントで地図と報告書を広げているところだった。

 俺が事情をかいつまんで話すと、クローディアはすぐに立ち上がった。


「分かりました。視させてください」


 リベラゴールも椅子からすっと立ち上がる。


「瞳は“心と理”が一番濃く出る場所だからね。嫌な匂いがする前に確かめとこう」


 焚き火の近く、少し人の輪から外れたところに、ロザリーとミドラーシュを座らせる。

 まずクローディアが正面に膝をついた。


「怖がらなくて大丈夫ですわ。少しだけ、目を見つめますね」


 柔らかい声に、ロザリーの肩の力がわずかに抜ける。


「魔力、使います?」


 俺が小声で聞くと、クローディアは首を横に振った。


「まずは視るだけ。魔素の流れが乱れているなら、わたくしの“回路”にも触れますわ」


 クローディアが息を整え、ロザリーの瞳を覗き込む。

 数秒、沈黙。焚き火のぱちぱちという音だけが入る。


 やがて、クローディアは静かに息を吐いた。


「……少なくとも、今のところ“異常な魔素の流れ”はありませんわ」


「本当ですか?」


「ええ」


 クローディアは頷く。


「感情の揺れは強いです。恐怖と悲しみと……それから」


 ロザリーをちらりと見て、表情を少しだけ柔らかくした。


「“守ろうとする意志”が、残っています。でもそれは自然な範囲」


「次、こっちだね」


 クローディアはミドラーシュの前に移動し、同じように瞳を覗き込む。

 ミドラーシュは視線を上げきれず、けれど逃げない。まつ毛が小さく震える。


 クローディアはしばらく見て、ゆっくり首を振った。


「魔素の乱れは……見えません。ただ――」


「ただ?」


「“張り詰めた弓”のような感覚があります」


 慎重な言い方だった。


「いつ弦が切れてもおかしくない。でも今は、まだ切れていない弓」


 俺はミドラーシュの小さな手を見た。指がぎゅっと握られている。

 言葉の代わりに、身体が抱えている。


「次は、あたしね」


 リベラゴールが二人の前にしゃがみ込む。月兎族特有の静かな気配が、焚き火のざわめきを少しだけ薄めた。


「目を閉じてもらっていい?」


「えっと……閉じるんですか?」


「うん。わたしたちの感応は、“見えるもの”より“流れるもの”のほうが得意だから」


 二人が目を閉じる。

 リベラゴールは、額の少し上――触れない距離に手をかざした。


 薄い波紋みたいなものが、空気を撫でる。

 俺でも分かるくらい、周りの“静けさ”が一段深くなる。


 しばらくして、リベラゴールは手を下ろした。


「……クローディアと同じ意見かな」


「というと?」


「“痛んでる”けど、“壊れてはいない”」


 リベラゴールはロザリーの頭をそっと撫でた。


「大きな悲しみと怒りがある。それを、自分の中でぎゅっと抱え込んでる」


 今度はミドラーシュへ。


「この子は、もっと深いところで……まだ言葉になってない“何か”を抱えてる」


 ミドラーシュが、ほんの少しだけ肩をすくめる。

 図星を刺された反応というより、“触れられた”ことへの小さな震えに見えた。


「危険ですか?」


「今すぐ瘴気になって吹き出す、みたいな感じではないよ」


 リベラゴールは首を振る。


「魔素の流れ自体は安定してる。ただ、人間でも獣でも――抱え込みすぎたものは、いつかどこかで形になる」


 何の形になるかは、今は分からない。


 リベラゴールが二人に優しく言う。


「ありがとう。もう目を開けていいよ」


 ロザリーがぱちぱち瞬きをし、ミドラーシュもゆっくり目を開いた。

 黄色い瞳が、焚き火の光を映す。


「どう?ロザリー。変な感じは、特にない?」


「……はい。ちょっと眠いくらいです」


「それは、たぶん普通に疲れてるだけですわね」


 クローディアが微笑む。


「今日は温かいものを食べて、早く休んでくださいな」


 二人が焚き火の輪へ戻っていくのを見届けてから、俺たちは少し離れた場所に集まった。


「どう見ます?」


「魔術的には、“今は何も起きていない”ですわね」


 クローディアは腕を組む。


「ただ、フレイヤの“嫌な予感”は無視しないほうがいい。山を知る者の勘は、理で後追いすることのほうが多いですから」


「イースタシアの記録にも、“感情の蓄積が魔素に影響する”って一節はある」


 リベラゴールが言う。


「でも、目の色が変わる……は聞いたことがない。少なくとも月兎族の知識には該当例がないね」


「つまり――」


 俺は息をひとつ吐いた。


「今のところ危険な兆候は見えない。けど、理由は分からない。……だから、記録して経過観察」


 頭の中で、内務省向けのメモが一行増える。


『日鴉族避難民二名(ロザリー・グレスカラ/ミドラーシュ・フォニウム)に、黒色虹彩から黄色虹彩への変色を確認。魔素流・健康状態に顕著な異常は見られず。原因不明につき経過観察。』


 文字にすると、たった一行だ。

 でも、その一行が妙に胸に残る。


「ツチダ」


 クローディアが少しだけ真面目な顔で言った。


「もし後で何かが起きたとき、“あの時点で何もしていなかった”とは言いたくありませんわ」


「だから、ちゃんと書いておきます」


 俺は頷く。


「“瞳が黄色くなる、理由の分からない現象があった”、と」


 理にも魔術にも分類できない“なにか”が、ここで静かに育ち始めているのかもしれない。

 でもこの時点の俺たちは、それをただ――避難所の衛生状況や食糧事情のメモに紛れ込んだ、報告書の一行として書き留めることしかできなかった。

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